帝国標準暦81年1月(中央共通暦271年1月)
冬はなお終わらない。
だが。
それはもはや自然現象としての冬ではなかった。
国家そのものが凍り付き始めていた。
========東部戦線 エルテア市========
雪。
黒煙。
砲撃。
その全てが、既に日常になっていた。
エルテア市は未だ陥落していない。
人民共和国軍による十五個師団規模の包囲攻撃は続いている。
だが。
帝国軍もまた崩れなかった。
市街地は瓦礫の山となり、街路の殆どは砲撃で消失。
地下鉄。
下水道。
崩壊した地下倉庫。
今や都市全体が巨大な塹壕要塞へ変貌していた。
「……また夜襲か。」
帝国軍兵士が呟く。
遠くで銃声。
人民共和国軍突撃部隊が、吹雪へ紛れて接近している。
だが。
以前ほどの勢いはない。
人民共和国軍も疲弊していた。
冬季による補給低下。
燃料不足。
兵員損耗。
革命軍対応。
更に。
エルテア市街戦そのものが、人民共和国軍を徐々に削り続けていた。
攻めても。
攻めても。
帝国軍は崩れない。
ならば。
帝国側はどうか。
こちらもまた限界だった。
鉄道線は辛うじて一本維持されているのみ。
弾薬不足。
医薬品不足。
食糧不足。
そして何より。
人間が不足していた。
========帝国中央軍務省========
帝都。
中央軍務省地下会議室。
長机を囲む高級将校たちの顔は暗い。
地図上には東部戦線全域が広げられている。
赤線。
青線。
黒い損耗率記号。
エルテア市周辺は、まるで潰れた臓器のように線が重なっていた。
「エルテア方面の現状を。」
中央軍務総監が低く言う。
参謀が立ち上がった。
「現在、エルテア防衛軍総兵力は名目上九個師団。」
「実数は。」
「実戦能力を維持しているのは約四個師団相当です。」
沈黙。
別の参謀が続ける。
「人民共和国軍も損耗が激しく、現在実質的には八個師団程度の戦力と推定されます。」
「つまり。」
「双方とも、限界です。」
空気が重くなる。
だが。
そこで一人の将軍が口を開いた。
「だからこそ。」
視線が集まる。
「今、攻勢へ転じる。」
========作戦立案========
壁面地図へ、新たな赤線が描かれる。
北部。
中央。
南部。
東部戦線全域。
「作戦名は。」
「“冬の狐作戦”。」
参謀は続ける。
「東部戦線全域において同時反攻を実施。エルテア包囲網を破砕し、人民共和国軍主力を包囲殲滅する。」
ざわめき。
「可能なのか?」
「兵力が足りん。」
「補給も限界だ。」
当然の反応だった。
しかし。
参謀は淡々と続ける。
「北部方面軍より三個軍団抽出。」
「南部方面軍より二個軍団抽出。」
「さらに帝国西方軍区及び中央軍区で編成中だった新設軍団を投入。」
再び沈黙。
誰もが理解した。
これは賭けだ。
しかも。
国家規模の賭けだった。
北部方面軍。
南部方面軍。
本来は他国抑止のため配置されていた戦力。
それを引き抜く。
つまり。
帝国は他方面防衛を削ってでも東部戦線へ全てを賭けようとしていた。
「正気か?」
老将軍が呟く。
「もし失敗すれば。」
「東部戦線だけでは済まんぞ。」
だが。
中央軍務総監は静かに答えた。
「失敗しなければいい。」
========帝国北部方面軍========
極寒。
吹雪。
北部方面軍基地では、部隊移動が始まっていた。
戦車。
砲兵。
補給車列。
無数の列車が南東方向へ向かう。
「本当に東部へ行くのか。」
兵士が呟く。
「エルテアが落ちそうらしい。」
「だが北はどうする。」
「知らん。」
誰も全体像を理解していない。
だが。
兵士たちは感じていた。
何かが始まろうとしている。
========南部方面軍========
こちらでも同じだった。
戦力抽出。
部隊再編。
鉄道輸送。
軍需工場は昼夜を問わず稼働し続けている。
T-4。
LT-4。
SHT-1。
新型自走砲。
ありとあらゆる兵器が東部へ送られていく。
「東部はそんなに酷いのか?」
整備兵が尋ねる。
技術兵が苦笑した。
「酷いどころじゃない。」
「今の帝国そのものだ。」
========人民共和国側========
人民共和国首都ポーコ。
人民軍統合司令部。
グラドネフ上級大将は、机へ叩き付けられた報告書を睨んでいた。
「帝国軍増援?」
「はい。」
「規模は。」
「不明。ただし大規模鉄道移動が複数確認されています。」
グラドネフは顔をしかめた。
「エルテアへ全力投入する気か。」
副官が静かに頷く。
「恐らく。」
人民共和国軍もまた限界だった。
エルテア攻囲軍は疲弊。
後方では革命軍が拡大。
工業生産は低下。
