帝国標準暦80年14月(中央共通暦270年14月)
冬は再び大地へ戻ってきていた。
だが、それはかつてのような静かな冬ではない。
空は常に黒煙で曇り、雪は砲煙と煤に汚れ、街路には瓦礫と死体が積み上がっている。
エルテア市。
クラムアン帝国東部における最大級の工業都市。
鉄道網。
兵器工場。
燃料備蓄基地。
そして東部戦線全体を支える補給中継点。
人民共和国軍による夏季大攻勢開始から数ヶ月。
帝国軍は後退に後退を重ね、今やエルテア市の七割近くが包囲されていた。
包囲する人民共和国軍は十五個師団。
対する帝国軍は、書類上では九個師団。
だが。
その実態は師団とは呼べないものだった。
半数以上が定数割れ。
一部連隊は実質大隊規模まで減少。
第323師団などに至っては、既に壊滅済みとすら囁かれていた。
それでも。
帝国中央は命じ続ける。
「死守せよ」と。
========エルテア市外縁部========
吹雪。
砲撃。
炎。
それらが途切れることなく続いていた。
崩壊した集合住宅跡へ、帝国軍兵士たちが身を潜めている。
かつて市民が暮らしていた建物は、今や壁も床も砕け、内部は即席陣地へ変貌していた。
「弾は!?」
「あと三箱です!」
「対戦車弾は!?」
「残り二発!」
怒号が飛ぶ。
若い兵士が凍える手で弾薬箱を開ける。
中身は湿気を帯びていた。
「……くそ。」
彼は小さく吐き捨てる。
補給は限界だった。
エルテア市へ繋がる鉄道線は、既に一本しか残されていない。
しかも。
その鉄道も人民共和国軍砲撃によって何度も寸断されていた。
それでも帝国軍は修復を続ける。
昼に破壊されれば夜に修復。
夜に破壊されれば朝までに修復。
鉄道工兵たちは、ほぼ不眠不休で線路を繋ぎ続けていた。
なぜなら。
あの線路が止まれば。
エルテア市は終わるからだ。
========エルテア中央駅地下指揮所========
地下空間には、重苦しい空気が漂っていた。
地図。
通信機。
砲撃音。
時折、天井から砂埃が落ちる。
帝国東部方面軍エルテア防衛司令官ヴァルメン大将は、沈黙したまま地図を睨んでいた。
彼の前には複数の参謀。
全員疲弊している。
「南西区画は。」
低い声。
参謀が答える。
「第17歩兵連隊が半壊。現在、親衛軍第8大隊が穴埋め中です。」
「北部工業区。」
「人民共和国軍第41機械化師団が突破を試みています。」
「止められるか。」
沈黙。
参謀は視線を逸らした。
「……難しいかと。」
ヴァルメン大将は小さく息を吐いた。
「なら止めろ。」
「閣下。」
「命令だ。」
冷たい声だった。
だが。
その場にいる全員が理解していた。
もはや勝利を目指しているのではない。
時間を稼いでいるのだと。
一日。
いや。
半日でも長く。
========市街地北部========
人民共和国軍戦車隊が前進していた。
TMA2。
TM1。
さらに鹵獲した帝国製T-3まで混じっている。
泥と雪を巻き上げながら、市街地へ侵入していく。
「前進を継続しろ!」
人民共和国軍将校が叫ぶ。
「敵はもう限界だ!」
兵士たちは瓦礫の中を進む。
だが。
次の瞬間。
ドォォン!!
