そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#03 邂逅!!

玄関の前で、悠は足を止めた。

 

俺の上着を羽織っているが、その下は外装解除後に残った薄いインナーだけだった。

ただ、目の前にいるのが悠だと分かっているせいで、変な気分にはならなかった。

むしろ、寒くないのかという心配の方が先に来る。

 

背中の四枚羽も収納している。

髪色も、黒に近い紫へ偽装していた。

 

見た目だけなら、三年前の悠に近い。

 

少し線が細く、髪の長い少年。

 

昔から女子に間違われることはあった。

だから、遠目には不自然ではない。

 

けれど、隣に立っている俺には分かる。

 

足音が軽すぎる。

視線の動きが速すぎる。

玄関の向こうにいる誰かの気配まで、扉越しに読んでいる。

 

「イカロスが気がついたみたい。出てくる」

 

その言葉とほとんど同時に、玄関の内側で鍵が外れた。

 

扉が開く。

 

そこに立っていたのは、薄桃色の翼を持つ少女だった。

 

普段は翼を隠している。

けれど、今は違った。

 

淡い桃色の羽が、玄関の奥で静かに広がっている。

遠目には白く見えるほど薄い色。

だが、廊下の光を受けると、羽先にかすかな桜色が浮かんだ。

 

イカロスは俺を見た。

 

それから、悠を見た。

 

表情は変わらない。

 

けれど、空気だけが変わった。

 

「マスター」

 

イカロスは、俺の少し前で立ち止まった。

 

「未登録のエンジェロイド反応です」

 

「待て。こいつは悠だ」

 

「ユウ?」

 

イカロスが、俺の言葉を繰り返す。

 

悠はその名前に一拍遅れて反応した。

 

「……紫月悠」

 

そこまで言ってから、少しだけ顔をしかめる。

 

「ボクの名前。たぶん」

 

「たぶんって何だよ」

 

「まだ、うまく結びつかない」

 

悠は自分の胸元を押さえた。

 

「エリュシオンって呼ばれた方が、今のボクは安定する。でも、紫月悠もボクの名前」

 

イカロスは悠を見ていた。

 

「エリュシオン」

 

「うん」

 

「登録情報にありません」

 

「だと思う」

 

首筋に、紫色の光輪が浮かぶ。

 

「ボクのマスターは、ボク自身」

 

イカロスは瞬きをした。

 

「自己登録型」

 

「危険です、って言う?」

 

悠は苦笑した。

 

イカロスは少しだけ間を置いた。

 

「判断不能」

 

「不能なんだ」

 

「現在、該当する命令がありません」

 

その答えに、悠は痛そうに笑った。

 

「いいね」

 

「何が」

 

「命令がなければ、止まれるんだ」

 

悠の首筋の発光環が、淡く明滅する。

 

「ボクは、自分で自分に命令できる。止まる命令も出せる。でも、壊れる命令も出せる」

 

「そんな命令は出すな」

 

俺が言うと、悠は少しだけ目を伏せた。

 

「努力する」

 

「努力じゃなくて、出すな」

 

「……了解」

 

その返事が機械的に聞こえて、俺は言い直した。

 

「命令じゃない。頼みだ」

 

悠の光輪が、一瞬だけ揺れた。

 

「頼み」

 

「そうだ」

 

「命令じゃないんだ」

 

「ああ」

 

悠は小さく息を吐いた。

 

「そっちの方が、効くかもしれない」

 

イカロスは、まだ悠を見ていた。

 

「自己登録型は、通常のマスター登録と異なる状態です」

 

イカロスの声は淡々としていた。

 

ただの説明だった。

 

けれど悠の肩が跳ねた。

 

「再登録は嫌だ」

 

「再登録?」

 

俺が聞くと、悠は首を横に振った。

 

「嫌だ。誰かの命令で動くのは嫌だ」

 

少し、震えていた。

 

「誰も登録し直さない」

 

「本当に?」

 

「少なくとも、俺はしない」

 

悠は俺を見た。

 

「……分かった」

 

イカロスは、淡々と続ける。

 

「マスター。この個体を家に入れるのですか」

 

「ああ」

 

「未登録のエンジェロイド反応です」

 

「知ってる」

 

「追跡されている可能性があります」

 

「それも知ってる」

 

「自己命令系統は、登録情報にありません」

 

悠の肩が小さく揺れた。

 

「うん」

 

その声は、さっきより弱かった。

 

「ボクも、自分を完全には信用してない」

 

イカロスは少しだけ黙った。

 

「安全確認が必要です」

 

その言葉に、悠の指先がわずかに強張った。

 

「安全確認?」

 

「この個体がマスターに危害を加えないか、確認します」

 

イカロスの声は淡々としていた。

 

警戒ではなく、報告。

命令ではなく、手順。

 

