そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#22 飛翔!!

飛翔!!

 

昼休み。

 

俺は、もう机に突っ伏したかった。

 

一時間目、社会。

二時間目、家庭科。

三時間目、数学。

四時間目、英語。

 

午前だけで、俺の精神はかなり削られていた。

 

食堂に入ると、会長と守形先輩がいつものようにいた。

 

「どうだった、午前中の授業は?」

 

会長が楽しそうに聞いてくる。

 

「さんざんでしたよ。まあ、ニンフもイカロスも意外と優等生だったのには驚いたけど」

 

俺はため息をついた。

 

「それよりも悠がなぁ……」

 

数学の黒板を思い出す。

 

あれはもう、授業ではなかった。

 

黒板を使った数学再建だった。

 

「二人とも学校には馴染めたの?」

 

「少なくとも男子学生からは受け入れられたようだな」

 

守形先輩が窓の外を見る。

 

「見ろ」

 

視線の先には、イカロスとニンフがいた。

 

そして、その横に悠もいた。

 

三人の周りには、男子たちが群がっている。

 

「学校中、噂で持ちきりだもの。かわいい転校生が来たって」

 

「まじすか?」

 

確かに、イカロスとニンフは目立つ。

 

かわいい。

羽がある。

転校生。

その時点で騒がれないわけがない。

 

だが、問題はそこだけではなかった。

 

「エリュシオンちゃんって、ほんとに紫月なの?」

 

「ちゃん付けするな」

 

悠が淡々と答える。

 

「でも、かわいいし……」

 

「じゃあエリュシオンさん?」

 

「紫月悠」

 

「でもイカロスさんはエリュシオンって呼んでたよな?」

 

「識別名」

 

「じゃあエリュシオンちゃんで」

 

「だからちゃん付けするな」

 

同じやり取りが、淡々と繰り返されていた。

 

男子たちはなぜか楽しそうだった。

 

「悠まで巻き込まれてる……」

 

俺は頭を抱えた。

 

ニンフは頬杖をつきながら、集まった男子たちを睨んでいた。

 

「ちょっと? そこの人間(ムシ)たち? 静かにしてよ! 昼ドラ見てるんだから!!」

 

ニンフの一喝で、男子たちが一瞬静まる。

 

しかし、次の瞬間。

 

「いい! もっとしかってぇ~!」

 

「ありがとうございます!」

 

「虫でいいです!」

 

「駄目だこいつら!」

 

俺は叫んだ。

 

ニンフは本気で嫌そうな顔をしている。

 

イカロスは無表情。

 

悠は、男子たちの反応を観察するように見ていた。

 

「男子たち、叱られて喜んでる」

 

「分析するな!」

 

「異常嗜好?」

 

「口に出すな!」

 

会長は満足そうに微笑む。

 

「これで、変な虫もつかないだろう」

 

「もうついてますよ!」

 

「変な虫が、変な方向に喜んでいるだけだな」

 

守形先輩が冷静に言う。

 

「冷静に言わないでください!」

 

そう言えば、と俺は周囲を見る。

 

「見月は?」

 

「あそこにいますけど」

 

会長が指さした先。

 

そはらは、食堂の端の机に突っ伏していた。

 

「ほっといてください……」

 

完全に落ち込んでいる。

 

「まさか、優等生の二人と自分を比較して落ち込んでるとかぁ?」

 

会長が楽しそうに言う。

 

「はうぅ……」

 

「図星かよ!」

 

「あらぁ図星ぃ?」

 

会長はくすくす笑う。

 

「美香子、人が悪いぞ」

 

守形先輩が言う。

 

「だって本当のことだもの」

 

そはらはさらに小さくなる。

 

「だって……イカロスさんもニンフちゃんも、英語も数学もできるし……ユゥは黒板いっぱいに証明するし……」

 

「比較対象が悪い」

 

俺は即答した。

 

「そはら、あいつらと比べるな。人間の基準が壊れる」

 

「トモちゃん……」

 

「俺なんか問題の意味さえ分からなかったぞ」

 

「それはそれでどうなの……?」

 

「慰めてるんだよ!」

 

悠がこちらを見る。

 

「そはら」

 

「うん……?」

 

「普通の基準なら、そはらの成績はそこまで低くないと思う」

 

「ユゥ……」

 

「でも、比べる相手がイカロス、ニンフ、部長、会長、それとボクだと、低く見える」

 

「追い打ち!」

 

そはらがさらに小さくなる。

 

「慰めようとはしてるんだろうけど!」

 

「補足。家庭科の目玉焼きは、食用可能だった」

 

「そこ!?」

 

そはらは顔を上げる。

 

「食べられる?」

 

「うん」

 

「焦げてたけど?」

 

「焦げは少しだけ」

 

そはらは少しだけ救われた顔をした。

 

「ありがとう、ユゥ」

 

悠は一拍置いた。

 

「どういたしまして」

 

