櫛田の中学に転校した   作:スクラップドラゴン

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聖女の陥落

 

 

転校してから数ヶ月。俺、水野陽斗の新しい中学校生活は、表面上は極めて平穏、かつ奇妙な形でクラスに馴染んでいた。

 

 

「なぁ水野! 頼む、これ直してくれよ! 昨日落としたら画面が真っ暗になって、セーブデータも消えかけなんだよ!」

 

「水野くん、私のスマホもお願い……! 起動しなくなっちゃって、中の写真が全部消えたら泣いちゃう……!」 

 

 

昼休み、俺の席の周りには、数人のクラスメイトが群がっていた。 

彼らが差し出してきたのは、液晶が激しく割れたゲーム機や、完全に沈黙したスマートフォンだ。

 

 

「いいよ、貸して。あぁ、こっちは基盤の接触不良だな。スマホの方はフラッシュメモリのデータ自体は生きてるから、回路をバイパスすればデータは100%修復できる」

 

 

俺は机の引き出しから、特注の超小型精密ドライバーと、独自に開発したデータ吸い出し用のドングルを取り出した。クラスメイトたちが固唾を呑んで見守る中、ものの数分でガジェットを分解し、指先を滑らせていく。

国家防衛用の自律型ドローンを設計する俺にとって、市販の携帯電話やゲーム機の修理など、赤子の手をひねるより容易い。

 

 

「ほら、直ったぞ。データも全部元通りだ」

 

「うおおお! まじかよ! 電器屋でも無理って言われたのに!」「水野くん凄すぎ! 本当に天才じゃん!」 

 

 

感謝の言葉を述べて去っていくクラスメイトたちを見送りながら、俺は小さく息を吐いた。 

この「何でも直してくれる天才エンジニア」としての日常は、俺にとって好都合だった。クラスでの地位を確固たるものにしつつ、同時に彼らの「プライベートな端末」の構造やデータ特性を、合法的に把握できるからだ。

 

そして、その様子を少し離れた席から、いつもと変わらない聖女の微笑みで見つめている少女がいた。

 

 

「水野くん、今日も大人気だね♪ 本当に手先が器用で尊敬しちゃうな」 

 

 

櫛田桔梗が、小走りで俺の席へとやってくる。その表情は相変わらず、濁りのない純粋そのものだ。

 

 

「いや、ただの趣味だからね。櫛田さんこそ、いつもクラスの雑用を引き受けてて凄いよ」

 

「ううん、私はみんなの力になりたいだけだから!」 

 

 

可憐に笑う櫛田。だが、俺は彼女のその笑顔の裏で、ストレスが限界まで達していることを知っていた。

 

彼女の「裏の顔」である個人ブログ――クラスメイト全員の醜悪な本音や秘密を書き殴ったあのWebサイトは、すでに俺の技術をもってすれば、いつでもハッキングして閲覧することが可能だった。

 

 

 

だが、俺はあえてそれをしなかった。

 

 

 

今いきなり「君のブログを見つけたよ」などと接触すれば、警戒心の強い彼女は確実に心を閉ざす。最悪の場合、俺すらも敵とみなして排除しようとするだろう。それでは意味がない。彼女が最も絶望し、世界中のすべてから拒絶されたその瞬間にこそ、俺が救いの手を差し伸べる最大の価値がある。 

 

だから俺は、その『事件の日』が訪れるのを、静かに待ち続けることにした。

 

 

 

 

 

――そして、その日は突然、やってきた。

 

 

 

ある日の朝。俺がいつも通り教室のドアを開けた瞬間、室内の異様な空気に思考が静止した。 

 

いつもなら騒がしいはずの教室が、通夜のように静まり返っている。いや、静寂の中に、ドス黒い怒りと憎悪が渦巻いていた。

クラスメイトたちの視線が、教室の中央へと一時に集まっている。

 

そこには、数人の男女に完全に包囲され、青ざめた顔で立ち尽くす櫛田桔梗の姿があった。

 

