「うーん銭湯ねぇ」
「トモちゃんがどうしても皆で銭湯に行きたいって」
そはらが苦笑しながら説明する。
「どうしてもって言うほどじゃねえよ」
智樹は慌てて手を振った。
「会長の家に悠が定期的にお邪魔してるだろ? たまには広い風呂に入るのもいいかなって思っただけだ」
悠は少しだけ考えた。
「水温も、広さも、羽の洗浄効率も、いずれも良好」
「言い方!」
「広い浴槽は、身体への負荷が低い」
「だから言い方!」
イカロスは自分の羽を少しだけ見た。
「羽の洗浄効率も向上すると推定されます」
「お前まで効率で語るな」
ニンフは腕を組む。
「別に私は普通ので十分だけど?」
「お前も羽あるだろ」
「あるけど、そんな大げさに洗うものじゃないわよ」
悠がニンフを見る。
「ニンフの羽は細部可動部が多い。広い場所の方が洗浄に適する」
「勝手に分析しないでよ!」
そはらは苦笑する。
「でも、みんなで行くの楽しそうだよね」
ニンフはそっぽを向いた。
「私は別に」
「別に?」
「……行かないとは言ってないでしょ」
智樹は少しだけ安心した。
イカロスは静かに頷く。
「マスターが行くのであれば、同行します」
「いや、風呂くらい命令じゃなくて普通に入れよ」
「普通に」
イカロスは少し考えた。
「入浴します」
「そうそう」
悠は首を傾げる。
「公共浴場。人が多い可能性」
「まあ、時間を選べばいいだろ」
「羽による注目」
「そこはもう今さらだ」
智樹は遠い目をした。
「祭りであれだけ飛んで撃ち合ってるんだぞ。今さら羽くらいでどうこう言う町じゃねえよ」
「空美町の適応力は異常」
「それはそう」
そはらが否定できずに頷いた。
ニンフは小さく笑った。
「変な町ね」
「お前が言うな」
「何よ」
「いや、何でもない」
智樹はため息をつく。
「とにかく、行くなら変なことはするなよ。銭湯は戦場じゃないからな」
悠が頷く。
「戦闘禁止」
「そういう意味じゃねえけど、まあいい」
智樹はそこで、ふっと笑った。
――なんてな。
銭湯。
女湯。
そして、イカロスのカード。
あとはカードを使えば、こっちのもんだ!
「それじゃあイカロスさん」
そはらが、にこりと笑った。
「持ってるカード、全部出して」
「はい」
イカロスは素直にカードを取り出した。
「あっ……!」
智樹の顔が固まる。
そはらはカードを受け取りながら、満面の笑みを浮かべた。
「残念でした! トモちゃんの考えてることなんて全部お見通しだよ」
「うがぁ!!」
智樹はその場に崩れ落ちた。
「銭湯はまた今度、女の子だけで行くことにするわ」
会長は続けて言う。
「桜井くんももう少し考えたほうがいいとおもうわ」
悠は智樹を見下ろす。
「哀れ」
ニンフは呆れたように腕を組んだ。
「馬鹿ね、魂胆見え見え」
「ぐっ……!」
「じゃあね、トモちゃん」
「待て! 俺の銭湯計画が!」
「最初から失敗してたよ」
「そんなぁぁぁぁ!!」
智樹の叫びだけが、むなしく響いた。
「悠、お願いだ」
智樹は、真剣な顔で言った。
真剣な顔だった。
真剣な顔なのに、ろくでもないことを考えている顔だった。
「お前の持っているカードを使って、俺を女にしてくれ」
「何言ってるの?」
悠は素直に聞き返した。
そはらも、ニンフも、イカロスも、一斉に智樹を見る。
「トモちゃん?」
「いや、違う! これは違うんだ!」
「何が違うのよ」
ニンフが呆れた顔で言う。
「だって、銭湯は女の子だけで行くって言うから……」
「言うから?」
そはらの声が低くなる。
智樹は一瞬だけ目を逸らした。
「俺も女になれば行けるんじゃないかと」
「最低」
そはらの声が即座に落ちた。
次の瞬間、そはらの手刀が智樹の脳天に落ちた。
「ぐぼぁっ!?」
智樹はその場に膝をつく。
「待て! まだ何もしてない!」
「考えた時点で最低だよ!」
「ぐっ……!」
そはらはにこりと笑った。
