櫛田の中学に転校した   作:スクラップドラゴン

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5月1日

 

 

 

5月1日、運命の朝。

 

教室に入ると、いつもの厳格なAクラスの空気とは違い、生徒たちの困惑したざわめきが耳に飛び込んできた。

 

 

「おい、なんか微妙にポイント少なくないか……?」

 

「9万5000ポイントしか入ってねえぞ。そう言えば入学式の日に葛城が質問した時、先生は毎月10万ポイントなのかの質問に対してそれは答えられないって言わなかったか?」

 

 

スマホの画面を睨みつけながら、男子たちが首を傾げている。

彼らはこの一ヶ月、サボりもせず真面目に過ごしてきた。だからこそ、約束の「10万」から5000ポイント引かれている理由が分からず、不満というよりは純粋な疑問を抱いているようだった。

 

そんな喧騒の中、クラスの中央にある自席から、櫛田がトコトコと後方の俺の席までやってきた。不安そうな表情を浮かべながら、声を潜めて話しかけてくる。

 

 

「ねえ、陽斗君……。さっきね、鈴音ちゃんから連絡が来たの。ポイントが『一ポイントも振り込まれてなかった』って……。鈴音ちゃん、大丈夫かな?」

 

「堀北か。あいつ自身は無駄遣いしないし、数ヶ月分の貯えはあるから生活には困らないだろう。……だが、問題は周りのDクラスの奴らだな。ポイントを使い切って飢えた連中に集られなきゃいいんだが」

 

「えっ、それってどういう意味……?」

 

 

櫛田が小首を傾げる。

 

 

「多分、俺がここで説明するより、先生の説明を聞いた方が分かりやすいと思う。もう少し待とうぜ」

 

 

俺がそう言って言葉を濁した瞬間、右隣の席から「ふふっ」と、鈴が転がるような澄んだ笑い声が聞こえてきた。

 

白い帽子を被った少女――坂柳が、楽しそうにこちらを見つめている。

 

 

「貴方も気付いたのですね、水野君。この学校が隠していた『仕掛け』の全貌に」

 

「……直感で少しだけな」

 

 

俺がとぼけると、今度は左隣の席から、気怠そうな神室の声が飛んできた。

 

 

「ちょっと、あんた達さっきから何なの? なんか知ってるわけ?」

 

「いや、今気付いたんだよ。先月、入学式直後に葛城が先生にした質問の内容と、今の皆の残高をな。それを照らし合わせれば、自ずと答えは見えてくる」

 

 

俺はそう言って神室を誤魔化した。

 

その時、教室のドアが開き、担任の真嶋智也先生が教壇に立った。その表情は、いつも以上に険しい。

 

 

「静かにしろ。席に着け」

 

 

真嶋先生の鋭い一言で、教室内は一瞬で静まり返る。先生は黒板に向き直ると、チョークで大きな数字を書き始めた。

 

 

 

【Aクラス:950cp】

 

【Bクラス:650cp】

 

【Cクラス:490cp】

 

【Dクラス:0cp】

 

 

「先生、その数字は一体……?」

 

 

たまらず葛城が手を挙げて質問する。真嶋先生は冷徹な視線をクラス全員に向け、この学校の根幹である『Sシステム』の全貌を語り始めた。

 

毎月振り込まれる10万ポイントというのは、あくまでクラスポイントが「1000」を維持できている場合の最高額であること。

授業中の私語、遅刻、欠席、そして日頃の素行のすべてがリアルタイムで審査され、クラスのポイントがリアルタイムで増減すること。

そして、今書かれた数字こそが、この一ヶ月の俺たちの「評価」そのものであることを。

 

 

「……なるほどな。俺たちは授業中の態度も問題なかったが、いくつかの細かい生活態度で50ポイント分の減点を受けた、ということか」

 

 

葛城が納得したように深く息を吐く。Aクラスの減点がわずか50ポイントで済んだのは、彼らの生真面目さの証だ。

 

だが、一方で他クラスの惨状は目を覆うばかりだった。BクラスやCクラスも大きく数値を落としているが、何よりDクラスの『0ポイント』は致命的だ。一ヶ月間、一切の規律を守らずに自滅した結果がこれだった。桔梗が言っていた堀北のポイントゼロの理由は、クラス全体の連帯責任によるものだったのだ。

