そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#20 登校!!

登校!!

 

夏休みが終わった。

 

終わってしまった。

 

二学期初日の朝。

 

久しぶりに制服へ袖を通した俺は、玄関で深いため息をついていた。

 

「……帰りたい」

 

「まだ家だよ、トモちゃん」

 

そはらが呆れたように言う。

 

玄関には、俺とそはらと悠がいた。

 

「悠、行くぞ」

 

「うん」

 

悠は鞄を持ち上げる。

 

いつものように、必要なものだけをきっちり揃えている。

 

必要なものだけ。

 

……たぶん。

 

「悠」

 

「何?」

 

「今日、補助資料とか余計なもの持ってきてないよな?」

 

悠は少しだけ視線を逸らした。

 

「提出用」

 

「枚数で答えろ」

 

「必要分」

 

「絶対多いだろ!」

 

そはらが苦笑する。

 

「ユゥ、先生が困らないくらいにね」

 

「調整済み」

 

「本当か?」

 

「たぶん」

 

「たぶん!?」

 

二学期初日から不安しかない。

 

俺たちは玄関を出た。

 

外では、イカロスが掃除をしていた。

 

箒を持ち、庭先を淡々と掃いている。

 

掃除の動きは妙に正確で、落ち葉が一枚ずつ同じ間隔で集められていた。

 

「マスター」

 

俺たちに気づいたイカロスが顔を上げる。

 

「おはよう、イカロス」

 

「おはようございます」

 

その声を聞いたのか、家の中からニンフが出てきた。

 

まだ少し眠そうな顔をしている。

 

「何処に行くの?」

 

「学校だよ」

 

俺が答えると、ニンフは眉をひそめた。

 

「学校?」

 

「二学期が始まるんだよ」

 

「ふうん」

 

ニンフは興味があるのかないのか分からない顔で、俺たちを見る。

 

イカロスも、箒を持ったままじっとこちらを見ていた。

 

何となく嫌な予感がした。

 

俺はイカロスを指さす。

 

「わかってると思うが、学校には絶対来るなよ」

 

「はい」

 

イカロスは即答した。

 

即答した。

 

そのはずなのに、妙に不安が残る。

 

「本当に分かってるな?」

 

「はい。学校には絶対来ません」

 

「よし」

 

俺は頷いた。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

「行ってきます」

 

そはらが言う。

 

悠も続いた。

 

「行ってきます」

 

イカロスは静かに頭を下げる。

 

「行ってらっしゃいませ、マスター」

 

ニンフは腕を組んだまま、そっぽを向いている。

 

「……行ってらっしゃい」

 

小さく、そんな声が聞こえた気がした。

 

そはらが少しだけ笑う。

 

俺は聞こえなかったことにした。

 

久しぶりの通学路。

 

蝉の声は、まだ少しだけ残っている。

 

夏休みの終わりが、町の隅にしつこく張りついているようだった。

 

「二学期か……」

 

「うん」

 

「小テストとかあるんだろうな……」

 

「あると思うよ」

 

「世界は俺に厳しい」

 

悠が隣で言った。

 

「学校制度上、評価機会は必要」

 

「真面目に返すな」

 

「ただし、初日に実施されるとは限らない」

 

「希望を持たせるな」

 

「低確率」

 

「落とすな!」

 

そんなことを言いながら、俺たちは学校へ向かった。

 

二学期初日の空美町は、少なくともその時点では平和だった。

 

その時点では。

 

-----

 

智樹たちが角を曲がり、姿が見えなくなった。

 

イカロスは、しばらくその方向を見ていた。

 

箒を持ったまま、動かない。

 

ニンフはその様子を横目で見て、ため息をついた。

 

「……何してるの?」

 

「掃除です」

 

「掃除してないじゃない」

 

「はい」

 

「はいじゃないわよ」

 

イカロスは、まだ智樹たちが去った方を見ていた。

 

そのまま、少しだけ沈黙する。

 

そして。

 

さっと、どこからかカードを取り出した。

 

「ちょっと」

 

ニンフが目を細める。

 

「なに? 学校行きたいわけ?」

 

