綴られる歴史 リメイク版   作:ユクリパ

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第2話 ”陸軍元帥の策謀”

― 帝国標準暦78年14月7日 ―

 

 

 

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クラムアン帝国 東部地域国境線

第323師団 前線駐屯地

 

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空は白かった。

 

どこまでも灰色に濁った冬空の下、吹き荒れる粉雪が大地を覆い、国境地帯一帯を白銀色へ塗り潰している。

 

帝国東部国境。

 

中央大陸北部から吹き下ろす寒気は、この時期になると容赦なく帝国側前線を凍らせる。

 

積雪は既に膝近く。

 

気温は氷点下三十度近くにまで低下しており、露出した皮膚は数分で感覚を失う。

 

それでも前線は動いていた。

 

蒸気を噴き上げる軍用トラック。

 

補給物資を積んだ橇。

 

鉄条網補修を行う工兵隊。

 

塹壕内で凍結した銃器を整備する歩兵。

 

帝国軍第323師団は、“冬季大演習”の名目で大規模展開を続けていた。

 

だが、前線兵士たちの間では既に奇妙な噂が広がっていた。

 

 

 

演習にしては、物資量が異常すぎる。

 

砲弾。

 

重機関銃弾。

 

燃料。

 

野戦食。

 

冬季被服。

 

予備砲身。

 

鉄道工兵資材。

 

さらには血漿保存箱まで。

 

 

 

それはどう見ても、“長期戦争準備”の輸送量だった。

 

 

 

「ったく……なんだってこんなクソ寒ぃ時に、わざわざ演習なんざやるんかねぇ!」

 

 

 

兵舎脇の装備置き場で、一人の若い兵士が毒づいた。

 

 

 

名はアルヴェス二等兵。

 

十八歳。

 

帝国西部農村地帯出身。

 

徴兵されてまだ半年も経っていない新兵だった。

 

 

 

彼は鼻を赤くしながら、小銃の遊底部分へ凍結防止油を塗り込んでいる。

 

だが手袋を外しているせいで、既に指先は真っ赤になっていた。

 

 

 

「手ぇの感覚ねぇよ……畜生……」

 

帝国軍制式小銃 57年式連発機構搭載型歩兵銃は信頼性こそ高いが、極寒下では潤滑油管理を誤ると作動不良を起こす。

 

そのため前線兵は、毎日のように銃の整備を強いられていた。

 

 

 

その隣で、同じように装備点検をしていた年配兵が苦笑する。

 

 

 

「まぁまぁ。怒ったって演習が無くなるわけじゃあるまい」

 

 

 

年配兵――ガレス一等兵。

 

三十六歳。

 

北部出身。

 

既婚。

 

兵役歴十五年。

 

帝国北部国境や中央部紛争地帯も経験した古参兵だった。

 

彼は慣れた手つきで銃を分解しながら続ける。

 

「とっとと点検終わらせて朝飯行った方がいい。今日は乾燥肉スープが出るらしいぞ」

 

「……また豆入りの薄い汁じゃねぇのか?」

 

「はは、違いない」

 

ガレスは笑った。

 

その笑い方には妙な安心感があった。

 

だがアルヴェスは不満そうに雪へ唾を吐く。

 

「まったく……これだから上にハイハイ言うだけのおっさんは嫌なんだよ」

 

「おいおい」

 

「自主性ってもんがねぇのかよ。演習演習って、絶対なんか隠してんだろ上は」

 

そこまで言った瞬間だった。

 

「――貴様ァ!!」

 

怒声が飛ぶ。

 

二人が振り返ると、そこには巡回中の将校が立っていた。

 

第4中隊所属。

 

フェルナー少尉。

 

二十代後半。

 

士官学校出身。

 

痩せた顔に神経質そうな眼。

 

そして、腰には帝国軍特有の鋼鉄製懲罰棒が吊られている。

 

「上層部への不平! 先任兵への侮辱! 何たる腑抜けた精神だ!」

 

少尉は雪を踏み鳴らしながら近寄ってきた。

 

「た、ただの愚痴で――」

 

「歯ァ食いしばれ!!」

 

言うが早いか。

 

懲罰棒がアルヴェスの脇腹へ叩き込まれた。

 

「ぐぁッ!!」

 

鈍い音。

 

分厚い冬季軍服越しでも、衝撃は凄まじい。

 

「貴様のような軟弱者が帝国軍を腐らせるのだ!」

 

二撃。

 

三撃。

 

アルヴェスは雪の上へ膝をついた。

 

周囲の兵士たちは視線を逸らす。

 

誰も止めない。

 

止められない。

 

帝国軍では、こうした“教育的指導”は珍しくなかった。

 

特に東部軍管区では規律維持が過剰なほど重視されていた。

 

