櫛田の中学に転校した 作:スクラップドラゴン
神室の万引き現場を俺と櫛田が先回りして抑え、ボウリングの死闘を経て彼女と友人になってから、数日という時間が流れた。
原作の知識を持つ俺としては、神室をハメようと裏で糸を引いていた坂柳有栖の動向を最も警戒していた。
だが、俺が密かに装備している護衛用の虫型ドローンによる監視ログを見る限り、あの放課後、坂柳はコンビニの現場にギリギリのところで到着していなかったようだ。神室が万引きを「未遂」のまま俺たちに連れ出されたため、坂柳は決定的な弱みを握り損ねたらしい。そのためか、彼女は今のところ特に俺たちに不穏な絡み方をしてくる様子はなかった。
ただ、変化もあった。神室が坂柳の手駒にならなかったこの世界線では、神室の本来のポジション(坂柳の隠れた護衛・手腕)として、あの気配の薄い少女――山村美紀が、坂柳の身を心配して影のように彼女を護衛するようになっていた。
(神室というピースが外れても、坂柳は別のピースで埋め合わせをしようとするわけか)
あれからの放課後、俺たちは神室を連れてよく遊んでいた。
ある日は校内のフィットネスジムで汗を流し、またある日はケヤキモールのゲームセンターで最新の筐体に挑む。
「ちょっと水野、なによその格闘ゲームのコンボ! 画面からキャラが消えてんだけど! 反応できるわけないでしょ、ずるい!」
「ただのフレーム計算と反射神経の応用だよ。ほら、神室、次は桔梗の番だぞ」
「あはは、神室さん、私だって負けないよ? それっ♪」
「ちょ、櫛田さんまでなんなのよその超反応……! あんたたち二人とも、本当に中身人間?」
神室がいつもの気怠げな態度をどこかへ置き去りにして、顔を紅潮させながらコントローラーを叩いている。万引きという安易な犯罪に走るほど退屈しきっていた彼女の日常は、俺たちの遊びに巻き込まれることで、生活に支障が出ない程度に、だが脳が痺れるほどの健全な刺激で満たされ始めていた。
この楽しい輪には、当然Dクラスの堀北鈴音も誘っていた。だが、彼女は生真面目というか頑固というか、あまり遊びには来られなかった。
「私はパスさせて貰うわ。貴方たちがそうやって放課後を浪費している間にも、私は兄さんに追いつくために勉強をしなければならないの」
時折、ケヤキモールのカフェで合流した際に堀北はそう言って、参考書から目を離さずに小さくため息を漏らしていた。彼女の話によると、現在のDクラスの環境は原作通り、かなり劣悪な状態に陥っているらしかった。
「本当にあそこは欠陥品の集まりよ。授業態度が悪すぎて、時折先生の講義の声が騒音で聞こえないことすらあるわ。高円寺君なんて、授業中に鏡を見て髪を弄っているのよ? 信じられないわ」
「うわ……大変だね、鈴音ちゃん。Aクラスじゃあり得ないよ。でも、あんまり根を詰めすぎたら身体に毒だよ? ほら、このパフェ一口あげるから元気出して♪」
「……ありがとう、櫛田さん。貴方のその気遣いだけが、今の私の救いだわ」
堀北は愚痴をこぼしながらも、完全に俺たちとの関係を断絶するわけではなかった。時折こうして遊びやティータイムに参加しては、桔梗からパフェをあーんされて少し顔を赤らめるなど、中学時代よりも確実に精神的なトゲが丸くなっているのが見て取れた。
一方、俺たちが所属する1年Aクラスの状況はといえば、基本的には相変わらず真面目に授業を受けていた。だが、入学から数日が経ち、国営学校のあまりの快適さに、戸塚弥彦など一部の生徒はどこか気が緩み始め、授業中につまらなそうな顔をしたり集中を切らす場面も見受けられるようになった。