「はい」

 

即答だった。

 

ニンフは呆れたように口を開けた。

 

「でもマスターとの約束が」

 

イカロスはカードを見下ろす。

 

「マスターは、学校には絶対来るな、と言いました」

 

「言ったわね」

 

「はい」

 

「じゃあ駄目じゃない」

 

「はい」

 

イカロスはカードを持ったまま固まった。

 

行きたい。

 

でも、命令ではないが、約束は守るべき。

 

学校には来るなと言われた。

 

けれど、マスターのいる場所を確認したい。

 

その処理が、イカロスの中で止まっているようだった。

 

ニンフはしばらくそれを見ていた。

 

一秒。

 

二秒。

 

三秒。

 

「……あーもう、貸して!」

 

ニンフは見かねて、イカロスの手からカードを奪った。

 

「ニンフ」

 

「いいから!」

 

ニンフはカードを掲げる。

 

「学校に来るな、でしょ?」

 

「はい」

 

「だったら、学校に来るんじゃなくて、転校生として通えばいいのよ」

 

イカロスが首を傾げる。

 

「転校生」

 

「そう。部外者が勝手に来るのは駄目。でも生徒なら登校するだけ」

 

「解釈」

 

「そうよ、解釈よ」

 

「マスターの意図に反する可能性」

 

「あるわよ」

 

「では」

 

「でも、あんたその顔で一日中ここにいるつもり?」

 

「顔」

 

「変化はありません、とか言ったら撃つわよ」

 

イカロスは黙った。

 

ニンフは小さく息を吐いた。

 

「……私も、エリュシオンの近くにいた方がいいし」

 

「命令遮断の確認」

 

「そうよ。別に学校に興味があるわけじゃないから」

 

「はい」

 

「昼食とか、授業とか、そういうのにも興味ないから」

 

「はい」

 

「……何よ、その返事」

 

「理解しました」

 

「絶対理解してないわよね」

 

ニンフはそっぽを向き、それからカードを見た。

 

「願いは――」

 

少しだけ、言葉が止まる。

 

イカロスのため。

 

そう言うのは、なんとなく癪だった。

 

だから、ニンフは少しだけ乱暴に言った。

 

「アルファと私が、桜井智樹たちの学校に転校生として通えるようにしなさい」

 

カードが淡く光った。

 

空気が揺れる。

 

世界の帳簿に、無理やり一行を書き足すような感覚。

 

イカロスとニンフの情報が、学校側の記録に滑り込んでいく。

 

制服。

 

在籍情報。

 

転入手続き。

 

必要な辻褄が、勝手に組み替えられていく。

 

光が収まると、イカロスの服は空美中の制服に変わっていた。

 

ニンフも同じだった。

 

イカロスは自分の制服を見る。

 

「学校に行けます」

 

「そうね」

 

「ありがとうございます」

 

「別に、あんたのためじゃないわよ」

 

ニンフは顔を逸らした。

 

「私は命令遮断中なんだから、エリュシオンの近くにいた方が安全ってだけ」

 

「はい」

 

「あと、あんたが一日中玄関見てたら鬱陶しいし」

 

「鬱陶しい」

 

「そうよ」

 

「理解しました」

 

「そこは理解しなくていいのよ!」

 

イカロスは箒を置いた。

 

ニンフはカードを返し、玄関へ向かう。

 

出ていく直前、イカロスが立ち止まった。

 

「マスターは、学校には絶対来るなと言いました」

 

「だから、学校に来るんじゃないの」

 

ニンフは振り返らずに言った。

 

「転校生として、登校するのよ」

 

「登校」

 

「そう」

 

イカロスは少しだけ考えた。

 

「了解しました」

 

こうして。

 

智樹たちが知らないところで、世界はまた勝手に書き換わった。

 

そして二学期初日。

 

空美中学校に、二人の転校生が追加されることになった。

 

-----

 

「えー、今日はまず転校生を紹介します」

 

先生は、黒板の前に立った二人を見て言った。

 

威伽鷺主(イカロス)さんとニンフさんだ。皆、仲良くするように」

 

教室がざわついた。

 