その返事は、少しだけ悠らしかった。

 

俺は少しだけ息を吐く。

 

その時、チャイムが鳴った。

 

昼休みの終わりを告げる音。

 

「さてと、午後の授業だ」

 

守形先輩が立ち上がる。

 

「えぇ……まだ授業あるの? もう飽きちゃったわ」

 

ニンフが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「転校初日で飽きるな!」

 

「午前中だけで十分でしょ」

 

「十分じゃねえよ!」

 

ニンフはふと、イカロスの方を見た。

 

「あっ、ねぇアルファ?」

 

「何ですか」

 

ニンフがイカロスに何かを小声で吹き込む。

 

イカロスは少しだけ首を傾げた。

 

それから、ポケットから何かを取り出したように見えた。

 

-----

 

「今日は……空の飛び方について……勉強します……」

 

「理科じゃねぇ!」

 

「理科です」

 

「どこが!?」

 

「重力、揚力、推進力、姿勢制御」

 

「急にそれっぽくするな!」

 

イカロスは黒板の前で、スイカを抱えたまま淡々と言った。

 

「ではさっそく、誰かに飛んでもらいましょう」

 

「誰かって誰だよオォイ!!」

 

俺がそう言った瞬間だった。

 

右腕を、がしりと掴まれた。

 

「む」

 

守形先輩だった。

 

そして左腕も、すぐに掴まれる。

 

「あらあら」

 

会長だった。

 

「お前ら、何で俺を掴むんだよ!」

 

「桜井、実験対象としては妥当だ」

 

「どこが!?」

 

「逃げ足が速い」

 

「飛行実験と関係ねぇ!」

 

会長はにこにこと笑っている。

 

「桜井君なら、きっと面白い結果になるわ」

 

「結果で遊ぶな!」

 

「大丈夫。骨は拾ってあげるから」

 

「拾う前提で進めるな!」

 

俺は必死にもがく。

 

だが、右から守形先輩。

 

左から会長。

 

逃げられるわけがない。

 

「離せ! お前らその手を離せ――ッ!!」

 

その時、悠がこちらを見た。

 

最初はただ観察しているだけだった。

 

けれど、俺と目が合った瞬間、ほんの少しだけ口元が緩んだ。

 

嫌な予感がした。

 

とても嫌な予感がした。

 

「悠」

 

「何?」

 

「今、笑ったよな?」

 

「実験条件が整った」

 

「笑った理由になってねぇ!」

 

悠はポケットからカードを取り出した。

 

「待て」

 

「飛行補助を付与する」

 

「待てって言ってるだろ!」

 

「半透明の羽。飛行制御情報。短時間限定」

 

「何を当然みたいに言ってんだ!」

 

守形先輩が頷く。

 

「フム。制御情報を直接与えるなら、初回飛行でも墜落リスクは下がるな」

 

「分析してないで止めろ!」

 

会長は楽しそうに俺の腕を押さえ直した。

 

「よかったわね、桜井君。安全になったわ」

 

「まず飛ばさなければ安全なんですよ!」

 

悠はカードを掲げた。

 

「飛行補助、短時間限定。身体損傷を避けるよう補正」

 

「その補正が必要なことをするな!」

 

カードが淡く光る。

 

次の瞬間、背中がぞわりとした。

 

痛みはない。

 

だが、何かが生えた感覚がある。

 

恐る恐る振り返ると、俺の背中から半透明の羽が出ていた。

 

「生えたあああああ!!」

 

さらに、頭の中へ何かが流れ込んでくる。

 

羽の動かし方。

 

重心の取り方。

 

上昇。

 

下降。

 

旋回。

 

停止。

 

「脳に何か入ってくるうううう!」

 

「操作説明を省略」

 

「省略するな! むしろ説明しろ!」

 

悠は満足そうに頷いた。

 

「飛行可能」

 

「可能にするな!」

 

イカロスが一歩前へ出る。

 

「マスター、第一段階。浮上」

 

「嫌だ!」

 

「開始してください」

 

守形先輩と会長が、同時に俺の腕を離した。

 

「離すな! いや離せって言ったけど今じゃない!」

 

次の瞬間、俺の身体がふわりと浮いた。

 

いや。

 

浮かせてしまった。

 

「浮いたあああああ!」

 

教室中から声が上がる。

 

「桜井が浮いた!」

 

「羽、生えてる!」

 

「半透明だ!」

 

「これ理科?」

 

「違う! 絶対違う!」

 

俺は空中で手足をばたつかせる。

 

だが、頭にぶち込まれた飛行制御情報のせいで、どうすれば姿勢が崩れないのか分かってしまう。

 

羽を少し動かす。

 

重心をずらす。

 

肩に力を入れすぎない。

 

考える前に、やり方が分かる。

 

嫌なのに、安定する。

 

怖いのに、飛べる。

 

「何で飛べてんだ俺!」

 

「制御情報の定着を確認」

 

