そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#26 掃除!!

智子は、自分の部屋の前で立ち止まった。

 

いや、正確には、元の自分の部屋の前だった。

 

「……」

 

「トモちゃん?」

 

そはらが心配そうに声をかける。

 

「大丈夫?」

 

「分かんない」

 

智子は真面目に答えた。

 

「元の私の生活の跡を見るの、ちょっと怖い」

 

「自分の部屋なのに?」

 

ニンフが呆れたように言う。

 

智子は小さく頷いた。

 

「今の私から見ると、元の私はあんまり信用できない」

 

「そこまで言うのね」

 

「事実だと思う」

 

悠が横で頷く。

 

「変換前の智樹は、行動目的に問題があった」

 

「ユゥ、追い打ちしないで」

 

「確認」

 

「確認しなくていいから」

 

智子は一度、深呼吸をした。

 

それから、襖に手をかける。

 

「開けるね」

 

「そんな重大発表みたいに言わなくても……」

 

そはらが苦笑した。

 

襖が開く。

 

部屋の中は、いつもの智樹の部屋だった。

 

漫画。

 

ゲーム。

 

読みかけの雑誌。

 

脱ぎっぱなしの服。

 

机の上に雑に積まれたプリント。

 

適当に放り出された鞄。

 

布団は畳まれていない。

 

思ったより普通。

 

いや、普通に散らかっていた。

 

智子は無言で部屋を見た。

 

しばらく何も言わない。

 

そはらが恐る恐る聞く。

 

「トモちゃん?」

 

智子は静かに口を開いた。

 

「……最――低!!」

 

「自分の部屋に!?」

 

ニンフが思わず声を出した。

 

智子は部屋へ一歩入る。

 

床に落ちていた服を拾い、少しだけ眉を寄せた。

 

「洗濯物を床に置くのは、よくないと思う」

 

「怒る場所そこなんだ……」

 

「元の私は、なんでこれを放置したんだろ」

 

「自分に聞いてる……」

 

智子は深く息を吐いた。

 

「片付ける」

 

「そこから!?」

 

「見過ごせない」

 

「トモちゃんが部屋を片付けようとしてる……」

 

智子は机の上を見る。

 

宿題のプリント。

 

落書き。

 

よく分からないメモ。

 

その端に、銭湯と書かれた紙があった。

 

さらにその横に、女湯、カード、作戦、という単語が並んでいる。

 

智子はそれを見た。

 

そっと紙を裏返した。

 

「……最低」

 

「また自分に言った」

 

そはらが小さく呟く。

 

ニンフは腕を組んで笑う。

 

「元のトモキ、信用されてないわね」

 

「信用できる要素が少ないかな」

 

「本人が一番厳しいじゃない」

 

智子は机の上を整え始めた。

 

プリントを揃える。

 

漫画を積み直す。

 

服を洗濯物としてまとめる。

 

動きは妙に手際が良かった。

 

そはらはそれを見ながら、複雑そうな顔をする。

 

「トモちゃんが部屋を片付けてる……」

 

「異常事態?」

 

悠が聞く。

 

「かなり」

 

「記録する」

 

「しなくていいよ」

 

イカロスは智子の様子を見ていた。

 

「マスターの行動効率が向上しています」

 

「イカロスさんまで」

 

智子は振り返る。

 

「効率というより、見過ごせないだけ」

 

「見過ごせないんだ……」

 

部屋の隅に、怪しげな本の束があった。

 

智子は、それを見つけた瞬間、動きを止めた。

 

そはらも気づいた。

 

ニンフも気づいた。

 

イカロスは無表情のまま見ている。

 

悠は、ただ静かに首を傾げた。

 

智子は、ゆっくりと本の束を持ち上げる。

 

「これは」

 

「トモちゃん、待って」

 

そはらが慌てて止めた。

 

智子は真面目な顔で言う。

 

「元の私の部屋にある、よくないものだと思う」

 

「判断が早いよ!」

 

「処分する」

 

「待って! 戻ったトモちゃんが絶対叫ぶから!」

 

「叫ぶと思う」

 

「分かってるなら!」

 

智子は少しだけ目を伏せた。

 

「でも、残しておく方がよくないと思う」

 

ニンフが呆れたように言う。

 

「自分の物でしょ、それ」

 

「だからこそ」

 

智子は本の束を抱え直した。

 

「元の私には、反省が必要だと思う」

 

悠がカードを取り出した。

 

「焼却?」

 

「ユゥも乗らないで!」

 

智子は頷く。

 

「お願い」

 

「了解」

 

カードが光った。

 

本の束が、淡い光に包まれる。

 

熱はほとんどない。

 

煙も出ない。

 

ただ、紙が光の粒になって崩れていくように消えていった。

 

そはらは頭を抱えた。

 

「トモちゃん……戻ったら本当に大変だよ……」

 

智子は静かに答える。

 

