そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#27 課題!!

放課後。

 

智子は部室に呼び出されていた。

 

正確には、呼び出されたというより、そはらに連れられて部室へ向かった。

 

そこには、ニンフ、イカロス、悠もいる。

 

そして、いつものようにノートを開いていた守形先輩と、当然のようにお茶を飲んでいた会長がいた。

 

「来たか、桜井」

 

守形先輩は顔を上げる。

 

そこで、手が止まった。

 

会長も湯呑みを口元に運んだまま、ぴたりと動きを止める。

 

部室が、一瞬だけ静かになった。

 

「……桜井?」

 

守形先輩が言った。

 

智子は少しだけ頭を下げる。

 

「はい。桜井智子です」

 

「智子」

 

守形先輩は、珍しく二秒ほど黙った。

 

会長は、智子を見て、それから悠を見た。

 

「なるほどね」

 

「会長?」

 

そはらが嫌な予感を覚えたように声をかける。

 

会長はにこりと笑った。

 

「桜井くんが智子ちゃんになったのなら、今日はなかなか面白い日になりそうね」

 

「面白がらないでください……」

 

ニンフが半目で言う。

 

「この人、絶対よからぬこと考えてるわよ」

 

「失礼ね」

 

会長は楽しそうに言う。

 

「今はまだ、考えているだけよ」

 

「まだ?」

 

そはらの声が少し裏返った。

 

守形先輩はノートの新しいページを開く。

 

「状況を説明しろ」

 

「切り替え早っ!」

 

そはらが声を上げる。

 

智子は少しだけ困ったように笑った。

 

「悠のカードで、こうなりました」

 

守形先輩は悠を見る。

 

「紫月」

 

「はい」

 

「何をした」

 

悠は淡々と答える。

 

「智樹が銭湯の女湯に入るために女体化を希望した。だから身体構造、性自認、羞恥反応、対人距離、性的関心を整合した」

 

守形先輩のペンが止まった。

 

会長の笑みが、深くなる。

 

そはらは頭を抱えた。

 

「ユゥ、そこをそんな普通に言わないで……」

 

「事実」

 

「事実でも!」

 

会長は悠を見る。

 

「悠ちゃん、ずいぶん器用なことができるのね」

 

「可能」

 

「服装も?」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

「可能」

 

「会長、そこで何を確認してるんですか」

 

そはらが慌てて止める。

 

会長は湯呑みを置いた。

 

「いえ、少し気になっただけよ」

 

「絶対少しじゃないです」

 

悠は自分の服を見下ろした。

 

「服装変更は必要?」

 

「今は必要ないよ!」

 

そはらが即答する。

 

ニンフはため息をついた。

 

「また余計な火種が増えたわね」

 

守形先輩は少しだけ目を細める。

 

「桜井智樹の記憶は保持しているのか」

 

「はい」

 

智子は頷いた。

 

「記憶はあります。でも、今の私は元の私を少し信用できません」

 

「本人が言うのか」

 

「言います」

 

智子は真面目に答えた。

 

「元の私の目的は、かなり駄目だったので」

 

「そこまで言われる桜井くんも可哀想よね」

 

ニンフがぼそっと言う。

 

「自業自得でしょ」

 

「それはそう」

 

智子が素直に頷いた。

 

「トモちゃんが自分で自分に厳しい……」

 

そはらが複雑そうに呟く。

 

守形先輩はしばらく智子を見ていた。

 

驚きは残っている。

 

けれど、もうそれ以上に、観察する目になっていた。

 

「桜井、現在の状態について、レポートを書け」

 

智子は少しだけ首を傾げた。

 

「レポート?」

 

「そうだ」

 

守形先輩は机の上に紙束を置く。

 

「身体変化、認識変化、行動変化、周囲の反応。加えて、自分がどこで迷い、どう判断したか。可能な範囲で記録しろ」

 

そはらが慌てて口を挟む。

 

「先輩、いきなりそんな……」

 

「必要だ」

 

守形先輩は淡々と言った。

 

「今の桜井は、桜井智樹の記憶を持ちながら、判断基準が変化している。本人の主観記録は貴重だ」

 

ニンフが呆れたように言う。

 

「また観察対象扱い?」

 

「観察対象ではある」

 

「言い切ったわね」

 

