二時間目は英語だった。
先生が教科書を開いた。
「じゃあ、今日は本文を読んでいくぞ。順番に当てるからな」
数人が順番に読む。
少しつっかえたり、発音を直されたりしながら、それでも授業は普通に進んでいく。
そして、悠の番になった。
「じゃあ、紫月。次を読んで」
「はい」
そはらが小さく言う。
「ほどほど」
悠は小さく頷いた。
そして、読み始めた。
発音が良すぎた。
教室が静かになる。
日本の中学生の英語ではなかった。
映画の字幕を見ながら聞くような英語だった。
ただし、たぶん悠なりには抑えていた。
速すぎるわけでもない。
声も低めに調整している。
それでも、発音が良すぎた。
先生が少し驚いた顔をする。
「紫月、今のどこで覚えた?」
悠は少し考えて言った。
「……耳で」
「耳で?」
「聞いて、覚えました」
嘘ではないのかもしれない。
だが説明としては雑すぎる。
先生は納得したような、していないような顔をした。
「そ、そうか。発音いいな」
「ありがとうございます」
悠は座った。
俺は小声で言う。
「もう少し普通にしてくれ」
悠は小さく頷いた。
「普通、難しい」
その言葉だけは、少し笑えなかった。
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三時間目は理科だった。
先生は電気の話をしていた。
回路。
電流。
抵抗。
電圧。
黒板に簡単な図が描かれる。
「では、この場合の電流は――」
先生が説明を始める前に、悠が小さく呟いた。
「抵抗値が不安定」
俺は横を見た。
「今なんて?」
「接点が甘い」
「何の話だよ」
悠は黒板を見る。
「その図だと、理想回路としては成立する。でも現実に組むなら、接触抵抗と発熱を考えないと危ない」
先生も聞こえたらしい。
「紫月?」
「はい」
「今、何か言ったか?」
悠は少し考えて答えた。
「すみません。図としては正しいです」
「図としては?」
「実物では注意が必要です」
先生は黒板を見た。
それから悠を見た。
「……まあ、それはそうだな。ただ、今は理想的な回路として考える」
「理想条件」
「そうだ。理想条件だ」
悠は小さく頷いた。
「分かりました」
俺は、今度こそ息を吐いた。
数学では、普通の省略が分からなかった。
理科では、普通の仮定が分からない。
それでも悠は、少しずつ合わせようとしていた。
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四時間目は家庭科だった。
家庭科室に移動すると、先生が今日の内容を説明した。
「今日は簡単な昼食を作ります。班ごとに分かれて、手順を確認してから始めてください。最後に少しずつ提出してもらって、こちらで評価します」
メニューは、卵焼き、味噌汁、野菜炒め、ご飯。
家庭科の授業としては、普通だった。
少なくとも、悠が包丁を持つまでは。
「ユゥ、包丁使える?」
そはらが聞く。
悠は包丁と野菜を見て、少しだけ首を傾げた。
「切断手順は分かる」
「切断って言わない」
「じゃあ、調理用切断」
「もっと違う」
俺は慌てて言った。
「普通に、切れるかどうかでいいだろ」
悠は頷いた。
「切れる」
その直後、悠の手が動いた。
速かった。
けれど、危なげはなかった。
包丁がまな板を叩く音が、一定の間隔で響く。
トン、トン、トン、トン。
野菜が、同じ幅で並んでいく。
まるで定規で測ったみたいだった。
同じ班の生徒が固まる。
「紫月、包丁うまくね?」
「一人暮らしだと、やっぱ料理できるんだな」
悠は少しだけ間を置いて頷いた。
「うん。少し」
俺は内心ほっとした。
余計なことを言わなかった。
そはらもすぐに笑って続ける。
「ユゥって昔から細かいところ真面目だったしね」
「そうそう。紫月って変なところ丁寧だよな」
またカードの補正が、都合よく隙間を埋めていた。
料理は、順調に進んだ。
野菜炒めは焦げていない。
味噌汁の出汁も、ちょうどいい。
卵焼きは、妙に整っていた。
角が揃っている。
断面も綺麗。
焼き色も均一。
俺たちの班だけ、料理というより提出物が完成していた。
先生が各班を回り始める。
小皿に少しずつ取り分けられた料理を見て、味を見て、簡単に評価していく。
やがて、先生が俺たちの班の前で止まった。
「紫月くんたちの班ですね」
「はい」
悠が真面目に返事をする。
そはらが小皿を差し出した。
先生はまず卵焼きを見た。
見る時間が長かった。
「……綺麗ですね」
「ありがとうございます」
先生は一口食べた。
それから、野菜炒めを少し食べる。
味噌汁も飲む。
「味は、とてもいいです。切り方も火加減も丁寧です」
悠の表情が少しだけ緩む。
「問題なし?」
先生は少し笑った。
「はい。問題ありません。ただ、少し整いすぎていて驚きました」
「整いすぎ」
「悪い意味ではありません。丁寧に作ったということです」
「丁寧」
悠は小さく頷いた。
評価が終わると、先生は次の班へ向かった。
俺たちは料理を分ける。
俺は卵焼きを一口食べた。
普通にうまい。
いや、普通に、というよりかなりうまい。
ただ、どこか整いすぎていた。
家庭料理というより、試験用の完成品みたいだった。
「うまい」
俺が言うと、悠は少しだけ目を瞬かせた。
「本当?」
「ああ」
「味覚評価、良好」
「だから言い方」
そはらがまた突っ込む。
悠は少しだけ笑った。
「おいしいってこと?」
「そう」
「そっか」
悠は自分でも卵焼きを少し食べた。
そして、小さく言った。
「おいしい」
「自分で作ったんだろ」
「うん」
悠は少しだけ困ったように笑った。
「でも、こういうのは初めてかもしれない」
その言葉に、俺もそはらも黙った。
空の上で作られた知識。
戦闘のための手順。
処理するための技能。
それらは、たぶん悠の中にある。
でも、自分で作ったものを食べて、おいしいと思うこと。
それは、きっと別のものだった。
その瞬間、授業終了のチャイムが鳴った。
四時間目が終わった。
家庭科室のあちこちから、できあがった料理を昼食用に並べる声が聞こえる。
俺たちの班も、皿を机に並べた。
英語では、普通の発音が分からなかった。
理科では、普通の仮定が分からなかった。
家庭科では、普通の加減が分からなかった。
それでも、悠は一つずつ覚えようとしていた。
普通にできないことを、普通にできるように。
嘘の記録の中で。
本物の日常を取り戻すために。
その矛盾を抱えたまま、悠は自分で作った卵焼きを、もう一度だけ見つめた。
昼休みになっていた。