櫛田の中学に転校した   作:スクラップドラゴン

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試験が迫る

 

 

Dクラスの堀北が地獄の泥沼にハマっている頃、俺たちのいる1年Aクラスの勉強会は、極めて順調そのものだった。

 

教室を見渡すと、綺麗に三つのグループに分かれているのが分かる。

一つは、規律を重んじる葛城康平に教えを請う、戸塚弥彦をはじめとした保守的な連中の集まり。もう一つは、絶対的な才覚を誇る坂柳有栖を信奉し、彼女の机を囲む山村美紀たちのグループだ。

 

そして最後の一つが、小テストで坂柳と同じく満点を叩き出した、この俺――水野陽斗の元に集まったグループである。

 

 

「みんな、この問題ちょっと難しいけど、陽斗君の解説を聞けば一発で分かっちゃうよ! 一緒に頑張ろうね!」

 

「お、おう……! 櫛田ちゃんがそう言ってくれるなら、俺、次の問題も解けそうな気がするわ!」

 

 

俺のグループが三つの中で最も雰囲気が良く、圧倒的に効率よく進んでいる最大の理由は、潤滑油として完璧に機能してくれている櫛田の存在だ。彼女が表の聖母スマイルで男子たちを励まし、やる気を引き出してくれるおかげで、誰も置いていかれることなく大丈夫な状態をキープできている。

 

 

「……ねえ、次のこの応用問題。解説の意図がちょっと掴めないんだけど」

 

 

俺のすぐ隣で、気怠そうにシャーペンを回しながらノートを差し出してくるのは神室真澄だ。彼女は坂柳のグループではなく、当然のように俺のところで勉強していた。

 

 

「どれ? ああ、これは先にこっちの公式を展開して、代入すれば解きやすくなる。ほら、ここをこうするんだよ」

 

「……あ。本当だ、すんなり解けた。あんた、やっぱり教えるのだけは無駄に上手いわね」

 

 

ぶっきらぼうに、けれど素直に納得してペンを進める神室。彼女が万引きの衝動に走ることなく、こうして机に向かっているだけでも、事前にボウリングに誘って懐柔しておいた甲斐があったというものだ。

 

 

そんな俺たちのやり取りを遠巻きに観察していた男が、一冊の参考書を片手に、飄々とした足取りで近づいてきた。坂柳派閥の中核にいるはずの男、橋本正義だ。

 

 

「よお、水野。ちょっといいか? ここの難関問題の解法なんだけどさ。坂柳に聞くのもなんか気が引けるっていうか、お前の方が分かりやすく噛み砕いてくれそうだと思ってな」

 

「橋本か。お前、このレベルの問題まで手をつけてるのか」

 

 

俺が苦笑しながらノートに補足を書き込んでやると、橋本はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「いや~、上を目指すなら引き出しは多い方がいいだろ? ありがとな、助かるわ」

 

 

橋本は時々こうして俺の元へ教えを請いに来る。さらに、長い四肢を持て余すようにしている鬼頭隼斗も、坂柳と俺のどちらとも取れる絶妙な位置でこちらの様子を窺っている。

 

俺自身はクラス内で派閥争いをするつもりなど毛頭ないのだが、小テストで実力を見せつけすぎたせいか、坂柳派閥の人間すら俺の動向を無視できなくなってきているのが現状だった。

 

 

「陽斗君、今の橋本くんへの解説、私も聞いてて凄く勉強になっちゃった。……でも、こっちの発展問題は、私にはまだちょっと難しくて……」

 

 

橋本が去った後、櫛田が少し困ったような笑顔でノートを差し出してきた。

 

彼女は教える側に回ってクラスメイトをサポートしてくれているが、Aクラスという最高峰の環境において、彼女の元々の成績は中程度か、よくてやや上といったレベルだ。油断すれば、周りの天才たちに一気に置いていかれる危険性もある。

 

 

「どれ……あー、これは高校の範囲を少し逸脱してるな。桔梗、こっちに来い。お前にはマンツーマンで特別に教えてやるよ」

 

「えっ……うん! ありがとう、陽斗君」

 

 

俺が椅子を引き寄せると、櫛田は嬉しそうに顔を綻ばせ、俺のすぐ近くに座り直した。彼女の成績をこのAクラスの上位に引き上げ、精神的にも完全に俺へ依存させるためにも、こういう日頃のケアでしっかりと気にかけておくことが重要だ。

 

 

「……ちょっと、そこの二人。勉強会中に二人だけの世界に入らないでくれる? 見せつけられてるこっちの身にもなってほしいんだけど」

 

 

神室が頬杖をついたまま、ジト目で俺たちを睨みつけてくる。

 

 

「何言ってるの、真澄ちゃん。陽斗君の特別授業だよ? 羨ましいなら真澄ちゃんもこっちおいでよ」

 