 

「……ねえ、これ何? 説明してよ、桔梗」 

 

 

クラスの女子リーダー格の1人が、自身のスマホの画面を櫛田の目の前に突きつけた。そこには、特定の個人ブログの画面が表示されている。

 

 

「これ、あんたのブログだよね? なんで私の彼氏の悪口が書いてあるわけ? しかも、私が裏で別の男子と遊んでるとか、誰にも言ってないことまで……!」

 

「俺のことも書いてあるぞ! 『いつも偉そうにしてるけど、家では親に頭が上がらない陰キャ』って……桔梗、お前、裏で俺たちのことそんな風に見てたのかよ!?」

 

「信じられない……。いつもあんなに優しくしてくれてたのに、全部嘘だったの!?」 

 

 

次々と浴びせられる、罵声の嵐。

普段、櫛田に依存し、彼女の優しさに甘えていた連中ほど、裏切られたと感じた時の攻撃性は凄まじい。

 

櫛田は目を見開き、カタカタと小さく震えていた。

「ち、違うの……それは……」と弁明しようとするが、あまりの衝撃に言葉が続かない。完璧だった彼女の仮面が、今まさに音を立てて粉々に砕け散ろうとしていた。周囲の生徒たちの目は、完全に「魔女狩り」を行う暴徒のそれだった。

 

 

(なるほど。ついにこの時が来たか) 

 

 

俺はゆっくりとカバンを自分の席に置くと、迷うことなく歩き出した。

 

暴風雨の中心へと向かって。

 

 

「ちょっと待てよ、お前ら」 

 

 

低く、だが教室の隅々にまで明瞭に響く声。

怒号に震えていたクラスメイトたちが、一斉に俺を振り返る。俺は怯える櫛田の前に遮るようにして割り込み、彼女を背中に隠す形で仁王立ちした。

 

 

「な、なんだよ水野! お前には関係ないだろ!」

 

「そうだぞ! こいつ、裏で俺たちのことめちゃくちゃに言ってたんだぞ! 庇うつもりか!?」 

 

 

男子生徒の一人が、俺を睨みつけながら叫ぶ。

俺は感情を排した冷徹な目で彼らを見据え、淡々と言葉を紡ぎ出した。

 

 

「俺が他人のことを言えた義理じゃないってことは、百も承知の上で言わせてもらう。――なぁ、お前ら。これまで散々、櫛田に世話になっておいて、本音がどうであれ、たかがネットの書き込み一つで全員で囲んで責め立てるなんて、到底感心しないな」

 

「た、たかが書き込みだって!? 秘密を暴露されたこっちの身にもなれよ!」

 

「じゃあ聞くが、お前らは櫛田に一度も愚痴を言わなかったのか?」

 

 

俺は一歩前へ出た。

 

 

「クラスの相談役として、櫛田は毎日毎日、お前ら全員の我が儘や愚痴、ドロドロした人間関係の愚痴を聞き続けてたろ。ノートを貸して、行事の準備を押し付けられて、愚痴のゴミ箱にされて……。人間、それだけのストレスを溜め込まれて、どこにも吐き出さずにいられるわけがないだろ」

 

「それ、は……。でも、ブログに書くのは違うだろ!」

 

「違わないさ。むしろ、お前らが櫛田という一人の女子中学生に、キャパシティ以上のものを頼り過ぎ、押し付け過ぎたから、こうなって当然の結果なんだよ。彼女を精神的な奴隷か何かだと勘違いしてたんじゃないのか?」 

 

 

俺の放った『正論』の弾丸が、クラスメイトたちの胸に突き刺さる。

図星を突かれた連中は、顔を真っ赤にして、今度は俺に対して怒りの矛先を向けてきた。

 

 

「うるさい! お前は転校してきたばかりだから何も知らないんだよ!」

 

「偽善者ぶるな! 桔梗の可愛い顔に騙されてるだけだろ!」

 

