そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#16 宿無!!

パンツが帰ってきた。

 

正確には、飛んでいったパンツたちが、部屋を埋め尽くすように戻ってきた。

 

それだけでも十分すぎるほど異常だった。

 

だが、問題はそこでは終わらなかった。

 

そはらが怒った。

 

ものすごく怒った。

 

そして、カードの力で時限爆弾になった。

 

結果家が壊れた。

 

爆発というより、近接爆撃だった。

 

俺の家は、見事に崩壊した。

 

「……どうすんだよ、これ」

 

そして紆余曲折あり俺たちは、五月田根家(さつきたねけ)に泊まることになった。

 

五月田根家(さつきたねけ)は、想像していたよりもずっと広かった。

 

そして、想像していたよりもずっと物々しかった。

 

門。

庭。

廊下。

襖。

そこに立つ人たち。

 

どこを見ても、普通の家ではなかった。

 

「……極道?」

 

思わず呟くと、そはらが小声で言った。

 

「トモちゃん、失礼だよ」

 

だが、そう見えたのだから仕方ない。

 

出迎えてくれた組長(オジ)さんは、見た目だけなら完全にそっちの人だった。

 

けれど、話してみると普通に優しかった。

 

いや、優しすぎるくらいだった。

 

イカロスは、じっと組長(オジ)さんの頭を見ていた。

 

俺が止めるより早く、イカロスは手を伸ばした。

 

そして、組長(オジ)さんの頭を撫でた。

 

「おい!」

 

俺は慌てた。

 

完全に終わったと思った。

 

だが、組長(オジ)さんは怒らなかった。

 

むしろ、にっこり笑った。

 

「アリじゃよ~~」

 

イカロスは、また撫でた。

 

「丸いです」

 

その後、俺たちは客間へ通され、料理まで出された。

 

会長の家だから、もっと無茶苦茶な扱いをされるかと思っていたが、意外なほど丁寧にもてなされた。

 

豪華な料理。

広い部屋。

やたらと礼儀正しい人たち。

 

俺は少しだけ気が抜けていた。

 

その時だった。

 

「……あれ」

 

俺は箸を止めた。

 

悠がいない。

 

さっきまで座っていたはずの場所が、空いている。

 

「そはら」

 

「何?」

 

「悠は?」

 

そはらは少しだけ視線を上げる。

 

「お風呂に行ったみたいだよ」

 

「風呂?」

 

「うん。会長さんが案内してた」

 

俺は少し考えた。

 

今日は色々ありすぎた。

 

家は壊れるし、爆撃みたいなものは食らうし、服は着替えたがゆっくり風呂に浸かりたい。

 

「俺も風呂入ってくるかな」

 

「気をつけてね」

 

「何をだよ」

 

俺はそう言って、部屋を出た。

 

今思えば。

 

その一言を、もっと真剣に聞いておくべきだった。

 

-----

 

しばらくして。

 

守形先輩が、ふと顔を上げた。

 

「桜井はどこだ」

 

そはらが答える。

 

「お風呂に行きましたけど」

 

守形先輩は静かに言った。

 

「ここ五月田根家(さつきたねけ)には五月田根家(さつきたねけ)一族専用風呂があってな……」

 

「江戸時代間違えて入った客人が打ち首にされたらしい……」

 

「ついたあだ名が獄門湯」

 

そはらの顔色が変わった。

 

守形先輩は続ける。

 

「実際の獄門湯は、一族以外の者が入ると災いが起きるとされている」

 

「地震、飢餓、そして龍の形をした竜巻」

 

「この禁忌を破った者が入ると、これらが発生する可能性がある」

 

その時、遠くで何かが揺れた。

 

障子がかたかたと震える。

 

そはらは青ざめた。

 

守形先輩は立ち上がった。

 

「急いだ方がいい」

 

-----

 

所変わって、獄門湯。

 

そこは、広い露天風呂だった。

 

白い湯気。

石造りの湯船。

夜空。

庭の奥に張られた古い注連縄。

 

湯船の向こうには、古い絵が飾られている。

 

羽衣をまとった天女が、湯の上に立っている絵。

 

その湯船に、悠は入っていた。

 

背中には、紫の羽が広がっている。

 

湯に濡れた羽が、湯気の中で静かに揺れていた。

 

羽をしまうことはできる。

 

だが、今の悠はしまっていない。

 

入浴時、羽の洗浄を同時に行う方が合理的だと判断したからだ。

 

「水温、適正」

 

悠は淡々と呟いた。

 

「鉱物成分、通常入浴に支障なし。羽表面への付着物除去効率、良好」

 

湯に浸かりながら、悠は自分の羽を少しだけ動かした。

 

湯気がふわりと揺れる。

 

その姿だけなら、昔話に出てくる天女のようだった。

 

ただし、本人にその自覚はない。

 

「入浴継続」

 

