妖狐の私、人間の社会で稼ぐためVtuberとして百合営業をしていたら相方の化け狸がガチだった件 作:パッタリ
朝、目が覚めた瞬間、私は違和感を覚えた。
静かすぎる。
いつもなら、私の尻尾に顔を埋めたコノハが、すーはーすーはーと情念のこもった呼吸音を響かせているはずだ。
しかし、今日はそれがない。
その代わり、隣の布団の中で茶色い狸耳だけが、ぴくりとも動かずに寝たふりをしていた。
「……コノハ」
名前を呼んでも返事はない。
だが、耳の先がほんの少しだけ震えた。
私は上半身を起こし、わざと顔を近づける。
そして昨日のASMR配信を思い出しながら、できるだけ甘い声でささやいた。
「おはよう、コノハ。もう朝だよ、起きて」
狸耳が、ぴくんと跳ねた。明らかに起きている。
「……ふーん。反応はするくせに無視か」
少しむかっときた私はさらに耳元へ口を寄せる。
「起きないなら、今日は一人で出かけようかな。ネタ探しも買い出しも、コノハは置いていくね」
その瞬間、布団が爆発した。
「起きました! おはようございますシズク殿! 本日も大変よい朝ですね!」
「寝たふり下手すぎ」
「シズク殿の甘い声で起こされる朝を、一度体験してみたかったのです」
「だんだん図々しくなってきたな、この狸」
私は呆れながらも、ふわりと乱れた金髪を手櫛で整えた。
淡い金色の髪に、同じ色の狐耳と尻尾。
コノハによると、配信用の銀髪アバターと比べ、現実の私はもっと柔らかい印象に見えるらしい。
対するコノハは茶色いボブカットに丸い狸耳。
こうして並ぶと、狐と狸というより、少し雰囲気の違う姉妹のように見えなくもない。
「さて、朝ごはん作るか」
「はい。一緒に作りましょう」
キッチンに立ち、私は味噌汁用の豆腐を切る。コノハは隣で手際よく出汁を温め、焼き網に油揚げを乗せていた。
「シズク殿、お揚げは少し焦げ目がつくくらいで?」
「うん。カリッとしてる方が好き」
二人で作る朝食は悪くなかった。
炊きたての白米(麦入り)、焼き油揚げ、豆腐とわかめの味噌汁、だし巻き卵。
妖怪だろうがVTuberだろうが、朝に温かいものを食べると、だいたいのことはどうにかなる気がする。
食後は仕事の時間だった。
テーブルにノートPCを並べ、次の配信ネタを考える。
「ASMRの切り抜き、そこそこ回ってるね」
「限界化け狸、というタグができております」
「不名誉すぎる」
「ですが、流入は増えています。次は日常系の軽い企画でもよいかもしれません」
「日常系ねえ。妖怪の一日密着とか?」
「シズク殿の寝起き密着」
「却下」
「シズク殿の尻尾ブラッシング耐久配信」
「却下」
「シズク殿に甘やかされるだけの三時間」
「チャンネルの私物化がひどい」
結局、ネタ探しも兼ねて外へ出ることになった。人間に擬態するため、耳と尻尾を妖術で隠す。
外に出ると、初夏の風がビルの間を抜けていった。
駅前を歩いていると、ショーウィンドウに私たちの姿が映る。
淡い金髪の私と、茶髪で少し丸みのある柔らかい雰囲気のコノハ。
通りすがりの女子高生が小声で言った。
「今の二人、姉妹かな。雰囲気かわいい」
「……だってさ」
「姉妹……姉妹ですか。では、ゆくゆくは禁断の」
「おいこら、その発想やめなさい」
コノハの頭を軽く小突き、私たちは商店街へ入った。和菓子屋、雑貨店、古い神社へ続く細い路地。
配信ネタになりそうなものを探しながら、他愛もない話をする。
「うん?」
ふと、神社の鳥居の陰に、小さな妖気が揺れているのを感じた。