「そうだ! 引っ込めよ水野! 邪魔するならお前も同罪だからな!」 

 

 

口々に俺を罵倒し、威嚇するように距離を詰めてくる男子生徒たち。

だが、国家の最高機密を扱い、修羅場をいくつもくぐり抜けてきた俺の精神が、中学生の威嚇ごときで揺らぐはずがない。

 

 

「感情論で喚くな。俺が言っているのは事実だ」 

 

 

俺は冷たい笑みを浮かべ、彼らを挑発するように言い放った。

 

 

「お前たちが今やっているのは、自分たちの身勝手な依存を棚に上げて、一人の少女を吊るし上げて快感を得ようとしているだけの、醜い集団リンチだ。

これ以上、彼女に言葉の暴力を振るうのも、怪我させる気で近づくのも許さない。

 

もし、どうしても力ずくで彼女を傷つけたいって言うなら――まずは俺が相手になってやるよ」

 

 

そう言い放った後、俺はファイティングポーズを取るでもなく、ただスッと背筋を伸ばして静かに佇んだ。ポケットから両手を出しただけの、至って自然な立ち姿。

 

だが、その瞬間、教室の空気が目に見えて氷結した。

 

 

「…っ……」 

 

 

詰め寄ろうとしていた男子生徒の足が、ピタリと止まる。それどころか、引き寄せられるように俺を睨んでいた連中が、一斉に小さく身を引いた。

 

彼らの脳裏に、これまでの数ヶ月間で目撃してきた『俺』という男の、異様なまでの片鱗が鮮烈によみがえったのだ。

 

体育の授業で見せた、重力を無視したかのような跳躍力。 

クラスの備品を運ぶ際、大人が三人でおたおたするような重量物を、呼吸一つ乱さず軽々と持ち上げたあの腕力。

制服の上からでも微かに分かる、無駄な脂肪が一切削ぎ落とされた、しなやかでありながら鋼のように強靭な肉体のライン。

 

 

(――こいつ、本当に俺たちと同じ中学生なのか……?) 

 

 

彼らの目の前にいるのは、怒り狂う暴徒ではない。ただ、感情の消えた真剣な目でこちらを見据えているだけの同級生である俺だ。 

しかし、その瞳の奥にある底知れない質量に触れた瞬間、クラスメイトたちの背筋に生温かい汗が伝わったようだ。本能が告げていた。もしここでこれ以上一歩でも踏み込めば、自分たちは肉体的に、文字通り『一瞬でバラバラに解体される』と。

 

俺の持つ、同じ人間とは思えないほどの圧倒的な身体能力の記憶。それがクラスメイトたちの脳内で最大の抑止力となり、彼らの喉を物理的に締め上げていく。

 

 

「くっ……な、なんだよその目は……」

 

「水野、お前、狂ってるよ……」 

 

 

男子生徒たちは顔を青くし、それ以上言葉を紡ぐことができなくなった。俺の冷徹な正論と、野生の猛獣を前にしたかのような圧倒的な強者の気配の前に、彼らの歪んだ正義感は一旦であるが完全に瓦解したのだ。

 

静まり返る教室の中、俺は背後にいる少女へと視線を向けた。

 

櫛田桔梗は、信じられないものを見るかのような目で、俺の背中を見つめていた。 

クラス全員から牙を剥かれ、世界の終わりを迎えたはずの彼女の前に、突如として現れた絶対的な庇護者。 

その瞳には、恐怖と、戸惑いと――そして、生まれて初めて感じる『救い』の光が、微かに灯り始めていた。

 

 

「大丈夫だ、櫛田。俺がここにいる限り、誰も君の髪の毛一本触れさせないから」 

 

 

俺は彼女にだけ聞こえる声で、出来るだけ優しく、だが力強くそう囁いた。 

学級崩壊の嵐の中で、俺と彼女の、本当の関係がここから始まる。

 

 

 

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