 

 

「さて、システムの基本説明は以上だ。次に、先週行った最初の小テストの結果を発表する」

 

 

真嶋先生は、生徒たちの点数がびっしりと書かれた大きな紙を、黒板の中央に貼り付けた。その一番上、燦然と「100点」の数値を叩き出していたのは――俺と、右隣の坂柳有栖だった。

 

 

(坂柳凄いな、流石リーダーを自負するだけはある……)

 

 

視線を下に動かしていく。

葛城はさすがの手堅さで90点。櫛田は表の優等生キャラを維持するため、しっかりと勉強していたようで85点。そして左隣の神室は、面倒くさそうにしながらも80点と、十分に優秀なラインをキープしていた。

 

しかし、さらに下へと視線を移した時、俺の目はある一つの名前に止まった。

 

 

【戸塚弥彦:65点】

 

 

(……65点…)

 

 

ここは最高峰の頭脳と能力が集まるはずの『Aクラス』だ。周りが当然のように80点や90点、満点近くを連発している中で、この点数は明らかに浮いている。

 

 

(戸塚弥彦……。原作でも葛城の腰巾着として動いていた奴だが、こいつ、なんでAクラス配属なんだ? 面接の受け答えが奇跡的に良かったのか、それともOAA(個人能力)に現れない隠された評価基準でもあるのか……?)

 

 

この学校の選考基準の歪さを、戸塚の点数を見ながら改めて実感する。

 

 

「水野君」

 

 

不意に、右隣から坂柳が声をかけてきた。彼女は黒板の点数表を、そして俺の横顔を、じっと見つめている。

 

 

「やはり貴方は面白い。私の退屈を紛らわせてくれる、最高のチェスの駒……いえ、好敵手(プレイヤー)になってくれそうですね」

 

「買い被りだな、坂柳。俺はただ、自分の席で静かに過ごしたいだけだよ」

 

 

 

俺は不敵に微笑み返しながら、心の中で次の一手を考えていた。

 

Sシステムが明かされ、クラスごとの格差が浮き彫りになった現在。Aクラスを不動のトップに君臨させ続けるため、そして国からの極秘任務を完璧に遂行し続けるため、俺の真の暗躍はここから本格化する。

 

 

 

 

 

 

 

「今日の連絡は以上だ。各自、放課後の時間を有意義に過ごすように」

 

 

真嶋先生がそう言い残して教室のドアを閉めた瞬間、堰を切ったように教室内が再び騒がしくなった。Sシステムの真実と、予想外の減点に、クラスメイトたちが今後の対策を求めて葛城の席の周りに集まり始めている。

 

そんな喧騒を余所に、俺はスマートフォンを取り出し、画面をタップした。

 

 

(さて、まずは手始めに……。あの困惑しているであろうDクラスの少女に、一本入れておくか)

 

 

連絡先から『堀北鈴音』の名前を選び、短いメッセージを打ち込む。

 

 

『今大丈夫か?放課後、落ち合おう』

 

 

送信ボタンを押してから、ほんの数十秒。すぐにスマホが小刻みに震え、彼女からの返信が届いた。画面を表示すると、文字からでも彼女の固く張り詰めた表情が伝わってくるような一文だった。

 

 

『悪いけれど、今日は先約があるの。クラスのことで、担任の先生に確認したいことがあるわ』

 

 

案の定、といったところか。あのプライドの高い堀北が、クラスの「Dクラス配属」という理不尽な現実に黙って従うはずがない。真っ先に茶柱先生の元へ抗議に向かうつもりなのだろう。

 

俺はフッ、と口元を緩め、キーボードを叩いて次の質問を投げかけた。

 

 

『その前に一つ確認だ。先週の小テスト、何点だった?』

 

 

画面の向こうで彼女が眉をひそめている姿が容易に想像できる。しばらくの沈黙の後、ぽつりとした二文字が返ってきた。

 

 

『90点よ。それがどうかしたかしら』

 

(90点、か。やっぱりあいつ個人の実力は本物だな……)

 

 

