綴られる歴史 リメイク版   作:ユクリパ

8 / 15
第8話”ダールフォの反乱”

帝国標準暦79年1月14日(中央共通暦269年1月14日)

 

人民共和国西部辺境地帯。

 

冬はなおも終わる気配を見せていなかった。

 

空は灰色の雲に覆われ、吹き荒れる雪風が大地を削るように流れていく。街道は完全に雪に埋まり、かつて物流の大動脈として栄えた道路標識すら半ば凍り付き、白い地獄の中へ沈み込んでいた。

 

そんな吹雪の中を、一台の軍用トラックがライトを消したまま慎重に進んでいた。

 

エンジン音は低く抑えられ、タイヤチェーンが雪を噛む鈍い音だけが周囲に響く。

 

運転席の兵士は何度も前方を確認していた。

 

視界は最悪だった。

 

吹雪によって数十メートル先すら見えない。

 

もし道を外れれば、そのまま谷へ落ちる可能性もある。

 

だが、それでも進まなければならなかった。

 

荷台には十数名の男たちが身を寄せ合うように座っている。

 

全員が人民軍の軍服を着ていた。

 

しかしその顔に浮かぶ表情は、勇ましい兵士のものではない。

 

疲労。

 

疑念。

 

怒り。

 

恐怖。

 

それらが複雑に混ざり合い、全員の目の奥を濁らせていた。

 

彼らは敗残兵ではない。

 

脱走兵でもない。

 

処刑されるはずだった者たちだ。

 

「……あとどれくらいだ。」

 

荷台の隅で毛布を被っていた男が低く問いかける。

 

副官格らしき若い将校が助手席側の小窓を開け、後ろへ振り返った。

 

「あと十五分ほどです、同志大将。」

 

その言葉に、毛布の下の男――元人民共和国軍大将ダールフォは静かに息を吐いた。

 

吐息は白く凍り付き、すぐに闇へ溶けていく。

 

彼は数週間前まで、西部戦線司令官だった。

 

人民共和国軍でも有数の実戦派将校として知られ、人民委員長からも厚い信任を受けていた。

 

少なくとも、表向きは。

 

だが今の彼は国家反逆罪容疑者であり、人民法廷への出頭を命じられた粛清対象である。

 

罪状は「国家資源浪費」「無謀な作戦指揮」「人民生命の軽視」。

 

実際の理由はもっと単純だった。

 

前線で損害を出したからだ。

 

それだけだった。

 

「……未だに現実感が無いな。」

 

ダールフォはぽつりと呟いた。

 

「まさか、あの地下監房から生きて出られるとは。」

 

隣に座る副官が乾いた笑みを浮かべた。

 

「我々も同じです。」

 

「送り主はまだ分からんのか。」

 

「はい。全く。」

 

ダールフォは再び沈黙した。

 

人民法廷地下第三区画。

 

そこは共和国高官専用の特別監房だった。

 

政治犯や粛清対象となった高級将校が収監される場所であり、一度入れば生きて出られないことで有名だった。

 

監視兵は二重配置。

 

通路には機関銃座。

 

扉は三重ロック。

 

更には毎日警備編成が変更される。

 

常識的に考えれば脱出など不可能。

 

だが。

 

処刑前夜。

 

地下監房の照明が突如消失。

 

警備兵の一部が何故か持ち場を離れ。

 

施錠されていたはずの鉄格子が開いていた。

 

しかも通路には軍服と武器まで用意されていた。

 

それだけではない。

 

脱出経路。

 

地下排水路の構造図。

 

巡回時間。

 

監視塔の死角。

 

全てが正確だった。

 

あまりにも出来すぎていた。

 

「……誰かが最初から逃がすために動いていた。」

 

ダールフォは低く呟く。

 

副官は黙って頷いた。

 

「帝国か。」

 

「可能性は高いかと。」

 

「敵国の将軍を救出して何になる。」

 

「分かりません。」

 