「その時は、元の私が反省すると思う」

 

ニンフは肩をすくめる。

 

「泣くわね」

 

「泣くと思う」

 

「そこまで分かっててやるのね」

 

「うん」

 

智子は、空になった本棚の一角を見た。

 

そこに紙を一枚置く。

 

部屋を片付けること。

そはらに謝ること。

銭湯作戦を反省すること。

 

そして最後に一行。

 

有害図書は処分済み。

 

そはらがそれを見て、顔を引きつらせた。

 

「トモちゃんが戻った時の叫び声が、もう聞こえる気がする……」

 

ニンフは少しだけ笑った。

 

「自分でやったんだから、自業自得でしょ」

 

智子は真面目に頷く。

 

「その通りだと思う」

 

その真面目さが、余計に怖かった。

 

-----

 

部屋の確認が終わったあと、智子は自分の服装を見下ろした。

 

今着ている服は、身体に合わせて変わっている。

 

だが、それは今着ている分だけだった。

 

引き出しを開けても、そこにあるのは元の智樹の服ばかり。

 

当然だ。

 

部屋そのものは変わっていない。

 

「……着替えがない」

 

智子は静かに言った。

 

そはらが一瞬止まる。

 

「そっか。服は今の分だけなんだ」

 

悠が頷く。

 

「今着ている分だけ補った。予備の服までは作ってない」

 

「そこまで気が回らなかったのね」

 

ニンフが呆れたように言う。

 

悠は少し考えた。

 

「必要なら追加生成可能」

 

「待って」

 

智子がすぐに止めた。

 

「これ以上、カードで生活環境を変えるのは避けたい」

 

そはらが少しだけ目を丸くする。

 

「トモちゃん……」

 

「元の私の部屋まで変わっていないのは、たぶん良かったと思う」

 

智子は引き出しを閉めた。

 

「今の状態が一時的なものなら、必要なものだけ買えばいい」

 

「買うの?」

 

「うん」

 

智子は真面目に頷いた。

 

「この状態で生活するなら、最低限の服は必要だと思う」

 

ニンフは腕を組む。

 

「ずいぶん冷静ね」

 

「必要だから」

 

「喜んでるわけじゃないのね」

 

智子は少しだけ眉を寄せた。

 

「喜ぶ状況ではないと思う」

 

「でしょうね」

 

そはらは慌てて言う。

 

「じゃ、じゃあ私も一緒に行くよ。さすがに一人だと困るでしょ?」

 

智子は少し考えてから頷いた。

 

「お願い」

 

イカロスが一歩前に出る。

 

「荷物の運搬は可能です」

 

「ありがとう、イカロスさん」

 

「はい」

 

悠も頷く。

 

「必要物資の調達」

 

「買い物って言って」

 

「買い物」

 

ニンフはため息をついた。

 

「ほんと、面倒なことになってるわね」

 

「ごめん」

 

智子が素直に頭を下げる。

 

ニンフは少し言葉に詰まった。

 

「……別に、あんたが今謝ることじゃないでしょ」

 

「元の私の責任だから」

 

「それはそうだけど」

 

そはらが苦笑する。

 

「と、とにかく行こっか。必要なものだけ、ね」

 

智子は頷いた。

 

「うん。最低限でいい」

 

そして一行は、商店街へ向かうことになった。

 

遊びでも、はしゃぐためでもない。

 

必要だから買う。

 

智子にとって、それはかなり切実な問題だった。

 

-----

 

翌日。

 

智子は、普通に学校へ来た。

 

普通に。

 

少なくとも、本人はそのつもりだった。

 

だが、教室に入った瞬間、空気が止まった。

 

「……え?」

 

「誰?」

 

「桜井?」

 

「いや、でも……」

 

教室中の視線が集まる。

 

智子は少しだけ足を止めた。

 

それから、静かに席へ向かう。

 

歩き方が違う。

 

鞄の持ち方が違う。

 

視線の下げ方も、席に座る時の動作も、昨日までの智樹とは明らかに違っていた。

 

けれど、顔には智樹の面影がある。

 

だからこそ、クラスメイトたちは余計に混乱していた。

 

やがて、先生が教室に入ってきた。

 

出席簿を開く。

 

そして、智子を見た。

 

一秒。

 

二秒。

 

「えー……」

 

先生は、妙に疲れた顔で言った。

 

「桜井が、なんか女になった」

 

「雑!!」

 

教室中から声が上がった。

 

先生は黒板の前で咳払いする。

 

「詳しい事情は聞かない。聞いたら面倒なことになる気がする」

 

「先生、それでいいんですか!?」

 

「空美町では、時々ある」

 

「ないですよ!」

 

先生は智子を見る。

 

「桜井。いや……今は?」

 

智子は立ち上がった。

 

立ち上がり方も、昨日までとは違った。

 

椅子を引く音が小さい。

 

