櫛田の中学に転校した   作:スクラップドラゴン

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神室対櫛田

 

 

恐怖と焦燥感に染まり、今にも自暴自棄な言葉を吐き出しそうになっている神室真澄の視線を、俺は真っ直ぐに受け止めた。

 

俺は掴んでいた彼女の肩からそっと手を離すと、バッグの中に隠されていた酒の缶を流れるような手つきで抜き取る。そして、周囲の店員や生徒たちに一切悟らせない自然な動作で、それを元の棚へと静かに戻した。

 

 

「行こうか」

 

 

神室の肩をポン、と軽く叩いて歩き出す。

 

 

「神室さん、行こうっ♪」

 

 

隣の櫛田が、これ以上ないほどに優しく完璧な『聖女の笑顔』を神室に向け、その細い腕を優しく引いた。神室は完全に毒気を抜かれたような、あるいは激しい混乱に陥ったような顔をしながら、俺たちの後を大人しくついてくるしかなかった。

 

コンビニの自動ドアをくぐり、ガヤガヤとした新入生たちの喧騒から少し離れた敷地内の遊歩道に出たところで、神室が耐えかねたように足を止め、俺たちを鋭く睨みつけてきた。

 

 

「……どうする気? 学校に報告するなら別に良いわよ。監視カメラに映ってたわけでもないし、あんたたちが私を通報するなり好きにすれば? 退学にでも何にでもなりなさいよ」

 

 

強がってはいるが、その声は微かに震えている。傷つくのを恐れて、最初から全てを投げ出すような原作通りの不器用な態度。俺はそんな彼女に向かって、感情の起伏を取り払った静かな声を掛けた。

 

 

「退屈なのか?」

 

「……は?」

 

 

神室が不意を突かれたように目を見張る。

 

 

「理由は知らないけど、満たされない日常の中で、万引きっていう安易なスリルや刺激感を求めてるんだろ? 捕まるか捕まらないかの瀬戸際でしか、生きてる実感を得られないような、そんな退屈の中にいるんじゃないのか」

 

「あんたに何が分かるのよ……っ」

 

 

核心を突かれ、神室がさらに顔を青ざめさせる。俺はポケットに手を突っ込み、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「だったら、もっと健全で、もっと熱くなれる良いものがある。――ついて来い」

 

 

俺たちが神室を連れて向かったのは、敷地内にある巨大な娯楽施設、パレット内のボウリングセンターだった。平日の放課後、しかも入学初日ということもあって、フロア内はまだ閑散としており、規則的なピンの倒れる音が響いている。

 

俺は受付を済ませて専用のシューズに履き替えると、怪訝な顔で突っ立っている神室にボールを指し示した。

 

 

「俺に勝てたら、俺は神室から手を引くよ。今日の件も、文字通り全て忘れてやる」

 

「はあ? あんた体格もいいし、どう見ても運動神経良さそうなんだけど。ずるくない、それ。最初から勝負になってないじゃん」

 

 

神室が気怠げに、だが鋭く突っ込んでくる。チートスペックの塊である俺とまともに戦えば勝てないことくらい、彼女の直感が察しているのだろう。

 

 

「そうか。なら、俺のスコアに『マイナス100点』のハンデをくれてやるよ。これなら文句ないだろ?」

 

「……100点? あんた、舐めてるの?」

 

 

神室の額に青筋が浮かぶ。いくら何でも中学生上がりの男にそこまでコケにされて、黙っていられるほど彼女のプライドは低くなかった。

 

 

「勝てるもんなら勝ってみろ。代わりに――もし俺だけでなく、そこにいる櫛田にも負けたら、これからは俺たちの下で動いて貰おう。お前を俺たちの『身内』として扱い、必要な時は手駒になってもらう。これでどうだ?」

 

「は、何それ。勝負を受けるメリットが私に無いじゃん。……でも」

 

 

神室はそこで言葉を区切ると、俺の隣でニコニコと無害な笑顔を浮かべている櫛田へと視線を移した。

 

 