悠が淡々と言う。

 

「確認するな!」

 

会長が下から手を振った。

 

「桜井君、なかなか似合ってるわよ」

 

「嬉しくねぇ!」

 

守形先輩はすでにノートを開いていた。

 

「人間への一時的飛行機能付与。興味深い」

 

「俺を研究対象にするな!」

 

イカロスは黒板を指した。

 

「第二段階。水平移動」

 

「やめろ!」

 

「マスター、前方へ移動してください」

 

「しない!」

 

しない。

 

しないつもりだった。

 

だが、空中で止まっている方が怖い。

 

バランスを崩しそうになる。

 

反射的に羽を動かす。

 

すると、俺の身体が教室の上を滑るように動いた。

 

窓際へ。

 

黒板前へ。

 

教室の後ろへ。

 

そしてまた中央へ。

 

「動いた! 俺が動かした! 今の俺が動かしたのか!?」

 

「はい」

 

イカロスが頷く。

 

「マスターによる操作です」

 

「言うな! 認めたくねえ!」

 

「停止してください」

 

「止まり方は!?」

 

「停止情報は送信済み」

 

悠が言う。

 

「使い方が分からねぇ!」

 

「脳内にある」

 

「あるのと使えるのは別だ!」

 

俺は必死に頭の中の情報を探る。

 

停止。

 

減速。

 

羽の角度。

 

重心。

 

「こうか!?」

 

身体がぴたりと止まった。

 

「止まれたあああ!」

 

教室中から拍手が起きた。

 

「拍手するな!」

 

イカロスは静かに頷いた。

 

「第三段階。屋外飛行」

 

「その段階いらない!」

 

窓が開いた。

 

風が入る。

 

俺は空中で固まった。

 

「待て。そこは本当に待て」

 

イカロスは俺を見る。

 

「マスター。外へ」

 

「外へ、じゃねぇ!」

 

悠が小さく頷いた。

 

「実験範囲の拡張」

 

「お前、完全に楽しんでるだろ!」

 

悠は少しだけ考えた。

 

「否定は困難」

 

「認めるな!」

 

外へ出る気はなかった。

 

本当になかった。

 

だが、窓から入ってくる風で身体が揺れる。

 

高度が少し落ちる。

 

床が近づく。

 

「うわっ、落ちる!」

 

落ちたくない。

 

それだけを考えた瞬間、背中の羽が動いた。

 

身体が持ち上がる。

 

勢いがつく。

 

そのまま、俺は窓の外へ飛び出した。

 

「うわああああああああああ!」

 

校舎の外。

 

空。

 

風。

 

地面。

 

俺は飛んでいた。

 

飛ばされているわけではない。

 

悔しいことに、自分で飛んでいた。

 

半透明の羽が背中で動き、俺の操作で空中姿勢を保っている。

 

「飛んでる! 飛んでるけど嬉しくない!」

 

教室の窓から、イカロスが見ている。

 

「マスター、旋回してください」

 

「しない!」

 

しないつもりだった。

 

けれど、教室に戻るには、向きを変えるしかない。

 

分かってしまう。

 

どう動かせばいいのかも。

 

「くそっ!」

 

俺は羽を動かす。

 

動かしたくないのに、動かし方は分かる。

 

頭の中にある旋回の情報を、嫌々なぞる。

 

身体が大きく弧を描いた。

 

「旋回できたああああ!」

 

悠は窓際に立ち、平然と観察していた。

 

「智樹、思ったより飛べてる」

 

「褒めるな!」

 

会長は笑っている。

 

守形先輩は記録している。

 

イカロスは授業を進めている。

 

俺だけが、空を飛んでいた。

 

飛ばされていたのではない。

 

自分で飛んでいた。

 

だからこそ余計に腹立たしかった。

 

しばらくして、俺はようやく教室へ戻った。

 

着地は、とても綺麗だった。

 

綺麗だったのが腹立たしい。

 

「桜井」

 

守形先輩がノートを閉じる。

 

「何ですか……」

 

「今日中に、飛行時の感覚をレポートにまとめて提出しろ」

 

「何で俺が!?」

 

「被験者本人の主観記録は重要だ」

 

「だから被験者にするなって言ってるんですよ!」

 

その時、悠が横から言った。

 

「羽は、今日いっぱい残る予定」

 

教室が一瞬だけ静かになった。

 

「今なんて言った!?」

 

「今日が終わるまでは、飛行補助も残る」

 

「解除しろ!」

 

「解除予定時刻、日付変更時」

 

「長ぇよ!」

 

守形先輩のペンが、再び動き出した。

 

「フム……さらなる実験が可能だな」

 

「可能にするなああああ!」

 

会長が楽しそうに笑う。

 

「よかったわね、桜井君。レポートの内容が増えるわ」

 

「よくないです!」

 

チャイムが鳴った。

 

五時間目の理科は、元素記号にも化学式にも一切触れないまま終わった。

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