パンツが帰ってきた。
正確には、飛んでいったパンツたちが、部屋を埋め尽くすように戻ってきた。
それだけでも十分すぎるほど異常だった。
だが、問題はそこでは終わらなかった。
そはらが怒った。
ものすごく怒った。
そして、カードの力で時限爆弾になった。
結果家が壊れた。
爆発というより、近接爆撃だった。
俺の家は、見事に崩壊した。
「……どうすんだよ、これ」
そして紆余曲折あり俺たちは、
そして、想像していたよりもずっと物々しかった。
門。
庭。
廊下。
襖。
そこに立つ人たち。
どこを見ても、普通の家ではなかった。
「……極道?」
思わず呟くと、そはらが小声で言った。
「トモちゃん、失礼だよ」
だが、そう見えたのだから仕方ない。
出迎えてくれた
けれど、話してみると普通に優しかった。
いや、優しすぎるくらいだった。
イカロスは、じっと
俺が止めるより早く、イカロスは手を伸ばした。
そして、
「おい!」
俺は慌てた。
完全に終わったと思った。
だが、
むしろ、にっこり笑った。
「アリじゃよ~~」
イカロスは、また撫でた。
「丸いです」
その後、俺たちは客間へ通され、料理まで出された。
会長の家だから、もっと無茶苦茶な扱いをされるかと思っていたが、意外なほど丁寧にもてなされた。
豪華な料理。
広い部屋。
やたらと礼儀正しい人たち。
俺は少しだけ気が抜けていた。
その時だった。
「……あれ」
俺は箸を止めた。
悠がいない。
さっきまで座っていたはずの場所が、空いている。
「そはら」
「何?」
「悠は?」
そはらは少しだけ視線を上げる。
「お風呂に行ったみたいだよ」
「風呂?」
「うん。会長さんが案内してた」
俺は少し考えた。
今日は色々ありすぎた。
家は壊れるし、爆撃みたいなものは食らうし、服は着替えたがゆっくり風呂に浸かりたい。
「俺も風呂入ってくるかな」
「気をつけてね」
「何をだよ」
俺はそう言って、部屋を出た。
今思えば。
その一言を、もっと真剣に聞いておくべきだった。
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しばらくして。
守形先輩が、ふと顔を上げた。
「桜井はどこだ」
そはらが答える。
「お風呂に行きましたけど」
守形先輩は静かに言った。
「ここ
「江戸時代間違えて入った客人が打ち首にされたらしい……」
「ついたあだ名が獄門湯」
そはらの顔色が変わった。
守形先輩は続ける。
「実際の獄門湯は、一族以外の者が入ると災いが起きるとされている」
「地震、飢餓、そして龍の形をした竜巻」
「この禁忌を破った者が入ると、これらが発生する可能性がある」
その時、遠くで何かが揺れた。
障子がかたかたと震える。
そはらは青ざめた。
守形先輩は立ち上がった。
「急いだ方がいい」
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所変わって、獄門湯。
そこは、広い露天風呂だった。
白い湯気。
石造りの湯船。
夜空。
庭の奥に張られた古い注連縄。
湯船の向こうには、古い絵が飾られている。
羽衣をまとった天女が、湯の上に立っている絵。
その湯船に、悠は入っていた。
背中には、紫の羽が広がっている。
湯に濡れた羽が、湯気の中で静かに揺れていた。
羽をしまうことはできる。
だが、今の悠はしまっていない。
入浴時、羽の洗浄を同時に行う方が合理的だと判断したからだ。
「水温、適正」
悠は淡々と呟いた。
「鉱物成分、通常入浴に支障なし。羽表面への付着物除去効率、良好」
湯に浸かりながら、悠は自分の羽を少しだけ動かした。
湯気がふわりと揺れる。
その姿だけなら、昔話に出てくる天女のようだった。
ただし、本人にその自覚はない。
「入浴継続」
そう判断したところで、湯気の向こうから声がした。