Dクラスのあの荒れ果てた環境、授業中まともに話を聞いていない周囲の雑音の中で、初見のテストで90点を叩き出すのは流石と言うほかない。俺は黒板に貼られた点数表の最下層をもう一度見つめ、皮肉混じりのメッセージを送った。

 

 

『流石だな、堀北。ちなみに、最高峰のはずのAクラスにも60点台の奴がいるぞ。正直、そいつと今すぐお前をチェンジしたいくらいだ』

 

 

実力を素直に認めつつ、クラスという枠組みの歪さを弄る。

そして、本題へと話を戻した。

 

 

『本気で上のクラスを目指すつもりなら、放課後、Dクラスの担任の先生に会いに行く前に、まずは俺たちと落ち合ってくれないか? 多分、今の堀北にとって悪くないアドバイスが出来ると思う』

 

 

この学校のシステムは一筋縄ではいかないのは原作を見た俺も知っている。茶柱先生に一人で突撃したところで、冷たくあしらわれて終わるのがオチだ。しかも綾小路に会話を聞かれると言う悪いオマケ付きだ。そうはさせない。中学からの絆がある俺だからこそ、彼女の無駄な足掻きを軌道修正してやれる。

 

送信してしばらく、今度はなかなか返信が来なかった。

きっと画面を睨みつけながら、「なぜAクラスのあなたにアドバイスされなければならないの」と、残ってるプライドと闘っているのだろう。

 

だが、三分ほど経った頃、ようやく観念したような短い一言が画面に表示された。

 

 

『……分かったわ』

 

 

「よし」と小さく呟き、俺はスマホをポケットに収めた。

 

 

「ねえ、陽斗君。鈴音ちゃん、なんて?」

 

 

いつの間にか俺の席の前に移動していた桔梗が、心配そうな、それでいてどこか楽しげな瞳で覗き込んできた。

 

 

「放課後、Dクラスの担任に突撃する前に、俺たちと会ってくれるってさ」

 

「本当? 良かったあ。鈴音ちゃん、一人だと絶対トゲトゲしちゃうから心配だったんだよね」

 

 

櫛田はホッとしたように胸を撫で下ろす。その笑顔の裏で、Dクラスの自滅ぶりを値踏みしている本性が透けて見えるのが、今の彼女の愛らしいところだ。

 

 

「……ふん。他クラスの心配なんて、お人好しもいいところね」

 

 

左隣の神室が、椅子の背もたれに体重を預けながら呆れたように鼻を鳴らす。

 

 

「お人好しじゃないさ。ただの『先行投資』だよ」

 

 

俺は右隣の席で、こちらをじっと見つめている坂柳の視線を意識しながら、不敵に微笑んだ。Dクラスが絶望の底に叩きつけられたこの日、俺のチェス盤の上の駒たちは、すでに俺の意志に従って動き始めている。

 

 

 

 

 

 

教室内を支配していた困惑の空気を切り裂くように、力強い足音が響いた。

 

 

「静粛に、皆聞いてくれ」

 

 

教壇に立ち、クラス全体を見下ろしたのは葛城康平だった。その厳格な風貌にふさわしい、重みのある声が教室の隅々にまで行き渡る。

 

 

「今、真嶋先生から説明があった通り、この学校は実力至上主義だ。我々が今後も最高峰のAクラスであり続けるためには、これ以上の減点は許されない。つまり、我々全員が一致団結し、規律を遵守しなければならないのだ。……そこで提案がある。このクラスを統率するリーダーを、俺に任せてくれないだろうか」

 

 

葛城の堂々とした宣言に、戸塚弥彦をはじめとする数人の生徒が我が意を得たりと頷く。

真面目に上を目指したい生徒たちにとって、葛城の提案は極めて現実的で、頼もしいものに映ったはずだ。

 

だが、その秩序を容赦なく踏みにじる声が、俺の右隣から上がった。

 

 

「ふふっ……。少し、異議を申し立てます、葛城くん」

 

 

鈴を転がすような、しかし明確な敵意を孕んだ声。

杖を突き、ゆっくりと立ち上がった坂柳有栖が、冷徹な微笑を葛城へと向ける。

 

 