けれど、悠には違うものに聞こえたのだと思う。

 

首筋の光輪が、また不安定に揺れた。

 

「……検査?」

 

「確認です」

 

「隔離する?」

 

「危険度が高い場合、距離を取る必要があります」

 

その瞬間、悠の顔から色が消えた。

 

「嫌だ」

 

俺は慌てて言った。

 

「待て、イカロスはそこまで言ってない」

 

「でも、そうなる」

 

悠は小さく首を横に振った。

 

「確認して、危険だって判断して、隔離して、再登録して、命令系統を安定させる。そういう手順になる」

 

「悠」

 

「嫌だ」

 

今度は、はっきりした声だった。

 

「もう、検査されるのも、隔離されるのも、誰かの命令で動くようにされるのも嫌だ」

 

イカロスは沈黙した。

 

その沈黙が、肯定にも否定にも聞こえて、悠の羽が開きかける。

 

俺は反射的に悠の手を掴んだ。

 

少し、震えていた。

 

「誰もそんなことしない」

 

「本当に?」

 

「少なくとも、俺はしない」

 

悠は俺を見た。

 

しばらくして、紫の光が弱まる。

 

「……分かった」

 

イカロスは言った。

 

「マスターの判断を待機します」

 

「判断ってほど大げさじゃないけどな」

 

俺は悠を見た。

 

「とりあえず、中に入る」

 

悠はまだ少し迷っていた。

 

「入って、いいの?」

 

「ああ」

 

「あとで、危険だから外に出ろって言わない?」

 

「言わない」

 

「命令?」

 

「違う。約束」

 

悠はその言葉を確かめるように、ゆっくり繰り返した。

 

「約束」

 

「ああ」

 

「……そっか」

 

紫の光が、さらに弱くなる。

 

「約束なら、少し分かる」

 

イカロスは、しばらく沈黙した。

 

やがて、翼を少し畳んで横に退く。

 

「マスターの判断を優先します」

 

「ありがとう」

 

俺はそう言って、悠と一緒に玄関をまたいだ。

 

三年前に消えた幼馴染が、少女型の兵器になって、俺の家に入ってきた。

 

それだけで、家の空気がまるごと変わった気がした。

 

その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

 

俺と悠は同時に固まった。

 

イカロスが玄関を見る。

 

悠の目が細くなる。

 

「ダウナー、一人。敵意は薄い。でも感情反応が強い」

 

言ってから、悠の表情がわずかに固まった。

 

けれど訂正する前に、聞き慣れた声が玄関の向こうから響いた。

 

「いるんでしょ? 開けるよ」

 

まずい。

 

非常にまずい。

 

鍵が開く音がした。

 

「ちょ、待て! 今は本当に待て!」

 

俺は慌てて玄関へ向かった。

 

けれど遅かった。

 

扉が開き、幼馴染の少女がいつもの調子で入ってくる。

 

「何よ、そんな慌てて。どうせまた変なこと――」

 

そこで、そはらの言葉が止まった。

 

まず、俺を見た。

 

次に、イカロスを見た。

 

そこまでは、ここ数日の異常な日常として、ぎりぎり飲み込んだらしい。

 

だが、その次に悠を見た。

 

俺の上着を羽織った、見知らぬ少女。

 

黒に近い紫の長い髪。

中性的な顔立ち。

細い身体。

そして、上着の前を少し気まずそうに押さえている姿。

 

沈黙。

 

そはらの目が、ゆっくり細くなった。

 

「……誰?」

 

声が低い。

 

俺は両手を上げた。

 

「落ち着け。これは違う」

 

「何が違うの?」

 

「見た目ほどやましい状況じゃない」

 

「見た目はかなりやましいけど?」

 

「説明する」

 

「今すぐ」

 

悠は困ったように俺を見る。

 

イカロスは状況を理解しているのかいないのか、淡々と立っている。

 

俺は深呼吸した。

 

「これは、親戚で」

 

次の瞬間、そはらの手刀が俺の脳天に落ちた。

 

鈍い音がした。

 

「痛っっ!」

 

「まず一発」

 

「まずって何だよ!?」

 

「嘘をついた分」

 

「まだ嘘と決まったわけじゃ」

 

「じゃあ本当なの?」

 

「……嘘です」

 

「はい二発目」

 

「待て待て待て!」

 

俺が慌てて頭を守ると、悠が小さく笑った。

 

本当に小さな笑いだった。

 

けれど、その笑い方で、そはらの動きが止まった。

 

「……今の」

 

悠も、自分で気づいたようだった。

 

昔と同じ笑い方をしてしまったことに。

 

そはらは、ゆっくり悠を見る。

 

「あなた、誰?」

 

俺は、すぐに答えられなかった。

 

知っている名前なのに、今の姿へそのまま重ねていいのか分からなかった。

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