櫛田の中学に転校した 作:スクラップドラゴン
現代日本において、国家安全保障の根幹を揺るがしかねない最新鋭の軍事技術が、東京都内の古びた高級マンションの一室で生まれているなどと、一体誰が想像できるだろうか。
「――よし、大気圏内における超高高度ドッグファイト用の可変翼シミュレーション、フェーズ12までオールグリーン。自律型AIのドローン管制システムも、バグの検出率はゼロだな」
自室のデスクに並んだ、自作の特注液晶モニター群。そこに流れる無数のソースコードと3Dグラフィックスを眺めながら、俺――水野陽斗(みずの はると)は、深く椅子の背もたれに体重を預けて息を吐き出した。
俺の正体は、いわゆる転生者というやつだ。
前世の記憶を持ったままこの世界に生まれ落ち、物心ついた時には、この世界の人間とは一線を画す「頭脳の冴え」を自覚していた。特に工学、電子制御、そして航空力学の分野において、俺の右に出る者は世界中を探してもおそらく存在しない。
前世の知識というアドバンテージを差し引いても、この身体に宿った学習能力と創造力は完全にチートの領域だった。
15歳という年齢でありながら、俺はすでに実質的な「親離れ」を果たしている。
両親には適当に「学業に専念するために、学校の近くで一人暮らしがしたい」と告げ、十分すぎるほどの仕送りを断り、この広いマンションで自由気ままなシングルライフを送っていた。
なぜそんなことが可能なのか。理由は単純だ。
俺には、一般の大人どころか、大企業の役員すら生涯かけて稼げないほどの莫大な資産があるからだ。
ピピッ、とデスクの隅に置かれた暗号化通信専用の端末が電子音を鳴らす。
画面に表示されたのは、日本の防衛省、および内閣官房の最高機密セクションからの直通メッセージだった。
『水野殿。先日ご提示いただいた【対空軍用次世代型・高機動自律ドローン:プロトタイプ・コード【レイヴン】】について、防衛装備庁内での評価実験が完了いたしました。結果は驚異的の一言。我が国の現行の迎撃システムを完全に無力化するその性能、ぜひとも正式にプロトタイプの権利一式を買い取らせていただきたい。提示額は前回のベースからさらに20%上乗せした金額で、すでに財務省との調整も済んでおります。何卒、前向きなご検討を――』
「……また値上がりしたな。まあ、あのレベルのEMP耐性とステルス性能を個人で組んだんだ。国からすれば、喉から手が出るほど欲しいのは当然か」
俺はため息混じりにキーボードを叩き、「契約書のドラフトを送ってくれ。内容を確認次第、サインする」とだけ返信を送った。
お金には一切困っていない。困っていないどころか、俺の秘密口座には、国家防衛の予算から合法的に流れてきた巨額の報酬が、使う宛てもなく数億円規模の貯蓄として積み上がっている。ただの15歳が持つにはあまりにも過剰な、文字通りの『国家級の資産』だ。
しかし、俺の表の顔は、どこにでもいるただの中学3年生だった。
天才としての研究開発、そして国家とのスリリングな裏の「仕事」。それらを完璧にこなしつつ、俺は平然と義務教育の学校に通い、絵に描いたような「文武両道でちょっと物静かな優等生」を演じ、仕事と学業を完璧に両立させていた。俺にとって、複雑な数式を組み立てる仕事の合間に受ける中学校の授業など、ただの退屈しのぎ、あるいは精神をリフレッシュするための娯楽に過ぎない。
そんな奇妙な二重生活を送っていた俺に、転機が訪れたのは中学3年生の春のことだった。
防衛省直属の研究所が近くにある地域へ、仕事の都合(開発プラントの確認や、国交省との調整の利便性)で急遽、引っ越しを余儀なくされたのだ。それに伴い、当然、通っている中学校も転校することになる。
新しい街、新しい家。そして、新しい学校。
桜の並木を通り抜け、俺は指定された中学校の門をくぐった。
前世の記憶があるとはいえ、転校初日の独特な空気感というものは少しだけ背筋をターゲットにさせる。職員室での挨拶を終え、担任の教師に連れられて新しい教室の前に立つ。
「おい、静かにしろ。今日からこのクラスに編入することになった、転校生を紹介する」
ガラガラ、と小気味いい音を立てて教室のドアが開いた。
一斉に注がれる、数十人分の好奇の視線。 俺は一歩、教壇へと足を踏み出し、あらかじめ用意していた完璧な愛想笑いを浮かべた。
「水野陽斗です。前の学校からは仕事……いや、親の都合でこちらの街に引っ越してきました。趣味は読書と、ちょっとした電子工作です。早くみんなの輪に馴染めるように頑張りますので、よろしくお願いします」
パチパチパチ、と形式的な拍手が教室を包む。
男子からは「お、イケメンじゃね?」という値踏みするような視線、女子からは「大人っぽくて格好いいかも」という囁き声が聞こえる。チートスペックの身体は、容姿の面でも平均を遥かに上回るレベルで仕上がっているため、第一印象としては上々だろう。
「水野の席は、窓際の後ろから二番目だ。ほら、そこ。空いている席に座れ」
先生に促され、俺は荷物を持って歩き出す。