そう判断したところで、湯気の向こうから声がした。

 

「あら」

 

会長だった。

 

会長もまた、湯船の向こう側にいた。

 

つまり、悠は間違えて会長のいる風呂に入っていた。

 

普通なら、ここで何かが起こるはずだった。

 

怒られるとか、驚かれるとか、追い出されるとか。

 

しかし、会長はまったく慌てなかった。

 

むしろ、面白そうに悠を見ている。

 

「紫月くん……いえ、今はエリュシオンと呼んだ方がいいのかしら。ここは本来、客人が入る場所ではないのだけれど」

 

悠は会長を見る。

 

「進行経路上、最も広い浴場」

 

「だから入ったの?」

 

「はい」

 

会長はくすりと笑った。

 

「大物ね」

 

「体格の話ですか」

 

「違うわ」

 

会長は湯に肩まで浸かり、悠の羽を見た。

 

「それ、出したままで平気なの?」

 

「はい。水分付着による重量増加はありますが、可動に支障はない」

 

「羽の手入れも兼ねているのかしら」

 

「はい」

 

「なるほど。天女の湯に、羽を持つ子が入っているわけね」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

「天女」

 

「この湯の由来よ。私たちの祖先は天女だと言われているの」

 

悠は浴場の奥にある絵を見る。

 

「伝承情報を確認」

 

「信じる?」

 

「未確定情報」

 

「あら、夢がないわね」

 

「夢は睡眠中に発生する不明記録」

 

会長は一瞬黙り、それから楽しそうに笑った。

 

「そういう返しをするところ、今の紫月くんらしいわ」

 

「現在、紫月悠としての応答は優先順位外」

 

「分かっているわ」

 

会長の笑みが、少しだけ薄くなる。

 

「でも、少しずつ戻ってきているようにも見えるわよ」

 

悠はすぐには答えなかった。

 

戻る。

 

その意味を、今の悠はうまく処理できない。

 

けれど、完全に処理不能というわけでもなかった。

 

「先日」

 

悠がぽつりと言った。

 

「金魚すくい」

 

会長は少しだけ目を細めた。

 

「ええ」

 

「全対象を一時捕獲。同一環境へ返却」

 

「楽しかった?」

 

悠は少しだけ黙った。

 

「判定不能」

 

いつもの返事だった。

 

けれど、そこで終わらなかった。

 

「ただ」

 

悠は、少しだけ目を伏せた。

 

「戻した後は、悪くなかった」

 

会長はくすりと笑った。

 

「それは、紫月くんらしいわね」

 

悠は答えなかった。

 

ただ、湯気の向こうで、ほんの少しだけ目を伏せた。

 

その時だった。

 

がらり、と戸が開いた。

 

「ふー、やっと風呂……」

 

俺だった。

 

俺はそこで固まった。

 

湯気の向こう。

 

会長。

 

そして、羽を広げた悠。

 

状況の理解が追いつかなかった。

 

「……」

 

「……」

 

「……あ」

 

俺の口から、情けない声が漏れた。

 

次の瞬間。

 

露天風呂全体が揺れた。

 

ごごごごご、と床の下から低い音が響く。

 

「え」

 

俺が声を出すより早く、湯船の湯気がねじれた。

 

白い湯気が渦を巻く。

 

風が生まれる。

 

露天風呂の中心で、湯気と風が龍の形を取った。

 

「何これ!?」

 

俺は思わず叫んだ。

 

会長は湯に浸かったまま、妙に落ち着いている。

 

「あら、本当に出たわ」

 

「本当に出たわ、じゃないです!」

 

龍の形をした竜巻が、俺へ向かってくる。

 

同時に地面が大きく揺れた。

 

地震。

 

伝承の災いが発生していた。

 

「いったい何が!?」

 

悠がこちらを見た。

 

首筋の発光環が、静かに回る。

 

「対象桜井智樹への危害反応を確認」

 

「確認してる場合か!」

 

「局所気流異常。形状、龍型。振動反応、同時発生」

 

龍の竜巻が迫る。

 

俺は後ずさろうとしたが、地面が揺れてうまく動けない。

 

「悠!」

 

反応しない。

 

「エリュシオン!」

 

「はい」

 

即座に返事が来た。

 

この状況で、その返事の速さが少しだけ悲しい。

 

悠は湯の中から立ち上がるように、羽を大きく広げた。

 

紫の光が、湯気を切る。

 

「脅威排除を実行」

 

悠が片手を上げた。

 

次の瞬間、龍の形をした竜巻が、内側からほどけた。

 

音もなく。

 

力任せに吹き飛ばすのではなく、渦の流れだけを分解するように。

 

龍の形は崩れ、ただの湯気になって露天風呂に散った。

 

地震も、少し遅れて収まる。

 

「局所気流異常、霧散。振動反応、低下」

 

悠は淡々と言った。

 