「……そっちの、見るからに運動とかできなさそうな『良い子ちゃん』にだけは、負ける気がしないんだけど」

 

 

挑発的な神室の視線。

 

その瞬間、俺の隣でニコニコと無害な笑顔を浮かべている櫛田の雰囲気が、微かに、だが決定的に変わった。

 

中学時代のあの修羅場を俺と共に潜り抜け、甘えを捨てて研ぎ澄まされた彼女の『本性』が、その瞳の奥で獰猛に目を覚ます。

 

 

「むう、良い子ちゃんかぁ……それはちょっと聞き捨てならないな~。じゃあ、やってみる? 神室さん♪」

 

 

櫛田の笑顔の奥から、凄まじい闘争心のオーラがピキリと漏れ出す。

 

こうして、俺たちの命運と神室の主導権を賭けた勝負が始まった。

 

第1フレーム。先攻の神室は、気怠げなフォームからは想像もつかないほど美しい軌道でボールを放ち、残ったピンを見事に弾き飛ばして、いきなりスペアを取ってみせた。

 

 

「どう? 100点もハンデがあるんだから、今のうちに降参しても良いよ?」

 

 

神室がプロポーションの優れた身体をこちらに向け、勝ち誇ったように鼻で笑う。

 

 

「言うね。じゃあ、俺の番だな」

 

 

俺はチート知能による精密な空間計算と、極限まで高められた肉体操作を連動させ、ボールを滑らせた。一切の無駄がない、物理法則をそのまま体現したようなパーフェクトな投球。

 

――バゴォン!! と、フロア全体に響き渡るような轟音と共に、ピンが一本残らず四散する。

 

 

「な、っ……!?」

 

 

神室の顔が引きつる。

そこから先は、神室にとっての絶望の時間だった。俺は一投ごとに全く同じ完璧なフォームで、機械のようにストライクを連発し続けた。

 

 

「よっ。これならマイナス100点のハンデがあっても、余裕で勝っちゃうな」

 

「ふふっ、神室さん、私の事も忘れないでね♪」

 

「っ…負けない…」

 

 

俺が涼しい顔でストライクを積み重ねる。

 

神室は悔しげな顔をしながらも俺から櫛田へと狙いを切り替えた様子だった。勝負の本当の焦点は、神室と櫛田のタイマンへと移っていった。

 

神室は確かにボウリングが上手かった。特有のストリート仕込みのセンスというか、抜群の体幹から繰り出されるフックボールは、素人の域を遥かに超えている。序盤からスペアとストライクを交互に叩き出し、一歩も譲らない構えだ。

 

 

だが、神室の誤算は、櫛田桔梗という少女の肉体が、自分の想像を遥かに凌駕する『努力のチートスペック』であることだった。

 

第3フレーム、櫛田の投球順。

櫛田はスカートの裾を少し気にしながらも、アプローチに立つと同時にスッと深く息を吸い込んだ。その瞬間、彼女の細い手足の筋肉が、無駄なく引き締まるのを俺は見逃さなかった。

 

トトトト、と軽快で、かつ寸分のブレもない完璧な助走。トップから振り下ろされた右腕は、男子顔負けの鋭いヘッドスピードでボールをリリースした。

 

指先から放たれた重い14ポンドのボールが、強烈な回転を伴ってレーンを滑る。オイルを切り裂き、バックエンドで急激に鋭く曲がったボールは、ピンの真ん中、最もストライクが出やすい『ポケット』へと完璧な角度で突き刺さった。

 

――バゴォォォン!!!

