妖狐の私、人間の社会で稼ぐためVtuberとして百合営業をしていたら相方の化け狸がガチだった件 作:パッタリ
夜の山は、久しぶりだった。
人間の作った街灯も、コンビニの明かりも、車のヘッドライトもない。
月明かりと、木々のざわめきと、土の匂いだけがある。
「さてと」
私は人間に擬態する妖術を解き、淡い金髪の頭から狐耳を出した。
背後では、金色の尻尾が一本、二本、三本……最終的に八本、夜風にふわりと揺れる。
隣を歩くコノハも、茶色い狸耳と大きな尻尾を隠していなかった。
「監視カメラは本当にないんだよね?」
「イバラ様の話では、この辺りは山道の入口に一つあるだけで、奥には設置されていないそうです」
「様つけるんだ」
「一応、案件元の社長ですので」
昼間は観光PR案件。夜は山奥の妖怪調査。
なんとも忙しい身である。
昨日、参道で小妖怪たちを追い払ったあと、山の奥に濁った妖気が残っていることがわかった。
放っておけば、人里に降りてまた騒ぎを起こすかもしれない。そうなれば観光PRどころではない。
だから私たちは、スタッフとマネージャーが寝静まったあと、二人だけで山に入った。
「こういうの、昔を思い出すね」
「シズク殿が戦場でブイブイいわせていた頃ですか?」
「山歩きの話をしてるんだけど」
「わたしは、夜の山でシズク殿と二人きりという状況に、胸が高鳴っております」
「仕事中」
そう言いながらも、私も少しだけ懐かしさを覚えていた。
現代社会に適応したとはいえ、私は妖狐だ。
コンクリートの街で税金や案件メールに追われるより、土を踏み、木々の影を抜ける方が、体には馴染む。
ただし、心まで昔に戻るつもりはない。
今の私はVTuberであり、個人事業主であり、経費にうるさい現代妖怪である。
「シズク殿。前方に妖気があります」
「うん。祠だね」
木々が開けた先に、小さな祠があった。
苔むした石造り。
半ば朽ちていて、供えられているはずの皿には落ち葉が溜まっている。
その周囲に、昼間見た猿のような小妖怪たちが数匹。
さらに、痩せた犬に似た妖怪、黒い毛玉のような妖怪、ひび割れた面をかぶった子どもほどの影がいた。
数は多い。だが、格は低い。
「……寄せ集めか」
「はい。強い統率者がいるというより、祠の残り香に集まっているようです」
コノハの言葉に、私は頷いた。
かつて、この祠には何かしら信仰があったのだろう。
山の神か、道祖神か、それとも名もない土地の怪異か。
だが人が来なくなり、供え物も途絶え、そこに残ったわずかな畏れや願いの残滓に、弱い妖怪たちが群がっている。
現代の妖怪事情としては、珍しくもない。
「あなたたち」
私は祠の前に出た。
小妖怪たちが一斉に振り返る。
牙を剥く者、唸る者、逃げようとする者。
それぞれ反応は違うが、どれも大したことはない。
「昨日、人里で騒ぎを起こしたのは誰?」
返事はない。代わりに、猿の小妖怪が威嚇するように飛びかかってきた。
「縛」
ぴたり、と空中で止まる。
私はそのまま八本の尻尾を広げた。
夜の山に、金色の妖気がゆらりと満ちる。
小妖怪たちは一瞬で止まった。
「私たちはね、別にあなたたちを消しに来たわけじゃないの」
私は優しく言った。優しく言ったが、妖気は強めに乗せた。
「でも、人里に降りて盗みをしたり、観光客を脅かしたりするのはダメ。今あそこはね、こっちの案件中なの。それを荒らす妖怪は、かなり罪が重い」
意味がわかっているかは怪しい。ただ、私が怒っていることだけは伝わったらしい。
コノハが一歩前へ出る。
「皆さん、住む場所や食べるものに困っているのでしょうか?」
小妖怪たちは顔を見合わせた。
面をかぶった影が、かすれた声で言った。
「……ひと、こない。そなえもの、ない」
「なるほど」
コノハの耳が少し伏せられる。
「信仰が薄れ、古い場に縛られた弱い妖怪たちは、こうして居場所を失っていくのですね」
「昔なら、祠に供え物があった。人が山に入れば、畏れも願いも落としていった。でも今は、みんなスマホで地図を見て、危ない場所には入らない。便利だけど、妖怪には餌が少ない時代だよ」
私は祠を見た。
苔むした石。朽ちた縄。忘れられた場所。