爆炎。
先頭車両が吹き飛んだ。
「対戦車砲!」
建物上階。
崩壊しかけた劇場内部から、帝国軍対戦車班が砲撃していた。
「撃て!撃ち続けろ!」
帝国兵たちは狂気じみた勢いで砲撃を続ける。
人民共和国軍歩兵が突撃。
機関銃。
手榴弾。
火炎瓶。
瓦礫の奪い合い。
数メートル進むために数十人が死ぬ。
それがエルテアだった。
========人民共和国軍前線司令部========
「また足止めか。」
人民軍上級大将グラドネフは苛立たしげに煙草を握り潰した。
司令部内には大量の損害報告書。
「南部戦線。」
「第三突撃群、損耗率四割。」
「北部。」
「第22師団、戦車損失二十七両。」
「工業区。」
「進撃停止。」
グラドネフは舌打ちした。
エルテアは異常だった。
既に包囲は七割以上完成。
補給線も細い。
普通ならとっくに崩壊している。
だが帝国軍は戦い続ける。
いや。
戦うしかないのだ。
後退命令は存在しない。
投降も許されない。
親衛軍督戦部隊が後方に存在し、撤退兵をその場で銃殺しているとの報告すらあった。
「狂っている。」
グラドネフは低く呟く。
だが。
それは人民共和国軍も同じだった。
攻勢は既に限界へ近い。
兵士たちは疲弊し、冬季到来によって補給速度は低下。
燃料不足。
弾薬不足。
食料不足。
さらに。
市街戦そのものが、人民共和国軍に膨大な損害を強いていた。
「各師団へ通達。」
グラドネフは静かに言う。
「攻勢は継続。」
「しかし閣下、損害が。」
「継続だ。」
参謀は沈黙した。
グラドネフは理解していた。
この攻勢が止まれば。
人民共和国そのものが止まる。
国内では既に革命軍が拡大。
地方では暴動。
工場では生産低下。
人民委員長は、勝利だけを必要としていた。
そしてその勝利とは。
エルテア陥落だった。
========エルテア南部防衛線========
夜。
雪。
帝国軍兵士たちは廃墟化した地下鉄構内で暖を取っていた。
焚火。
缶詰。
血の臭い。
「なぁ。」
若い兵士が呟く。
「俺たち、本当に勝てるのか?」
誰も答えない。
沈黙。
やがて。
古参兵が笑った。
「勝つ必要なんざねぇ。」
「え?」
「相手より後に死ねばいい。」
乾いた笑い。
だが。
その場の誰も否定しなかった。
========帝国中央========
帝都。
軍中央会議室。
高級将校たちが地図を囲んでいた。
エルテア市。
赤線。
包囲。
損耗率。
「増援を送る。」
中央軍務局長が言う。
「どこからです?」
「西部予備兵力。」
「もう残っていません。」
「ならば南部方面軍。」
「南部の抑えですよ、動かすのは難しいかと。」
沈黙。
重苦しい空気。
だが。
それでも命令は変わらない。
「エルテアは保持する。」
「理由は。」
「失えば東部工業地帯全域が危険に晒される。」
さらに。
誰も口には出さなかったが。
エルテア陥落は政治的敗北を意味する。
帝国は今なお、“優勢”を装わねばならなかった。
========革命軍支配地域========
ダールフォは、無線報告を静かに聞いていた。
「エルテア攻防戦は継続中。」
「双方損耗激化。」
「帝国軍は追加戦力投入を継続。」
「人民共和国軍攻勢速度低下。」
報告を終えた通信兵が下がる。
ダールフォは窓の外を見た。
雪が降っている。
「……止まらんな。」
彼は小さく呟いた。
革命軍もまた拡大していた。
人民共和国からの離反者。
帝国占領地から逃れてきた難民。
地方民兵。
元工場労働者。
様々な人間が流れ込んでいる。
だが。
同時に問題も増えていた。
略奪。
報復。
内部対立。
革命という名の混沌。
「同志ダールフォ。」
参謀が近づく。
「エルテア方面への介入案ですが。」
「却下だ。」
即答だった。
「ですが、今なら。」
「今だからこそだ。」
ダールフォは静かに言う。
「今エルテアへ近づけば、帝国も人民共和国も我々を敵と見なす。」
「……。」
「連中はまだ戦争をしている。」
ダールフォの目は暗かった。