「……。」

 

ダールフォは目を閉じた。

 

現在も国境では戦争が続いている。

 

雪原では毎日何千人もの兵士が死んでいた。

 

砲撃。

 

飢餓。

 

凍死。

 

戦病死。

 

その全てが人民の名の下に正当化されていた。

 

だが、ダールフォは知っている。

 

人民委員長は既に正常ではない。

 

前線で損害が出れば将校を処刑。

 

補給遅延で管理官を処刑。

 

撤退した指揮官を臆病罪。

 

命令違反なら反人民罪。

 

最近では戦果を挙げた者ですら粛清対象になり始めていた。

 

軍内部は完全に疑心暗鬼へ陥っている。

 

「……あの国は狂っている。」

 

ダールフォが呟くと、荷台の誰も反論しなかった。

 

その時だった。

 

トラックが急停止する。

 

全員が反射的に銃へ手を掛けた。

 

吹雪の音だけが耳を打つ。

 

運転席から低い声。

 

「前方に人影。」

 

兵士たちは安全装置を外した。

 

数秒後。

 

白い吹雪の中から、小さなランタンの灯りが現れた。

 

厚い外套を纏った男がゆっくり歩いてくる。

 

顔の半分はマフラーで隠されていた。

 

男はトラックの前へ立つと、小声で言った。

 

「……白鳥は東へ飛ぶ。」

 

副官が即座に返す。

 

「だが北風は翼を凍らせる。」

 

男は小さく頷いた。

 

「確認した。ついて来い。」

 

トラックは再び動き始めた。

 

十分後。

 

彼らは放棄された鉱山施設へ到着した。

 

外見は完全な廃墟だった。

 

だが内部には灯火がある。

 

煙突からは薄く煙が上がっていた。

 

中へ入った瞬間、ダールフォは目を細める。

 

そこには普通ではない者たちがいた。

 

軍人。

 

技術者。

 

元官僚。

 

武器商人らしき男。

 

そして。

 

帝国製軍装を着た者。

 

「……なるほど。」

 

ダールフォは低く呟く。

 

「これは随分と大掛かりだ。」

 

その言葉に、一人の痩せた男が前へ出た。

 

三十代半ばほど。

 

丸眼鏡。

 

神経質そうな顔。

 

だが、その目だけは異様に冷静だった。

 

「お初にお目にかかります、同志ダールフォ大将。」

 

「同志ではない。」

 

ダールフォは即座に訂正した。

 

男は少し笑う。

 

「では、ダールフォ元大将。」

 

「貴様は?」

 

「仲介人です。」

 

「帝国のか?」

 

「さぁ。」

 

否定しない。

 

それだけで十分だった。

 

ダールフォは周囲を見回す。

 

木箱。

 

弾薬。

 

通信機材。

 

燃料缶。

 

そして、シートに覆われた数両の車両。

 

そのシルエットを見た瞬間、彼の眉が動いた。

 

「……T-5か?」

 

帝国軍最新鋭中戦車。

 

東部戦線でも数が少ない新型。

 

それが何故ここにある。

 

「支援物資です。」

 

「誰の。」

 

「貴方の革命の。」

 

空気が凍り付いた。

 

周囲の兵士たちが僅かに身構える。

 

ダールフォは男を睨みつけた。

 

「革命だと?」

 

「現在の人民共和国は既に人民の国家ではありません。」

 

男は静かに言う。

 

「恐怖によって維持されているだけです。」

 

「……。」

 

「工場では生産未達で処刑。農村では徴発による飢餓。軍では粛清。国家保安局は互いを監視し合い、中央政府は崩壊寸前です。」

 

男は机へ数枚の書類を置いた。

 

ダールフォはそれを手に取る。

 

そこには部隊名と将校名が並んでいた。

 

人民軍第12師団。

 

第23師団。

 

第41機械化旅団。

 

更には補給局、鉄道局、通信局の内部協力者まで記載されている。

 

