贖罪を胸に、異世界で英雄となれ   作:東西南北!!

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第七話 はじめての戦い

パビブの森の朝は、澄み切った空気に満ちていた。

木々の隙間から差し込む陽光が地面をまだらに照らし、吹き抜ける風が若葉を揺らす。

そんな静寂を切り裂くように、乾いた衝突音が連続して響いていた。

 

カンッ――!

 

「はぁっ!!」

 

アッシュが鋭く踏み込む。

木剣に纏わせた黄緑色の魔力が風を巻き込み、横薙ぎの一撃が唸りを上げた。

だが。

 

「――遅い」

 

淡々とした声。

白髪の少女、リリシィ・ルミリンスは、最小限の動きで後退すると、水色の魔力を帯びた木剣でその一撃を受け流した。

ぶつかった瞬間、空気が凍りつく。

 

アッシュの腕が一瞬だけ鈍る。

 

(また冷気か……!)

 

舌打ちしそうになるのを堪えながら、アッシュは即座に距離を詰めた。

風属性による加速。

八歳とは思えない速度で死角へ回り込む。

 

しかし。

 

「そこ」

 

リリシィの声と同時に、地面が凍った。

 

「っ!?」

 

足元を覆う氷。

動きが止まる。

次の瞬間には、リリシィの木剣がアッシュの胸元へぴたりと突きつけられていた。

 

静寂。

 

やがてアッシュは肩の力を抜き、苦笑する。

 

「……俺の負けか」

 

少し離れた場所で見守っていたエリィが、小さく拍手した。

金色の髪を揺らしながら、彼女は満足そうに頷く。

 

「三年でここまで来るとはな。正直、想像以上だ」

 

その言葉に、アッシュは汗を拭いながら笑った。

 

「リリシィ、今日も強かったな。最後の氷、完全に読まれてた」

 

リリシィは無表情のまま、ほんの少しだけ口元を緩める。

 

「アッシュも速くなった。でもまだ力みすぎ。風は押し込むんじゃなくて、流す」

 

「……師匠みたいなこと言うなぁ」

 

「エリィ先生に教わった」

 

「そのまんまだな!?」

 

思わずツッコミを入れると、リリシィは小さく笑った。

その姿を見て、アッシュは少し目を細める。

 

三年前。

 

森で出会った頃のリリシィは、今よりもっと感情が薄かった。

だが今は違う。

笑うことも増えたし、冗談めいた返しをすることもある。

もちろん天然な部分は相変わらずだが。

 

(……少しずつ変わってきたんだな)

 

そんなことを考えていると、エリィが腕を組みながら口を開いた。

 

「二人とも、まだ攻守に穴がある、攻守両面で戦えるようになれ」

 

「はい!」

 

「……ん」

 

二人が返事をすると、エリィは満足そうに頷いた。

 

「今日はここまでだ。午後は自由にしていい。ただし――森の奥には行くな」

 

その言葉に、アッシュが首を傾げる。

 

「何かあったんですか?」

 

「最近、魔物の気配が強くなっている。村の近くまで下りてきている可能性がある」

 

少しだけ真剣な声音だった。

アッシュも表情を引き締める。

 

「わかりました」

 

「よし。じゃあ私はガルド達のところへ行ってくる。……くれぐれも迷子になるなよ?」

 

「子供扱いしすぎですって」

 

「八歳は十分子供だ」

 

エリィはそう言い残し、森の奥へ消えていった。

残されたアッシュとリリシィは、並んで森の出口へ歩き始める。

しばらく無言が続いた後。

 

「ねぇ、アッシュ」

 

「ん?」

 

「森の奥、行ってみない?」

 

アッシュはぴたりと足を止めた。

木漏れ日の下、リリシィの白髪が淡く輝く。

その瞳には、珍しく好奇心の色が宿っていた。

 

「いやいや、エリィ先生が危ないって言ってただろ」

 

「だから気になる」

 

「その理屈はおかしい」

 

「大丈夫。私たち、前より強くなった」

 

確かに――そうだった。

 

魔装も扱えるようになった。

 

普通の成人冒険者相手なら戦える、とエリィも言っていた。

だが同時に、不安もある。

 

訓練ばかりで、本物の命のやり取りを知らないまま、本当に強くなれるのか。

そんな焦りが、アッシュの中にもあった。

 

「……少しだけだぞ」

 

リリシィの目がわずかに輝く。

 

「うん」

 

「危なくなったら即撤退。それが条件だ」

 

「了解」

 

二人は森の奥へ足を踏み入れた。

奥へ進むにつれ、空気が変わっていく。

 

木々は深く生い茂り、陽光はほとんど届かない。

落ち葉を踏む音だけが静かに響く。

 

アッシュは木剣を握り直した。

 

風の魔力を薄く纏い、周囲の流れを探る。

異変があれば、すぐ察知できるように。

 

「静かだね」

 

「まぁ、基本的に魔物なんて滅多に出ない場所だし――」

 

その時だった。

 

ぞわり、と。

 

肌を撫でる空気が変わる。

鳥の鳴き声が消えた。

 

風が止まる。

アッシュの背筋に、冷たい悪寒が走った。

 

「……リリシィ、止まれ」

 

前へ出した腕で制する。

 

視線の先。

茂みが揺れた。

 

「グルルル……」

 

低い唸り声。

 

次の瞬間、巨大な影が飛び出した。

灰色の毛皮。

異様に発達した筋肉。

鋭い牙と爪。

成人男性の倍近い体躯。

 

「――オーク!?」

 

アッシュは即座に木剣を構えた。

 

黄緑色の風が剣身を包む。

隣ではリリシィも静かに魔力を解放していた。

水色の冷気が周囲の温度を奪っていく。

 

「リリシィ。わかってるな?」

 

「うん。一緒に倒す」

 

「違う。危なかったら逃げる、だ」

 

「……わかってる」

 

二人は並んで立つ。

そして。

生まれて初めて、本物の魔物と対峙した。

 

 

最初に動いたのは、オークだった。

 

「グルァァァァッ!!」

 

地面を揺らす咆哮。

巨大な体躯からは想像もできない速度で、オークがアッシュへ突進してくる。

振り上げられた剛腕。

 

その一撃だけで、人間の骨など簡単に砕けるだろう。

 

だが――

 

(見える!)