そこへ。

 

「少尉殿……!」

 

ガレス一等兵が前へ出た。

 

「どうかそこまでにしてやってください。彼は田舎から出てきたばかりで、まだ物を知らんのです」

 

少尉は鋭く睨む。

 

「後は私がよく言って聞かせます。どうか――」

 

 

「ならん!!」

 

少尉は怒鳴った。

 

「貴様も止めぬのが悪い! 連帯責任だ!」

 

その瞬間。

 

今度は懲罰棒がガレスへ振り下ろされた。

 

だがガレスは微動だにしない。

 

まるで鋼鉄の杭のように直立したまま、黙って殴打を受け続ける。

 

アルヴェスは目を見開いた。

 

「おっちゃん……!」

 

「姿勢を崩すなァ!!」

 

少尉は怒声を浴びせながら打撃を続ける。

 

五分。

 

いや、十分近かったかもしれない。

 

ようやく満足したのか、少尉は肩で息をしながら懲罰棒を下ろした。

 

「……うむ。これで多少は根性が改善しただろう」

 

鼻を鳴らし。

 

「作業へ戻ってヨシ!」

 

そう言い残し、再び巡回へ去っていった。

 

残されたのは。

 

雪の上へへたり込むアルヴェスと。

 

真っ直ぐ立ち続けるガレスだけだった。

 

アルヴェスは痛みに顔を歪めながら、かすれ声で言う。

 

「……なんで、おっちゃんが俺を庇ったんだよ」

 

雪が静かに降る。

 

「あんな馬鹿にしてたのに……」

 

するとガレスは、ぽかんとした顔をした。

 

「なんでって……」

 

そして。

 

「仲間がやられてたら助けるのが仲間だろ?」

 

そう言って笑った。

 

屈託のない笑顔だった。

 

その瞬間。

 

アルヴェスは数秒固まり――。

 

突然吹き出した。

 

「アハハハハッ!!」

 

笑いが止まらない。

 

「そうか……そうだよな! 仲間だもんな!」

 

ガレスもつられて笑う。

 

「若いなぁ。私も昔はあんな感じだったぞ」

 

「嘘つけよ!」

 

「本当だ。昔の先任によく殴られた」

 

二人が笑っていた、その時。

 

遠くからラッパ音が響いた。

 

「――朝食配給開始!」

 

二人は凍りつく。

 

そして同時に腕時計を見る。

 

「「やばい(まずい)!!」」

 

帝国軍の食事配給は時間厳守。

 

遅れれば碌に食えない。

 

「急がねぇとスープなくなる!!」

 

「走れ走れ!!」

 

二人は雪を蹴りながら兵舎方面へ駆けていった。

 

だが。

 

彼らはまだ知らない。

 

この平凡な朝が。

 

人生最後の“日常”になるかもしれないことを。

 

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――帝国領域内 某所

 

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薄暗い部屋だった。

 

暖炉の火だけが揺れている。

 

窓の外は吹雪。

 

その部屋の中央で、一人の男が静かに地図を眺めていた。

 

東部国境。

 

鉄道網。

 

兵站線。

 

展開中部隊。

 

全てが赤鉛筆で書き込まれている。

 

「……彼らは、これから忙しくなるのでしょうね」

 

男は静かに呟く。

 

「ですが、今はまだ何も知らぬ」

 

その声は穏やかだった。

 

「知る必要もありません。兵とは、命じられた時に進めば良いのですから」

 

暖炉の火が揺れる。

 

男の顔は暗闇に隠れて見えない。

 

だが机の上には、一枚の軍帽が置かれていた。

 

帝国軍元帥帽。

 

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第323師団 前線指令所

 

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木造小屋の中では、石炭ストーブが赤く燃えていた。

 

それでも室温は低い。

 

第323師団所属。

 

クロード少佐は、机に積まれた書類へ目を通していた。

 

動員表。

 

補給計画。

 

鉄道輸送予定。

 

砲兵弾薬消費予測。

 

どれも“演習”にしては異常な量だった。

 

その時。

 

コンコン。

 

扉を叩く音。

 

「うむ、入れ」

 

返答と同時に扉が開く。

 

入室してきたのは、先ほどのフェルナー少尉だった。

 

「はっ! 定時報告であります!」

 

少尉は完璧な敬礼を行う。

 

「我が隊、各員準備完了。現在朝食中であります」

 

クロード少佐は黙って聞く。

 

「なお、第4班兵士二名が上層部批判を行っていたため、教育的指導を実施いたしました!」

 

少佐は眼鏡越しに少尉を見る。

 

「……そうか」

 

短い返答。

 

だが少尉は、そこで言葉を詰まらせた。

 

「その……少佐」

 

「何だね」

 

「演習ですが……」

 

少尉は視線を泳がせる。

 

