妖狐の私、人間の社会で稼ぐためVtuberとして百合営業をしていたら相方の化け狸がガチだった件 作:パッタリ
ある日の昼下がり。
私は事務所に赴くため、都内の路地裏を歩いていた。
今日のタスクは、月末に発売される記念グッズのアクリルパネルに、ひたすら直筆サインを書き入れるという地味な肉体労働である。
「とはいえ、大事なお仕事お仕事、っと」
だが、私の足取りは軽かった。
なぜなら、手提げ袋の中にはコノハが朝早くから仕込んでくれた、特製・油揚げの肉詰めと極上お稲荷さん弁当が入っているからだ。
(ふふっ。あの愛の重さと夜の執拗なモフモフさえなければ、コノハは最高の相方なんだけどな)
ご機嫌で鼻歌を歌いながら曲がり角を曲がろうとした、その時だった。
「あ? どこ見て歩いてんだよ、ねーちゃん」
ドンッと肩がぶつかり、私の手からお弁当の入った袋が滑り落ちた。
嫌な音を立ててアスファルトに落下する袋。中からタッパーが飛び出し、フタが外れ、美しく詰められていたお稲荷さんと肉詰めが無惨にも地面に転がった。
土埃にまみれる、黄金色の油揚げ。
「…………あ」
「おいおい、気ぃつけろよ。……ん? なんだお前も妖怪かよ。狐か? 尻尾の妖気隠しきれてねーぞ。俺らみたいな下っ端は、人間様にビクビクしながら生きなきゃいけねーんだからよぉ」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて絡んできたのは、チンピラ風の男に擬態したイタチの妖怪だった。
イバラが言っていた自我の薄い雑魚とはこういう奴のことだろう。
「……ねえ」
「あ? なんだよ、慰謝料でも払ってほしい──」
「てめえ、このお弁当にどれだけの手間暇と、愛という名のクソデカ感情が詰まってるかわかってんのか?」
プチッ、と私の中で何かが切れた。
人間社会のルール? 事務所のコンプライアンス?
知るか。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「は? 何言って……っ!?」
「縛(ばく)」
私が低く一声発した瞬間、路地裏の空気が凍りついた。
妖術の基本にして奥義、金縛り。
チンピライタチの体は見えない鎖で縛られたように硬直した。瞬きすらできない状態で、相手の顔に明らかな恐怖の色が浮かぶ。
無理もない。私は今、人間に擬態するためのリミッターを完全に解除していた。
私の背後で、音もなく黄金色の毛並みが広がる。
一本や二本ではない。その数は“八本”。
一般的に狐の妖怪は、尻尾の数で格が決まる。九尾の狐はもはや神格化された伝説の存在であり、現世に実体として存在し得る妖狐の中では、八尾こそが実質的なヒエラルキーの頂点である。
つまり、かつて武闘派として名を馳せた私はれっきとした大妖怪なのだ。
「こ、この、妖気……! 八尾……っ!? ひっ、ひぃぃ!」
「前日から出汁を引いて、私の好みの甘辛さに調整してくれたコノハの傑作を……よくも!」
ゴオォォォッ!
妖力を乗せた拳を真っ直ぐに叩き込み──チンピラの顔面スレスレで、ピタリと止める。
いわゆる寸止めだが、拳から放たれた凄まじい風圧と圧倒的な妖気が、イタチの妖怪を完全に呑み込んでいた。
「あ、あば……っ」
一発も殴られていないにもかかわらず、チンピライタチは極度の恐怖で腰を抜かし、路地裏の壁に背を預けると、そのまま白目を剥いて気絶した。
「……はぁ。やれやれ、スーツが少し汚れちゃった」
私は八本の尻尾を再び一本の幻影に偽装し直すと、地に落ちたお弁当を見て深くため息をついた。
結局、その日の昼食はコンビニのサンドイッチになり、帰宅後に事の顛末を聞いたコノハが「シズク殿の口に入るはずだったお弁当を台無しにするなど……万死に値します。今から消してきましょうか?」と物騒なことを言い出すので、止めるのにひどく苦労することになった。
【配信中】
『さーて、続いての質問読むよー!』
その日の夜の定期配信。
サイン書きの疲労と、昼間のイライラを隠しつつ、私は完璧な演技を維持していた。
『えーっと。「きつたぬのお二人に質問です。狐と狸、どちらも有名な妖怪ですが、シズクちゃんとコノハちゃんがガチでバトルしたら、ズバリどっちが強いですか?」……なるほどねー』
[コメント]
・気になる
・妖怪頂上決戦じゃん
・コノハちゃんは狸寝入りが得意そう
・シズクちゃん武闘派っぽい
(どっちが強いか、ね)
私はディスプレイを見つめながら、内心で苦笑した。
結論から言えば、100対0で私である。
何しろこっちは八尾の狐だ。数百年を生きてきたコノハの妖術も相当なものだが、彼女のベクトルは美味しいご飯を作ることや、合鍵を錬成すること、ストーキングの隠密行動といった生活密着型に全振りされている。
正面からやり合えば、私が指を鳴らすだけで決着がつく。
(でも、ここで「私がワンパンで圧勝するよ」なんて正直に答えるのは、VTuberの百合営業としてどうなんだ……?)
リスナーはてぇてぇを求めているのだ。
圧倒的な力の差を見せつけるのは、ロールプレイの趣旨から外れる。
それに、もし「私の方が強い!」とマウントを取ったら、コノハが「ああ……シズク殿に力でねじ伏せられる……それもまた一興……♡」とか言い出して放送事故になりかねない。
『うーん、そうだなぁ……』
私は少し悩むふりをしてから、最も無難な回答を口にした。
『物理的な喧嘩なら私の方が強いかもしれないけど、結局のところ、私がコノハに勝てる気はしないかな!』
『えっ……?』
『だって、毎日コノハの美味しいご飯を食べてるし、胃袋を完全に掴まれてるからね。喧嘩しても「もうご飯作ってあげない!」って言われたら、私が土下座して謝るしかないもん。だから、実質コノハの方が最強!』
[コメント]
・てぇてぇ……!!!
・模範解答すぎる
・結局ノロケかよ!
・完全に夫婦の力関係で草
・橙スパチャ(¥3,000):ごちそうさまです!
よし、完璧だ。平和に場が収まった。
私が内心でガッツポーズをしていると、隣のアバターが、もじもじと揺れた。
『シ、シズクちゃん……っ。それって、わたしのこと、無くてはならない存在だって……認めてくれてるってこと、ですよね……?』
『え? あ、うん、まあ、そうね。ビジネスパートナーとして!』
『ふふっ……♡ そうですね。シズク殿の力は強大ですが、夜のベッドの上では、わたしがいくらでも押し倒して差し上げますから……ね?』
[コメント]
・!?!?!?
・おい今コノハちゃんガチトーンだったぞ
・夜のベッド(意味深)
・シズクちゃん逃げてーーー!
『バカッ、お前また変なこと言って……! み、みんなー、今日の配信はここまで! おつたぬー!』
【配信後】
逃げるように配信を終える。
八尾の妖力があろうと、金縛りの術が使えようと。
数百年も熟成された愛が重すぎる相方を前にしては、私の強さにどれだけの意味があるのか。
「さぁ、シズク殿。配信も終わりましたし、お弁当が食べられなかった分……たっぷりとご奉仕させてくださいね?」
「……拒否権は?」
「ありません」
私の悲鳴は、防音完備のワンルームマンションの壁に空しく吸い込まれていった。