櫛田の中学に転校した 作:スクラップドラゴン
昼休みの衝撃的な事件から、数時間が経過した。
無事に上履きを取り戻した櫛田は、午後からの授業をいつもの席で受けたが、クラスメイトたちからの冷酷な視線や陰口が止むことはなかった。それでも彼女は、俺が手渡した上履きをしっかりと履き、何とか放課後のチャイムが鳴るまで耐え抜いた。
終礼が終わり、生徒たちが蜘蛛の子を散らすように教室を出ていく。 俺は机の上の荷物を手早くカバンに詰めると、まだ席から立ち上がれずにいる櫛田の前に歩み寄った。
「櫛田さん。……少し、俺の家に来ないか?」
その提案に、櫛田は弾かれたように顔を上げた。夕暮れの教室で、彼女の瞳にはまだ、昼休みに見せつけられた俺の「非日常的な力」への戸惑いと、どこか縋るような色が混ざり合っている。
「水野くんの、お家……?」
「ああ。君に、見せたいものがあるんだ。それに、これからの話もしたい」
少し離れた場所にいる残っていたクラスメイトたちが「おい見ろよ、水野の奴また桔梗を連れ出してるぞ」「放っておけよ、変人同士お似合いだろ」とヒソヒソと囁く。だが、今の俺たちにとって、そんな有象無象の雑音などどうでもよかった。
櫛田は小さく深く息を吸い込むと、「……うん。行く」とだけ答え、俺の後に続いた。
駅から少し離れた、セキュリティの厳重な高級マンション。
その一室が、俺の自宅兼プライベートラボだ。
カチャリ、と電子ロックを解除してドアを開け、俺は櫛田を室内に招き入れた。
「どうぞ。ちょっと散らかってるけど、適当に座って」
「お邪魔し、ます……っ」
一歩、室内に足を踏み入れた瞬間、櫛田は言葉を失ってその場に硬直した。
一般的な中学生の一人暮らしといえば、ワンルームの狭い部屋に必要最低限の家具が並んでいる光景を想像するだろう。しかし、俺の部屋は全く異なっていた。
広々としたリビングの壁一面には、映画館のようなマルチモニターが並び、無数の幾何学的なデータやソースコードが激しく流れている。そして部屋の各所にあるデスクには、精密なハンダゴテや3Dプリンター、そして見たこともない形状の基盤や金属パーツが整然と並べられていた。
中でも圧倒的な異彩を放っていたのは、部屋の中央の専用ラックに鎮座する、数機の黒いドローンだった。
それは、昼休みに外で飛ばした手のひらサイズのものとは比較にならない。重厚なカーボンフレーム、有機的な曲線を引く可変翼、そして光を一切反射しない特殊ステルス塗装が施された、明らかに『軍事用』の最新型ドローンだった。
「な、に……これ……。水野くん、あなた本当に、何をしてるの……?」
櫛田は引き寄せられるようにドローンの前に歩み寄り、震える指先でその鋭利な翼に触れようとして、ためらった。
俺はカバンをソファに放り出すと、キッチンの冷蔵庫から冷たい飲み物を取り出して彼女に手渡した。
「驚かせて悪かったね。これが、俺の『仕事』の成果だよ」
「仕事……? 水野くん、私たちまだ中学生だよ……?」
「普通の生活を送っていればそうだな。でも、俺はちょっとした『チート』みたいな頭脳を持って生まれちまったんだ。特に工学や航空力学の分野でね。ここに並んでいるのは、俺が独自に開発している最新型の自律制御ドローン。……実は、日本の防衛省や大手の軍需・航空企業からプロトタイプの買取や技術提供のリクエストが絶えなくてさ。時々、俺が学校を公欠したり、遅刻したりしてただろ? あれはサボってたわけじゃなくて、企業や官公庁のトップとカンファレンスをして、技術貢献をしてたんだよ」
淡々と告げられた規格外の事実に、櫛田のキャパシティは完全に限界を迎えていた。
時折、優秀なはずの俺が学校を不在にしていた理由。それがまさか、国家や大企業を相手にした「技術貢献」だったなど、誰が想像できるだろうか。
「じゃあ……この広いマンションに、一人で住んでるのも……」
「ああ。親の仕送りなんて一円も貰ってない。企業や国から支払われる特許料や技術報酬だけで、大量の収入があるからね。ぶっちゃけ、生涯遊んで暮らせるどころか、小さな都市の予算レベルの貯蓄が秘密口座に眠ってる。お金にも、自分の身を守る技術にも、一切困ってないんだ」
俺はソファに腰掛け、まっすぐに櫛田を見つめた。
櫛田は手渡されたグラスを両手で握りしめたまま、信じられないものを見る目で俺を見返している。彼女が今まで必死に築き上げてきた「学校」という小さな世界の価値観が、俺という圧倒的な存在の前に、音を立てて崩壊していくのが分かった。
「……どうして、そんな凄い人が、私なんかに関わるの?」
櫛田の声が、ぽつりと部屋に落ちた。その声には、自嘲と、抑えきれない本音が混ざり合っていた。
「私はただの偽物だよ? みんなに良い顔をして、裏ではブログにクラス全員の汚い悪口を書き殴ってた、サイテーの人間だよ? 今のクラスの皆の目が正しいの。私は吊るし上げられて当然の化け物なのに……なんで、そんな大金持ちで天才のあなたが、私を助けるの……?」
