妖狐の私、人間の社会で稼ぐためVtuberとして百合営業をしていたら相方の化け狸がガチだった件 作:パッタリ
静まり返ったワンルームに、絶対にあってはならない音が響いた。
玄関のドアがゆっくりと開き、チェーンロックが外される生々しい金属音。
私は部屋の隅にあるゲーミングチェアの上で、毛を逆立てて震えていた。
「ただいま帰りました、シズク殿」
そこに立っていたのは、見慣れた茶色いボブカットヘアーの少女だった。
頭には丸みを帯びた狸耳、スカートの裾からは立派な縞模様の尻尾が覗いている。
相方のコノハだ。
彼女は、ドジっ子後輩という普段の配信スタイルからは想像もつかない、淀みなく洗練された足取りで靴を脱ぎ、ズカズカと私の部屋へと侵入してきた。
「不法! 侵入! 警察呼ぶよ!? ていうかチェーンロックはどうしたの!」
「ああ、あれですか。妖術で金具ごと取り除いておきました」
「物理と妖術のハイブリッドやめろ!!」
私が威嚇のシャーッ! という声を上げるも、コノハはまったく動じない。
それどころか、両手で大事そうに抱えていた風呂敷包みを、私のデスクの上にことりと置いた。
「夜分遅くに押しかけて申し訳ありません。ですが、シズク殿の食生活が心配で。最近の配信、少しお痩せになったように見えましたから」
「え……?」
風呂敷が解かれ、現れたのは三段も重なった立派なタッパーだった。
フタを開けた瞬間、部屋中に暴力的なまでの甘じょっぱい香りが充満する。
「な、なにこれ……」
「特製・極上いなり寿司です。シズク殿が好む油揚げの煮付け具合、米の酢の塩梅、そして隠し味の柚子の香り……。江戸時代から全国の料亭を渡り歩き、シズク殿の舌を満足させるために数百年間、料理の腕を磨き続けてまいりました」
コノハの目が、暗い情念でドロリと濁っている。
怖い。愛が重すぎる。
室町時代から私へのストーキングをこじらせた結果、この狸はとんでもないバケモノに成長してしまったらしい。
だが──。
グキュルルルル……!
無情にも、私の腹の虫が盛大に鳴いた。
Vtuberの収益は安定するようなものではない。それに定期的に大きな出費もある。
先月はPC機材のローンでカツカツになっており、ここ数日はもやし炒めと豆腐しか食べていなかったのだ。
「さぁ、あーん、です。シズク殿」
「くっ……! 私は、そんなもので手懐けられるほど安い女じゃ……あーん、パクッ」
美味い。なんだこれ。
噛んだ瞬間、分厚い油揚げからジュワッと溢れ出す極上の出汁。ふっくらと炊き上がった酢飯と、フワッと鼻を抜ける柚子の爽やかな香り。
コンビニで売られている、量産されたいなり寿司とは次元が違う。五臓六腑に染み渡る圧倒的な美味。
「おいひい……っ」
「ふふっ。よかったです。たくさん食べてくださいね。……一生、わたしが作って差し上げますから」
コノハが私の金髪を優しく撫でる。
その手つきは完全に飼い主のそれだったが、食欲に屈した私は抗うことができず、二個、三個といなり寿司を口に放り込んでいった。
すると、コノハがおもむろに私のPCのマウスを握った。
「さて、シズク殿が腹ごしらえをしている間に、と」
ピロンッ♪
聞き慣れた効果音が鳴った。
配信ソフトの、配信開始ボタンが押された音だ。
「……は?」
口にいなり寿司を詰め込んだまま、私はディスプレイを見た。
画面には、私のLive2Dアバターと、横に並んだコノハのアバター。
そして、急速に増えていく同接人数とコメント欄。
『皆さーん! こんばんきつたぬ〜!』
コノハの声が、先ほどの地を這うようなヤンデレボイスから、鼓膜がとろけるような甘い後輩ボイスへと一瞬で切り替わった。
『えへへ、実は今、シズクちゃんの家にお泊りに来ちゃいました! ゲリラで強制オフコラボです!』
[コメント]
・うおおおおおおお!!?
・ゲリラオフコラボ!?
・てぇてぇ!! 助かる!!
・シズクちゃん無言だけどどうした?w
『んぐっ、んぐっ!(ちょっ、お前、勝手に配信……!)』
『あはは、シズクちゃんったら、わたしが手作りしたいなり寿司を夢中で食べてるんです。……あ、ほらシズクちゃん、口の端にご飯粒ついてますよ。ペロッ。えへへ、甘い』
[コメント]
・!?!?!?
・いま舐めた!?
・ちょっと待って距離感バグってない!?
・シズクが完全に受けに回っているだと……
・赤スパチャ(¥10,000):結婚式場はこちらでよろしいですか?
「ち、ちがっ、これは……!」
慌てていなり寿司を飲み込み、弁解しようとマイクに近づく。
だが、デスクの下で、コノハのふさふさの狸の尻尾が、私の太ももにガッチリと巻きついていた。逃がさない、という強烈な意思表示だった。
『シズクちゃん、顔真っ赤ですよ? 大丈夫です、今夜は朝まで……ずーっと一緒ですからね♡』
「~~~~っ!!」
完璧なまでにビジネスとしての百合を演じる後輩の声。
しかし私だけには、その裏に隠された「もう物理的にも絶対に逃がしませんよ」という数百年越しの粘着質な愛のささやきが聞こえていた。
怒涛の勢いで飛び交うスパチャの雨。
今月の家賃が余裕で払える額面を前に、私の口から出たのは──。
『……みんなぁ、スパチャ、ありがとう……っ。コノハのご飯、おいしい、です……』
悲しきかな、金と食欲に屈服した哀れな狐の敗北宣言だった。
こうして、私の百合営業は終わりを告げ、逃げ場のないガチ同棲生活が幕を開けたのである。