若返った老騎士、落ちこぼれ公爵令嬢の使い魔になる 作:ですわお嬢様スキー
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目を開けると、見慣れぬ天井があった。
石造りの梁、品の良い漆喰、厚手の帳から漏れる朝の光。
ラングリッドはしばし、その天井を眺めてまだ微睡の抜けないぼうっとした頭で思案していた。
……ふむ、夢ではなかったか。
昨夜、泥のように眠りに落ちる前、もしやこれは死に際に見る都合の良い夢かもしれぬ、という疑いが頭の片隅にあった。竜と相打ち、血を流し尽くして倒れた男が、若返って異世界の学園に召喚される。事実は小説より奇なりという言葉があるが、流石に突拍子が無さ過ぎではなかろうか。
だが、こうして朝を迎えてなお凝り固まった関節が痛むということもなく、身体は驚くほど軽いままだった。
ラングリッドはゆっくりと身を起こし、自分の手を握ったり開いたりしてみる。
長く連れ添った老いという名の相棒が、すっかり姿を消している。妙な心地だった。喜ばしくはあるが、どこか落ち着かない。一夜にして消えれば、それを喜ぶより先に少しの寂しさがあるのだから人とは勝手なものである。
「若さとはいいものだなぁ」
ラングリッドは独り呟き、寝台から降りた。
着替えの代わりに「調査の資料として借り受けたい」と言われ、預けた鎧や外套はまだ戻ってきていない。今の彼は、寝間着として渡された簡素な衣に身を包んだだけの姿である。
もはや見る影もないほどにボロボロだったし、所詮鎧は量産品でしかないのでそのまま処分してくれて構わない。ただ、外套だけは国王より賜ったエシュタール家の家紋が刻まれているので返して貰えればうれしいが。
窓辺の帳を開ければ、朝の学園が広がっていた。
昨夜は灯りの点でしか見えなかった景色が、今は朝日の中に全容を晒している。城と見紛う程に立派な石造りの学舎、林立する尖塔、磨かれた回廊、手入れの行き届いた庭。早朝だというのに、既に幾人かの生徒が中庭の隅に拵えられた簡易の訓練場と思しき場所で杖を構え、何やら魔法の鍛錬に励んでいた。
杖の先から、炎の球が生まれ、宙を漂い、的に向かって飛んでいく。
ほう、とラングリッドは目を細めた。
あれが、この世界の「魔法」か。
彼の世界の魔術師も似たようなことをした。だが、それは選ばれた一握りの者の業であって、年端もいかぬ少年少女が朝の鍛錬として行うようなものではなかった。
なるほど、この世界では、魔法はそれだけ身近な力なのだろう。剣の素振りと同じように、若者が当たり前に磨く技なのだ。
しばらくその光景を眺めていると、扉が遠慮がちに叩かれた。
「エシュタール卿。お目覚めでいらっしゃいますか」
昨日も聞いた、見張りの者の声だった。
「ああ、起きているよ」
「マルグリット先生より言伝でございます。卿のお身支度が整い次第、学園長がお会いになりたいとのこと」
「ほう、学園長が」
ラングリッドは少し眉を上げた。
昨夜マルグリットは「数日のうちには場が設けられる」と言っていた。それが、一夜明けての朝一番である。話の早いことだ。
……よほど、急いでいるか。あるいは興味を持たれたか。
どちらにせよ、悪い話ではない。出歩く自由までは流石にないだろうし、暫くはこの部屋で過ごすことになっていたラングリッドには喜ばしい事である。
「すぐに支度しよう。服装はこのままでも?」
「お召し替えの新しい服をご用意しております」
「重ね重ね、世話になる」
扉を開け、警備の兵士から一式を受け取る。手触りもよくほつれの一つもない、一目で上等と分かる仕立ての服だった。それだけの厚遇をされているのか、はたまたこの国が豊かなのか。
そんな取り留めの無いことを考えつつ、ラングリッドは新しい衣に着替える。
そうして鏡を覗けば、そこには最早記憶にも朧げな若い顔があった。
皺のない張りの良い若い肌。いつしか白く染まってしまった髪も、侯爵家代々の黒髪に戻っている。ただ、その目だけは生意気盛りだったあの頃の面影はなく、七十年を生きた男の深い眼差しのまま静かに澄んでいた。
