「アッシュ! スピードが足りないぞ!」
「はいっ!」
ゴツン! ゴツン! と、激しく木剣がぶつかり合う音が朝の庭に響き渡る。
俺――アッシュ・リグレット、五歳。
現在、父親による地獄の剣術訓練の真っ最中である。
「もっと細かくステップを踏め! そんな動きじゃ、剣を振るたびに隙だらけになるぞ!」
そう怒鳴りながら、ガルドは容赦なく木剣を振り下ろしてきた。
(いやいやいや! 相手まだ五歳なんだけど!?)
頭では理解している。
ガルドの言っていることは正しい。
だが――体がついていかない。
俺は必死に木剣を構え、飛んでくる斬撃を受け流した。
ガルドは元Aランク冒険者。
このパビブ村では最強の剣士として有名らしい。
……本人が毎日のように自慢してくるので嫌でも覚えた。
だが、その実力は本物だ。
たった一年ほど訓練しただけの俺でも、父の剣技がどれほど凄まじいのか痛いほど理解できる。
速い。重い。そして鋭い。
(くそっ……!)
連続で打ち込まれる斬撃に耐えきれず、ついに俺の木剣が手から吹き飛んだ。
しまった――!
慌てて拾おうとした瞬間。
ピタリ、と。
ガルドの木剣が俺の喉元へ突きつけられる。
「よし、そこまでだ!」
訓練終了の声を上げたのは、後ろで見守っていた母・エレナだった。
「いやぁー! どんどん強くなってるなアッシュ! さすが俺の息子だ!」
さっきまで鬼みたいに打ち込んできたくせに、ガルドは満面の笑みで俺を抱き上げる。
(本当に強くなってるのか……? 一回も勝ててないんだけど)
五歳児が元Aランク冒険者に勝てるわけない。
そんなことはわかっている。
だが、それでも一発くらい入れたいと思ってしまうのが男の子というものだ。
「あなた、アッシュに才能があるのはわかるけど、少し厳しすぎるわよ」
エレナが呆れたようにため息をつく。
「ほら見て。擦り傷までできてるじゃない」
「そ、それはアッシュが転んだ――」
「「子供のせいにしない!」」
俺とエレナの声が綺麗に重なった。
ガルドが「えぇ……」とでも言いたげな顔をする。
その表情が妙に面白くて、俺とエレナは思わず吹き出してしまった。
「エレナはともかく、アッシュまで言うのかよ……」
「父さんが悪いんだから仕方ないでしょ」
「そうよ! しっかり反省しなさい!」
エレナはそう言うと、ぎゅっと俺を抱き寄せてきた。
柔らかい感触に顔が埋まる。
血の繋がった母親なので変な感情はないが、普通に安心する。
というか落ち着く。すごく。
異世界に転生して、五年。
最初は不安しかなかった。
見知らぬ世界。
赤ん坊の体。
そして前世の記憶。
樹を救えなかった後悔は、今でも胸の奥に焼き付いている。
だけど――。
ガルドとエレナは、そんな俺を惜しみなく愛してくれた。
だから今なら、素直に言える。
俺は、この家族が好きだ。
幸せだと、そう思える。
(……俺は幸せだよ、樹)
ふと、前世の親友の顔が脳裏をよぎる。
あの日からずっと消えない、後悔の象徴。
(でも――これじゃまだ駄目なんだ)
俺はまだ弱い。
まだ、誰かを守れるほど強くない。
だから。
(見ていてくれ、樹)
俺は木剣を握る手に、ぎゅっと力を込めた。
(今度こそ――俺は、大切なものを守れる人間になる)
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あれから一日が経ち、今日も朝の剣術訓練を終えた俺は、外出の準備を始めた。
この世界に来て五年。
毎日のルーティンはだいたい決まっている。
朝早く起きて顔を洗い、朝食を済ませた後はガルドとの剣術訓練。
昼食後はエレナから文字や算数を教わり、それが終わると俺は必ず外へ出る。
とはいえ、遠出をするわけじゃない。
俺は木剣を腰に差し、靴を履いて玄関のドアノブに手をかけた。
「行ってきます!」
「気をつけてな! 行ってらっしゃい!」
奥から聞こえるガルドとエレナの明るい声に、自然と笑みがこぼれる。
「よし、今日も行くか」
小さく呟き、俺は歩き出した。
家を出てしばらく進むと、広大な麦畑が視界いっぱいに広がる。
村のパン用の小麦を育てるための畑だ。
(いつ見ても広いな……)
風に揺れる黄金色の麦を眺めていると、前世で樹と自転車を走らせた田舎道を思い出す。
懐かしさに浸りながら、俺は住宅街へ向かった。
パビブ村の住宅街には、石と木材で造られた素朴な家々が並んでいる。
赤茶色の瓦屋根。未舗装の道。軒先に干された洗濯物。
鶏が道を歩き、子供たちの笑い声が響く。
井戸では女性たちが桶を下げて水を汲み、焼きたてのパンの香りが風に混ざっていた。
のどかで、温かい村の日常。
「おっ、ガルドの息子じゃねえか! アッシュ!」
「こんにちは、アッシュちゃん!」
「エレナにお礼を伝えておいておくれ!」
道行く村人たちが次々と声をかけてくれる。
(やっぱり、いい村だな……)
パビブ村は、アルミガルド王国西部辺境にある小さな村だ。
裕福ではない。
けれど人々は優しく、助け合いを大切にしている。
俺はこの村に転生できたことを、心から良かったと思っていた。
住宅街を抜けると、木々が生い茂る森の入口が見えてくる。
――パビブの森。
この森は、村の東側に広がる巨大な森林地帯だ。
家にあった歴史書には、こう記されていた。
『遥か昔、この地は荒野だった。
だが森の大精霊が緑を与え、木々を育て、獣を呼び寄せた。
それによって豊かな森が生まれ、人々が集い、やがてパビブ村が築かれた』
伝説の真偽はわからない。
だが、この森が村の暮らしを支えているのは確かだった。
俺がここへ来る理由も、いつも同じだ。
今日習った剣術の復習だ。
俺は腰から木剣を引き抜き、ガルドに教わった動きを一つ一つ思い出しながら剣を振り始めた。
最初はゆっくりと構えや体の動きを確認しながら。
次に少しずつ速度を上げる。
最後は実際に敵がいるかのようにイメージを膨らませ、全力で木剣を振るった。
木剣が空を切る鋭い風切り音が、森の中に何度も響き渡る。
足捌き、腰の回転、剣先の軌道、呼吸のタイミング——一つ一つを意識しながら、俺は何度も繰り返した。
汗が額を伝い、息が荒くなる。
五歳の身体はすぐ限界を訴える。
それでも、俺は止まらなかった。
(まだ足りない……)
ガルドに比べれば、遅い。弱い。未熟だ。
(こんなんじゃ、誰も守れない)
ガルドとエレナは俺を「才能がある」と言う。
けれど、俺自身はそんなふうに思えなかった。
才能がないから、人より努力するしかない。
だから誰にも見られない場所で、こうして毎日剣を振るう。
(もっと速く……もっと強く!)