会長はくすくす笑った。

 

「でも、今回は悪くないんじゃないかしら」

 

「会長まで?」

 

そはらが見る。

 

会長は智子を見た。

 

「桜井くんが、自分で自分をどう扱うのか。そこを残しておくのは大事だと思うわ」

 

会長はそこで、ちらりと悠にも視線を向けた。

 

「誰かが自分をどう扱うか、という話でもあるものね」

 

悠は会長を見る。

 

「対象は智子では?」

 

「今はね」

 

会長はにこりと笑った。

 

「でも、悠ちゃんにも関係ない話ではないと思うわ」

 

「会長……?」

 

そはらがまた嫌な予感を覚える。

 

悠は少し考えてから頷いた。

 

「保留」

 

「保留でいいよ。今は保留で」

 

そはらは小さく息を吐いた。

 

智子は紙を見つめていた。

 

それから、小さく頷く。

 

「書いた方がいいと思います」

 

「トモちゃん!?」

 

そはらが驚く。

 

「納得するの!?」

 

智子は少し困ったように笑った。

 

「今の私は、元の私とかなり違うから」

 

「うん……」

 

「戻った後の私が、今の私の考えを都合よく忘れるかもしれない」

 

智子は紙を一枚取る。

 

「だから、残しておいた方がいいと思う」

 

ニンフは腕を組む。

 

「自分に対して信用なさすぎでしょ」

 

「今のところ、信用できる材料が少ないかな」

 

「本人が一番ひどいこと言ってるわよ」

 

悠は静かに頷いた。

 

「良い判断」

 

「ユゥまで乗らないで……」

 

そはらが頭を抱えた。

 

守形先輩は続ける。

 

「ただし、何でも細かく書けばいいわけではない」

 

智子が顔を上げる。

 

「どういう意味ですか?」

 

「視覚的な詳細ではなく、判断過程を書け」

 

「判断過程」

 

「たとえば今日の体育だ」

 

守形先輩はノートをめくる。

 

「時間割上、体育があったはずだ」

 

智子は小さく頷く。

 

「ありました」

 

「その中で、お前は何かを選んだはずだ」

 

「……はい」

 

「どこで着替えたか、誰に何を言われたか、そこまで俺は知らん」

 

守形先輩は淡々と言った。

 

「だが、今のお前なら、そこで何も考えずに動いたわけではないだろう」

 

智子は少しだけ黙った。

 

それから、静かに頷く。

 

「はい。考えました」

 

「なら、それを書け」

 

「何を、ですか?」

 

「何を問題と見たのか。何を避けたのか。何を保留したのか」

 

守形先輩はペンを置いた。

 

「事実の細部ではなく、判断過程を書け」

 

智子は静かに頷く。

 

「はい」

 

そはらは少し黙った。

 

ニンフも、茶化さなかった。

 

会長も、静かに智子を見ている。

 

さっきまでの面白がるような笑みは残っていた。

 

けれど、それだけではなかった。

 

智子は紙を見下ろした。

 

「それなら、書けると思います」

 

「なら書け」

 

守形先輩はペンを置いた。

 

「これは実験記録ではない」

 

智子が少し意外そうに目を上げる。

 

守形先輩は、いつも通りの声で言った。

 

「お前が、自分をどう扱うかの記録だ」

 

部室が少しだけ静かになった。

 

智子はしばらく黙っていた。

 

それから、紙の一番上に題名を書いた。

 

『桜井智子状態における行動判断と反省記録』

 

そはらが複雑そうな顔をする。

 

「題名が真面目……」

 

ニンフは小さく笑った。

 

「戻ったトモキが読んだら、頭抱えるわね」

 

智子は頷いた。

 

「抱えた方がいいと思う」

 

「本人が一番厳しい……」

 

会長は楽しそうに目を細めた。

 

「桜井くんに読ませるのが楽しみね」

 

「楽しみにしないでください」

 

智子が言う。

 

「でも、読ませるんでしょう?」

 

「はい」

 

「なら、楽しみだわ」

 

「会長らしいですね……」

 

そはらが苦笑した。

 

イカロスは智子の手元を見る。

 

「記録を確認」

 

「イカロスさんは確認しなくていいからね」

 

智子はペンを持った。

 

少しだけ迷ってから、最初の一文を書く。

 

