「なんでリリシィがここにいるんだ……」
朝、妙な息苦しさで目を覚ますと——
「おはよう、アッシュ。」
目の前には、俺の上に馬乗りになっているリリシィの姿があった。
(……どういう状況だ、これは)
白い髪がふわりと揺れ、リリシィは無表情のまま俺を見下ろしている。
「エレナさんが、アッシュの部屋は二階だって教えてくれたから。
来てみたらアッシュが寝てたから、起こそうと思ったの。」
「いや、もっと前の話だ。
なんでリリシィが俺の家を知ってるんだよ。
あと、その起こし方は将来的に色々問題になるからやめろ。
というか、重いから降りてくれ。」
「……色々多いけど、女の子に『重い』は失礼だよ、アッシュ。」
「そこは悪かった。でも問題はそこじゃない。
なんで朝から俺の部屋にいるんだ?
ちゃんと説明してくれ。俺の頭が追いついてない。」
正直、もう十分パニックだった。
するとリリシィは悪びれもなく答えた。
「昨日、森を出たあとアッシュを尾行したの。
それで家を覚えた。」
「尾行!?」
思わず大声が出た。
「なんで尾行なんてしたんだよ!?
普通に聞いてくれれば教えたのに!後くるときはだな事前にアポを取ってもらわないと困るぞ。」
「アッシュの家、知りたかったから。」
リリシィは本当に当然のことのように言う。
「あと、一回家に帰って寝て、起きてから来た。」
「説明を足されても怖さが増しただけなんだが……。」
五歳児が自然に『尾行』なんて単語を使ってる時点で色々おかしい。
「あとアポって何?」
「事前に約束とか連絡をすることだよ。」
「なるほど。アッシュ、物知り。」
リリシィはぱちぱちと拍手した。
……なんか褒められてる気がしない。
俺は深いため息をついた。
「で、用ってなんだ?
あと、いつまで俺の上に乗ってるつもりなんだ……。」
「あっ、ごめん。」
リリシィは素直に謝ると、ようやく俺の上から降りた。
白い髪がふわりと揺れる。
身体が軽くなり、俺はようやく息を吐く。
「それで、用事って?」
「アッシュに剣術を教えてほしくて来た。」
「剣術を?」
「うん。」
リリシィは真っ直ぐ俺を見つめた。
「アッシュと一緒に強くなりたい。」
その無表情な顔には、はっきりとした意志が宿っていた。
「アッシュと一緒に強くなって、お互いを守れるようになりたい。
だから、私も剣術をやりたい。」
どうやら思いつきではなく、本気らしい。
俺が返事に迷っていると——
「いいぞ!」
突然、部屋の入り口から大声が飛んできた。
振り向くと、ガルドがニヤニヤしながら立っていた。
「父さん、いつからそこにいたんですか。」
「お前が起きた瞬間からずっとだぞ。」
「マジかよ……。」
全然気づかなかった。
「いやぁ、エレナから『アッシュに女の子が来てる』って聞いてな。
気になって見に来たんだよ。」
ガルドは楽しそうに笑っている。
「父さん、俺とリリシィはそういうんじゃないですからね?。
後まだ俺とリリシィ五歳ですし。」
「年齢なんて関係ねぇ!
父さんなんて、お前くらいの頃には幼馴染と結婚の約束までしてたぞ!」
「はいはい、そうですか……。
で、リリシィに剣術教える件、本気なんですか?」
「おい、父親の青春話を雑に流すな。」
ガルドは不満そうにしながらも笑った。
「でもまあ、本気でやりたいなら歓迎だ。
友達と一緒に鍛えた方が成長も早いからな。」
そう言ってガルドはリリシィを見る。
「リリシィちゃん、本当に剣術やりたいんだな?
剣術は痛ぇし、しんどいぞ?」
「大丈夫。私もアッシュと強くなりたいから。」
少し照れながらそう言うリリシィを見て、俺までなんだか照れてしまう。
するとガルドがさらにニヤニヤし始めた。
「想われてんなぁ〜、アッシュ。」
「父さん、その顔やめてください。普通に気持ち悪いです。」
「マジかよ……。」
ガルドが露骨にショックを受ける。
少し可哀想になって、俺は苦笑した。
「冗談ですよ。父さんはかっこいいです。」
「ほんとか!?」
一瞬で機嫌が直った。
(チョロいな、この人……)
「よし!
じゃあ今日からリリシィも一緒に鍛えるぞ!」
「「はい!」」
俺とリリシィが元気よく返事した——その時。
「ちょっと待ちなさい!」
鋭い声が部屋に響いた。
振り向くと、エプロン姿のエレナがフライ返し片手に仁王立ちしていた。
……目が笑っていない。
「朝ご飯も食べずに剣術?
リリシィちゃんも来たばかりでしょう?」
「お、お母さん……。」
「剣術の前にまず朝食!
ちゃんと食べてからにしなさい!」
「「「はい……」」」
俺、ガルド、リリシィの三人は揃って肩をすくめた。
そのまま素直に食卓へ向かう。
エレナはため息をつきながらも、温かいスープや焼きたてのパン、卵料理を並べてくれた。
「リリシィちゃん、朝早く来たんでしょう?