「演習に、これほどの冬季物資や実弾が必要なのでしょうか……?」

 

部屋の空気が止まる。

 

ストーブの火だけが揺れた。

 

少佐は無言のまま眼鏡位置を直し、机上の書類をめくる。

 

そこには少尉本人の経歴資料が挟まっていた。

 

士官学校成績。

 

思想傾向。

 

上官評価。

 

家族構成。

 

全て。

 

「……私も知らん」

 

少佐は淡々と言った。

 

「そして、君が知る必要もない」

 

少尉の顔色が変わる。

 

「君には君の任務がある。私には私の任務がある」

 

少佐は静かに続けた。

 

「割り当てられた職務を果たす。それだけで良いと思うが……違うかね?」

 

その言葉には、奇妙な圧力があった。

 

少尉は一瞬で青ざめる。

 

「い、いいえ!! 私も少佐と同意見であります!!」

 

声が裏返る。

 

「直ちに任務へ復帰いたします!! 失礼しました!!」

 

彼は硬直した動きで敬礼し、小屋を退出した。

 

外へ出た瞬間。

 

冷気と共に、全身から汗が噴き出す。

 

「……っ」

 

少尉は震えていた。

 

まるで、自分が何か“踏み越えてはいけない線”へ触れてしまったかのように。

 

その背を見送りながら。

 

クロード少佐は静かに書類へペンを走らせる。

 

《精神状態:不安定傾向あり》

《監視継続》

 

さらさらと書き込み。

 

判を押し。

 

書類を分厚いファイルへ収納した。

 

 

 

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東部地域 エルテア第26停車場

 

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駅は混乱していた。

 

蒸気機関車の汽笛。

 

作業員の怒号。

 

石炭の臭い。

 

巨大貨物倉庫では、大量の軍需物資が仕分けされている。

 

砲弾木箱。

 

医療物資。

 

燃料ドラム缶。

 

凍結防止剤。

 

野戦電話線。

 

「23日までに前線送りはこっちだ!」

 

「20日分書類は第二貨車へ!」

 

「積載記録ミスるなよ!!」

 

監督官が怒鳴り散らしていた。

 

既にこの駅だけで、通常月の三倍近い軍需物資が通過している。

 

だが中央から正式説明は一切無い。

 

その時だった。

 

突如、駅構内放送が鳴り響く。

 

『――帝都発、東部大管区第2管区エルテア市行き、第264号装甲列車が、本日帝国標準時16時00分ジャストに到着予定――』

 

監督官の顔が凍る。

 

「……は?」

 

腕時計を見る。

 

到着まで二十五分。

 

「聞いてねぇぞそんな話ァ!!」

 

周囲の作業員もざわめいた。

 

装甲列車。

 

それは単なる輸送列車ではない。

 

武装した移動要塞であり、優先補給対象。

 

帝国軍が装甲列車を動かす時は、ほぼ確実に何かが起きる。

 

監督官は怒鳴った。

 

「全員聞いたな!! 燃料庫開けろ!! 給水塔満水急げ!!」

 

作業員たちは慌てて走り出した。

 

そして時は少し遡る。

 

当の第264号装甲列車内部。

 

重装甲に覆われた列車は、雪原を轟音と共に疾走していた。

 

黒煙。

 

蒸気。

 

鋼鉄の軋み。

 

列車側面には帝国軍紋章。

 

さらに砲塔まで搭載されている。

 

「こちら帝都発第264号装甲列車。エルテア鉄道指揮所応答願います」

 

通信手が繰り返す。

 

だが返答は無い。

 

雑音だけ。

 

「……応答なしです」

 

通信手の声に不安が混じる。

 

車長は無言で観測ハッチを開けた。

 

吹雪が流れ込む。

 

双眼鏡で前方線路を確認する。

 

異常なし。

 

だが。

 

「……燃料と物資は補給せねばならん」

 

車長は静かにハッチを閉じた。

 

「通信手。次停車場へ連絡」

 

「了解!」

 

通信手は再び送信を開始する。

 

「こちら第264号装甲列車! 第26停車場応答願います!」

 

数回繰り返した後。

 

ようやく雑音混じりの返答が入った。

 

『……こちら……第26停車場……』

 

通信手の顔が明るくなる。

 

「こちら第264号装甲列車! 当列車は三十分後到着予定! 至急、燃料及び物資補給準備を要求する!」

 

列車はなおも雪原を走る。

 

その貨車の奥深くには。

 

分厚い防水布に覆われた大量の木箱が積み込まれていた。

 

箱には、黒い文字。

 

《東部特別配備物資》

《最高機密》

 

そして。

 

その輸送記録には、通常兵站には存在しない印章が押されていた。

 

――帝国軍統合参謀本部直属。

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