「……やっぱりどうにも慣れんな」
苦笑して、ラングリッドは部屋を後にした。
*
案内されたのは、本校舎の最上階にある一室だった。
扉の前で待っていたのは、マルグリットである。昨日と変わらぬ折り目正しい佇まいで、ラングリッドを迎えた。
「おはようございます、エシュタール卿。よくお休みになれましたか」
「うむ、おはよう。おかげさまで久方ぶりに気持ちのいい朝を迎えられたよ」
「それは何より」
マルグリットはわずかに微笑み、それから声を低めた。
「これからお会いいただくのは、当学園の学園長でございます。事前に、一つだけ申し上げておきたく」
「ほう、何だろうか」
「学園長は……少々、変わった御方でございます」
「変わった、とは」
「お会いになれば、お分かりになります」
マルグリットの口元に、苦笑とも諦観ともつかぬ色が浮かんだ。
あの折り目正しい教師に、こういう顔をさせる人物か。
ラングリッドの中で、まだ見ぬ学園長への興味が、わずかに増した。
マルグリットが扉を叩く。
「マルグリットでございます。エシュタール卿をお連れいたしました」
「どうぞぉ」
扉の向こうから返ってきたのは、間延びした、どこか歌うような女の声だった。
マルグリットが扉を開ける。
通された部屋は、書斎というには広く、応接間というには雑然としていた。壁という壁が天井まで届く書架で埋め尽くされ、そこに収まりきらぬ書物が床に積み上げられている。窓辺には見慣れぬ植物の鉢がいくつも並び、机の上には魔道具らしき器具が所狭しと置かれていた。
そして、その雑然とした部屋の主は、大きな椅子の上に、行儀悪く膝を抱えて座っていた。
「いらっしゃぁい。あなたが噂の召喚されちゃった人ねぇ」
ラングリッドは、一瞬、言葉を失った。
部屋に足を踏み入れた瞬間、空気の質が違うことに気付いていた。雑然とした書斎であるはずなのに、見えぬ手で頬を撫でられるような、奇妙な密度がある。たった一人の人物が放つ気配だけで、これだけの濃度を作れる者を、ラングリッドは生涯で数えるほどしか知らない。
まず、目を引いたのは、その耳である。
長く、すらりと尖った耳は只人のものではない。それは物語に語られる伝説の種族、森の住人──エルフ、と呼ばれる種族の特徴であった。
次いで、その容貌。
白銀の髪が腰まで流れ、肌は雪のように白い。瞳は淡い若葉の緑。顔立ちは、人の美醜の物差しでは測りきれぬほどに整っており、年の頃は二十そこそこにも見える。
だが、その緑の瞳の奥に宿る色だけは、若さとはほど遠かった。
幾百年、あるいは幾千年。気の遠くなるほどの時を眺めてきた者だけが持つ、底の知れぬ静けさ。若々しい外見と、その眼差しの深さの落差に、ラングリッドはぞくりとしたものを覚えた。
……ふむ。これは。
そもそも、元の世界では只人以外の種族は存在せず、エルフやドワーフ、獣人などは全てが物語の中の存在だったのだ。
中でもエルフは悠久にも等しい時を生きると言われる種族であり、それが事実であるならば己が七十年少しで得た「年の功」など、この女の前では赤子の手遊びにも等しいのだろう。
外見の若さに惑わされてはならぬ、とラングリッドは緩んでいた己の意識を引き締めた。
「エシュタール卿。こちらが当学園の学園長、ルーヴェリア・リーヴェル・フォン・シグムント様でございます」
マルグリットが、淡々と紹介する。
「初めましてぇ、ルーヴェリアよぉ。そんなに熱い眼差しで見られたら照れちゃう。エルフを見るのは初めてかしらぁ?」
「いやはや、お恥ずかしながら。不躾な視線、失礼した」
「良いのよぉ。わたしも本当に異世界から来た〜って人と話すのは初めてだからぁ」
ルーヴェリアは、ころころと笑う。
その仕草は、外見相応の少女のようでもあり、しかし、どこか何百年もそれをやり続けてきた者の、奇妙な板についた幼さでもあった。
ラングリッドは、しばし考えてから、胸に拳を当てて一礼した。
