そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

2 / 4
#02 空家!!

河川敷から逃げたあと、悠を連れて最初に向かったのは、紫月の家だった。

 

三年前まで、悠が住んでいた家。

 

細い坂を上がった先にある、古い二階建ての家。

昔はよくそこへ遊びに行った。

玄関の横には、悠が小学生のころに植えた鉢植えがあった。

 

けれど今、その鉢は割れていた。

 

表札は外されている。

ポストには何も入っていない。

庭の草は伸びきって、窓には薄く埃が積もっていた。

 

悠は門の前で立ち止まった。

 

白銀と紫の装甲は、すでに解除している。

今は俺の上着を羽織っているだけだ。

 

背中の羽も、白に近い髪も、すべて隠している。

 

それでも、そこに立つ悠は、三年前の悠とは違って見えた。

 

「……誰もいない」

 

悠は静かに言った。

 

「親は?」

 

「町を出たって聞いた」

 

自分で言って、胸が痛んだ。

 

悠が消えたあと、紫月家は壊れた。

 

母親はしばらく毎日警察に通っていた。

父親は仕事を辞めた。

それでも何も見つからなくて、いつの間にか二人ともこの町からいなくなった。

 

悠は門に手をかけた。

 

その手は、まるで人工物のように綺麗だった。

傷も、ささくれも、日焼けの跡もない。

 

けれど、門に触れる指先だけは、少しだけ震えていた。

 

「そっか」

 

それだけ言って、悠は門から手を離した。

 

俺は何も言えなかった。

 

三年ぶりに帰ってきたのに、帰る家がない。

 

それがどれだけ残酷なことなのか、想像できなかった。

 

「ボク、どうすればいい?」

 

悠は俺を見た。

 

その声は落ち着いていた。

落ち着きすぎていた。

 

「警察に行くか?」

 

言ってから、すぐに無理だと思った。

 

今の悠を警察に連れていく。

 

誘拐されて戻ってきました。

女の子の体になりました。

背中に羽があります。

自分をエリュシオンと呼びます。

 

そんな説明が通るわけがない。

 

悠も同じことを考えたのか、首を横に振った。

 

「検査される。隔離される。たぶん、ボクは普通の人間として扱われない」

 

「だよな」

 

「それに、追跡端末が来た」

 

悠の視線が空へ向く。

 

「ボクを見つけるために、ここを調べると思う。紫月家は危ない」

 

そこまで分かっていても、悠はまだ門の前から動かなかった。

 

俺はため息をついた。

 

「うち来い」

 

悠がこちらを見る。

 

「いいの?」

 

「他に行く場所ないだろ」

 

「でも」

 

「でもじゃない」

 

俺は上着の前を押さえている悠を見ないようにしながら言った。

 

「その格好で外をうろつかれる方が困る」

 

悠は少しだけ黙ったあと、小さく笑った。

 

「言い方」

 

「事実だろ」

 

「うん」

 

悠はもう一度、空き家になった自分の家を見た。

 

「じゃあ、少しだけ」

 

「少しだけで済むと思ってるのか」

 

「済ませたいとは思ってる」

 

「無理だろ」

 

「だよね」

 

悠はそう言って、ようやく門から離れた。

 

その瞬間、三年前の紫月悠が本当に帰る場所を失ったように見えた。

 

-----

 

俺の家に向かう道中、悠はほとんど話さなかった。

 

足音は軽い。

呼吸も乱れない。

俺が少し早足になっても、悠は当然のようについてくる。

 

昔の悠は、そこまで運動が得意な方ではなかった。

 

それを思い出して、俺はまた黙った。

 

隣を歩いているのは悠だ。

声も、目も、ちょっとした反応も、確かに悠のものだ。

 

けれど、身体は違う。

歩き方も違う。

この世界への警戒の仕方も違う。

 

悠は、時々空を見上げていた。

 

昔の癖と同じだった。

 

でも今は、ただ空を見ているのではない。

 

何かを警戒している。

 

自分を連れ戻すものが、また空から来るかもしれないと知っている目だった。

 