「トモちゃん?」
「はい」
「もう一回言ってみる?」
「申し訳ありませんでした」
智樹は即座に頭を下げた。
ニンフが半目でそれを見る。
「見事に慣れてるわね」
「トモちゃんだから」
「理由になってないわよ」
悠は少しだけ首を傾げた。
「女性化」
「そうだ!」
智樹は悠の手を掴みそうな勢いで詰め寄る。
「頼む! 一回だけ! 一回だけでいい!」
「本当にいいの?」
悠は確認した。
「後悔しない?」
「しない!」
「身体構造が変化する」
「覚悟の上だ!」
「自己認識との整合性が必要になる」
「よく分からんが任せた!」
「本当に?」
「本当に!」
悠は、まだ少し不思議そうだった。
けれど、智樹本人が強く望んでいる。
確認も取った。
処理としては可能。
悠はカードを取り出した。
「了解」
「ちょっとユゥ!?」
そはらが止めようとした時には、もう遅かった。
カードが光る。
智樹の姿が、淡い光に包まれた。
数秒後。
そこに立っていたのは、智樹ではなかった。
智樹の面影を残した、一人の少女だった。
髪は少し長くなり、体格も変わっている。
服装も、身体に合わせて変わっていた。
制服の形。
靴。
鞄の持ち方。
すべてが、今の姿に合わせて整えられている。
その時、夕方の風が吹いた。
少女の髪がふわりと揺れる。
少女は反射的に片手で髪を押さえ、もう片方の手でスカートの裾を軽く押さえた。
動きに迷いがない。
まるで、最初からそうするのが自然だったみたいに。
そはらが目を瞬かせる。
ニンフも、少しだけ目を細めた。
「……動きまで変わってない?」
「整合済み」
悠が淡々と答える。
「整合の範囲が広すぎるよ!」
けれど、それ以上に違ったのは、立ち方だった。
さっきまでの欲望で前のめりな雰囲気が、完全に消えている。
少女は、自分の手を見下ろした。
それから、ゆっくり周囲を見る。
「……え」
そはらが固まる。
ニンフも目を細めた。
「何か、雰囲気まで変わってない?」
少女は少しだけ眉を寄せる。
「……変なことを考えていた気がする」
声は智樹ではない。
けれど、どこか智樹の名残がある。
「でも、今考えると最低だと思う」
そはらがゆっくり瞬きした。
「トモちゃん?」
少女は顔を上げる。
「智樹、ではあると思う」
少し考えてから、首を横に振った。
「でも、今は……智子、かな」
「名前まで!?」
智子は真面目な顔で言った。
「女湯に入るために女になるって、普通に駄目だと思う」
「本人が一番まともになってる……」
ニンフが呆れたように呟く。
智子はそはらの方を見る。
「ごめん、そはら。元の私、かなり最低だった」
「自分で言った……」
そはらは困惑したまま、少しだけ頷いた。
「う、うん。反省してるならいいけど……」
悠はカードを見ていた。
「変換成功」
「どこがよ」
ニンフが即座に言った。
そはらは固まったまま、ゆっくり悠を見る。
「ユゥ」
「何?」
「今、何をしたの?」
「身体構造、性自認、羞恥反応、対人距離、性的関心を整合した」
帰り道が、静かになった。
智子も黙った。
イカロスは静かに智子を見ている。
「マスターの性別状態、女性へ変化」
「そこは報告しなくていいから!」
そはらが慌てて止める。
悠は不思議そうに首を傾げた。
「身体だけ変えると、自己認識との不整合が発生する可能性がある」
「うん」
「ボクの時も、身体変化に伴って自己認識が変化された」
「うん……?」
「だから、女性化するなら、認識も女性として安定する方が自然だと思った」
「自然だと思った」
「違うの?」
そはらは言葉に詰まった。
ニンフが腕を組む。
「違うでしょ」
「違う?」
「少なくとも、普通はそこまで勝手にいじらないわよ」
悠は少し考えた。
「本人の許可は確認した」
智子は自分の手を見下ろしたまま、小さく言う。
「……許可したのは、元の私」