「脅威排除完了」

 

その直後だった。

 

悠の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。

 

「……」

 

悠は、散っていく湯気を見ていた。

 

いつものような冷たい確認ではない。

 

何かを壊した後ではなく、何かを壊さずに済んだ後のような、わずかな間があった。

 

「悠?」

 

俺が呼ぶ。

 

普段なら反応しない。

 

そのはずだった。

 

けれど、悠の視線が、ほんのわずかにこちらへ動いた。

 

「対象桜井智樹の生存を確認」

 

硬い声だった。

 

でも、完全な無反応ではなかった。

 

「……悠?」

 

もう一度呼ぶ。

 

悠は少しだけ瞬きした。

 

「呼称、紫月悠への反応は限定的です」

 

「それでも、今反応しただろ」

 

「完全反応ではありません」

 

「十分だよ」

 

俺がそう言うと、悠は答えなかった。

 

けれど、俺から視線を外すまでに、ほんの少しだけ時間があった。

 

俺はその場にへたり込んだ。

 

助かった。

 

本当に助かった。

 

けれど、胸の奥に残ったのは、恐怖だけではなかった。

 

ほんの少しだけ、希望のようなものがあった。

 

その騒ぎを聞きつけたのか、露天風呂の外から足音が集まってきた。

 

戸が開き、五月田根家(さつきたねけ)の人たちが顔を出す。

 

そして、全員が固まった。

 

湯気の中。

 

紫の羽を広げた悠。

 

霧散した龍の名残。

 

収まった地震。

 

その光景を見て、誰かが震える声で言った。

 

「獄門湯の龍を……鎮めた……?」

 

別の誰かが続ける。

 

「羽を持つ者が、湯を鎮めた……」

 

「まさか……天女様……!」

 

次の瞬間、五月田根家(さつきたねけ)の人たちが一斉に膝をついた。

 

「ありがたや……!」

 

「天女様じゃ……!」

 

「天女様が再びお戻りになられた……!」

 

「違います!」

 

俺は慌てて叫んだ。

 

「こいつは天女じゃなくて!」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

「当機は、可変統合型エンジェロイド。タイプシグマ、エリュシオン」

 

「名乗るな! 余計ややこしくなる!」

 

五月田根家(さつきたねけ)の人たちは、むしろさらに深く頭を下げた。

 

「えりゅしおん様……!」

 

「ありがたや……!」

 

「やめろ! 崇めるな!」

 

会長は楽しそうに笑っていた。

 

「いいじゃない、桜井くん。これで紫月くんは、いつでもうちのお風呂に入れるわね」

 

「よくないです!」

 

「獄門湯も、紫月くんが入る分には静かみたいだし」

 

「俺が入ったら殺されかけたんですけど!」

 

「桜井くんは入らなければいいのよ」

 

「理不尽!」

 

悠は会長を見る。

 

「入浴施設の定期使用許可を確認」

 

「確認するな!」

 

「水温、広さ、羽の洗浄効率、いずれも良好」

 

「羽を洗う前提で風呂を借りるな!」

 

悠は濡れた紫の羽を少しだけ動かした。

 

それから、ふと俺を見た。

 

「桜井智樹」

 

「何だよ」

 

「次回以降、当該浴場への誤侵入は非推奨」

 

「分かってるよ!」

 

「危険度、高」

 

「だから分かってるって!」

 

悠は少しだけ黙った。

 

「……生存確認は、良好な結果」

 

そこで一度、言葉が止まる。

 

「たぶん」

 

悠は少しだけ目を伏せた。

 

「無事で、よかった」

 

俺は言葉に詰まった。

 

最初は、いつもの確認みたいな言い方だった。

 

生存確認。

良好な結果。

 

そんなふうに処理しようとしていた。

 

けれど、最後の一言だけは違った。

 

硬い言葉の隙間から、ほんの少しだけ、悠の声が漏れた気がした。

 

「お前、今……」

 

悠はすぐに視線を逸らした。

 

「発言内容の分類は未確定」

 

「未確定でいい」

 

俺は小さく息を吐いた。

 

「今はそれでいい」

 

悠は濡れた紫の羽を少しだけ動かした。

 

湯気がまたふわりと揺れる。

 

五月田根家(さつきたねけ)の人たちは、さらに拝んだ。

 

俺は頭を抱えた。

 

家は壊れた。

 

五月田根家(さつきたねけ)に泊まった。

 

間違えて風呂に入ったら、龍の竜巻に殺されかけた。

 

そして今、悠は天女扱いされている。

 

もう何が何だか分からない。

 

今日も、普通の日常からはかなり遠かった。

 

けれど、全部が遠ざかったわけではない。

 

悠は俺を見た。

 

俺が無事だったことを、確認した。

 

それを、たぶん少しだけ、よかったと思った。

 

その少しだけを、今は信じるしかなかった。

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