妖狐の私、人間の社会で稼ぐためVtuberとして百合営業をしていたら相方の化け狸がガチだった件 作:パッタリ
「つまり、シズク殿の最も恐ろしい攻撃は、妖術でも金縛りでもありません」
昼下がりのリビング。
私はキッチンでお茶を淹れながら、背後から聞こえてくる会話に耳を傾けていた。
ソファにはコノハとアヤメが向かい合って座っている。
つい先日まで相方ポジションを巡って火花を散らしていた二人だが、今日はなぜか真剣な顔で作戦会議のようなことをしていた。
「では、なんだと言うのですか、コノハ先輩」
「優しく抱きしめられながら、頭を撫でられ、耳元で甘い言葉をささやかれることです」
「そ……それは」
アヤメが、ごくりと喉を鳴らした。
「耐えられませんね」
「はい。耐えられません」
「何の話をしてるの?」
私はお盆を持ったまま、思わず口を挟んだ。
二人が同時にこちらを見る。
「シズク殿への対策会議です」
「シズク先輩の危険性について、情報共有をしておりました」
「私を災害扱いするな」
私は湯呑みをテーブルに置き、二人の前に座る。
コノハは真面目な顔でメモ帳を開いた。
そこには、なぜか大きくこう書かれている。
──シズク殿の甘やかし攻撃への耐性について。
「何これ」
「研究資料です」
「燃やしていい?」
「だめです。わたしたちの命に関わります」
アヤメが深く頷く。
「先日、私はシズク先輩の八本の尻尾に包まれただけで敗北しました。もしそこに、撫で撫でと甘い言葉が加わっていたら……」
「どうなるの」
「わかりません。ですが、おそらく私は二度と山に帰れません」
「帰って」
コノハが静かに首を振る。
「シズク殿はご自身の破壊力を軽く見すぎています。ASMR配信の時もそうでした。あの声で『大丈夫、私が隣にいるから』などと言われたら、化け狸の理性など容易く溶けます」
「それはコノハが弱いだけでしょ」
「違います。誰でも負けます」
「誰でもはない」
「では、試してみますか?」
コノハの目がきらりと光った。
嫌な予感がした。
「試すって何を」
「シズク殿が、わたしとアヤメちゃんをそれぞれ優しく抱きしめ、頭を撫でながら甘い言葉をささやくのです。どちらが長く耐えられるか検証します」
「嫌だよ」
「怖いんですか?」
アヤメが、にやりと生意気な笑みを浮かべる。
「シズク先輩ほどの御方が、後輩一人甘やかすこともできないなんて。もしかして、自分の甘やかし力に自信がないんですかぁ?」
「…………」
こんなもの、見え見えの安い挑発だ。
乗るべきじゃない。
わかっている。わかっているが、八尾の狐にもプライドはある。
「いいよ。そこまで言うなら、軽くやってあげる」
「シズク先輩、軽くでは困ります。本気でお願いします」
「なんでそっちが注文つけてくるの」
まずはアヤメからだった。
彼女はなぜか正座し、膝の上で拳を握りしめている。
「私は烏天狗。山で修行を積んだ身。甘い言葉程度で屈するなど──」
「はいはい」
私はアヤメの隣に座り、その小さな体を横から抱き寄せた。
「ひゃっ」
まず、肩が跳ねた。
そのまま片手で、長くて黒い髪を撫でる。
さらさらとした髪の間に指を通し、ゆっくり、優しく、子どもを寝かしつけるように。
「アヤメ」
「は、はい」
「いつも頑張ってるね。配信も、質問役も、ちゃんとできてたよ」
「っ……」
「生意気だけど、素直なところもあるし。後輩としては、けっこう可愛いと思ってる」
アヤメの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「し、シズク先輩……っ」
「でも、無理して背伸びしなくていいよ。私の隣に立ちたいなら、まずはちゃんと自分の足で立てるようになりなさい。焦らなくていい。見ててあげるから」
「み、見て……」
私は最後に、耳元でささやいた。
「いい子だね、アヤメ」
数秒後。
アヤメは私の腕の中で完全に崩れ落ちた。
「む、無理です……これは、無理……。こんなの、山の修行にない……」
「弱い」
「シズク殿、記録は二十二秒です」
「記録しなくていい」
次はコノハだった。
彼女はすでに膝の上で両手を握りしめ、目を閉じている。
「来てください、シズク殿。わたしは、室町から積み上げた愛で耐えてみせます」
「その愛が弱点でしょうに」
とはいえ、やると言った以上はやる。
私はコノハの隣に座り、そっと抱きしめた。
途端に、コノハの尻尾が爆発したように膨らむ。
「もういろいろと早すぎる」
「ま、まだです……」
私は彼女の茶色い髪を撫でた。ついでに狸の耳も指だけで撫でる。
コノハの髪は柔らかい。いつも私の世話ばかり焼いているくせに、撫でられる側になると途端に弱くなる。
「コノハ。いつもありがとう。ご飯も、事務作業も、配信のことも。正直、一緒にいてくれて助かってる」
「っ……!」
「重いし、距離感はおかしいし、たまに怖いけど」
「はい……」
「でも、私の相方はコノハでよかったと思ってるよ」
コノハが息を止めた。
私は少しだけ笑って、耳元へ顔を寄せる。
「だから、これからも隣にいて。置いていかないから」
その瞬間、コノハは声にならない声を漏らし、私の肩に額を押しつけた。
「……負けました」
「アヤメと同じくらいの早さなんだけど」
「ですが、悔いはありません……」
「勝負の趣旨変わってない?」
アヤメが床に転がったまま、悔しそうにこちらを見る。
「ずるいです……コノハ先輩だけ、相方特権の言葉をもらってます……」
「アヤメちゃんにはまだ早いです」
「うぐぐ……!」
二人とも完全にダメになっている。
私はようやく理解した。
これは怖いもの見たさを装った、まんじゅうこわいだ。
「ねえ、二人とも。もしかしてこれ、耐性がどうとか言ってたけど、ただ私に甘やかされたかっただけじゃない?」
返事は沈黙。
コノハとアヤメが、同時に目を逸らした。
「図星か」
「いえ、これは必要な検証でして」
「そうです。新人として、先輩の攻撃性能を把握する必要が」
「はいはい。じゃあ検証結果ね」
私は二人の前に湯呑みを置いた。
「甘い言葉は、用法用量を守って摂取しましょう。過剰摂取すると、化け狸と烏天狗が使い物にならなくなります……ってね」
「シズク殿の処方箋が欲しいです」
「私は毎日服用したいです」
「おいこら。依存症が出てる」
その後、コノハは夕飯の下準備をしようとして、何度も包丁を持ったまま頬を緩ませたため、危ないので私が代わった。
「いい子……シズク先輩に、いい子って……」
アヤメは帰り際まで、ふわふわした顔でそんなことを呟いていた。
そして夜。
私は配信用メモに、今後の注意事項を書き足した。
──甘やかし系企画は、事故率が高い。
──特に身内に効きすぎる。
──やるなら時間を短く。
──コノハとアヤメを同時に甘やかさない。
まったく。
一番危ないものは、案外、身近な誰かからの甘い言葉なのかもしれない。