イカロスは、なぜかスイカを大切そうに抱えていた。

 

「何でスイカ持ってきてんだよ……」

 

俺が小声で呟くと、イカロスは当然のように俺の後ろの席へ来た。

 

机の上に、そっとスイカを置く。

 

「マスター」

 

「学校でその呼び方をするな!」

 

「はい」

 

その返事の直後、イカロスは羽織っていた上着を脱いだ。

 

背中の羽が、あっさり見えた。

 

「脱ぐなあああああ!」

 

さらに、その後ろの席に座ったニンフも、面倒くさそうに羽を可視化させた。

 

「暑いんだから仕方ないでしょ」

 

「お前も出すな!」

 

教室が一気に騒がしくなる。

 

「かわいい……」

 

「羽、生えてる……」

 

「あれ、夏祭りで空飛んでた子じゃない?」

 

「桜井の関係者だったのか……」

 

「桜井くんって、そういう趣味なんだ……」

 

違う。

 

違うが、今ここで騒いだら終わる。

 

俺が未確認生物の関係者だとバレる。

 

落ち着け智樹。

 

平和が一番。

 

平和が一番。

 

平和が一番。

 

「……無理だ!」

 

俺は立ち上がり、イカロスとニンフの腕を掴んだ。

 

「来い!」

 

「マスター?」

 

「何よ急に!」

 

俺は二人を引きずるようにして教室を飛び出した。

 

背後で教室のざわめきがさらに大きくなったが、聞こえないふりをした。

 

-----

 

「どういうことだ、一体……」

 

部室に逃げ込んだ俺は、扉を閉めて二人を見た。

 

イカロスは申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すみません、マスター……」

 

ニンフは腕を組み、悪びれもせずに言った。

 

「学校に来るくらいいいじゃない」

 

「来るだけじゃ済まないだろ! 問題起こすだろ!」

 

「もう起きてる」

 

悠が横から静かに言った。

 

「今の時点で、クラスの認識を戻すのは難しいと思う」

 

「冷静に分析するな!」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

「でも、たぶん事実」

 

「分かってるよ!」

 

そこへ会長が、いつもの笑みで入ってきた。

 

「まあまあ桜井くん、そんなに怒らないであげて」

 

守形先輩も続く。

 

「いいじゃないか。毎日の生活に刺激が出来て」

 

「また、そんな、他人事だと思って!」

 

「他人事だからな」

 

「なにをっ!」

 

そはらはイカロスの制服の背中を見ていた。

 

「わー、すごい。制服の背中に羽を通す穴があるんだ」

 

「お前ら、ちょっとは話を聞けーっ!」

 

俺は叫んだ。

 

「それにどうやって転校生なんて」

 

ニンフがあっさり答える。

 

「アルファのカードを使って、先生の記憶をちょちょっとね」

 

「恐ろしいことすんなっっ!」

 

悠がニンフを見る。

 

「記憶改変は危険」

 

「分かってるわよ」

 

「なら、やらない方がいい」

 

「来ちゃったものは仕方ないでしょ」

 

「事後処理が必要」

 

「細かいわね!」

 

「細かくない」

 

悠は短く言った。

 

「記憶をいじるのは、その人自身をいじるのに近いと思う」

 

その一言で、空気が少しだけ変わった。

 

ニンフが、ほんの少し言葉に詰まる。

 

以前、命令遮断を受けた自分だからこそ、その言葉が刺さったのかもしれない。

 

会長はそれを見て、微笑みを少しだけ薄めた。

 

「でも、紫月くん」

 

「何ですか」

 

「普通の人間生活に慣れさせるのも、悪くないのではなくて?」

 

「……」

 

悠は少しだけ考える。

 

イカロスを見る。

 

ニンフを見る。

 

そして俺を見る。

 

「学校にいた方が、普通のことは覚えやすいと思います」

 

「急に真面目な方向から援護するな!」

 

守形先輩も頷く。

 

「実地観察は重要だ」

 

「部長まで!」

 

会長が続ける。

 

「それにニンフちゃんにも、世間のことを教えてあげなくちゃ」

 

ニンフは顔をそむける。

 