 

ピンが文字通り爆発したかのように四散し、一本残らず背後の闇へと消え去った。

 

 

「な、っ……!?!?」 

 

 

ベンチでそれを見ていた神室が、持っていたおしぼりを落としそうになるほど目を見張った。

ただ綺麗に転がしたのではない。ボールの破壊力、回転数、そして何よりフォームの軸のブレなさ。それは、毎日俺の家で過酷なドローンの特殊訓練や、身体能力の向上に付き合ってきた櫛田だからこそ到達した、圧倒的な身体能力の証明だった。

 

 

「どう? 神室さん、私だってこれくらいできるんだよ♪」

 

 

櫛田は振り返ると、額の汗を拭いながら、最高に無邪気で、そして最高に好戦的な笑みを神室に向けた。

 

 

「っ……良い子ちゃんの癖に、やるじゃない……!!」

 

 

神室がガシリと拳を握りしめ、前髪を乱暴にかき上げる。完全にプライドに火がついた。

 

 

「ただのハッタリ女だと思ってたのに、なんなのよあの身体能力は……!」

 

 

焦燥感が神室を突き動かす。神室もまた、一投ごとに泥臭く集中力を極限まで高め、ストライクを返しにいく。

 

 

「ふんっ!」

 

「それっ♪」

 

 

第6、第7フレームと、交互にストライクを叩き出し合う二人。ピンが倒れるたびに、フロア全体に凄まじい風圧が吹き抜けるかのような錯覚さえ覚える。

 

 

「はあ、はあ……っ、あんた、本当に何者なのよ……!」

 

 

神室の投球フォームは、激しい運動量で徐々に荒削りなヤンキーのそれに先祖返りしていた。息を荒くしながらも、執念だけで10本のピンをなぎ倒していく。

 

対する櫛田も、すでに『優しい聖母』の化けの皮が半分剥がれかけていた。ボールを拾い上げるその横顔には、冷徹で、獲物を絶対に逃さないという獰猛なハンターの目が宿っている。

 

 

「負けられないよ、神室さん……!! 私は、陽斗君の隣にふさわしい女の子になるって決めたんだから……こんなところで、あんたなんかに足元をすくわれるわけにはいかないのっ!」

 

 

櫛田の口から漏れた本音の咆哮。それは学校の誰も知らない、俺の前だけで見せる、生きることに貪欲な彼女の本質の輝きだった。

 

ガチガチの死闘。お互いの意地と魂が火花を散らし、スコアボードの数字は1点差を争う泥沼のデッドヒートのまま、ついに運命の最終第10フレームへと縿れ込んだ。

 

先攻の櫛田、魂の一投。激しい疲労の中でもその跳躍力と体幹は崩れず、放たれたボールはストライク! 続く2投目もストライク。3投目は惜しくも1本を残す9ピン。合計スコアは、高校生女子としては破格の「190点」オーバーという大記録を叩き出した。

 

 

「はあ……はあ……っ。さあ、神室さんの番だよ」

 

 

櫛田はプロポーションの優れた身体を激しく上下させながら、挑戦的な、だが互いの健闘を認め合うような熱い視線を神室に送った。

 

後攻、神室真澄。彼女が勝つためには、この10フレームでストライク、そして続くパンチアウト(連続ストライク)が絶対条件という、絶望的なプレッシャーがかかっていた。

 

 

「……上等よ。万引きのスリルなんかより、よっぽど心臓が痛いじゃない……!」

 

 

神室は血走った目でボールを構えると、アプローチを力強く蹴り進んだ。

彼女の放ったボールは、執念に導かれるようにピンのド真ん中へと激突する。

 

 

――カァァァン!!

 

 

ストライク! 割れんばかりの歓声(と言っても俺たちしかいないが)が脳内に響く。そのまま2投目も取った。

 

そして運命のラスト一投。

 

神室の手から放たれたボールが、1番ピンを掠め、ドミノ倒しのように全てのピンをなぎ倒した。

電光掲示板のデジタル数字がフラッシュし、表示された神室のスコアは、櫛田の記録を僅か『1点』だけ上回る、奇跡的な大逆転勝利を示していた。

 

 

「やった……!! 勝ったあぁぁ!!」

 

 

神室はその瞬間、それまでのクールな仮面をかなぐり捨て、両手を高く突き上げて子供のように飛び上がって喜んだ。

万引きで得られる安っぽい刺激なんかより、よっぽど脳が痺れるような、全身の血が沸き立つ本物の『勝利の快感』が、彼女の心を完全に満たしていた。

 