妖怪は、人間がいなければ成り立たない。
嫌われ、恐れられ、祀られ、語られて、ようやく形を保つ。
人間が忘れると、私たちは薄れていく。
だからこそ、私は配信をする。
お供え物がないなら、スパチャをもらう。祠が寂れたなら、チャンネルを育てる。人間の畏れが減ったなら、別の形で感情を集める。
これが、現代妖怪の生存戦略だ。
「さて、連絡連絡」
私はスマホを取り出した。山奥でもギリギリ電波は入る。
イバラに通話をかけると、数コールで繋がった。
「おう。片付いたか?」
「だいたいね。弱い妖怪が祠に集まってただけ。暴れさせると面倒だけど、消すほどじゃない」
「じゃあ回収する」
「回収?」
「うちで面倒見る。妖怪帝国を作るための配下にするんだよ。雑用係はいくらいても困らん」
「言い方」
電話口の向こうで、缶を開ける音がした。
この鬼、この状況で自分だけ飲んでいる。
「食い物と寝床くらいは用意する。代わりに働かせる。土地の整備、見張り、山の管理、そういう仕事だ」
「……まあ、ここで飢えて人里に降りるよりはマシか」
厄介なことに、妖怪帝国を作るというイバラの計画は、弱い妖怪にとっては救済にもなり得る。
鬼特有の酒好きさえ無視すれば、案外まともなのだ。あいつは。
「回収には河童を寄越す。近くの沢に待機させてる」
「準備いいね」
「こちとら優良企業だからな」
「自分で言うな」
通話を切ってしばらくすると、沢の方からぴちゃぴちゃと水音が近づいてきた。
現れたのは、濡れたショートカットの女妖怪だった。
頭には小さな皿のようなもの。背中には甲羅。作業服に長靴という、実に現場向きの格好をしている。
「どーも。イバラ社長んとこの河童です。回収対象はこちらで?」
「この子たち。一部、金縛りかけてあるけど解除する」
「了解っす。ほら、あんたら、社長のとこ行けば飯と寝床あるから。人間の財布盗むより、草刈りと用水路掃除の方が安全だぞー」
河童の女妖怪は、慣れた様子で小妖怪たちをまとめ始めた。
持ってきた網や縄ではなく、なぜかきゅうり味の携帯食料で釣っている。
「雑だけど効果的」
「弱い妖怪ほど、目先の食べ物に弱いのですね」
「コノハ、私を見ながら言わないで」
小妖怪たちがぞろぞろと連れていかれるのを見送りながら、私はイバラに連絡を入れた。
「回収完了。あと、その子たちに《きつたぬ》を視聴させて高評価入れさせて」
「いいぞ。会社のパソコンかスマホで見せる。ついでにチャンネル登録もさせとく」
すぐに話はまとまる。
やはり古くからの知り合いはいい。
「よし、快諾した」
「シズク殿、それはさすがにどうかと……」
コノハが珍しく常識的な注意をしてきた。
「だって、せっかく弱い妖怪を保護するなら、社会復帰の一環として現代文化に触れさせるべきでしょ」
「建前が雑です」
「高評価は大事。チャンネル登録も」
「否定はしませんが」
現代妖怪の生存戦略。
それは信仰を待つことではない。自分から見てもらい、高評価をもらい、数字に変えることだ。
「そのうち妖怪向け同時視聴会とかできるかもね」
「イバラ様の配下を、リスナー化するのですか」
「リスナーは多い方がいい」
「たくましいですね、シズク殿」
「生き残るためだからね」
私は祠の前に立ち、落ち葉に埋もれた皿を少しだけ綺麗にした。
コノハが持っていた包みから、小さないなり寿司を一つ取り出して置く。
「珍しいですね。シズク殿が供える側に回るなんて」
「まあ、案件ついで。あと、空っぽの皿って見てて気分悪いし」
それだけだ。それ以上の意味はない。
コノハは何か言いたげに微笑んだが、何も言わなかった。
山の夜風が、八本の尻尾を揺らす。
忘れられた祠に、ほんの少しだけ油揚げの香りが残った。
「帰ろっか。明日も撮影あるし」
「はい。シズク殿」
私たちは耳と尻尾を隠さないまま、夜の山道を戻っていく。
妖怪は減った。強い妖怪は、特に減った。
それでも、形を変えて生きている。
祠からチャンネルへ。お供え物からスパチャへ。山の主から、地方案件の現場処理係へ。
なんとも世知辛い。なんとも現代的。
けれどまあ、力を持ったまま生き残っているだけ、私たちはまだマシなのだろう。