妖狐の私、人間の社会で稼ぐためVtuberとして百合営業をしていたら相方の化け狸がガチだった件 作:パッタリ
「うーん……伸びが微妙」
ある日の昼下がり。
私は配信アナリティクスのグラフを睨んでいた。
隣ではコノハが、手作りのきつね色フィナンシェとほうじ茶を用意しつつ、自前のノートPCで数字を確認している。
数日前にした《きつたぬ》の3D化決定発表は、確かに盛り上がった。
赤スパは飛んだし、切り抜きも回ったし、登録者数も一時的にぐんと伸びた。
だが、冷静に長期グラフを見ると、問題は明白だった。
「同棲生活……じゃなくて、強制オフコラボが始まるしばらく前くらいから、じわじわ鈍化してるね。時々跳ねてるけど」
「はい。直近の増加率だけを見ると悪くありませんが、3D化発表のブーストを除けば、基礎成長率は明らかに低下しています」
「言い方がガチの経営会議なんだよね」
とはいえ、私たちは仕事としてVTuberをやっている。
百合営業でスパチャをむしり取るだけの狐と狸ではない。企画会議もするし、収益分析もするし、税金にも怯える。
現代妖怪は数字から逃げられないのだ。
「ゲーム配信は固定客には強い。でも新規流入が弱い。雑談は安定してるけど爆発力がない。ショート動画は当たり外れが大きい」
「歌はどうですか?」
「私、歌は嫌いじゃないけど、妖狐の声に妖力乗ると人間がちょっと変になるからNGで」
「では、料理配信」
「コノハがガチ料亭の技を出すと、今度は別の人間が変になりそうだからNG」
詰んでいた。妖怪、配信適性が高いようで、ところどころ扱いづらい。
私が腕を組んで唸っていると、PCに通知が飛んできた。事務所のマネージャーからだ。
『お疲れ様です。《きつたぬ》さんの今後の展開についてご相談です。3D化前に、音声コンテンツ方面の需要も試したいと考えています。まずは一度、ASMR配信をやってみませんか?』
「……ASMR」
「ASMR、ですか」
私とコノハの声が重なった。
その瞬間、コノハの狸耳がぴくりと動く。
「うーん。ASMRは距離感が近すぎる。耳元でささやくやつでしょ? 百合営業との相性はいいけど、事故る未来しか見えない」
「しかしシズク殿。音声コンテンツは、固定ファンの満足度向上と新規層への導線として有効です。特にシズク殿の声質は低めで落ち着いており、癒やし需要に刺さる可能性があります」
「急にまともな分析をするな」
「それに、3D化後のライブやボイス販売にも繋がります。ここで一度テストしておくのは、事業戦略として極めて妥当かと」
「言ってることは正しい。正しいんだけど」
コノハの尻尾が、さっきから床をぱたぱた叩いている。うるさいくらいに。
顔は真面目。声も真面目。
だが、長く妖怪をやってきた私にはわかる。
こいつ、私のささやき声を合法的に耳元で浴びたいだけだ。
「……私欲、漏れてるよ」
「いえ。すべては《きつたぬ》の未来のためです」
「じゃあその尻尾止めて」
「無理です」
正直者め。
結局、私は渋々承諾した。
数日後、事務所から借りてきた高性能ダミーヘッドマイクが、我が家に鎮座することになった。
【配信中】
『こ、こんばんきつたぬ……』
いつもの挨拶なのに、やけに緊張する。
画面には、暗めの背景と、少し近めに配置された私とコノハのアバター。
そして中央には、耳の形をしたマイクのイラスト。
[コメント]
・ASMRきちゃ!
・イヤホン装備済み
・シズクちゃんの低音ASMR助かる
・コノハちゃんもう息荒くない?
『今日は初めてのASMR配信ということで、耳かきとか、ささやきとか、いろいろ試していこうと思うよ』
『は、はい……。よろしくお願いします……』
横を見ると、コノハはすでに背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いていた。
なんだその覚悟完了みたいな姿勢は。
私は咳払いを一つして、ダミーヘッドマイクの右耳に顔を寄せる。
『それじゃあ、まずは右耳から。……今日も一日、お疲れさま』
少しだけ、声に妖力を乗せる。
人を惑わすほどではない。
ただ、聞いた相手の緊張をほどき、胸の奥をほんのり温める程度の、ごく薄い妖術。
『えらいね。ちゃんと頑張ってて。……無理しなくていいよ。今だけは、私の声だけ聞いてて』
[コメント]
・あっ
・これはやばい
・耳が溶ける
・シズクちゃん声良すぎ
よしよし、反応は上々。
私は内心でガッツポーズをした。
しかし、問題はリスナーではなかった。
「ふぁ……っ」
隣から、明らかに配信用ではない声が漏れた。
『……コノハ?』
『だ、大丈夫です……続けてください、シズクちゃん……』
大丈夫な声ではなかった。
狸耳はへにゃりと垂れ、尻尾は床の上で暴れ、目は完全にとろんとしている。
『じゃ、じゃあ次は左耳ね。……ほら、こっち向いて』
今度は左耳にささやく。
するとコノハが、びくんと肩を跳ねさせた。
『近くにおいで。今日は私が、ちゃんと甘やかしてあげるから』
「し、シズク殿……っ」
まずい。呼び方が戻った。
こいつ配信中だということを忘れかけている。
[コメント]
・コノハちゃん?w
・先に相方が落ちてて草
・ASMRじゃなくてコノハ攻略配信じゃん
・限界化け狸ASMR
『あ、あはは。コノハ、リスナーのみんなに向けてやってるんだからね?』
『わ、わかっています……ですが、声が耳の奥から、骨まで染みて……もう……』
『表現が生々しい!』
私は慌てて進行台本を見る。
次は耳かき音。その次は添い寝風のささやき。
無理だ。この狸が耐えられる気がしない。
それでも仕事なので、私は意を決して、最後の台詞を読むことにした。
『……今日は、もう寝よっか。大丈夫。私が隣にいるから。朝まで、どこにも行かないよ』
その瞬間。
「っ~~~~!」
コノハが両手で顔を覆って崩れ落ちた。
狸耳は真っ赤。尻尾は限界まで膨らみ、完全に丸い毛玉になっている。
[コメント]
・落ちたwww
・コノハちゃん陥落RTA
・シズクちゃん攻め適性高すぎる
・橙スパチャ(¥3,000):ありがとうございますありがとうございます
『え、えー……本日のASMR配信は、機材トラブルならぬ相方トラブルにより、ここまで! おつたぬー!』
私は全力で配信終了ボタンを押した。
【配信後】
静まり返った部屋。
床にへたり込んだコノハが、潤んだ目で私を見上げていた。
「シズク殿……」
「なになに」
「次は、わたしがシズク殿をささやき落とします」
「すぐ堕ちたくせに」
配信データを見る。
同接は上がっている。スパチャも同じ。切り抜き候補は山ほどある。
仕事としては、成功と言えた。
「……そもそも、これASMR配信だった?」
「百合ASMR配信です」
「明らかに違う気がするけど」
こうして《きつたぬ》は、音声コンテンツ方面に新たな可能性を見出した。
同時に私は、自分の声が一緒にいる化け狸に対して特攻効果を持つという、非常に面倒くさい事実を知ってしまったのだった。