「は? 誰がそんなの行くわけ……。私は自分のペースでやるからいいわよ」

 

 

ふいっと顔を逸らす神室の耳が、ほんのりと赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。

 

他クラスを圧倒する学力と、完璧な関係性。コップの中の嵐でしかない派閥争いを適当にいなしながら、俺はAクラスの絶対的優位をこの勉強会でさらに強固なものにしていった

 

 

 

 

 

 

 

Aクラスの勉強会が磐石となったところで、俺の興味は「他クラスが現在どういう状況にあるか」へと移っていた。

 

この学校のSシステムにおいて、他クラスの動向を正確に把握しておくことは、今後の勝敗を分ける極めて重要なファクターだ。特に、中学からの縁がある堀北が所属してる上にこの学園のラスボス綾小路清隆のいるDクラスと、一之瀬帆波が率いるBクラスの現状は無視できない。

 

まずDクラスだが、風の噂や櫛田が仕入れてくる情報によると、案の定というべきか、惨愄たる状況に陥っているらしかった。

 

相変わらず平田洋介を中心に勉強会は開かれているものの、集まっているのは彼の周りにいる女子生徒たちだけ。肝心の赤点予備軍である男子のワースト3――須藤、池、山内は完全にボイコットを決め込んでいる。

 

堀北も、俺たちの忠告を意識して一度はその地獄の勉強会に参加したようだったが、現在の彼女の戦線は完全に「停滞」している。

平田はまた堀北を頼り、男子たちの説得や追加の指導を頼み込んだらしい。クラスの為という大義名分のせいで断る事も出来なかった堀北だが重なるストレスの中、今日は堀北も勉強会を断り、足早に帰ったそうだ。

 

 

(……当然といえば当然だな。民度も低く、勉強のやる気もないどころか、女子を性的な目線でしか見ないような下劣な連中だ。あのプライドの高い堀北が、これ以上あいつらに付き合って精神を磨耗させる必要はない。むしろ、よくぞ手を引いてくれたと褒めてやりたいくらいだ)

 

 

堀北がDクラスの泥濘から一歩引いたのは、俺たちの心理誘導が正しく機能している証拠でもあった。

 

話は変わるが、俺は数日前、Bクラスの勉強会の様子をたまたま図書室で見かけたことがある。

そこでは、Bクラスの絶対的リーダーである一之瀬帆波が、クラスメイトたちを率いて実に和気あいあいとした、彼女たちらしい理想的な勉強会を行っていた。しかし、その平和な空間は、突如として乱入してきたCクラスの連中によって無残に掻き乱されていたのだ。

 

石崎や小宮といった、龍園翔の忠実な手下たちが、図書室の静寂を破るようにわざと大声で騒ぎ、一之瀬たちの周りをうろついて挑発を繰り返す。

 

そう言えば、風の噂で、CクラスがBクラスに対して組織的な嫌がらせを仕掛けているという話を耳にしていた。

単なる偶然の鉢合わせではない。奴らはわざとBクラスの生徒たちの背後をつけ、じわじわと精神的なストレスを与え、特に気の弱い生徒を集中的に狙って揺さぶりをかけているのだ。

 

 

(なるほどな。原作ではここまで細かい描写はされていなかったが……現実の『龍園クラス』のやり口は、想像以上にエグいな)

 

 

ふと、一つの疑問が脳裏をよぎる。

Cクラスの独裁者・龍園翔は、俺たちのいるAクラスに対しても、同じような嫌がらせを仕掛けてくるのだろうか。

 

恐らく今回の中間試験前にはないと思うが。

龍園という男は、ただの暴君ではない。驚くほどに頭が回り、この学校のルールの本質を見抜く嗅覚を持っている。

 

 

(龍園は、おそらく既にこの学校の試験における『過去問の存在』に、とっくに気付いているはずだ)

 

 

過去問さえ手に入れば、クラスの連中に机に向かって必死に勉強させる必要などなくなる。あらかじめ正解が分かっているのだから、直前に丸暗記させれば赤点など余裕で回避できるのだ。

 

だからこそ、龍園はCクラスの面々にまともな勉強をさせず、有り余った時間と体力を使って、Bクラスへの精神的波状攻撃にリソースを割かせているのだろう。一之瀬たちの勉強の効率を徹底的に落とし、あわよくばBクラスのポイントを削り取るために。

 

 

「……ふっ、面白いな」

 

 

俺は窓の外、初夏の陽気に包まれた校庭を眺めながら、小さく独白した。

Dクラスは内部崩壊による自滅。BクラスはCクラスからの外圧による消耗戦。

 

他クラスがそれぞれの泥沼で足掻いている中、俺はすでに、Aクラスの全員を無傷で通過させるための過去問を完璧にルートに乗せている。

 