机にカバンをかけ、椅子を引いて座る。周囲の視線がまだこちらをチラチラと伺っているのを感じながら、俺は窓の外の景色に視線を逃がそうとした――その時だった。
「――ねえねえ、水野くん!」
鈴の音を転がしたような、極めて澄んだ、そして信じられないほど愛らしい声が、すぐ近くから降ってきた。
ハッとして顔を上げると、そこには1人の少女が立っていた。
綺麗に切り揃えられた、少し明るい栗色のショートボブ。
形の良い眉の下で、キラキラと爛漫な輝きを放つ、大きな瞳。
仕草の一つ一つから、他者への全幅の信頼と、底抜けの善性が溢れ出ているかのような――そんな、完璧な美少女だった。
「君が転校生だね♪ 私、櫛田桔梗っ、 このクラスの学級委員……みたいなことをやってるの。遠いところから引っ越してきたばっかりで、きっと不安なこともたくさんあるよね?」
彼女は一歩、俺のデスクへと距離を詰める。ふわりと、春の陽だまりのような、甘く優しいシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「教科書の進み具合とか、学校のルールとか、何でも分からないことがあったら私に聞いてね♪ あ、学校の周りの美味しいお店とかも詳しいから、困ったことがあったら何でも、本当に何でも聞いてね!」
その瞬間、俺の胸の奥で、何かが激しく揺さぶられた。
(……あぁ、これだ)
強烈な、言葉にできないほどの「感動」が、俺の全身の細胞を駆け巡っていく。
俺は知っている。この世界が、前世で読んだことのあるあの物語――『ようこそ実力至上主義の教室へ』の世界であることを。そして目の前にいるこの、天使の羽衣を纏ったかのような少女が、いずれ高校生になり、最悪の爆弾としてクラスを恐怖に陥れる「櫛田桔梗」その人であることを。
今の彼女の笑顔は、彼女が己の歪んだ承認欲求を満たすために作り上げた、完璧な『偽りの仮面』だ。
裏では、クラスメイトへのドス黒い愚痴や、彼らの誰にも言えない秘密を、誰も知らない個人ブログに狂ったように書き殴り、ストレスを発散している。そのブログがバレそうになった時、彼女はクラス全員の秘密を暴露して、学級崩壊を引き起こす。そんな未来が、そう遠くないうちに待っている。
普通なら、警戒するだろう。
関わらないようにしようと、距離を置くだろう。
だが、今の俺の心を満たしているのは、恐怖でも嫌悪でもなかった。ただ純粋な、圧倒的な『感動』と『愛おしさ』だけだった。
考えてもみろ。
彼女は、自分という存在の価値を「周囲から必要とされること」「誰からも好かれる聖女であること」にしか見出せない、あまりにも不器用で、孤独で、脆い女の子なのだ。
誰からも愛される完璧な自分でいるために、彼女は毎日、どれほどのプレッシャーと戦っているのだろう。どれほど張り詰めた精神で、この眩しい笑顔を維持し続けているのだろう。
そのストレスの捌け口として、ブログに言葉を吐き出すことしかできなかった彼女の、その人間臭いまでの歪みが、俺にはどうしようもなく愛おしく思えた。
今、俺に向けられているこの笑顔。
たとえそれが、計算され尽くした偽物だとしても、それがどうした。
転校生である俺を気遣い、真っ先に声をかけてくれたその行動、その瞬間の彼女の輝きは、間違いなく本物だ。
「……うん。ありがとう、櫛田さん」
俺は、心の底からの親愛を込めて、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
国家を相手に大金を稼ぎ、どんな大人の前でも動じなかった俺の心が、この15歳の少女の笑顔によって、完全に救われたような気がしていた。
「水野陽斗です。右も左も分からないから、櫛田さんみたいな優しい人が声をかけてくれて、本当にホッとしたよ。……これから、よろしくね」
「うんっ! よろしくね、水野くん!」
櫛田桔梗は、嬉しそうにさらに笑みを深めた。彼女の張り子の仮面は、今のところ完璧に機能している。自分が世界で一番愛される存在であるために、彼女は今日も命を削って「聖女」を演じている。
俺は、彼女の隣に並ぶ自分のカバンをそっと見つめた。
その中にあるノートPCを叩けば、数億円の資産にアクセスできる。俺の頭脳があれば、国家のドローン技術をひっくり返すことすらできる。
なら、決まりだ。
このチート工学力と、誰にも縛られない圧倒的な財力、そして前世の知識。
これらすべてのチート能力は、この世界において、目の前の少女――櫛田桔梗を守るために使う。
いずれ彼女が破滅の夜を迎える時。
世界中の人間が彼女を拒絶し、彼女のブログを指さして「化け物」と罵る時が来ても。
俺だけは、彼女の裏の顔を、そのドス黒い愚痴のすべてを、知った上で抱き締めよう。「俺は、お前のそんな汚いところも含めて、全部大好きなんだ」と、世界でたった一人、彼女を全肯定する絶対的な味方になってやろう。
国家の新型ドローンを設計するよりも、遥かにスリリングで、遥かに価値のある俺の新しい『仕事』が、今この瞬間、始まったのだ。