「別に、教えてほしいわけじゃないわよ」

 

「でも、学校に来た」

 

悠が言う。

 

ニンフが睨む。

 

「それは……必要だっただけよ」

 

「なら、必要なことを学べばいい」

 

「……何よ、それ」

 

悠は少しだけ目を伏せた。

 

「命令ではなく、自分で決めるために」

 

ニンフは黙った。

 

俺は頭を掻く。

 

「……分かりましたよ」

 

結局、こうなる。

 

「でも、くれぐれも大人しくしてるんだぞ!?」

 

「はい」

 

イカロスは素直に頷いた。

 

「ったく、分かってんのかなこいつは……」

 

そはらが明るく言った。

 

「大丈夫! トモちゃん」

 

「どこがだよ」

 

「私が色々学校生活を教えてあげる! ねっ♪」

 

イカロスはこくりと頷く。

 

「お願いします」

 

ニンフはそっぽを向く。

 

「私は別に」

 

悠が言った。

 

「分からない時は聞けばいい」

 

ニンフは少しだけ目を伏せた。

 

「……気が向いたらね」

 

-----

 

教室に戻ると、ざわめきはまだ残っていた。

 

俺は、できるだけ何もなかったような顔で席に戻る。

 

イカロスは俺の後ろ。

 

ニンフはさらにその後ろ。

 

悠は、いつもの席。

 

これで何とかなる。

 

そう思いたかった。

 

「エリュシオン」

 

イカロスが、前の席の悠へ声をかけた。

 

教室の空気が止まった。

 

「え?」

 

誰かが言った。

 

「エリュシオンって誰?」

 

「今、紫月くんに言った?」

 

「紫月くんって、エリュシオンっていうの?」

 

まずい。

 

俺は立ち上がろうとした。

 

だが、それより早く悠が動いた。

 

悠は静かに立ち上がる。

 

「悠?」

 

そはらが不安そうに呼ぶ。

 

悠はそはらを見た。

 

それから、俺を見た。

 

「もう、隠し続けるのは難しいと思う」

 

「いや、待て」

 

「イカロスとニンフが来た時点で、矛盾が増えすぎてる。カードの補正も、たぶん長くは持たない」

 

「待てって!」

 

悠はポケットからカードを取り出した。

 

「制服背面構造、変更」

 

カードが光る。

 

次の瞬間、悠の制服の背中に、羽を通すための切れ目が生まれた。

 

「おい!」

 

悠の髪の色が変わる。

 

黒に近い紫だった偽装が剥がれ、紫がかった銀色へ戻る。

 

声の調子も、わずかに変わった。

 

中性的にぼかされていた響きが消え、今の悠の本来の声になる。

 

そして背中から、紫の羽が広がった。

 

教室中が固まった。

 

「紫月悠」

 

悠は静かに言った。

 

「またの名を、エリュシオン」

 

「自己紹介するなあああああ!」

 

俺の叫びが教室に響いた。

 

クラスメイトたちが一斉に騒ぎ出す。

 

「紫月くんにも羽が!?」

 

「え、女の子だったの!?」

 

「いや、でも紫月くんだよね!?」

 

「夏祭りで空飛んでたの、紫月くんだったのか!」

 

「桜井、やっぱり関係者じゃん!」

 

「違う! いや違わないけど違う!」

 

カードの効果が、音を立てて崩れていく気がした。

 

最初に使ったカードの補正は、消えたわけではない。

 

ただ、今この瞬間。

 

本人が名乗り、羽を出し、偽装を解除したことで、矛盾が大きくなりすぎた。

 

皆の中で、紫月悠という存在の認識が書き換わっていく。

 

普通の転校生。

 

幼馴染。

 

消えていた少年。

 

そして、エリュシオン。

 

その全部が、ぐちゃぐちゃに混ざっていく。

 

悠は少しだけ目を伏せた。

 

「補正、かなり弱くなってる」

 

「確認するな!」

 

「これ以上、隠すのは難しいと思う」

 

「もっと困難にしたのお前だよ!」

 

二学期初日。

 

俺の平和は、出席確認の時点で終わっていた。

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