入学式まで残り一週間。
この一週間、俺は徹底的に生活を変えていた。
毎朝六時に起床。
ランニング五キロ。
腕立て、腹筋、スクワット。
最初は地獄だった。
山内の身体は想像以上に鈍っていて、少し走るだけで息が切れる。
筋肉痛で階段を降りるのも辛かった。
だが、続けるうちに少しずつ変化が出てきた。
「……前より動けるな」
近所には小さな3on3用のバスケットコートがあった。
前世ではバスケ部だった。 高校時代、県大会止まりではあったが、それでも基礎は身体に染みついている。
今の山内の身体はまだ追いついていない。 だが、動き方を知っているだけで成長速度が違った。
ドリブル。
レイアップ。
ジャンプシュート。
身体はまだ追いついていないが、感覚は残っている。
「よしっ」
シュートがリングを綺麗に通る。
汗を流しながら、俺は少しだけ笑った。
それに、図書館にも通った。
この世界の歴史。
政治。
経済。
そして小説。
特に小説は会話や語彙を学ぶために読んでいた。
前の山内は言葉が軽すぎる。
人を不快にさせる喋り方を、無意識にしてしまうタイプだ。
高度育成高校では、人間関係も重要。
綾小路みたいな化け物にはなれなくても、せめて“嫌われない人間”にはなりたい。
そして――。
風呂上がり。
俺は洗面所の鏡を見つめていた。
「……やっぱ山内だな」
そこに映っていたのは、見慣れた“山内春樹”。
軽薄そうな顔。
頼りない目。
どこか舐められそうな雰囲気。
アニメで何度も見た顔だ。
だが、中身は違う。
「このままじゃダメだな」
俺は顎に手を当てた。
よう実世界は第一印象がかなり重要だ。
山内は、見た目の時点で“弱そう”“軽そう”という印象を持たれている。
だから雑に扱われる。
「……イメチェンするか」
翌日。
俺は美容室のドアを開けた。
「いらっしゃいませー!」
店員のお姉さんが笑顔で迎えてくる。
席に座り、昨日家のネットからコピーで、写した髪型を見せた。
「こんな感じでお願いします」
「おっ、結構攻めますねー!」
大丈夫ですか?
「高校入学前ですよね?」
美容師は少し驚いた顔をした。
まあ、今の山内の見た目からは想像できないんだろう。
カットが始まる。
横は高めに刈り上げ。 前髪は少し長めに残す。 後ろはVシルエット。
そして最後に、金のメッシュ。
この世界では地毛が茶色や銀っぽい人間も普通にいるらしい。 だから逆に、人工的な染色文化はそこまで流行っていない。
美容師も、
「メッシュ入れる人、珍しいですね」
と言っていた。
さらに眉毛も整えたことで、目つきが鋭く見える。
前世の経験上、人間は第一印象で態度を変える。
特に高校生は露骨だ。
陰キャっぽい奴には強く出るし、 怖そうな奴には一歩引く。
一時間後。
「はい、完成です!」
鏡を見た瞬間——思わず固まった。
「……誰だこれ」
山内の面影はある。
だが、別人みたいだった。
元の陰キャ寄りの軽薄顔が、 かなり鋭い印象に変わっている。
刈り上げのおかげで輪郭が引き締まり、 長めの前髪と金メッシュが妙に似合っていた。
「あ、普通にカッコよくね?」
思わず口に出た。
美容師のお姉さんが笑う。
「かなり雰囲気変わりましたねー。高校デビューですか?」
「まあ、そんな感じです」
店を出た後、駅前のガラスに映る自分を何度も見てしまう。
春風が髪を揺らした。
通り過ぎる女子高生が、少しだけこちらを見る。
……山内の人生では、あまり無かった反応だ。
「見た目って大事なんだな」
俺は苦笑する。
それから俺は服も変えた。
山内が持っていた謎の英字Tシャツや、 サイズの合っていない服を全部処分。
黒系を中心に、 シンプルだけどシルエット重視の服を揃えた。