「……何だこれは。」

 

「現在、貴方への合流を予定している者たちです。」

 

「こんな人数が?」

 

「はい。」

 

男は淡々と続ける。

 

「人民軍内部の不満は、貴方が考えている以上に深刻です。」

 

ダールフォは紙を握り締めた。

 

指先に力が入る。

 

「……もし断れば?」

 

男は少しだけ笑った。

 

「その場合、貴方は雪原のどこかで死ぬでしょう。」

 

「脅しか。」

 

「現実です。」

 

沈黙。

 

吹雪の音だけが響く。

 

やがてダールフォは口を開いた。

 

「……人民委員長を倒せば、この戦争は終わるのか。」

 

男は即答しなかった。

 

代わりに窓の外を見る。

 

「少なくとも、“今の形”では終わります。」

 

「曖昧だ。」

 

「戦争とは曖昧なものです。」

 

ダールフォは乾いた笑みを漏らした。

 

「政治家みたいな言い方だな。」

 

「政治とは戦争の延長ですから。」

 

その瞬間、ダールフォは理解した。

 

この男は危険だ。

 

そして、その背後にいる存在はもっと危険である。

 

だが今更引き返せない。

 

人民共和国は既に狂気へ突入している。

 

ならば、自らも狂気へ踏み込むしかなかった。

 

「……いいだろう。」

 

ダールフォは静かに言った。

 

「私は立つ。」

 

男はゆっくり頷く。

 

「感謝します。」

 

「勘違いするな。これは貴様らのためではない。」

 

「えぇ、もちろん。」

 

「人民を救うためだ。」

 

男は僅かに笑みを深くした。

 

「そういう事にしておきましょう。」

 

その夜。

 

鉱山施設地下では秘密会議が行われた。

 

地図が広げられる。

 

補給路。

 

鉄道。

 

反政府派拠点。

 

革命派将校。

 

全てが整理されていた。

 

そしてダールフォは気付く。

 

これは即席の蜂起計画ではない。

 

何ヶ月も前から準備されている。

 

いや、下手をすれば戦争開始以前から。

 

「……誰がここまで。」

 

ダールフォが呟く。

 

だが仲介人は答えなかった。

 

代わりに別の資料を差し出す。

 

そこには人民共和国全土の不満分布図が描かれていた。

 

飢餓地域。

 

徴発過多地域。

 

反乱危険区域。

 

軍内部不穏分子。

 

恐ろしいほど詳細だった。

 

「我々は人民委員長を倒します。」

 

男は静かに言う。

 

「そのためには象徴が必要だ。」

 

「私か。」

 

「はい。」

 

「失敗した将軍を象徴にするとは趣味が悪い。」

 

「失敗したからこそです。」

 

男は淡々と返した。

 

「人民は勝者よりも、“見捨てられた者”に共感する。」

 

ダールフォは苦々しく笑った。

 

「随分と人心を理解している。」

 

「理解している者が背後にいるのでしょう。」

 

その言葉に、ダールフォは違和感を覚える。

 

“背後にいる”。

 

まるで仲介人自身も、誰かに使われているような言い方だった。

 

======数日後======

 

人民共和国西部戦線後方都市ノルグ。

 

夜。

 

吹雪。

 

停電。

 

通信障害。

 

都市全域が混乱していた。

 

守備隊司令部では怒号が飛び交う。

 

「まだ通信は回復しないのか!?」

 

「西部通信局と接続不能です!」

 

「発電所は!?」

 

「爆破されました!」

 

「何だと!?」

 

数十分前。

 

都市各地で同時爆発が発生。

 

発電所。

 

通信中継所。

 

鉄道分岐器。

 

弾薬庫。

 

全てが正確に破壊されていた。

 

偶発ではない。

 

計画的破壊工作。

 

その時。

 

ドォン!!