 

「あっ……」

 

 

自分が俺たちの前で、信じられないほど大はしゃぎしてしまったことに気づき、神室はハッと息を呑んで慌てて手を下ろした。

顔を真っ赤にして、気まずそうに髪をツンツンといじる神室。その横で、櫛田は悔しそうにソファーに倒れ込みながらも、どこかスッキリとした、晴れやかな表情で神室を見上げていた。

 

 

「あはは……あーあ、負けちゃった。神室さん、本当に強いね。……ねえ、悔しいからまた今度、私と勝負してくれないかな?」

 

 

櫛田は小悪魔のように微笑みかけながら、神室の元へと歩み寄った。

 

神室はふいっと視線を逸らしながらも、プロポを片付けるその手が、まだ心地よい興奮で微かに震えているのを隠しきれていなかった。

 

 

「……ふん。どうしてもって言うなら、また相手をしてあげても良いわよ。あんたたちに付き合ってあげるくらいなら、退屈しのぎにはなりそうだしね」

 

 

ツンとした口調。だが、その言葉には、俺たちへの敵意はもう残っていなかった。

 

 

「……あ」

 

 

その時、神室がふと、頭上の電光掲示板のもう一つのスコア――『水野陽斗』の欄を見上げて、本日何度目か分からない驚愕に表情をフリーズさせた。

 

そこには、すべてのフレームに『Ⅹ』の文字が並ぶ、完璧な「300点」のパーフェクトゲームの数字が刻まれていた。マイナス100点のハンデを差し引いても、スコアは「200点」。結局、俺の点数が一番高かったのだ。

 

神室は信じられないものを見る目で、ボールの埃を払っている俺を凝視した。

 

 

「あんた、ハンデ背負いながらサラッとパーフェクト出してんじゃないわよ……化け物なの?」

 

「言っただろ、勝てるもんなら勝ってみろって」

 

 

俺は不敵に笑うと、神室の目の前に歩み寄り、ポケットから出した右手をすっと彼女の前に差し出した。

 

 

「神室。――これからも、よろしくな」

 

 

それは、彼女の犯した『万引き』という罪をここで完全に帳消しにし、これからは原作のような坂柳の手駒としてではなく、俺たちの頼れる『身内』として、共に対等な地平を歩んでいこうという、俺なりの不器用で、だが絶対的な信頼の証だった。

 

差し出された俺の手を見つめ、神室はしばらくの間、複雑そうに唇を噛み締めて立ち尽くしていた。

いつもなら「馴れ馴れしく触らないで」と一蹴するはずの彼女の右手が、微かに躊躇うように空中で彷徨う。

 

だが、隣でまだ息を切らせている櫛田が「ほらほら、男の子に手を差し出させたまんまにするのは、レディーのすることじゃないよ?」と、悪戯っぽく背中を押すように微笑みかけると、神室は観念したように小さくため息を漏らした。

 

 

「……ふん。本当に、最初から最後まで、調子の狂う奴らね」

 

 

神室はぶっきらぼうにそう呟くと、俺の右手をガシリと、だがどこか愛おしそうに力強く握り返してきた。彼女の手のひらは、さっきまでの激闘の熱が残っていて、驚くほど熱かった。

 

 

「落とし前は、いつか別の勝負で絶対に晴らさせてもらうから。……それまでは、あんたたちのその退屈しのぎに、付き合ってあげるわよ」

 

 

ツンとそっぽを向きながらも、俺の手をしっかりと握る彼女の態度には、もうかつての孤独な冷徹さは残っていなかった。

 

こうして、俺のチートスペックの勝利と、櫛田の魂の激闘を経て、神室の運命は完全に俺たちの元へと手繰り寄せられた。

 

坂柳有栖に弱みを握られて冷酷な奴隷にされるはずだった彼女の運命は、この放課後の熱い死闘を経て、『退屈を共有する、最高に熱いライバル』としての未来へと、完全に書き換えられたのだった。

 

 

 

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