 

アッシュの瞳が鋭く細まる。

 

三年間。

毎日のようにエリィと模擬戦を繰り返した。

雷属性による超高速の動きに比べれば、目の前の攻撃はまだ遅い。

 

「『風歩(ふうほ)』」

 

足元に風を纏う。

 

瞬間、身体が軽くなった。

 

アッシュは横へ滑るように回避し、そのままオークの死角へ潜り込む。

 

(今だ!)

 

木剣へ風の魔力を集中。

 

圧縮された風が刃の形を成していく。

 

「『風刃(ふうじん)』!!」

 

鋭い一閃。

風を纏った木剣が、オークの脇腹へ叩き込まれる――はずだった。

 

「グルァ!」

 

「っ!?」

 

オークの口元が歪む。

次の瞬間、先ほどより遥かに速い拳がアッシュへ振り抜かれた。

 

(罠――!?)

 

咄嗟に身を捻る。

だが避けきれない。

 

直撃する――そう思った瞬間。

 

「『氷ノ鎖(アイシクルチェーン)』」

 

静かな声が響いた。

 

ジャキンッ!!

 

氷の鎖が地面から伸び、オークの身体へ巻きつく。

 

「グルル!?」

 

巨体が止まる。

鎖から放たれる冷気が、オークの動きを急速に鈍らせていく。

 

「アッシュ、今!」

 

その声より早く、アッシュは動いていた。

 

「助かった、リリシィ!」

 

『風歩』で一気に加速。

 

風を纏った木剣を、凍りついた首元へ叩き込む。

 

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 

風の刃が奔る。

 

次の瞬間。

 

ズドッ――と鈍い音が響いた。

 

オークの首が宙を舞う。

巨体がぐらりと揺れ、そのまま地面へ崩れ落ちた。

森が静まり返る。

 

「……勝った?」

 

アッシュが呟く。

数秒遅れて、全身から一気に力が抜けた。

 

「や、やった……!」

 

初めての実戦。

初めて倒した魔物。

アッシュは思わず拳を握り締めた。

 

「アッシュ、すごい」

 

リリシィが近づいてくる。

普段は感情の薄い彼女も、今は少し嬉しそうだった。

 

「いや、リリシィのおかげだ。あの鎖がなかったら危なかった」

 

「最初の攻撃、変だったから」

 

「気づいてたのか?」

 

「うん。わざと隙を見せてた」

 

アッシュは思わず感心する。

 

(すごいな……)

 

自分は完全に引っかかっていた。

 

だがリリシィは見抜いていたのだ。

 

「でもアッシュも、ちゃんと動いてた。かっこよかった」

 

「っ……そ、そうか?」

 

急に褒められ、アッシュは照れ臭そうに頬を掻く。

 

リリシィは小さく笑った。

 

その時だった。

 

「あ、そういえば」

 

アッシュが倒れたオークへ視線を向ける。

 

「魔石、回収しないと」

 

エリィから聞いたことがある。

 

魔物は頭部にある“魔石”を核として活動している。

首を落としても、魔石を破壊か取り除くかしない限り完全には死なない。

アッシュは警戒しながらオークへ近づいた。

 

額には、紫色の石が埋まっている。

 

「これか……」

 

木剣の先で引き抜く。

 

瞬間。

 

オークの身体がボロボロと崩れ始めた。

まるで灰になるように、巨体が崩壊していく。

 

「すご……」

 

リリシィが小さく呟く。

アッシュは魔石を握りしめながら立ち上がった。

 

「今日はこれで帰ろう。さすがに先生に怒られる」

 

「うん。たぶんすごく怒られる」

 

「否定しないんだな……」

 

苦笑しながら踵を返す。

 

――だが。

 

その瞬間だった。

 

ぞわり、と。

 

アッシュの全身を悪寒が貫いた。

 

「……っ!?」

 

空気が変わる。

風が乱れた。

森の奥から、何かが近づいてくる。

 

それも、さっきのオークとは比べ物にならないほど濃密で、不気味な気配。

 

「アッシュ?」

 

「……リリシィ、戦える準備を」

 

アッシュの声音が低くなる。

リリシィもすぐ異常を察した。

木剣を握り直し、冷気を纏う。

 

風が騒ぐ。

 

近づいてくる。

 

どんどん。

 

どんどん。

 

まるで“死”そのものが歩いてくるように。

 

そして――。

 

「なんだぁ? オレ様のオークの反応が消えたと思って来てみりゃ……」

 

茂みの奥から、男が現れた。

紫色の肌。

黒い角。

不気味に吊り上がった瞳。

口元には、獲物を見つけた肉食獣のような笑み。

 

その瞬間。

 

アッシュの背筋が凍りついた。

 

(なんだ……こいつ……!?)

 

圧力が違う。

存在感が違う。

近くにいるだけで、本能が悲鳴を上げていた。

 

逃げろ。

 

勝てない。

 

関わるな。

 

身体中が警告している。

 

「リリシィ!! 逃げるぞ!!」

 

アッシュは咄嗟に叫んだ。

 

「こいつは――魔人族だ!!」

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