背筋が伸びている。

 

クラス中が、また静かになった。

 

「桜井智子です」

 

智子は、少しだけ頭を下げた。

 

「しばらく、この状態で過ごすことになりました」

 

声は落ち着いていた。

 

丁寧だが、硬すぎない。

 

智樹の面影はあるのに、智樹ではない。

 

「元の私は、かなり駄目な理由でこの状態になりました」

 

「自分で言った!?」

 

「その点については、戻ったあとに反省します」

 

「戻ったあとなんだ……」

 

「ただ、今の私は、その目的には納得していません」

 

智子は真面目な顔で続ける。

 

「迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」

 

そう言って、もう一度頭を下げた。

 

沈黙。

 

それから、ざわめき。

 

「桜井がまともな挨拶してる……」

 

「昨日までの桜井なら絶対ふざけてたよな」

 

「仕草まで違くない?」

 

「なんか、普通に女子っぽい……」

 

「桜井なのに?」

 

「桜井なのに」

 

智子は席に座る。

 

その動作も、やはり自然だった。

 

そはらは隣で複雑そうな顔をしている。

 

「トモちゃん……」

 

「何?」

 

「本当に、普通にしてるね」

 

「変?」

 

「変じゃないけど、変」

 

「難しいね」

 

智子は少し困ったように笑った。

 

その笑い方にも、クラスメイトがまたざわついた。

 

「桜井が困った顔してる……」

 

「いつもの変な顔じゃない……」

 

「誰だよあれ……」

 

ニンフは後ろの席で頬杖をついている。

 

「昨日までがひどすぎたんでしょ」

 

「ニンフちゃん、それ言っちゃう?」

 

「事実じゃない」

 

先生は出席簿を閉じた。

 

そこで一拍置いて、先生は小さく呟いた。

 

「今日はもう、これ以上何も起きないでくれ……」

 

その願いは、かなり切実だった。

 

-----

 

三時間目。

 

体育。

 

その言葉を聞いた瞬間、智子は少しだけ表情を硬くした。

 

体操着は、学校の備品がある。

 

だから着替えること自体はできる。

 

問題は、場所だった。

 

女子更衣室の前で、智子は足を止めた。

 

そはらも隣で止まる。

 

「トモちゃん?」

 

「うん」

 

智子は扉を見る。

 

向こうから、女子たちの声が聞こえる。

 

何気ない会話。

 

笑い声。

 

布の擦れる音。

 

体育の前の、普通の空気。

 

今の自分なら、入っても不自然ではない。

 

周囲も、ある程度は受け入れている。

 

そはらも隣にいる。

 

それでも、智子は動かなかった。

 

「やっぱり、よくないと思う」

 

そはらが少しだけ目を丸くした。

 

「トモちゃん?」

 

「今の私は女の子として自認してるから」

 

智子は静かに言った。

 

「だから、普通に入っていいのかもしれない」

 

「うん」

 

「でも、元の私がどういう理由でこうなったのか、私は覚えてる」

 

智子は少しだけ目を伏せた。

 

「その記憶があるまま入るのは、やっぱり違うと思う」

 

そはらは黙った。

 

それから、困ったように笑う。

 

「私は、今のトモちゃんなら大丈夫だと思うよ」

 

「ありがとう」

 

智子はそはらを見る。

 

「でも、私が大丈夫だと思えない」

 

「そっか」

 

「うん」

 

そはらは少し考えてから頷いた。

 

「じゃあ、部室で着替える?」

 

「そうする」

 

「一人で大丈夫?」

 

「大丈夫。すぐ戻る」

 

智子は体操着の入った袋を抱え直した。

 

「そはら」

 

「何?」

 

「気を遣わせてごめん」

 

そはらは首を横に振る。

 

「ううん。ちゃんと考えてくれてるなら、それでいいよ」

 

智子は少しだけ安心したように息を吐いた。

 

「ありがとう」

 

そのまま、智子は女子更衣室へは入らず、部室の方へ向かった。

 

廊下の角で、ニンフが壁にもたれていた。

 

「面倒なことしてるわね」

 

「そうかも」

 

智子は素直に答えた。

 

「でも、必要だと思う」

 

ニンフは少しだけ目を細める。

 

「今のあんた、本当にトモキなの?」

 

「記憶はあるよ」

 

智子は体操着の袋を見る。

 

「でも、元の私をそのまま通していいとは思えない」

 

「ふうん」

 

ニンフはそっぽを向いた。

 

「ま、好きにすれば」

 

「うん」

 

智子は小さく頷き、部室の扉を開けた。

 

中には誰もいない。

 

智子は一度だけ深呼吸する。

 

それから、静かに扉を閉めた。

 

廊下に残ったニンフは、しばらくその扉を見ていた。

 

「……ほんと、変なの」

 

小さく呟いてから、ニンフは校庭の方へ歩き出した。

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