「だが、国家は確実に壊れ始めている。」
========エルテア北西部========
再び砲撃。
人民共和国軍が突撃してくる。
「前進!」
「塹壕を奪え!」
吹雪の中。
兵士たちが叫びながら走る。
だが。
帝国軍機関銃陣地が火を吹いた。
20mm機関銃。
12.7mm重機関銃。
人体が裂ける。
雪が赤く染まる。
それでも人民共和国軍は止まらない。
督戦部隊が後方にいるからだ。
退けば撃たれる。
進んでも死ぬ。
なら前へ進むしかない。
そして。
帝国軍もまた同じだった。
双方ともに逃げ場がない。
だから戦場は地獄になった。
========SHT-1投入========
エルテア中央工業区。
地鳴りが響く。
「来るぞ!」
帝国軍兵士たちが叫ぶ。
瓦礫の向こうから現れたのは。
SHT-1。
鋼鉄の怪物。
超重戦車。
吹雪を押し退けるように進む巨大車体。
115mm砲がゆっくり旋回する。
人民共和国軍兵士たちは息を呑んだ。
「またあれか……。」
恐怖。
絶望。
だが同時に。
既に対処法も生まれ始めていた。
「側面を狙え!」
「履帯を破壊しろ!」
「近づけ!」
人民共和国軍対戦車班が突撃する。
砲撃。
爆炎。
SHT-1は前進を続ける。
しかし。
次の瞬間。
轟音。
履帯が吹き飛んだ。
車体が傾く。
「止まった!」
人民共和国軍兵士たちが歓声を上げる。
超重戦車は強力だった。
だが。
泥濘。
瓦礫。
狭い市街地。
そこでは機動力不足が致命傷になる。
停止したSHT-1へ次々と砲撃が集中する。
副砲が火を吹く。
20mm機関銃が敵歩兵を薙ぎ払う。
それでも。
動けない。
「牽引車を呼べ!」
「無理です!」
「敵歩兵接近!」
火炎瓶。
爆薬。
煙。
超重戦車は、ゆっくりと炎に包まれていった。
========帝国軍内部========
「またSHT-1を失ったのか。」
ヴァルメン大将は報告書を睨む。
参謀が答える。
「はい。工業区にて行動不能後、放棄されました。」
「何両目だ。」
「本日で四両目です。」
沈黙。
SHT-1は確かに強力だった。
だが。
維持困難。
補給消費過大。
市街地不向き。
そして何より。
動けなくなれば巨大な標的だった。
「……怪物にも弱点はあるか。」
ヴァルメンは静かに呟いた。
========エルテア市民========
地下防空壕。
そこには未だ多くの市民が生き残っていた。
老人。
女。
子供。
皆、疲れ切っている。
「お母さん。」
小さな少女が呟く。
「いつ終わるの?」
母親は答えられない。
外では砲撃音。
地面が揺れる。
粉塵が落ちる。
誰も未来を信じられなかった。
========人民共和国軍総攻撃========
14月後半。
人民共和国軍は大規模総攻撃を開始した。
十五個師団による同時突撃。
砲撃。
突撃。
火炎放射。
戦車群。
エルテア全域が燃える。
帝国軍も応戦。
親衛軍。
陸軍。
予備兵。
工兵。
果ては鉄道職員まで武器を取った。
街そのものが戦場になっていた。
「死守しろ!!」
「後退は許可しない!!」
怒号。
悲鳴。
爆音。
そして。
雪。
白い雪が。
死体の上へ静かに降り積もっていく。
========帝国某所========
薄暗い部屋。
ラジオが流れている。
「エルテア攻防戦は激化――」
「人民共和国軍、包囲網縮小――」
「帝国軍、増援投入継続――」
その声を聞きながら。
一人の人物が、静かに地図を眺めていた。
赤線。
青線。
黒い印。
死者数。
補給線。
革命軍勢力圏。
全てが複雑に絡み合っている。
「ふふ……。」
小さな笑い。
「本当に、誰も止まれなくなったのね。」
その人物は椅子へ深く座る。
「帝国も。」
「人民共和国も。」
「革命軍も。」
「みーんな壊れながら戦ってる。」
楽しそうだった。
まるで。
戦争そのものを観察しているように。
「でも。」
窓の外を見る。
雪。
炎。
黒煙。
「そろそろ限界かしらねぇ。」
その言葉だけが。
静かな部屋の中へ溶けていった。