『今日、私は女子更衣室ではなく部室で着替えた。』

 

そこで一度止まる。

 

そして、続けた。

 

『周囲が許してくれても、自分が納得できないなら、保留していいと思った。』

 

そはらは、その文字を見て、少しだけ安心したように笑った。

 

悠は紙を見て、小さく頷いた。

 

「記録形式は妥当」

 

「ユゥは評価しなくていいよ……」

 

会長も、その一文を見て静かに笑う。

 

「いい文章ね」

 

「そうですか?」

 

「ええ」

 

会長は軽く言った。

 

「今のあなたが、ちゃんと自分で考えているのが分かるわ」

 

智子は少しだけ目を伏せた。

 

「……ありがとうございます」

 

守形先輩はノートを閉じる。

 

「それでいい」

 

智子は小さく頷いた。

 

「はい」

 

その日から、智子は少しずつ記録を書くことになった。

 

何をしたか。

 

何を思ったか。

 

どこで迷ったか。

 

何を選ばなかったか。

 

それは、事件の記録ではなかった。

 

実験の記録でもなかった。

 

桜井智樹だった記憶を持つ智子が、今の自分をどう扱うか。

 

そして、いつか元に戻った智樹に、何を残すか。

 

そのための記録だった。

 

紙の上で、智子の文字が静かに増えていく。

 

そはらは隣でそれを見守っていた。

 

ニンフは呆れたような顔をしながら、時々ちらりと覗いた。

 

イカロスは静かに立っていた。

 

悠は、必要以上に口を出さなかった。

 

守形先輩はただ記録を取る。

 

会長は楽しそうに笑う。

 

けれど、その笑みはいつもより少しだけ柔らかかった。

 

智子は最後に、一行だけ書き足した。

 

『戻った私がこれを読んで嫌がっても、これは必要な記録だと思う。』

 

それを見たニンフが、小さく笑った。

 

「ほんと、元のトモキが可哀想ね」

 

智子は少し考えてから答えた。

 

「でも、必要だから」

 

「そこは変わらないのね」

 

「うん」

 

智子はペンを置く。

 

「変えちゃいけないと思う」

 

その手つきは自然だった。

 

けれど、そこに書かれた言葉は、誰かに作られたものではなかった。

 

今の智子が、自分で考えて選んだものだった。

 

会長は、ふと悠を見た。

 

「悠ちゃん」

 

「何?」

 

「さっきの話だけど」

 

「服装変更?」

 

「ええ」

 

そはらがすぐに反応した。

 

「会長、まだ続いてたんですか!?」

 

「もちろん」

 

会長は悪びれずに笑う。

 

「智子ちゃんは、自分で考えて今の自分を扱ったわ。なら、悠ちゃんも少しだけ考えてみたらどうかしら」

 

悠は自分の服を見下ろした。

 

「現在の服装に重大な問題はない」

 

「重大ではないわね」

 

会長は頷く。

 

「でも、学校にいるなら、女子生徒服という選択肢もあるでしょう?」

 

「選択肢」

 

「そう。命令ではなくて、選択肢」

 

その言葉に、悠は少しだけ黙った。

 

そはらも黙る。

 

ニンフがちらりと悠を見る。

 

悠は、命令という言葉を好まない。

 

それを、会長が分かって言っているのか、たまたまなのかは分からない。

 

たぶん、分かって言っている。

 

悠はしばらく考えた。

 

それから、静かに頷く。

 

「学校では、その方が馴染みやすい。見た目の違和感も減ると思う」

 

「ユゥ、真面目に検討してる……」

 

そはらが小さく言う。

 

「それに」

 

悠は少しだけ智子を見る。

 

「自分をどう扱うかを考えるなら、選択肢としてはありだと思う」

 

会長は満足そうに笑った。

 

「そういうこと」

 

悠はカードを取り出した。

 

「女子生徒服へ変更」

 

「即決!?」

 

カードが淡く光った。

 

次の瞬間、悠の服装が女子生徒の制服へ変わっていた。

 

智子のものと同じ系統の制服。

 

けれど、悠が着ると印象が少し違う。

 

淡々としていて、どこか静かで。

 

服だけが変わったのに、部室の空気が少しだけ変わった。

 

悠は袖を軽く動かし、裾を確認する。

 