「お初にお目にかかる。ラングリッド・ラントブルグ・フォン・エシュタールと申す。この度は、突然の珍客を手厚く遇していただき、痛み入る」
「あらぁ、ご丁寧にぃ」
ルーヴェリアは、膝を抱えたまま、ラングリッドをじいっと見つめた。
若葉色の瞳が、ラングリッドの全身を、上から下まで、舐めるように検分していく。値踏みではない。もっと純粋な、珍しい玩具を見つけた子供のような、好奇の眼差しだった。
「ふぅん。なるほどねぇ」
やがて、彼女は楽しげに目を細めた。
「あなた、面白いわねぇ。マルちゃんから聞いてはいたけど……本当に中身、すっごくおじいちゃんなんだぁ」
「……ほう」
ラングリッドは、思わず眉を上げた。
言い当てられた。
昨日、レティシアとマルグリットには長々と身の上を語って、ようやく半分信じてもらえた話を、この女は一目で事実と見抜いたのだ。
というかマルちゃんというはマルグリット先生の事なのだろうか。
「外見は若いのに魂の年輪がねぇ、すっごく分厚いの。それはねぇ、どう背伸びしたって誤魔化すことのできない、文字通り長い時間を生きて色んな経験をする事でしか得られないものなのよ」
「……お見それした」
「ふふん。わたし、目はいいのよぉ。凄いでしょぉ」
ラングリッドは、素直に頭を垂れた。
なるほど、これは「変わった御方」だ。
そして同時に、底知れぬ。ただ見つめられるだけで己の全てを見透かされているのではと錯覚する経験なぞ初めての事である。
「で、そんなおじいちゃんが、どうしてうちの可愛い問題児の使い魔になっちゃうわけぇ?」
ルーヴェリアは、ころりと話題を変えた。
声音は変わらず間延びしているが、その若葉色の瞳の奥が、ほんの少しだけ、鋭さを帯びる。
ここからが本題だ、という合図だった。
ラングリッドは姿勢を正し、昨夜マルグリットに語ったのと同じ話を、改めて語った。
竜と相打ったこと。死にかけたところを、レティシアの召喚で喚ばれたこと。帰る手立てがなく、命を拾われた恩があること。ゆえに、彼女の使い魔となることに否はない、ということ。
ルーヴェリアは、膝を抱えたまま、時折「ふんふん」と相槌を打ちながら、最後まで黙って聞いていた。
そして語り終えると、彼女はにっこりと笑った。
「うん、いいわよぉ」
「……は?」
間の抜けた声を漏らしたのは、ラングリッドではなく、傍らのマルグリットだった。
「学園長。よろしいので? 人間の使い魔は前例がなく、しかも素性の調査はなにも……」
「いいのいいの。何事も初めてのものなら前例なんてないんだし、作ればいいだけでしょぉ。それに」
ルーヴェリアは、机に頬杖をついた。
「マルちゃんの報告との食い違いもないし、噓をついているようには見えないもの。なにより、随分と面白いのよぉ、この子。それがうちの問題児ちゃんの使い魔になるなんて、きっと楽しい事になるわぁ」
「面白い、とはまた」
「ごめんなさいねぇ。でも本当に面白いの、あなた」
ラングリッドは内心で苦笑するも、悪い気はしなかった。
色々と含みはあれどその言葉は本心で、そこに悪意といった類のものが感じられなかったからだ。細められた視線から読み取れるのは興味、そして言葉の通り面白いものを見付けたという好奇の色だった。
それはラングリッドが酒場で若い騎士を見る目と良く似ている。
「では、私の使い魔としての登録は」
「認めるわぁ。学園長権限でね。グランヴェル家への話も、わたしから一筆添えておいてあげる。公爵にも貸しがあるから、悪いようにはしないわよぉ」
「……重ね重ね、痛み入る」
あまりの話の早さに、ラングリッドはかえって拍子抜けするほどだった。
昨夜あれほど何かと気を揉んだ障害が、この学園長の一言で軽々と飛び越えられていく。なるほど、王立学園を預かるだけの裁量とは、こういうものか。
「ただしぃ」
ルーヴェリアは、人差し指を一本立てた。
その瞳が、再び、あの底知れぬ鋭さを帯びる。
「一つだけ、条件があるのよぉ」
「ほう、何かな」
「あなたが、ちゃぁんと『使える』かどうか。それを、見せてもらいたいの」