「あら」
会長だった。
会長もまた、湯船の向こう側にいた。
つまり、悠は間違えて会長のいる風呂に入っていた。
普通なら、ここで何かが起こるはずだった。
怒られるとか、驚かれるとか、追い出されるとか。
しかし、会長はまったく慌てなかった。
むしろ、面白そうに悠を見ている。
「紫月くん……いえ、今はエリュシオンと呼んだ方がいいのかしら。ここは本来、客人が入る場所ではないのだけれど」
悠は会長を見る。
「進行経路上、最も広い浴場」
「だから入ったの?」
「はい」
会長はくすりと笑った。
「大物ね」
「体格の話ですか」
「違うわ」
会長は湯に肩まで浸かり、悠の羽を見た。
「それ、出したままで平気なの?」
「はい。水分付着による重量増加はありますが、可動に支障はない」
「羽の手入れも兼ねているのかしら」
「はい」
「なるほど。天女の湯に、羽を持つ子が入っているわけね」
悠は少しだけ首を傾げた。
「天女」
「この湯の由来よ。私たちの祖先は天女だと言われているの」
悠は浴場の奥にある絵を見る。
「伝承情報を確認」
「信じる?」
「未確定情報」
「あら、夢がないわね」
「夢は睡眠中に発生する不明記録」
会長は一瞬黙り、それから楽しそうに笑った。
「そういう返しをするところ、今の紫月くんらしいわ」
「現在、紫月悠としての応答は優先順位外」
「分かっているわ」
会長の笑みが、少しだけ薄くなる。
「でも、少しずつ戻ってきているようにも見えるわよ」
悠はすぐには答えなかった。
戻る。
その意味を、今の悠はうまく処理できない。
けれど、完全に処理不能というわけでもなかった。
「先日」
悠がぽつりと言った。
「金魚すくい」
会長は少しだけ目を細めた。
「ええ」
「全対象を一時捕獲。同一環境へ返却」
「楽しかった?」
悠は少しだけ黙った。
「判定不能」
いつもの返事だった。
けれど、そこで終わらなかった。
「ただ」
悠は、少しだけ目を伏せた。
「戻した後は、悪くなかった」
会長はくすりと笑った。
「それは、紫月くんらしいわね」
悠は答えなかった。
ただ、湯気の向こうで、ほんの少しだけ目を伏せた。
その時だった。
がらり、と戸が開いた。
「ふー、やっと風呂……」
俺だった。
俺はそこで固まった。
湯気の向こう。
会長。
そして、羽を広げた悠。
状況の理解が追いつかなかった。
「……」
「……」
「……あ」
俺の口から、情けない声が漏れた。
次の瞬間。
露天風呂全体が揺れた。
ごごごごご、と床の下から低い音が響く。
「え」
俺が声を出すより早く、湯船の湯気がねじれた。
白い湯気が渦を巻く。
風が生まれる。
露天風呂の中心で、湯気と風が龍の形を取った。
「何これ!?」
俺は思わず叫んだ。
会長は湯に浸かったまま、妙に落ち着いている。
「あら、本当に出たわ」
「本当に出たわ、じゃないです!」
龍の形をした竜巻が、俺へ向かってくる。
同時に地面が大きく揺れた。
地震。
伝承の災いが発生していた。
「いったい何が!?」
悠がこちらを見た。
首筋の発光環が、静かに回る。
「対象桜井智樹への危害反応を確認」
「確認してる場合か!」
「局所気流異常。形状、龍型。振動反応、同時発生」
龍の竜巻が迫る。
俺は後ずさろうとしたが、地面が揺れてうまく動けない。
「悠!」
反応しない。
「エリュシオン!」
「はい」
即座に返事が来た。
この状況で、その返事の速さが少しだけ悲しい。
悠は湯の中から立ち上がるように、羽を大きく広げた。
紫の光が、湯気を切る。
「脅威排除を実行」
悠が片手を上げた。
次の瞬間、龍の形をした竜巻が、内側からほどけた。
音もなく。
力任せに吹き飛ばすのではなく、渦の流れだけを分解するように。
龍の形は崩れ、ただの湯気になって露天風呂に散った。
地震も、少し遅れて収まる。