ついに、彼女の口から偽りのない疑問が溢れ出た。
俺は静かに立ち上がり、彼女の目の前へと歩みを進めた。そして、昼休みと同じように、彼女の目線を真っ直ぐにとらえて言葉を紡いだ。
「皆がどう見てようが関係ない。それに、櫛田が俺のことをどう思ってるかも分からない。……だけど、俺にとっては、この学校の友達は櫛田だけだ」
「え……?」
「転校初日、右も左も分からなかった俺に、真っ先に声をかけてくれた。あれが計算だろうが偽物だろうが、俺にとっては救いだったんだよ。だから、俺は君に恩返しをしたい。その恩返しが終わるまで、俺は君を手放す気は一切ない。周りが君を敵に回そうが、俺のこの頭脳と、資産と、技術のすべてを使って、君の絶対的な味方でい続ける」
手放す気は無い――その言葉は、純粋なヒーローの台詞というには、あまりにも重く、執着に満ちていたはずだった。
だが、今の孤立無援の櫛田にとって、その狂気的なまでの全肯定は、暗闇に差し込んだ唯一の生命線だった。
櫛田の目から、再びじわりと涙が溢れそうになる。彼女は唇を噛み締め、小さく、だが確実に頷いた。
「……分かった。水野くんがそこまで言うなら……私を、好きにして」
「ありがとう。じゃあ、さっそく君を守るための『準備』を始めよう」
俺はデスクから、あらかじめ用意しておいた極小のガジェットを取り出した。それは、一見すると制服のリボンやボタンにしか見えない、特殊カモフラージュが施された小型カメラと集音マイクだ。
「これ、学校にいる間、制服に装備させてほしいんだ。君の許可が欲しい」
「これ、カメラ……? 私の行動を、全部監視するってこと?」
「監視じゃない、保護だ。君がクラスの連中からどんな嫌がらせを受けているか、誰が主導しているのか、そのすべての証拠をリアルタイムで俺のサーバーに記録する。これがあれば、奴らが一線を越えた瞬間、俺がいつでも介入できる」
普通なら、盗撮や監視として拒絶されるような提案だ。しかし、昼休みに俺の常人離れした力を目の当たりにし、さらにこの部屋の圧倒的なテクノロジーを見た櫛田は、すでに俺への警戒心を失っていた。
「……うん。分かった。水野くんがそう言うなら、つけるね」
櫛田は自らガジェットを受け取り、制服の目立たない位置へと装着した。これで、彼女の視界と周囲の音声は、完全に俺のマルチモニターへと同期されることになった。
「よし、これで第一段階は完了だ。次は、あいつらの包囲網を逆構築する」
俺はキーボードを叩き、別のシステムを起動した。 モニターに表示されたのは、中学校の校舎とその周辺の3Dマップ。そこに、無数の赤いドットが点在していく。
「これは……?」
「俺が開発した、対テロ偵察用の『虫型ドローン』だよ。本物の羽虫と見分けがつかないサイズだが、高性能の広角カメラとマイク、そして電波傍受機能が備わってる。これを今から、学校の教室、廊下、下駄箱、さらには通学路の周辺に多数展開する」
俺がエンターキーを押すと、ラボの換気口から、かすかな羽音と共に数十匹の「虫」たちが夕闇の空へと飛び立っていった。それらは自律飛行で中学校へと向かい、校舎の隅々に潜入して配置に就く。
「これで、クラスの連中が裏でどんな陰口を叩いているか、次に行おうとしている嫌がらせの計画は何か、誰が誰と繋がっているのか、すべて筒抜けになる。あいつらが櫛田をハメようとした瞬間、その策略は俺のシステムによって事前に破綻させられる。――もう、君にスリッパを履かせるような真似は、二度とさせない」
画面に映し出される、リアルタイムの中学校の映像。クラスメイトたちの「秘密」や「通信」が、次々と文字データとしてスクラップされていく。
かつてブログでクラスの秘密を握っていた櫛田は、今やそれを遥かに凌駕する『国家レベルの監視ネットワーク』の恩恵を受ける側に回ったのだ。
すべてのセットアップが終わり、俺は隣に立つ櫛田を見た。
彼女は、モニターに映る無数のデータを見つめながら、その顔に、ゆっくりと、かつてのような「歪んだ笑み」を浮かべ始めていた。それは聖女の仮面ではない。圧倒的な暴力を後ろ盾に得た、本物の魔女の、妖艶でドス黒い笑みだった。
「凄い……凄いよ、水野くん。あはは……これなら、あいつらが裏で何を企んでるか、全部丸見えなんだね……」
「そうだ。あいつらは、自分たちが安全な場所から君を叩いていると思っているが、本当は俺の手のひらの上で踊らされている道化に過ぎない。……さあ、ここから反撃の時間だ、櫛田」
夕闇が完全に部屋を包み込む中、マルチモニターの青白い光が、二人の影を不気味に壁へと投影していた。
圧倒的なチート工学力と、すべてを肯定された少女の歪みが完全に融合し、この中学校の、そしていずれ訪れる高度育成高校の未来を、根底から狂わせる怪物が誕生した瞬間だった。