ちゃんと食べて、元気になってから頑張りなさい。
剣術は体が資本なんだから。」
「はい……ありがとうございます、エレナさん。」
リリシィも珍しく少し小さくなっている。
すると隣でガルドが小声で囁いた。
「……怖ぇな、お前の母ちゃん。」
「何言ってるんですか。父さんの奥さんでしょう。」
「聞こえてるわよ、二人とも?」
「「すみません!」」
朝から怒られはしたものの——
なんだか少しだけ、家の中がいつもより賑やかで温かく感じた。
---
「いいかリリシィ、ちゃんと見てろよー!」
ガルドが豪快に笑いながら木剣を構えた。
朝の陽光を浴び、その大きな体がいつも以上に頼もしく見える。
「剣術で大事なのは、まず正しい体の動かし方を覚えることだ。足の運び、腰の使い方、剣の振り方――全部繋がってるからな!」
そう言うとガルドは、力強く木剣を振った。
動きは大きいのに無駄がなく、風を切る音が庭に響く。
「リリシィ、最初は真似するだけでいい。難しく考えなくて大丈夫だ。」
「……わかった。」
リリシィは短く答え、小さな木剣を握った。
最初は流石にぎこちなかった。
だが、二回、三回と繰り返すうちに、目に見えて動きが変わっていく。
剣を振る軌道が綺麗になり、足運びのブレも減っていく。
腰の動きまで自然と連動し始めていた。
「おぉ……これは……」
ガルドが感心したように低く唸る。
さらにリリシィは集中したまま木剣を振り続けた。
白い髪がふわりと舞い、小さな体からは想像できないほど鋭い動きを見せている。
「どう?」
一通り動きを終えたリリシィが、こちらを見た。
「リリシィ……お前、才能ありすぎだろ。」
思わず本音が漏れた。
一度見ただけでここまで動きを再現できるなんて普通じゃない。
俺なんて最初は何度やっても足がもつれていたのに。
「一回見ただけでここまで吸収するとはな……すげぇ才能だ。」
ガルドも驚いている。
ガルドに褒められ、リリシィは無表情のまま小さく頭を下げた。
だが耳が少し赤くなっている。
その後も彼女は夢中になって木剣を振り続けた。
動きはどんどん洗練されていき、さっきまでのぎこちなさが嘘みたいに消えていく。
「ぼけっとしてられないぞアッシュ。このままだと、すぐ追い抜かれちまうぞ。」
「……そうですね。」
(1日でここまで来るなんて……俺を越すのも時間の問題かもしれないな。)
才能の差を見せつけられ、少しだけ落ち込む。
するとガルドが笑いながら俺の肩を叩いた。
「まぁ落ち込むな。強さってのは剣術だけじゃない。魔術や魔装だってあるんだからな。」
「確か魔装って、体とか武器に魔力を纏わせる術ですよね。」
「あぁ、そうだ。あと“固有属性”ってのもある。」
「固有属性?」
以前聞いた時には出てこなかった単語だ。
「あれ、言ってなかったっけ? まぁ簡単に言えば、“その人だけが使える属性”みたいなもんだ。」
ガルドはそう言いながら、自分の腕にうっすらと魔力を纏わせた。
「魔装は一人につき一属性しか扱えねぇ。例えば俺の場合は火属性だ。」
「魔術みたいに色んな属性は使えないんですか?」
「魔術なら色々使える。だが魔装は別だ。代わりに身体能力を強化したり、武器に属性を乗せたりできる。」
なるほど。
つまり魔術と魔装は似てるようで全然違うのか。
「じゃあ魔術にはメリットがないんですか?」
「いや、そんなことはねぇ。回復や生活用の術は魔術の方が便利だ。結局は使い分けだな。」
「なるほど……。」
俺が感心していると、横からじっとした視線を感じた。
「アッシュ達、リリシィを置いて面白そうな話してる。」
肩で息をしながら、リリシィが少し不満そうにこちらを見ていた。
「ごめんごめん、つい気になって。」
「魔装って強いの?」
「うまく使えれば、かなり強いらしい。」
「じゃあ私もやりたい。」
リリシィは即答した。
「アッシュが強くなるなら、私も強くなる。」
その言葉に、ガルドがなぜか急に目を逸らした。
「ははは……いやぁ、魔装かぁ……」
笑い方が妙にぎこちない。
「父さん、教えてくださいよ。」
俺が追撃すると、ガルドの額にじわっと汗が浮かんだ。
「え、えーっと……その……魔装ってのはな、感覚が大事で……」
「教えられないなら、素直にそう言いなさい。」
腕を組んだエレナが、呆れたように割って入ってきた。
「この人、剣術は本当に上手なんだけど、魔装と魔術を教えるのは致命的に下手なのよ。」
「お、おいエレナ!」
ガルドが慌てて抗議する。
「新人冒険者に教えて、三日で逃げられたの忘れたの?」
「うっ……!」
ガルドが言葉に詰まる。
さらにエレナは追撃をやめない。
「しかも別の人に教わったら、その子三日で使えるようになったのよね?」
「やめて! 俺の古傷を抉らないで!」
ガルドが頭を抱えた。
俺とリリシィは思わず顔を見合わせる。
しばらくして、ガルドは観念したように大きく息を吐いた。
「……わかった。俺が教えるより、先生を呼ぶ。」
「先生?」
「あぁ。昔、俺に魔装を教えてくれた人だ。今でも現役のS級冒険者でな。教え方もめちゃくちゃ上手い。」
「S級冒険者……?」
思わず聞き返す。
ガルドがA級冒険者なんだから、そのさらに上ってことだ。
前世の感覚で言えば、ほぼ頂点クラスじゃないか。
「よかったわね。」
エレナが微笑む。
「ガルドの先生、本当にすごい人なのよ。」
そんな凄い人が来るのか……。
「本当に来てくれるんですか?」
「まぁ……多分。」
「多分なんですね。」
「先生、自由人だからなぁ……。」
ガルドが遠い目をした。
その後、俺たちは再び剣術の練習に戻った。
……なぜかガルドの指導は、俺に対してだけ異様に厳しくなっていたけど。