そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#09 適応!!

二時間目は英語だった。

 

先生が教科書を開いた。

 

「じゃあ、今日は本文を読んでいくぞ。順番に当てるからな」

 

数人が順番に読む。

 

少しつっかえたり、発音を直されたりしながら、それでも授業は普通に進んでいく。

 

そして、悠の番になった。

 

「じゃあ、紫月。次を読んで」

 

「はい」

 

そはらが小さく言う。

 

「ほどほど」

 

悠は小さく頷いた。

 

そして、読み始めた。

 

発音が良すぎた。

 

教室が静かになる。

 

日本の中学生の英語ではなかった。

映画の字幕を見ながら聞くような英語だった。

 

ただし、たぶん悠なりには抑えていた。

 

速すぎるわけでもない。

声も低めに調整している。

 

それでも、発音が良すぎた。

 

先生が少し驚いた顔をする。

 

「紫月、今のどこで覚えた?」

 

悠は少し考えて言った。

 

「……耳で」

 

「耳で?」

 

「聞いて、覚えました」

 

嘘ではないのかもしれない。

 

だが説明としては雑すぎる。

 

先生は納得したような、していないような顔をした。

 

「そ、そうか。発音いいな」

 

「ありがとうございます」

 

悠は座った。

 

俺は小声で言う。

 

「もう少し普通にしてくれ」

 

悠は小さく頷いた。

 

「普通、難しい」

 

その言葉だけは、少し笑えなかった。

 

-----

 

三時間目は理科だった。

 

先生は電気の話をしていた。

 

回路。

電流。

抵抗。

電圧。

 

黒板に簡単な図が描かれる。

 

「では、この場合の電流は――」

 

先生が説明を始める前に、悠が小さく呟いた。

 

「抵抗値が不安定」

 

俺は横を見た。

 

「今なんて?」

 

「接点が甘い」

 

「何の話だよ」

 

悠は黒板を見る。

 

「その図だと、理想回路としては成立する。でも現実に組むなら、接触抵抗と発熱を考えないと危ない」

 

先生も聞こえたらしい。

 

「紫月?」

 

「はい」

 

「今、何か言ったか?」

 

悠は少し考えて答えた。

 

「すみません。図としては正しいです」

 

「図としては?」

 

「実物では注意が必要です」

 

先生は黒板を見た。

 

それから悠を見た。

 

「……まあ、それはそうだな。ただ、今は理想的な回路として考える」

 

「理想条件」

 

「そうだ。理想条件だ」

 

悠は小さく頷いた。

 

「分かりました」

 

俺は、今度こそ息を吐いた。

 

数学では、普通の省略が分からなかった。

 

理科では、普通の仮定が分からない。

 

それでも悠は、少しずつ合わせようとしていた。

 

-----

 

四時間目は家庭科だった。

 

家庭科室に移動すると、先生が今日の内容を説明した。

 

「今日は簡単な昼食を作ります。班ごとに分かれて、手順を確認してから始めてください。最後に少しずつ提出してもらって、こちらで評価します」

 

メニューは、卵焼き、味噌汁、野菜炒め、ご飯。

 

家庭科の授業としては、普通だった。

 

少なくとも、悠が包丁を持つまでは。

 

「ユゥ、包丁使える?」

 

そはらが聞く。

 

悠は包丁と野菜を見て、少しだけ首を傾げた。

 

「切断手順は分かる」

 

「切断って言わない」

 

「じゃあ、調理用切断」

 

「もっと違う」

 

俺は慌てて言った。

 

「普通に、切れるかどうかでいいだろ」

 

悠は頷いた。

 

「切れる」

 

その直後、悠の手が動いた。

 

速かった。

 

けれど、危なげはなかった。

 

包丁がまな板を叩く音が、一定の間隔で響く。

 

トン、トン、トン、トン。

 

野菜が、同じ幅で並んでいく。

 

まるで定規で測ったみたいだった。

 

同じ班の生徒が固まる。

 

「紫月、包丁うまくね?」

 

「一人暮らしだと、やっぱ料理できるんだな」

 

悠は少しだけ間を置いて頷いた。

 

「うん。少し」

 

俺は内心ほっとした。

 

余計なことを言わなかった。

 

そはらもすぐに笑って続ける。

 

「ユゥって昔から細かいところ真面目だったしね」

 

「そうそう。紫月って変なところ丁寧だよな」

 

またカードの補正が、都合よく隙間を埋めていた。

 

料理は、順調に進んだ。

 

野菜炒めは焦げていない。

味噌汁の出汁も、ちょうどいい。

卵焼きは、妙に整っていた。

 

角が揃っている。

断面も綺麗。

焼き色も均一。

 

俺たちの班だけ、料理というより提出物が完成していた。

 

先生が各班を回り始める。

 

小皿に少しずつ取り分けられた料理を見て、味を見て、簡単に評価していく。

 

やがて、先生が俺たちの班の前で止まった。

 

「紫月くんたちの班ですね」

 

「はい」

 

悠が真面目に返事をする。

 

そはらが小皿を差し出した。

 

先生はまず卵焼きを見た。

 

見る時間が長かった。

 

「……綺麗ですね」

 

「ありがとうございます」

 

先生は一口食べた。

 

それから、野菜炒めを少し食べる。

 

味噌汁も飲む。

 

「味は、とてもいいです。切り方も火加減も丁寧です」

 

悠の表情が少しだけ緩む。

 

「問題なし?」

 

先生は少し笑った。

 

「はい。問題ありません。ただ、少し整いすぎていて驚きました」

 

「整いすぎ」

 

「悪い意味ではありません。丁寧に作ったということです」

 

「丁寧」

 

悠は小さく頷いた。

 

評価が終わると、先生は次の班へ向かった。

 

俺たちは料理を分ける。

 

俺は卵焼きを一口食べた。

 

普通にうまい。

 

いや、普通に、というよりかなりうまい。

 

ただ、どこか整いすぎていた。

 

家庭料理というより、試験用の完成品みたいだった。

 

「うまい」

 

俺が言うと、悠は少しだけ目を瞬かせた。

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「味覚評価、良好」

 

「だから言い方」

 

そはらがまた突っ込む。

 

悠は少しだけ笑った。

 

「おいしいってこと?」

 

「そう」

 

「そっか」

 

悠は自分でも卵焼きを少し食べた。

 

そして、小さく言った。

 

「おいしい」

 

「自分で作ったんだろ」

 

「うん」

 

悠は少しだけ困ったように笑った。

 

「でも、こういうのは初めてかもしれない」

 

その言葉に、俺もそはらも黙った。

 

空の上で作られた知識。

戦闘のための手順。

処理するための技能。

 

それらは、たぶん悠の中にある。

 

でも、自分で作ったものを食べて、おいしいと思うこと。

 

それは、きっと別のものだった。

 

その瞬間、授業終了のチャイムが鳴った。

 

四時間目が終わった。

 

家庭科室のあちこちから、できあがった料理を昼食用に並べる声が聞こえる。

 

俺たちの班も、皿を机に並べた。

 

英語では、普通の発音が分からなかった。

 

理科では、普通の仮定が分からなかった。

 

家庭科では、普通の加減が分からなかった。

 

それでも、悠は一つずつ覚えようとしていた。

 

普通にできないことを、普通にできるように。

 

嘘の記録の中で。

 

本物の日常を取り戻すために。

 

その矛盾を抱えたまま、悠は自分で作った卵焼きを、もう一度だけ見つめた。

 

昼休みになっていた。

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