前世の経験上、 清潔感とサイズ感だけで印象はかなり変わる。
そして、家に帰り、ノートパソコンの画面を見つめながら、俺は小さく眉をひそめた。
「……妙だな」
高度育成高等学校。
ネットで調べれば調べるほど、この学校は“不自然”だった。
卒業生の口コミ。
進学率。
就職実績。
どれも完璧すぎる。
だが――。
「口コミが学校公式サイトにしかない?」
普通なら、匿名掲示板、受験サイト、卒業生ブログくらい存在する。
だが、高育は違った。
外部の情報が異様に少ない。
まるで、誰かが情報を管理しているみたいに。
「……国家主導の学校だから、情報統制でもしてんのか?」
背筋に少し寒気が走る。
あの学校ならやりかねない。
特に、退学者や問題児の情報は徹底的に消されていても不思議じゃない。
だが逆に言えば――。
“消しきれない情報”も存在する。
「大会記録、新聞、広報誌……」
俺は検索ワードを打ち込む。
学校側がネットの噂を消せても、地方大会のPDFや新聞アーカイブまでは完全に消せない。
特にスポーツ系は記録が残りやすい。
そして実際、色々と繋がり始めていた。
まず――。
龍園翔。
過去の暴力沙汰らしき噂。 荒れていた中学。 喧嘩絡みの書き込み。
完全な証拠はないが、“それっぽい情報”が断片的に残っている。
次に――。
須藤健。
こっちは分かりやすい。
暴力事件
バスケ大会の記録が普通に残っていた。
身体能力が高いのも納得だ。
「やっぱ化け物だな、あいつ……」
さらに――。
一ノ瀬帆波。
生徒会活動。 地域ボランティア。 表彰歴。
調べれば調べるほど、“優等生”という言葉が似合う経歴だった。
「表の顔は完璧すぎるな……」
逆に怖い。
そして――。
軽井沢恵。
ここは少し闇が深かった。
古い掲示板。 消えかけた書き込み。 中学時代の噂。
いじめ関連らしき痕跡が、薄っすら残っていた。
完全には消えていない。
「……なるほどな」
過去は、完全には消せない。
特に学生時代の人間関係は、どこかに必ず痕跡が残る。
さらに――。
伊吹澪。
空手大会の記録。
戦績。
地区大会。
写真まで残っている。
そして堀北姉弟。
堀北鈴音。 堀北学。
合気道や武道大会の記録を追うと、中学までかなり絞り込めた。
特に堀北学クラスになると、全国大会級。
武道連盟の記録や大会パンフレットに普通に名前が載っている。
「優秀すぎると逆に隠しきれないんだな……」
一方で――。
俺はある名前を検索する。
綾小路清隆。
検索結果。
ゼロ。
不自然なほど、何もない。
大会記録なし。 学校記録なし。 卒アル流出なし。
「……異常だろ」
ここまで情報が無い人間なんて普通はいない。
何かしら必ず残る。
だが綾小路には、それが一切無かった。
まるで――。
“最初から存在していなかった人間”みたいに。
俺は背もたれに寄りかかる。
そして小さく呟いた。
「お前、本当に何者なんだよ……綾小路」
入学式まで残り数日。
俺は毎日のようにパソコンと睨み合っていた。
「……よし、これで大体覚えたか」
画面には大量のメモ。
クラス分け予想。 過去の大会記録。 性格分析。 人間関係。
そして、顔写真。
俺は出来る限り多くの高育生を調べていた。
もちろん理由はある。
一つは、生存戦略。
誰が危険人物で、誰が有能か。
それを知っているだけで、学校生活の難易度は大きく変わる。
だが、もう一つ重要な理由があった。
「アニメと現実じゃ、顔違うからなぁ……」
俺は苦笑する。
前世で見ていたアニメの顔と、現実の人間の顔は微妙に違う。
当然だ。
二次元みたいに特徴が極端じゃない。
だから、もし対面した時――。
「うわ、本物の軽井沢だ」 「マジで龍園いるじゃん」
みたいな反応をしてしまえば終わる。