「可動域、問題なし」

 

「最初の感想がそれなんだ……」

 

そはらが呟く。

 

会長は楽しそうに目を細めた。

 

「よく似合っているわ、悠ちゃん」

 

「評価を受領」

 

「そこは、ありがとうでいいと思うよ」

 

そはらが言うと、悠は少しだけ間を置いた。

 

「ありがとう」

 

その言い方は、まだ少し硬かった。

 

けれど、前よりは少しだけ自然だった。

 

智子はそれを見て、小さく笑った。

 

「悠も、自分で選んだんだね」

 

「選んだこととして、覚えておく」

 

「いいと思う」

 

ニンフが呆れたように言った。

 

「今日はあんたたち、変な方向に真面目ね」

 

「そういう日なのよ」

 

会長が笑う。

 

守形先輩は、閉じたはずのノートをもう一度開いた。

 

「紫月の服装変更による周囲反応も記録対象だな」

 

「先輩、増やさないでください!」

 

そはらの声が部室に響いた。

 

放課後の部室に、夕方の光が差し込む。

 

長かった一日は、ようやく終わろうとしていた。

 

智子は自分のレポート用紙を揃える。

 

悠は新しい制服の袖を、もう一度だけ見た。

 

それは、誰かに命令されたからではなかった。

 

会長に乗せられた形ではあったけれど。

 

それでも、最後に選んだのは悠自身だった。

 

-----

 

翌日。

 

教室は、朝から少しだけ騒がしかった。

 

理由は二つある。

 

一つは、桜井智子がまだ桜井智子のままだったこと。

 

そして、もう一つ。

 

悠が女子生徒服で登校してきたことだった。

 

「……え?」

 

「紫月?」

 

「制服、変わってない?」

 

「いや、似合ってるけど」

 

「似合ってるけど、何で?」

 

教室中の視線が、智子と悠の間を行ったり来たりする。

 

昨日は智子。

 

今日は悠。

 

空美町の生徒たちにも、さすがに処理が追いついていなかった。

 

智子は席に着きながら、少しだけ悠を見る。

 

悠はいつも通りだった。

 

いや、服装はいつも通りではない。

 

けれど、本人の表情も、歩き方も、鞄の置き方も、ほとんど変わらない。

 

制服だけが自然に馴染んでいた。

 

「ユゥ、本当にそのまま来たんだ……」

 

そはらが小さく言う。

 

悠は頷いた。

 

「昨日選んだから、今日もこのまま来た」

 

「昨日の一回だけじゃなかったんだ」

 

「選択したから」

 

「そこはちゃんとしてるんだ……」

 

智子は少しだけ笑った。

 

「似合ってると思う」

 

「ありがとう」

 

ニンフは後ろの席で頬杖をついていた。

 

「昨日から変な方向に真面目なのよ、あんたたち」

 

「変?」

 

悠が聞く。

 

「変よ」

 

「問題?」

 

「似合ってるから余計に問題なのよ」

 

「意味が不明」

 

「でしょうね」

 

やがて、担任が入ってきた。

 

出席簿を開く。

 

そして、教室を見る。

 

智子を見る。

 

悠を見る。

 

一度、出席簿を閉じた。

 

「えー……」

 

担任は、昨日よりさらに疲れた顔で言った。

 

「桜井は引き続きなんか女で、紫月はなんか女子制服になった」

 

「雑!!」

 

教室中から声が上がった。

 

担任は咳払いする。

 

「詳しい事情は聞かない。昨日の時点で聞かないと決めた」

 

「先生、投げてませんか!?」

 

「投げている」

 

「認めた!」

 

担任は悠を見る。

 

「紫月。その服装で問題はないのか」

 

悠は立ち上がる。

 

「可動域、校則上の外見、授業参加に支障なし」

 

「校則上は?」

 

担任は出席簿と服装を見比べる。

 

「まあ……制服ではあるな」

 

「はい」

 

「じゃあ、今日はそれでいい」

 

「いいんですか!?」

 

クラスメイトが叫んだ。

 

担任は遠い目をした。

 

「空美町では、制服を着ているだけまだ扱いやすい」

 

「基準がおかしい!」

 

悠は静かに座った。

 

その動きも自然だった。

 

服装だけ変わったのではない。

 