さらに冬季による補給停滞。
それでも。
人民委員長は攻勢継続を命じていた。
「エルテアを落とせ。」
その一点のみ。
なぜなら。
今更止まれないからだ。
========人民委員長官邸========
「帝国は崩壊寸前だ。」
人民委員長は演説のように語る。
側近たちは黙って聞いている。
「エルテアを陥落させれば、東部工業地帯は崩れる。」
「そうなれば革命軍など問題ではない。」
「人民は再び勝利を信じる。」
だが。
その目の奥には焦りがあった。
革命軍は拡大し続けている。
地方守備隊は離反。
鉄道破壊。
工場暴動。
そして何より。
軍内部ですら忠誠が揺らぎ始めていた。
「……だからこそ。」
人民委員長は低く呟く。
「勝たねばならん。」
========革命軍支配地域========
革命軍司令部。
ダールフォは地図を見つめていた。
「帝国軍が動いている。」
参謀が言う。
「大規模反攻準備と見られます。」
「人民共和国側は。」
「エルテアへ戦力を集中したままです。」
ダールフォは無言になる。
そして。
静かに呟いた。
「……始まるな。」
革命軍は既に、戦争そのものを外側から見る立場になりつつあった。
帝国。
人民共和国。
双方とも国家総力戦状態。
互いに止まれない。
だから。
どちらかが折れるまで続く。
「同志ダールフォ。」
若い将校が尋ねる。
「我々はどう動くべきでしょう。」
ダールフォは少し考えた後、答えた。
「今は動かん。」
「ですが。」
「今、我々が前へ出れば。」
彼は地図上の両軍戦線を指差した。
「帝国も人民共和国も、一時的に手を組む可能性すらある。」
参謀たちは沈黙した。
あり得ない話ではなかった。
今や革命軍は、双方にとって都合の悪い存在へ成長し始めていたからだ。
========エルテア市========
夜。
吹雪。
帝国軍兵士たちは瓦礫の中で暖を取っていた。
「聞いたか。」
「何を。」
「増援が来るらしい。」
若い兵士が笑う。
「また噂か。」
「いや、本当だ。北と南から大量に来てるらしい。」
「へぇ。」
だが。
誰も大きく喜ばない。
既に兵士たちは知っている。
増援とは。
つまり。
さらに戦争が続くという意味だと。
========鉄道線========
エルテアへ向かう最後の鉄道線。
そこでは昼夜問わず修復作業が続いていた。
爆撃。
砲撃。
破壊。
修復。
また破壊。
工兵たちは、もはや機械のように働いていた。
「急げ!」
「次の列車が来るぞ!」
吹雪の中。
蒸気機関車がゆっくり現れる。
車両には兵士。
弾薬。
食糧。
そして。
新型戦車。
T-4。
さらにSHT-1。
帝国は、まだ諦めていなかった。
========冬の狐========
帝国中央軍務省。
最終作戦会議。
地図上へ無数の矢印が描かれていく。
北部突破。
中央反撃。
南部包囲。
エルテア救援。
全戦線同時反攻。
「作戦開始予定日は。」
「81年2月3日。」
「各軍への通達は。」
「既に。」
沈黙。
誰もが理解していた。
この作戦は。
帝国に残された最後の“攻勢”になるかもしれない。
========人民共和国軍前線========
人民共和国軍兵士たちは、塹壕の中で凍えていた。
「最近、帝国軍の動きが変じゃないか。」
「どういう意味だ。」
「妙に静かだ。」
それは事実だった。
局地反撃は続いている。
だが。
どこか不自然に落ち着いている。
まるで。
何かを溜め込んでいるような静けさ。
「嫌な感じがする。」
古参兵が呟く。
「こういう静けさの後は、大抵ロクな事が起きねぇ。」
========帝国某所========
薄暗い部屋。
ラジオから軍事放送が流れている。
「東部戦線への追加輸送継続――」
「エルテア防衛線維持――」
「帝国軍大規模再編成――」
その声を聞きながら。
一人の人物が楽しそうに笑っていた。
机の上には地図。
無数の赤線。
青線。
移動矢印。
「ふふっ……。」
小さな笑い。
「ついに全部突っ込む気になったのね。」
北部方面軍。
南部方面軍。
中央新編軍団。
帝国は、あらゆる余力を東部へ投入し始めていた。
「でも。」
その人物は、指で地図をなぞる。
「これって成功しても失敗しても面白いのよねぇ。」
成功すれば。
人民共和国軍は大打撃。
失敗すれば。
帝国そのものが空洞化する。
「どっちに転んでも壊れる。」
くすくすと笑う。
「ほんと、人間って極限まで追い詰めると面白い。」
窓の外では雪が降っている。
白い雪。
だが。
その下では。
無数の死体と鉄が凍り付いていた。
そして。
冬の狐は、静かに牙を研いでいた。