どれだけ龍園が裏で糸を引こうと、俺たちの優位は揺るがない。

中間試験という最初の決戦の日は、刻一刻と近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

学校側から突如として発表された「テスト範囲の変更」。

他クラスの生徒たちがパニックに陥る中、中間試験を目前に控えた放課後、俺と櫛田は特別棟の裏手に堀北を呼び出した。

 

 

「待たせて悪かったな、堀北」

 

「……いいえ、構わないわ」

 

 

現れた堀北は、相変わらず背筋こそ伸ばしてはいたものの、明らかに元気がなかった。瞳の奥には深い疲弊と、隠しきれない絶望の色が滲んでいる。

 

 

「鈴音ちゃん、大丈夫? なんだか凄く疲れちゃってるみたいだけど……」

 

 

櫛田が心配そうに顔を覗き込むと、堀北は小さく溜息をついた。彼女の脳裏に、この数日間の凄惨な記憶がリフレインしているのが、その痛々しい表情から見て取れた。

 

 

――『やっぱり全然分かんねえから、堀北ちゃん直接教えてくれよ〜』

 

 

堀北は勉強会から一度は手を引いたはずだった。それで、最低限の義務を果たそうと基礎問題をまとめたノートを手渡した翌日、池と山内はそんな下卑た笑みを浮かべて再び距離を詰めてきたのだ。教科書も見ず、ただ自分の身体を舐め回すように値踏みしてくる不快な視線。泣き出したくなるほどの嫌悪感に襲われる彼女に、決定的な追い打ちをかけたのは平田のあの無自覚な善意だった。

 

 

――『二人ともやる気になってるみたいだし、堀北さん、もう一度だけお願いできないかい?』

 

 

断ることの許されない空気。クラスのポイントのためという大義名分を盾に、嫌がる彼女を再び地獄の勉強会へと引きずり戻した平田。しかし、いざ始まれば池も山内も正論など右から左へ聞き流し、ただ下品な距離の詰め方をしてくるだけ。そして平田は、女子たちの対応にかかりきりで、彼女が発していた無言のSOSに気付きもしなかった――。

 

思い出すだけでもおぞましいといった様子で、堀北の拳が微かに震えていた。

彼女の防衛線は、内側からの怠惰と下劣さ、そして機能しない味方のせいで、完全に文字通りの崩壊を迎えていたのだ。ソ連の恐ろしさを知らずに侵攻し、泥濘の中で立ち往生した冬季戦の敗兵。今の彼女は、まさにその姿そのものだった。

 

 

「……よく頑張ったよ、堀北。お前がそこまで苦しむ必要はどこにもない」

 

 

俺は制服の鞄から、一冊のクリアファイルを取り出し、それを堀北の目の前に差し出した。

 

 

「これは……?」

 

「上の学年の先輩からルートを使って手に入れた、この学校の『中間試験の過去問』だ。この学校の試験は、テスト範囲が急に変更されようが、毎回同じ傾向の問題が出題される仕組みになっている。これがあれば、どんな無能でも直前の丸暗記で赤点は余裕で回避できる」

 

 

堀北が目を見開く。

 

 

「これを、お前にやる。お前はただ、これをDクラスの全員に無造作に配ってやればいい。そうすれば赤点回避の最低限の義務は果たせる。……もうあいつらに直接勉強を教える必要なんてない。サクッとクラスの連中からは手を引け」

 

「陽斗君の言う通りだよ、鈴音ちゃん」

 

 

櫛田が優しく堀北の肩に手を置いた。

 

 

「そんな不潔な人たちの近くにいたら、鈴音ちゃんが壊れちゃうよ。過去問だけ配って、放課後は私たちのクラスの教室に遊びに来たらいいよ。陽斗君の解説、凄く分かりやすいんだから!」

 

「Aクラスの、教室に……」

 

 

堀北は震える手で、俺から過去問のファイルを受け取った。その紙の重みは、彼女を地獄の消耗戦から解放する唯一の免罪符だ。

 

 

「……ありがとう、水野くん。櫛田さん。私は、これを今からコピーしに行ってくるわ」

 

 

どこか救われたような、けれど自分の力でクラスを統率できなかった悔しさを滲ませながら、堀北はファイルを抱きしめて歩き出した。

 

俺は、彼女の小さくなっていく背中を静かに見送っていた。

 

 

(まあ……過去問を手渡したところで、あの三馬鹿が本当に今回の試験を突破できるかは、また完全に話が別だけどな……)

 

 

過去問の存在を知ったところで、池や山内、物理的に部活にかかりきりの須藤が、直前できちんと暗記するだけの最低限の脳みそを持ち合わせているかどうか。考えなくても結果は見えていた。

他クラスがそれぞれの思惑で動く中、俺は差し出した蜘蛛の糸がDクラスをどう揺り動かすか、冷徹にその行く末をシミュレーションしていた。

 

 

 

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