「局所気流異常、霧散。振動反応、低下」
悠は淡々と言った。
「脅威排除完了」
その直後だった。
悠の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
「……」
悠は、散っていく湯気を見ていた。
いつものような冷たい確認ではない。
何かを壊した後ではなく、何かを壊さずに済んだ後のような、わずかな間があった。
「悠?」
俺が呼ぶ。
普段なら反応しない。
そのはずだった。
けれど、悠の視線が、ほんのわずかにこちらへ動いた。
「対象桜井智樹の生存を確認」
硬い声だった。
でも、完全な無反応ではなかった。
「……悠?」
もう一度呼ぶ。
悠は少しだけ瞬きした。
「呼称、紫月悠への反応は限定的です」
「それでも、今反応しただろ」
「完全反応ではありません」
「十分だよ」
俺がそう言うと、悠は答えなかった。
けれど、俺から視線を外すまでに、ほんの少しだけ時間があった。
俺はその場にへたり込んだ。
助かった。
本当に助かった。
けれど、胸の奥に残ったのは、恐怖だけではなかった。
ほんの少しだけ、希望のようなものがあった。
その騒ぎを聞きつけたのか、露天風呂の外から足音が集まってきた。
戸が開き、
そして、全員が固まった。
湯気の中。
紫の羽を広げた悠。
霧散した龍の名残。
収まった地震。
その光景を見て、誰かが震える声で言った。
「獄門湯の龍を……鎮めた……?」
別の誰かが続ける。
「羽を持つ者が、湯を鎮めた……」
「まさか……天女様……!」
次の瞬間、
「ありがたや……!」
「天女様じゃ……!」
「天女様が再びお戻りになられた……!」
「違います!」
俺は慌てて叫んだ。
「こいつは天女じゃなくて!」
悠は少しだけ首を傾げた。
「当機は、可変統合型エンジェロイド。タイプシグマ、エリュシオン」
「名乗るな! 余計ややこしくなる!」
「えりゅしおん様……!」
「ありがたや……!」
「やめろ! 崇めるな!」
会長は楽しそうに笑っていた。
「いいじゃない、桜井くん。これで紫月くんは、いつでもうちのお風呂に入れるわね」
「よくないです!」
「獄門湯も、紫月くんが入る分には静かみたいだし」
「俺が入ったら殺されかけたんですけど!」
「桜井くんは入らなければいいのよ」
「理不尽!」
悠は会長を見る。
「入浴施設の定期使用許可を確認」
「確認するな!」
「水温、広さ、羽の洗浄効率、いずれも良好」
「羽を洗う前提で風呂を借りるな!」
悠は濡れた紫の羽を少しだけ動かした。
それから、ふと俺を見た。
「桜井智樹」
「何だよ」
「次回以降、当該浴場への誤侵入は非推奨」
「分かってるよ!」
「危険度、高」
「だから分かってるって!」
悠は少しだけ黙った。
「……生存確認は、良好な結果」
そこで一度、言葉が止まる。
「たぶん」
悠は少しだけ目を伏せた。
「無事で、よかった」
俺は言葉に詰まった。
最初は、いつもの確認みたいな言い方だった。
生存確認。
良好な結果。
そんなふうに処理しようとしていた。
けれど、最後の一言だけは違った。
硬い言葉の隙間から、ほんの少しだけ、悠の声が漏れた気がした。
「お前、今……」
悠はすぐに視線を逸らした。
「発言内容の分類は未確定」
「未確定でいい」
俺は小さく息を吐いた。
「今はそれでいい」
悠は濡れた紫の羽を少しだけ動かした。
湯気がまたふわりと揺れる。
俺は頭を抱えた。
家は壊れた。
間違えて風呂に入ったら、龍の竜巻に殺されかけた。
そして今、悠は天女扱いされている。
もう何が何だか分からない。
今日も、普通の日常からはかなり遠かった。
けれど、全部が遠ざかったわけではない。
悠は俺を見た。
俺が無事だったことを、確認した。
それを、たぶん少しだけ、よかったと思った。
その少しだけを、今は信じるしかなかった。