「団結、規律……結構なことです。ですが、あなたの言う通りに従っていては、クラスはただ縮こまるだけ。実力至上主義のこの学校において、真に求められるのは堅物なルールではなく、他を圧倒する『才覚』です。私は、あなたのような退屈な凡人に自分の未来を委ねるつもりはありませんよ」

 

「なっ……! 坂柳、貴様、この期に及んでクラスを割るような真似を……!」

 

「あら、割るも何も、最初から一つではありませんよ」

 

 

教壇の葛城と、席に座ったままの坂柳。二人の視線が激しく火花を散らす。

 

その瞬間、教室内の空気が完全に二分された。葛城の堅実さを支持する者たちと、坂柳の底知れないオーラに惹かれる、あるいは恐怖する者たち。瞬く間に、Aクラスの中に二つの派閥が形成されていく。

 

 

(……始まったな。原作通りのクラス分裂。葛城派と坂柳派、か)

 

 

俺は顎を突き、その光景をただの観客のように静観していた。

どれだけ二人がクラス内での主導権を争おうと、俺には関係のないことだ。国からの報酬という絶対的な資金源を持つ俺からすれば、このクラス内での権力闘争など、コップの中の嵐に過ぎない。

 

 

「あ、あのっ……二人とも、落ち着いて……!」

 

 

そこへ、クラスの中央からオロオロとした様子で割って入ったのは櫛田だった。

両手を震わせ、涙目になりそうな『可憐で優しい優等生』を完璧に演じながら、二人の間を取り持とうとする。

 

 

「せっかく同じクラスになれたんだから、喧嘩しちゃダメだよ……! 葛城くんの言うことも、坂柳さんの言うことも、きっとクラスのためを思ってのことだよね? だから、ね?」

 

 

クラスの良心として完璧な立ち回りだ。周囲の生徒たちも「櫛田ちゃんの言う通りだよ」と少し冷静さを取り戻し始める。だが、俺の方をチラリと見た櫛田の瞳の奥には、「これでいいでしょ?」という、こちらの意図を窺うような裏の顔が覗いていた。

 

 

「……はぁ。本当、くだらない」

 

 

左隣の席から、心底つまらなさそうな声が聞こえた。神室が机に頬杖をついたまま、呆れたように俺の顔を見てくる。

 

 

「ねえ、あんたはリーダーに立候補しないわけ? テストも満点だったし、あんたが前に出ればあいつらの言い合いも止まるでしょ」

 

「まさか。今はまだ、そんな大したことをするつもりはないよ。目立つのはあいつらだけで十分だ」

 

「ふん、相変わらず狸ね……」

 

 

神室が呆れたように息を吐く。

 

俺はゆっくりと立ち上がると、まだピリついている両派閥の視線を集めるように、軽く手を叩いた。

 

 

「まあ、リーダーをどっちにするかは追々決めるとしてさ。二人とも、その辺にしておこうぜ。それより、今俺たちが直面している現実的な問題は、今月半ばにある『中間試験』だろ?」

 

 

俺の言葉に、葛城と坂柳が同時にこちらを向いた。

 

 

「水野、試験に対して何か策があるというのか?」

 

 

葛城が鋭い目を向けてくる。

 

 

「策っていうほどじゃないが……。試験対策として、有効な『過去問』を、俺と桔梗で上の学年の先輩から貰ってくる約束をしてあるんだ。近いうちに用意してクラス全員に配るから、それまで大人しく待っててくれよ」

 

「……過去問、ですか。なるほど、それは心強い提案ですね」

 

 

坂柳が、俺の先手を見越した行動に、さらに笑みを深くする。

 

 

「ああ。だからクラスの主導権争いで足を引っ張り合ってる場合じゃない。まずは全員で赤点を回避して、ポイントを維持する。文句はないな?」

 

 

俺の提案に、クラス全体がホッとしたような安堵の空気に包まれた。

 

葛城も「……分かった。水野の提案に免じて、今は退こう」と教壇を降りる。

 

クラスの分裂を静観しつつも、必要な実利だけは握って自らの存在感を示す。放課後、絶望しているであろう堀北との合流を前に、俺はAクラスの手綱を静かに引き絞っていた。

 

 

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