不審者確定だ。
だから俺は、現実の顔として脳に焼き付けていた。
まず――。
堀北鈴音。
写真で見る限り、かなり整っている。
だがアニメほど“冷たさ”は強くない。
むしろ現実だと、静かで近寄り難い優等生って感じだった。
次。
軽井沢恵。
こっちは逆。
画面越しより、実物の方が派手。
表情の作り方が上手い。
多分、空気を読む能力が高いんだろう。
さらに――。
龍園翔。
「あー……これはヤバいな」
写真越しでも圧がある。
目が完全に“喧嘩慣れしてる奴”だった。
多分、一般人なら近づかない。
そして――。
一ノ瀬帆波。
想像以上に柔らかい雰囲気だった。
笑顔が自然すぎる。
あれは人が集まる。
カリスマってやつだ。
さらに、Dクラス候補も確認する。
櫛田桔梗。
……これは危険。
表情だけ見れば完全に天使。
だが中身を知っているせいで逆に怖い。
「絶対裏あるように見えるんだよなぁ……」
前情報がある弊害だった。
そして最後に――。
綾小路清隆。
唯一、まともな写真が見つからない。
俺はノートを閉じる。
「……まぁいい」
重要なのは、対面した時に動揺しないこと。
この世界では、“原作知識がある”なんて絶対に悟られてはいけない。
特に綾小路には。
俺は深く息を吐く。
「さて……本番まであと少しか」
二週間。
短いようで、長かった。
最初は“山内春樹になった”という現実を受け入れるだけで精一杯だった。
だが今は違う。
身体も少しは鍛えた。
勉強もした。
この世界の常識も覚えた。
そして何より――。
高度育成高等学校について、徹底的に調べ上げた。
学校の制度。
過去の卒業生。
在校生。
そして、名前を覚えている重要人物たち。
俺はノートパソコンを閉じ、机の上に置かれたメモ帳を見る。
手書きでまとめた攻略メモ。
・危険人物
・接触優先度
・退学リスク
・人間関係
・性格分析
・過去情報
かなり細かく整理した。
もちろん、こんな物を他人に見られたら終わる。
だから母親に頼んで、内ポケット付きの上着まで作ってもらった。
「……過保護なくらい優しいんだよな」
少し苦笑する。
原作の山内なら、きっとこの優しさに気づかなかった。
だが俺は違う。
この家族を悲しませる未来だけは嫌だった。
俺はメモ帳とUSBを上着の内ポケットに入れる。
ちょうどいい。
外からは全く分からない。
「準備は終わったな……」
そして、最後に鏡を見る。
そこに映るのは、二週間前とは少し違う山内春樹だった。
髪型。
目付き。
姿勢。
少しだけ引き締まった身体。
完全に別人とは言わない。
だが、“舐められやすいオタク”みたいな空気はかなり薄れた。
「これなら第一印象は悪くない……はず」
とはいえ、問題はそこじゃない。
重要なのは――。
“どう動くか”。
原作知識は武器だ。
だが万能じゃない。
むしろ使い方を間違えれば、自分だけが浮く。
特に危険なのは――。
綾小路清隆。
あいつだけは別格だ。
下手に近づけば、逆に観察される。
そして――。
櫛田桔梗。
龍園翔。
この辺りも危険。
情報を持っていると悟られた瞬間、面倒になる。
原作の山内は、調子に乗って、自分を大きく見せようとして失敗した。
そして――。
「観察する」
高育は情報戦の学校だ。
誰が誰と組むか。
誰が本性を隠しているか。
誰が権力を握るか。
それを見極める。
俺は窓の外を見る。
夕日が街を赤く染めていた。
あと少しで、全てが始まる。
Dクラス。
綾小路。
堀北。
軽井沢。
龍園。
一ノ瀬。
そして坂柳。
原作で見ていた“舞台”に、自分が立つ。
胸が少しだけ高鳴った。
「……さて」
俺は静かに呟く。
「退学エンド、回避してやるか」
小説を、書くのが凄く難しいです