「トモちゃん……」
「でも、今の私は、元の私の目的にちょっと引いてる」
ニンフはため息をついた。
「自業自得ね」
智子は素直に頷いた。
「返す言葉もないかな」
そはらは頭を抱える。
「トモちゃんが自分で自分に反省してる……」
悠はさらに不思議そうに言う。
「目的達成には不要だった?」
「不要というか」
そはらは疲れた顔で答えた。
「目的が最初から駄目だったかな」
「理解」
悠は頷いた。
「次回から、目的の倫理確認を追加する」
「次回がある前提で言わないで!」
智子は、少しだけ目を伏せた。
「でも、確認はした方がいいと思う」
「トモちゃんまで!?」
「今の私としては、元の私をあんまり信用しない方がいいかなって」
「自分への評価が低すぎる!」
ニンフは小さく笑った。
「まあ、妥当じゃない?」
「ニンフちゃんまで!」
智子は深く息を吐いた。
「戻ったら、ちゃんと反省しよ……」
その言葉だけは、誰も否定しなかった。
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家に着くまで、智子は妙に静かだった。
いや、静かというより、落ち着いていた。
さっきまで智樹だったとは思えないくらい、歩き方も、鞄の持ち方も、視線の動かし方も違う。
そはらは何度も横目で見ていた。
ニンフは呆れた顔をしていた。
イカロスは、ずっと智子を観察していた。
悠だけが、いつも通りだった。
「ただいま」
玄関の前で、智子が普通に言った。
その声に、そはらがまた固まる。
「トモちゃんが、普通にただいまって……」
「おかしい?」
智子が首を傾げる。
「おかしいというか、普通すぎておかしいというか……」
ニンフが腕を組んだ。
「中身まで整えられてるんだから、そりゃそうでしょ」
「整えられてるって言い方も怖いよ」
悠は靴を脱ぎながら答える。
「行動の整合化は正常」
「正常じゃない!」
イカロスが静かに報告する。
「マスターは現在、女性状態です」
「イカロスさんも報告しなくていいから!」
智子は少しだけ顔を伏せた。
「元の私が、かなり駄目な理由で変わろうとした」
「本人が説明してる……」
ニンフが呟く。
智子は続ける。
「今の私は、その目的には納得できない」
そはらは困ったように笑った。
「うん……反省してるなら、いいけど」
「戻ったら、ちゃんと反省する」
「戻る前から反省してる……」
ニンフは智子を見る。
「ねえ、あんた本当にトモキなの?」
「記憶はあるよ」
智子は答えた。
「でも、今の私は、元の私をちょっと信用できないかな」
「正しい判断ね」
「ニンフちゃんまで!」
悠は小さく頷いた。
「目的の倫理確認は必要」
「ユゥは反省して!」
「反省中」
「本当に?」
「次回から確認する」
「だから次回を作らないで!」
そこで、智子は家の奥を見た。
「服装は変わってるけど、家の中の物は元のままだと思う」
そはらが少し不安そうに言う。
「トモちゃんの部屋、大丈夫かな……」
「何が?」
智子が聞く。
そはらは目を逸らした。
「色々」
ニンフがぼそっと言う。
「本人が見たら一番ダメージ受けそうね」
「やめて」
智子の声が少し弱くなった。
その反応が妙に普通で、そはらは少しだけ安心した。
完全に別人になったわけではない。
でも、智樹そのものでもない。
智子は、智樹の記憶を持ったまま、智樹の最低な部分を外から見ているようだった。
それが一番、智樹にとってはきついのかもしれない。
智子は一度深呼吸した。
「部屋、見てくる」
「覚悟決めるほどなの?」
そはらが聞く。
「元の私の部屋だから」
ニンフが小さく笑った。
「自分の部屋に行くだけでそんな顔するなんて、変なの」
智子は真面目に答える。
「今の私には、見たくないものがありそう」
「自分の部屋をそんな扱いしないで!」
そはらの叫びが、玄関に響いた。