「怖いのか?」

 

思わず聞くと、悠は少しだけ遅れてこちらを見た。

 

「怖い」

 

意外なくらい、素直な返事だった。

 

「でも、怖いって言えるなら、まだ大丈夫だと思う」

 

「どういう意味だよ」

 

「本当にまずい時は、怖いって処理する前に、戦闘手順が出る」

 

悠は自分の胸元に手を置いた。

 

「そういうふうに、作られてる」

 

俺は返す言葉を探した。

 

見つからなかった。

 

悠は困ったように笑う。

 

「ごめん。こういう言い方、嫌だよね」

 

「嫌というか」

 

「うん」

 

悠は俺の言葉を待たずに頷いた。

 

「ボクも嫌」

 

そして、俺たちはしばらく黙って歩いた。

 

 

「……そうだ。家に着く前に、一つ言っておくことがある」

 

悠がこちらを見る。

 

「何?」

 

「数日前……いや、昨日のことなんだが」

 

自分で言っていて、もう時間の感覚がおかしくなっている気がした。

 

あの二日間は、夢だったことになっている。

けれど、俺にとっては確かにあった時間だった。

 

「うちに、空から落ちてきた女の子がいる」

 

悠は黙った。

 

かなり黙った。

 

「……説明を続けて」

 

「夢で天使を大事にしろって言われてさ」

 

「その日に神社そばの大桜に行ったら、空から羽の生えた未確認生命体(UMA)……いや、エンジェロイドっていうんだったか。そいつが落ちてきた。名前はイカロス。本人は愛玩用エンジェロイドって言ってた」

 

その名前を出した瞬間、悠の表情が変わった。

 

「イカロス」

 

「知ってるのか?」

 

悠は少しだけ目を細めた。

 

「戦闘用エンジェロイド、タイプアルファー、イカロス。別名、ウラヌスクイーン」

 

「戦闘用!?」

 

思わず声が裏返った。

 

「いや、あいつ、自分のこと愛玩用って言ってたぞ!」

 

「多重プロテクトがかけられているはず。今は、そう自認しているんだと思う」

 

「そうなのか!? じゃあ、イカロスは本当は戦闘用だったのか……」

 

昨日から異常続きだったが、その中でもかなり上位の衝撃だった。

愛玩用だと思っていた相手が、実は戦闘用。

正直、すぐには結びつかなかった。

 

「それで、どうして智樹の家にいるの?」

 

「さっき言っただろ。夢で天使を大事にしろって言われて、空から落ちてきて、気づいたら俺がマスターってことになってた」

 

悠は少し考え込んだ。

 

首筋に、薄く紫の光が走る。

 

「智樹がマスターなら、少なくとも今すぐ敵対する可能性は低い」

 

「そうなのか?」

 

「うん。イカロスは強い。今のボクより、ずっと安定して強い」

 

悠は空を見上げた。

 

「だから、もし敵対したら逃げるしかない」

 

その言い方があまりに淡々としていて、俺は背筋が冷えた。

 

「……先に俺が入って説明した方がいいか?」

 

「いや」

 

悠は首を横に振った。

 

「ボクが自分で説明する。隠れている方が危険だと思う」

 

「大丈夫なのか?」

 

「分からない」

 

即答だった。

 

「でも、イカロスにとっても、ボクは未確認のエンジェロイドに見えるはず。智樹の後ろから急に出るより、最初から正面で名乗った方がいい」

 

「そういうものか」

 

「そういうもの」

 

悠は少しだけ笑った。

 

「たぶん」

 

「たぶんかよ」

 

「ボクも、今のボクの扱い方はまだ分からない」

 

それきり、俺たちはまた黙って歩いた。

 

ただ、沈黙の意味は少し変わっていた。

 

俺の家には、もう一人、空から来た存在がいる。

 

そして悠は、その名前を知っていた。

 

愛玩用だと思っていた少女が、本当は戦闘用エンジェロイドだったことも。

 

俺は、家の扉を開けるのが少しだけ怖くなった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。