 

爆音。

 

司令部入口が吹き飛んだ。

 

雪煙の中から兵士たちが突入する。

 

「動くな!」

 

「革命軍だ!」

 

「武器を捨てろ!」

 

守備兵たちは混乱した。

 

既に市内守備隊の一部が反乱軍へ合流していたのだ。

 

銃撃は長く続かなかった。

 

床へ押さえつけられる将校たち。

 

その中を、一人の男が歩いてくる。

 

ダールフォだった。

 

司令官の顔色が変わる。

 

「だ……ダールフォ!?」

 

「久しぶりだな。」

 

「貴様、生きて……!」

 

「残念だったな。」

 

ダールフォは冷たく言った。

 

「人民委員長に伝えろ。革命は始まった、と。」

 

その言葉と同時に。

 

ノルグ市内各所で一斉に赤い照明弾が打ち上がった。

 

それは蜂起成功の合図だった。

 

======人民共和国首都ポーコ======

 

「何だと?」

 

人民委員長は報告書を見つめたまま固まっていた。

 

「ノルグが陥落しただと?」

 

秘書官は震えながら答える。

 

「は、はい……。」

 

「守備隊は?」

 

「多数が投降……一部は革命軍へ合流した模様です……。」

 

部屋の空気が凍り付く。

 

人民委員長の笑みが消えた。

 

「……ダールフォ。」

 

低い声。

 

目には明確な殺意が宿っていた。

 

「生きていたか。」

 

彼はゆっくり立ち上がる。

 

「ならば今度こそ徹底的に殺してやろう。」

 

だが、その瞬間。

 

更なる報告が飛び込む。

 

「第12師団が反乱軍へ合流!」

 

「第41機械化旅団も通信途絶!」

 

「南部工業地帯で暴動発生!」

 

「鉄道局員がストライキを開始!」

 

「西部補給基地が占拠されました!」

 

人民委員長の目が見開かれる。

 

そして初めて理解した。

 

国家が崩れ始めている。

 

彼は震える指で机を叩いた。

 

「国家保安局を呼べ。」

 

「は、はい!」

 

「反乱分子を全員処刑しろ。」

 

「ですが、数が……!」

 

「全員だ!!」

 

怒号が響く。

 

だがその怒号の中には、以前までの絶対的確信が無かった。

 

恐怖。

 

焦り。

 

疑念。

 

人民共和国そのものが、今まさに崩壊へ向かっていた。

 

======帝国某所======

 

薄暗い部屋。

 

ラジオから反乱の速報が流れている。

 

その前で、一人の人物が楽しそうに笑っていた。

 

「んふふ……始まった。」

 

机の上には大量の地図。

 

人民共和国各地に打たれた赤印。

 

潜伏工作員網。

 

補給経路。

 

反政府組織。

 

全てが既に配置済みだった。

 

「やっぱり人間って面白いわねぇ。」

 

椅子を回しながら、その人物は愉快そうに呟く。

 

「ほんの少し押してあげるだけで、勝手に転がり始めるんだもの。」

 

その声は女のものにも聞こえた。

 

だが、不思議と年齢感が無い。

 

若くも老いてもいない。

 

窓の外では雪が降っている。

 

しかし、その瞳の奥だけは異様な熱を帯びていた。

 

「帝国も、人民共和国も、革命軍も……みーんな必死。」

 

くすくす笑う。

 

「でもねぇ、まだ足りないのよ。」

 

机の端には写真が置かれていた。

 

ダールフォ。

 

人民委員長。

 

そして帝国軍のある人物。

 

その全てに赤線が引かれている。

 

「もっと壊れて、もっと混ざって、もっと争ってくれないと。」

 

その人物は頬杖をつきながら呟く。

 

「だって、その先にようやく“舞台”が整うんだから。」

 

ラジオはなおも流れ続ける。

 

人民共和国各地での暴動。

 

反乱。

 

離反。

 

そして戦闘。

 

国家が音を立てて崩れていく。

 

その全てを聞きながら。

 

その人物だけが、心底楽しそうに笑っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。