どれだけ時間が経っただろう。
全身汗だくになった頃、ようやく俺は木剣を下ろした。
「はぁ……疲れた……」
木の根元に腰を下ろし、荒い息を整える。
歳を重ねるごとに型は増え、動きも複雑になる。
地味で、地道で、果てしない反復。
けれど、剣術とはそういうものなのだろう。
(魔装を覚えてからが本番、だったか)
魔装。
この世界特有の戦闘技術。
魔力を身体や武器に纏わせ、身体能力を飛躍的に高める力だ。
今の冒険者や兵士は、主にこの魔装を用いて戦うらしい。
(俺も、いずれ覚えないとな)
冗談半分で手を前に突き出す。
「火球《ファイアーボール》……なんてな」
当然、何も起きない。
返ってくるのは、木々を揺らす風の音だけだった。
(魔力って、どうやって扱うんだろうな……)
エレナは元Aランク冒険者の魔術師だ。
今度聞いてみよう。
そう考えながら立ち上がった、その時だった。
「おい!!」
遠くから怒鳴り声が聞こえた。
「……ん?」
声は森の奥から聞こえる。
荒々しい。子供の声だ。
(何かあったのか?)
胸の奥がざわつく。
俺は慎重に声のする方へ歩き始めた。
木々の陰に身を隠しながら近づくと、複数の声が聞こえてくる。
「ここから出てけ!」
「都会に帰れよ!」
その瞬間、嫌な予感がした。
木の陰からそっと覗く。
――そこには、白髪の少女がいた。
三人の少年に囲まれ、土を投げつけられている。
「余所者!」
「ブス!」
少女は腕で顔を庇いながら、ただ耐えていた。
(イジメだ……!)
助けなきゃ。
そう思った瞬間――俺の足が止まった。
震えていた。
「やめろ!」
その一言すら出てこない。
俺は知っている。
この感覚を。
前世で、樹がいじめられていた時と同じだった。
何もできなかった、あの時の俺。
(変わってない……)
異世界に来ても。
剣を振っても。
努力しても。
結局、俺は弱いままだった。
(動けよ……!)
足を掴んでも、震えは止まらない。
悔しくて、情けなくて、涙が滲む。
その時だった。
『前を向いて生きろ。
もっとたくさんの人のヒーローになってほしい』
樹の最後の言葉が、脳裏によみがえった。
(……そうだな、樹)
俺はずっと、お前を忘れられなかった。
けれど――
(お前を想いながら、前を向いて生きる)
そう決めた瞬間。
足の震えが、止まった。
俺は大きく息を吐く。
そして、走り出した。
少女の前へ飛び出し、木剣を抜く。
「何だお前!」
「邪魔すんな!」
少年たちが騒ぐ。
それでも俺は、一歩も引かなかった。
「これ以上この子をいじめるなら――俺は容赦しない」
声は少し震えていた。
だが、ちゃんと言えた。
少年たちは舌打ちすると、「覚えてろよ!」と捨て台詞を吐いて逃げていく。
静寂が戻る。
俺は振り返った。
「……もう大丈夫だ」
白髪の少女が、ゆっくり腕を下ろす。
銀白色の髪。
透き通るような白い肌。
そして、驚くほど整った顔立ち。
(泣いて……ない?)
よく見ると、服は汚れているが、顔に涙の跡はない。
怯えている様子も薄かった。
少女は無表情のまま、じっと俺を見つめてくる。
「あなたは?」
「俺はアッシュ。この村に住んでる」
少女は少し黙り込み、やがて小さく呟いた。
「……ありがとう」
感情の薄い声だった。
それでも、確かに礼を言っていた。
そして彼女は、真っ直ぐ俺を見つめながら尋ねる。
「ねえ、一つ聞いてもいい?」
「え? あ、ああ……」
「どうしてあなたは――そんなに辛そうな顔をしていたの?」
「…………は?」