(まあ、この程度の緩みなら致命傷にはならない。葛城がこまめにクラス内に注意喚起をして規律を正しているし、Aクラスとしての体裁は保たれている)
ここで俺が下手にクラスメイト全員に「Sシステム(クラスポイントの連動)」の全貌を説明してしまうと、巡り巡って他クラスに情報が漏洩するリスクがあった。そのため、俺はあえて口を閉ざしておくことにした。何もしなくても、葛城の優秀な統率力があれば、原作並みの膨大なクラスポイントを初月で残せることは確定している。
もしクラスの誰かが、他クラスの友人や知り合いに「実はうちのクラスの水野って奴が、この学校のポイント制度の裏を暴いたんだけどさ……」などと、軽口で漏らしてしまえば一発で終わりだ。
情報が他クラス――特にBクラスの一之瀬帆波、Cクラスの龍園翔といった連中に漏洩すれば、彼らはすぐに危機感を抱いて行動を修正し始める。
結果として、彼らの減点を食い止め、彼らを利することに繋がりかねない。
実力至上主義のこの学校において、情報は命そのものだ。
他クラスが勝手に自滅していくのを、わざわざ手を差し伸べて救ってやる義理はない。Aクラスがトップを独走し続けるためには、この圧倒的な情報アドバンテージを、俺たちの手の内に完璧に秘匿しておく必要があった。
Aクラスは今のままで十分に勝ち残れる。まずは一ヶ月後、他クラスが絶望に染まる瞬間を特等席で見届けさせてもらうとしよう。
放課後、櫛田達との遊びが終わると俺自身の戦いが始まる。
(……よし、モーターの出力特性の同期は完了。次はジャイロセンサーのキャリブレーションだ)
ラボの冷徹な空気の中、俺は静かに集中力を研ぎ澄ませていた。
何度もこなしてきた作業。手慣れたルーティン。しかし、だからこそ慢心は許されない。ミリ単位の狂い、プログラムの僅か一行のバグが、実戦において数億円の機体をただの鉄屑に変える。俺は自分の腕を過信せず、むしろ「腕を鈍らせないための絶好の機会」として、この超高難度のビルドに挑んでいた。
作業台の上に鎮座するのは、レーダー反射断面積(RCS)を極限まで抑えるためにミリ単位で成形された、特殊ステルスカーボンフレーム。ピンセットでつまんだ極小の半導体チップを、自作の多層基板へと慎重に配置していく。半田ごての先から立ち上る、僅かなヤニの匂い。独自の熱処理を施した極細の配線一本を通す手元にも、一切の迷いはない。呼吸を整え、心拍数を一定に保ちながら、正確無垢な職人のように指先を動かしていく。
(低空を這うように侵入する巡航ミサイル、あるいはテロリストの自律ドローン。それを迎撃するための超高機動ドローンだ。旋回時の最大Gに耐えるため、フレームの接合部にはナノカーボン補強を二重に入れる必要がある……)
ハードウェアが形を成した後は、最も慎重を期すソフトウェアの書き込みだ。
キーボードを叩く乾いた音が、静かなラボに響く。
俺が構築したのは、既存の軍用レーダーと連動しつつ、最終アプローチではGPSに頼らず視覚情報だけで標的を補足・自動追尾する「自律旋回AIプログラム」。
(コードに無駄はない。だが、実戦環境での外乱、突発的な横風に対する応答速度をあと0.02秒縮める。……ここをこう書き換えて、最適化を施す)
コンパイルが通り、漆黒の試作機のコアが、起動を示す青いLEDを静かに明滅させた。テストベンチでのシミュレーション。画面に並ぶ数値は、すべて理論上の限界値を叩き出している。
テストベンチでのシミュレーション。画面に並ぶ数値は、すべて理論上の限界値を叩き出している。