服に合わせた動きが、もう身体に馴染んでいるようだった。

 

近くの女子が、おそるおそる声をかける。

 

「紫月さん……でいいの?」

 

悠は少し考えた。

 

「呼称は任意」

 

「任意なんだ」

 

「紫月でよい」

 

「じゃあ紫月さん」

 

「了解」

 

「その制服、自分で選んだの?」

 

悠は少しだけ視線を落とす。

 

「会長が選択肢として提示した」

 

「会長かぁ……」

 

その一言で、周囲が妙に納得した。

 

「それで?」

 

女子が続ける。

 

「着るって決めたのは?」

 

悠は短く答える。

 

「ボク」

 

教室が少し静かになった。

 

「命令じゃない」

 

悠は続ける。

 

「選択」

 

その言葉に、そはらが少しだけ表情を緩めた。

 

智子も、静かに悠を見た。

 

昨日、会長が言った言葉。

 

命令ではなく、選択肢。

 

悠はそれを、ちゃんと自分の中で処理したらしい。

 

ニンフは小さくため息をつく。

 

「ま、本人がいいならいいんじゃない?」

 

「ニンフちゃんが普通のこと言ってる」

 

「何よ」

 

そはらが小さく笑った。

 

クラスメイトたちはまだざわついていた。

 

「桜井が智子で」

 

「紫月が女子制服で」

 

「昨日より状況増えてない?」

 

「でも、二人とも普通にしてるんだよな」

 

「普通とは?」

 

「分からん」

 

智子はその声を聞きながら、ノートを開いた。

 

守形先輩に出すレポート用の下書き。

 

昨日書いた題名の下に、新しい行を足す。

 

『翌日、悠は女子生徒服で登校した。』

 

そこで少し止まる。

 

それから、続きを書いた。

 

『周囲は驚いたが、本人が選択したことなら、それを尊重していいと思う。』

 

智子はペンを止めた。

 

自分のことではない。

 

けれど、自分のことにも少し似ていた。

 

周囲がどう見るか。

 

本人がどう選ぶか。

 

それを、どう扱うか。

 

そはらが隣からノートを覗き込む。

 

「トモちゃん、また書いてるの?」

 

「うん」

 

「レポート?」

 

「うん」

 

智子は少しだけ笑った。

 

「昨日の続き」

 

悠がその文字を見た。

 

「記録対象?」

 

「たぶん」

 

智子は答える。

 

「でも、実験記録じゃなくて、選択の記録」

 

悠は少しだけ黙った。

 

それから、小さく頷いた。

 

「妥当」

 

「また評価してる」

 

「評価ではなく、同意」

 

「それなら、ありがとう」

 

悠は少し考えた。

 

「ありがとう」

 

そはらは、二人を見て少しだけ笑った。

 

昨日までとは違う。

 

でも、完全に別の何かになったわけでもない。

 

智子も。

 

悠も。

 

少しずつ、自分の扱い方を選んでいる。

 

それが妙に不思議で。

 

けれど、少しだけ安心できた。

 

朝の確認が終わると、担任は出席簿を閉じた。

 

担任は扉へ向かいながら、最後に振り返る。

 

「本当に、今日は何も増えないな?」

 

誰も答えなかった。

 

悠は少し考えた。

 

「増加予定なし」

 

「予定って言うな!」

 

教室中が笑った。

 

担任は深いため息をついて、教室を出ていった。

 

その少し後。

 

一限の数学教師、竹原先生が入ってきた。

 

出席簿を見る。

 

智子を見る。

 

悠を見る。

 

少し止まる。

 

「……変数が増えているな」

 

教室が一瞬静かになった。

 

「先生、処理できますか?」

 

誰かが聞く。

 

竹原先生はチョークを持ち直した。

 

「未知数が二つ増えた程度なら、連立方程式で足りる」

 

「足りるんだ……」

 

「ただし、今日の授業範囲ではない」

 

竹原先生は黒板を叩いた。

 

「よって無視する。授業を始める」

 

「流した!」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

「分類上、未知数?」

 

「そこを掘るな、紫月」

 

竹原先生は即座に言った。

 

「今は数学を再建しない」

 

「了解」

 

「了解するんだ……」

 

智子はレポートに、小さく書き足した。

 

『翌朝、悠は自分で選んだ服で教室にいた。』

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