見ると、子どもほどの大きさの影が慌てて路地裏へ逃げていく。
おそらく、まだ自我も薄い小妖怪だ。
「最近、ああいうの増えたね」
「はい。ですが、強い妖怪は減りました」
コノハの声が、少しだけ静かになる。
「昔は、山一つ、川一つにヌシのようなものがいました。けれど今は、信仰も畏れも薄れ、力を保てる者は少ない」
「増えてるのは、都市伝説とかネットの噂から生まれた弱いのばっかり。強いけど古い妖怪は、消えるか、人間社会に適応するか、イバラみたいに変な計画立てるか」
「妖怪は、これからどうなるのでしょうか」
「さあね」
私は空を見上げた。
ビルの隙間から見える空は狭い。山の空とは違う。それでも、ここに私たちの生きる場所はある。
「まあ、少なくとも私は稼ぐよ。お供え物が減ったなら、スパチャをもぎ取る。社が寂れたなら、チャンネルを育てる。時代が変わったなら、こっちも変わるだけって感じにね」
「……シズク殿らしいです」
「コノハは?」
「わたしは、シズク殿のお側にいられるなら、どの時代でも構いません」
「重いけど、コノハらしくはある」
その後、私たちは和菓子屋で季節限定の葛まんじゅうを買い、雑貨店で配信用の小道具を見繕った。
昼は適当に食べ歩きながらぶらつくと、人間に紛れて暮らす妖怪をちらほらと見かける。
しばらく歩いていると、進む先に見覚えのある長身の女がいた。
仕立てのよさそうなスーツに、妙に堂々とした足取り。
鬼のイバラだった。
服装を見るに、他の会社へ向かう途中のようだ。
「ん? シズクと……横にいるのは、同棲してるっていう狸か」
「そっちは、仕事中みたいだね」
鬼の角は、妖術か何かで隠されてる。
私の視線に気づいたイバラは、にやりと笑った。
「くくく、これでも表向きは美人で敏腕な女社長で通っているからな。あたしと一緒にいると注目されるぞ?」
「うっわ、自画自賛とか。で、そんな敏腕社長さんの例の計画は今どんなもん?」
「ぼちぼち。そっちこそ、VTuberは上手くいってるのか?」
「順調と言えば順調かな」
「3D化も決定しましたしね」
「やれやれ、どいつもこいつも人間社会に馴染みやがって」
「それ、今の格好のイバラに言われてもね」
「うるせえ」
話していると、イバラが持っているスマホのアラームが鳴り、イバラは少し慌てた様子でどこかへ去っていった。
「あれは、遅刻かな」
「シズク殿、わたしたちはこのあとどうしますか?」
「もう少しぶらぶらしてから帰ろうか」
帰宅する頃には、日が傾き始めていた。
***
夜、軽い雑談配信を終え、風呂に入り、明日の予定を確認する。いつも通りの、なんでもない一日だった。
ベッドに入ると、コノハが当然のように私の尻尾へ手を伸ばしてくる。
「一本まで」
「はい。一本だけ、大切に抱かせていただきます」
「匂いの嗅ぎすぎは禁止」
「努力します」
「努力じゃなくて遵守しろ」
くすりと笑う声が、暗い部屋に溶けた。
コノハの体温が背中に近づく。
昔なら、誰かと同じ寝床で眠るなんて考えもしなかった。
妖怪は長く生きる。長く生きるほど、失うものも増える。だから、近づきすぎない方が楽だった。
けれど……。
「シズク殿」
「何?」
「今日も一日、楽しかったです」
「……そうだね」
私は目を閉じる。尻尾を抱くコノハの手は、今日は不思議と鬱陶しくなかった。
「明日もネタ探しに外へ行く?」
「はい。どこへでも」
妖怪がこれからどうなるのかなんて、正直わからない。
でも、明日の配信ネタと朝ごはんの献立くらいなら考えられる。
それで今は、十分なのかもしれない。