よし、と心の中で小さく呟き、俺は息を吐いた。
完成した機体を、衝撃吸収材が敷き詰められた専用の軍用輸送コンテナへと収める。指紋一つ残さないよう、徹底的なクリーニングを施してから蓋を閉め、電子ロックをかけた。
昨日、例のコンテナは国直属の特使によって搬出され、すでに防衛省の実験場へと向かっている。
国が機体の実戦テストを行い、その圧倒的な性能評価を終えるのは「一ヶ月後」。
その時、この学校のシステムを仲介して、俺の端末に『プライベートポイント』という形で莫大な報酬が振り込まれる手筈だ。
(手応えは過去最高だ。あの役人どもが、この機体の旋回性能を見てどんな顔をするか、今から目に浮かぶな……)
ふっ、と口元をわずかに緩め、俺はポケットのセキュリティカードを指先で弾いた。
どれだけ優れた頭脳を持っていようと、この学校の生徒たちはあくまで「高校生」の枠の中にいる。だが俺は、すでに国家の防衛システムの一端を担うプロフェッショナルとして、この箱庭に足を踏み入れている。
「――ねえ、陽斗? さっきから難しい顔してどうしたの?」
隣を歩く櫛田の声で、俺は現実の並木道へと意識を引き戻された。
「いや、なんでもないよ。ちょっと一ヶ月後の『お小遣い』がいくらになるか、計算してただけだ」
プロとしての仕事を完遂した充実感を胸に秘め、俺はAクラスの教室へと歩を進めた。
高度育成高等学校に入学してしばらく経ち、初の水泳の授業がやってきた。
男子更衣室。俺が制服を脱ぎ捨て、指定の競泳水着に着替えた瞬間、それまで騒がしかった空間がピタリと静まり返った。
「……おいおい、マジかよ」
最初に声を漏らしたのは橋本正義だった。彼は着替える手を止め、俺の身体を頭から爪先まで凝視している。
無理もない。俺の肉体は、前世からの記憶と、国からの極秘任務――あの過酷なドローン製作や、それに伴う極限状態でのトレーニングを耐え抜くために鍛え上げられた、流石は転生者と言うべき至高のビルドだ。無駄な脂肪は一切なく、彫刻のように刻まれた腹筋、鋼のように盛り上がる大胸筋と背筋が、更衣室の蛍光灯の下で圧倒的な存在感を放っていた。
「水野……。貴様、普段一体どんな鍛錬を積めば、それほどの肉体になるのだ」
普段は冷静な葛城康平が、真面目な顔をして俺に歩み寄ってきた。
間近で見る葛城の身体は、まさに重戦車と呼ぶにふさわしい、重厚で強固な筋肉の塊だ。だが、俺はそんな彼のステータスを思い出して、内心で苦笑せざるを得なかった。
(……いやいや。葛城、お前その重戦車みたいな筋肉をしておいて、学校の評価(OAA)だと身体能力『C+』なのおかしいだろ。平均より微妙に上くらいってレベルじゃないぞ、その圧迫感は)
「まあ、ちょっと人より身体を動かす機会が多くてな」
「謙遜するな。その大腿四頭筋の張り、一朝一夕で身につくものではない。見事なものだ」
橋本が肩をすくめながらニヤリと笑う。
「いや~、水野の隣で脱ぐのは男としてポイント削られる気分だわ。女子が見たら一発で落ちるんじゃねぇの?」
男子たちの羨望と驚愕の視線を背中に浴びながら、俺たちはプールサイドへと向かった。
屋外プールに出ると、初夏の心地よい風が肌を撫でる。
ふと見学席のベンチに目をやると、白い帽子を被った坂柳有栖が、ちょこんと座ってこちらを見ていた。彼女は運動を禁じられているため見学だが、その視線はまっすぐに俺の身体を捉えている。
(坂柳の奴、めちゃくちゃ観察してくるな……。チェスの駒の仕上がりでもチェックするつもりか?)