間延びした口調のまま、しかしその言葉には、有無を言わせぬ芯があった。
「その若い身体が、ちゃんと昔の通りに動くかは別の話でしょ? それにあなたの世界で強くったって、それがここで通用するかは分からないもの」
「もっともだ」
ラングリッドは頷いた。
至極まっとうな話である。昨夜マルグリットが言ったのと、根は同じだ。口で言うだけならば誰でも世界を救う英雄にだってなれてしまう。だが一度剣を交えればそこには強者か弱者、その二つの結果しか残らないのである。
「あの子──レティシアちゃんを、ダンジョンに連れて行くんでしょぉ。その使い魔が、本当に守れる力を持ってるのか。それを確かめないで送り出すほど、わたし、無責任じゃないのよぉ?」
ふわふわした言葉の中に、確かな教育者としての責任が滲んでいた。
なるほど、とラングリッドは思う。
この女、ただ面白がっているだけではない。生徒の命を預かる立場にあるものとしての芯は、ちゃんと持っている。だからこその学園長であり、折り目正しいマルグリットも仕えているのだろう。
「異存はない。で、相手は誰が務める? まさか、学園長ご自身ではあるまいな」
「あらぁ、わたしとやってみたいの?」
「いや、それは遠慮しておこう。私なぞでは手も足も出んよ」
ラングリッドは、即座に首を振った。
冗談めかして言ってはみたが、内心では年甲斐もなく悔しさを覚える事実である。この女と本気で事を構えれば、自分など指一本動かす間もなく消し炭にされるだろう。長く生きた者の勘が、はっきりとそう告げていた。
「ふふっ、結構いい勝負になると思うんだけどねぇ。でもそうねぇ、お相手は──」
ルーヴェリアの視線が、すいと横に流れる。
その先にいたのは、マルグリットだった。
「うちのマルちゃんにお願いするわぁ。これでも昔は、王立騎士団で鳴らした子なのよぉ?」
マルグリットが、静かに一礼した。
「……微力ながら、お相手を務めさせていただきます、エシュタール卿」
「ほう」
ラングリッドの口元が、ゆっくりと笑みの形になった。
昨日から、この教師の身のこなしには、武人の気配を感じていた。指先の古傷、隙のない佇まい、戦場を知る者だけが持つ、独特の雰囲気。一手交える機会があればとふと考えたものだが、こうも早くその機会が訪れるとは。
自分の幸せとやらを見付けようと思った矢先のこれだ。この国の貴族を武闘派などと他人事のようにどの口が言うのか、彼自身も大概である。
「望むところだ。お手柔らかに、マルグリット先生」
「こちらこそ。ただし──」
マルグリットの目に、ほんの僅か、武人としての光が宿る。
「お手柔らかに、とは参りません。学園長のご立ち会いのもと、卿の真の実力を測る場でございますので」
「ははっ、結構。それでこそだ」
二人の武人が、視線を交わす。
その間に流れる、ぴんと張り詰めた糸のような気配を、ルーヴェリアは頬杖をついたまま、実に楽しげに眺めていた。
「いいわねぇ、いいわねぇ。じゃあ、模擬戦は明日の朝にしましょっ。場所は、第三訓練場。わたしも見に行くから、期待してるわねっ」
ころころと笑う学園長の声が、雑然とした学園長室に響く。
「あとねぇ、マルちゃん」
「はい」
「この子なら大丈夫よぉ。存分に胸を借りなさい」
マルグリットの肩からほんの僅か、力が抜けた。
ルーヴェリアの学園長としての言葉は許可であり、激励であり、そして「全力で当たれ」という命令でもあった。そして同時にそれは教師となることを志した折に閉じ込め、胸の内で燻らせていたものをその時だけは解き放っていいのだという諭しのようでもあり。
「……はい。ありがたく」
マルグリットは、ラングリッドを横目に、呟くように答えた。
そしてラングリッドはその視線を受け、僅かに口元を緩める。
言葉は交わさない。
ただ、明日の朝の一手合わせを、互いに楽しみにしている。
今はそれだけで十分だった。
お嬢様ほっぽり出してエルフと先生と仲良くやってる使い魔がいるらしっすよ…。