「陽斗君! ――って、うわぁ……!」
タタタッと軽い足音を立てて近づいてきたのは、抜群のスタイルを誇る櫛田だった。競泳水着越しでも分かるその見事なプロポーションは、周囲の男子の視線を釘付けにしている。だが、彼女は俺の前に立つと、頬をわずかに赤らめて俺の胸板を見つめた。
「ちょっと見ない間に、また凄く逞しくなってる……。ねえ、触ってもいい?」
「おい桔梗、学校の授業中だぞ」
俺が苦笑して窘めると、櫛田の後ろから、これまたスラリと伸びた手足と美しいスタイルを持つ神室が、気怠げに歩いてきた。神室は口元を引き締めつつも、その瞳は獰猛な肉食獣のように、俺の鎖骨から腹筋、そして脚の筋肉へと、舐め回すように動いている。
「……あんた、本当に高校生? どこぞの特殊部隊の間違いじゃないの?」
「神室、目が怖いぞ。品定めするみたいに見てるんじゃない」
「別に、見てないし。……ただ、ちょっと筋肉が不気味なだけ」
ふいっと目を逸らす神室だが、耳の裏が少し赤い。
周囲を見渡すと、他のAクラスの女子たちも、俺の水着姿を見て遠巻きにヒソヒソと 囁き合っている。
「ねえ、水野くんの身体ヤバくない?」
「モデル以上だよ、あの筋肉……」
そんな声が鼓膜を揺らす。
「よし、全員集まれ! これから50メートル自由形のタイム計測を行う!」
先生のホイッスルが響き、競泳が始まった。まずは女子のレースだ。
「桔梗、神室も、頑張って」
「うん! 陽斗君に良いところ見せちゃうんだから!」
「……ハァ、面倒くさい。サクッと終わらせよ」
対照的な二人だったが、実力は本物だった。
スタートの合図とともに、二人は綺麗なフォームで水を捉える。女子のレースにおいて、やはり神室の身体能力は高かった。しなやかで力強いキックで、ぐんぐんとリードを広げていく。櫛田も負けじと必死に食らいついていくが、結果は神室が1位、櫛田が2位。二人とも女子の中では圧倒的なトップタイムだ。
「神室さん、速いなぁ! 負けちゃった」
「あんたも大概しぶとかったわよ、桔梗」
プールから上がってきた二人にタオルを渡しながら、次は男子のレースを見届ける。
鬼頭隼斗が持ち前の長い四肢を活かして、かなりいいタイムを叩き出した。重戦車の葛城は、意外にも割と普通より上程度の実戦的な泳ぎ。そして、飄々とした橋本が、予想に反して滑らかな泳ぎでかなりの好タイムをマークしていた。
「次、水野! コースに入れ!」
ついに俺の番が来た。
スタート台に足をかけ、前方の水面を見据える。全身の筋肉が、命令を待つ精密機械のように静かに駆動を始める。50メートルなんて、俺にとっては楽勝の距離だ。
――ピィッ!!
電子音が響いた瞬間、俺は爆発的な脚力でスタート台を蹴った。
空中を鋭く飛び、最短の角度で水面へとエントリーする。抵抗を極限まで減らしたストリームラインから、圧倒的なパワーのドルフィンキック。
(……本気を出す必要はない。だが、腕を鈍らせないための、これが今の俺の巡航速度だ)
バシャバシャという無駄な水飛沫は上げない。ただ、水面を滑る弾丸のように、俺の身体は他を圧倒的な速度で引き離していく。ターンなどない、ただ直進するだけの50メートル。右側のレーンも左側のレーンも、視界の端にすら入らない。
ガツン、と力強くタッチパネルを叩く。
水面から顔を上げると、周囲は静まり返っていた。他の男子たちは、まだ15メートル以上後ろを泳いでいる。
「おい、水野……。お前、そのタイム……!」
ストップウォッチを握りしめた先生の手が、小刻みに震えていた。掲示された公式タイマーのデジタル文字を、先生が何度も信じられないといった様子で見つめ直す。
「に、20秒94だと……!? 日本記録に迫る勢いじゃないか!!」
プールサイドが騒然となった。
(……20秒94か。まあ、これでもまだ全力の本気じゃないんだけどな。ラスト10メートルはかなり流したし)
水から上がると、すぐに櫛田と神室が駆け寄ってきた。
「陽斗君、凄すぎるよ!! 泳いでるっていうか、別の何かに見えたもん!」
櫛田が目を輝かせて、自分のことのように飛び跳ねて喜んでくれる。
「……はぁ。本当に呆れた。あんた、ボーリングだけじゃなくて水泳まで人間離れしてんのね」
神室は呆れたようにため息をついたが、その視線は再び、濡れて精悍さを増した俺の筋肉を、上から下までじっくりと捉えて離さなかった。
ふと視線を感じて振り返ると、男子たちの目が完全に死んでいた。橋本は苦笑いしながら両手を上げ、葛城は腕を組んでフリーズしている。「いや、あれに身体能力で勝てるわけねぇだろ……」という、男子たちの痛いほどの視線が突き刺さる。
そんな喧騒の中、俺は遠くの見学席で、満足そうにフッ、と微笑む坂柳有栖と目が合った。
そして…平穏な日常が終わり、5月1日を迎える…