フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~   作:ヒツジ(ラム肉

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第十話 行くな

『エンキドゥは言った。

 

「杉の森へ行ってはならぬ。

 

フンババは強大である」』

 

――ウルク出土石板断片・現代語訳

 

「珍しいな」

 

フンババは石板を閉じた。

 

長老が頷く。

 

「珍しいな」

 

二人とも同じ感想だった。

 

エンキドゥは基本的に。

 

まずやる。

 

考えるのは後。

 

失敗する。

 

もっと後。

 

そういう男だった。

 

だから。

 

「行くな」

 

と言うのは珍しい。

 

本当に珍しい。

 

春。

 

杉の森。

 

雪解けが終わる。

 

川が膨らむ。

 

苗木を植える季節だった。

 

今年も若者達が働いている。

 

穴を掘る。

 

植える。

 

土を被せる。

 

地味な仕事だった。

 

「長」

 

若者が聞く。

 

「なんじゃ」

 

「何故植えるんです」

 

「切るからじゃ」

 

即答だった。

 

「切るから?」

 

「切る」

 

「だから植える」

 

「切る」

 

「だから植える」

 

沈黙。

 

「それだけですか」

 

「それだけじゃ」

 

簡単な話だった。

 

森を使う。

 

だから育てる。

 

育てる。

 

だから使える。

 

それだけ。

 

遠い都市では。

 

神官が語る。

 

王が語る。

 

学者が語る。

 

だが。

 

森では違う。

 

木を植える。

 

育つ。

 

切る。

 

また植える。

 

以上。

 

昼。

 

交易隊が来る。

 

石板も来る。

 

最近多い。

 

嫌な予感しかしない。

 

「長」

 

商人が苦笑していた。

 

「何じゃ」

 

「またエンキドゥです」

 

「知っとる」

 

「今度は本気で反対しています」

 

沈黙。

 

フンババは石板を受け取る。

 

読む。

 

そこには。

 

エンキドゥの言葉。

 

『フンババを知っている』

 

『森を知っている』

 

『あそこへ行ってはならぬ』

 

『死ぬぞ』

 

何度も。

 

繰り返されていた。

 

沈黙。

 

長い沈黙。

 

「本気じゃな」

 

フンババが呟く。

 

「本気ですね」

 

商人も頷く。

 

「喧嘩になりました」

 

「だろうな」

 

「怒鳴り合いです」

 

「だろうな」

 

「王も譲りません」

 

「だろうな」

 

全員頷く。

 

容易に想像できた。

 

夜。

 

焚火。

 

フンババは石板を読み返す。

 

『行くな』

 

『死ぬぞ』

 

『あれは人の相手ではない』

 

強い言葉。

 

珍しい言葉。

 

本気の言葉。

 

そして。

 

ふと笑った。

 

「覚えておったか」

 

誰もいない夜。

 

小さな声。

 

昔。

 

まだ子供だった頃。

 

森の北側へ入ろうとした。

 

危険な谷。

 

崖。

 

熊の縄張り。

 

そこで。

 

フンババは言った。

 

『行くな』

 

『死ぬぞ』

 

全く同じ言葉だった。

 

あの日。

 

エンキドゥは素直に従った。

 

珍しく。

 

本当に珍しく。

 

「成長したな」

 

フンババは呟く。

 

誰かを止める側になった。

 

誰かを守ろうとした。

 

昔の自分の言葉を使って。

 

少しだけ。

 

嬉しかった。

 

その頃。

 

ウルク。

 

王宮。

 

ギルガメッシュは立ち上がる。

 

怒っていた。

 

若い王らしく。

 

真っ直ぐに。

 

「何故だ」

 

エンキドゥを見る。

 

「何故そこまで反対する」

 

沈黙。

 

長い沈黙。

 

エンキドゥは答えない。

 

答えられない。

 

森を知っている。

 

フンババを知っている。

 

あの森が。

 

単なる怪物の住処ではないことも知っている。

 

だが。

 

説明できない。

 

上手く言葉に出来ない。

 

「行くな」

 

それしか言えなかった。

 

「死ぬぞ」

 

それしか。

 

ギルガメッシュは苛立つ。

 

理解できない。

 

理解したくない。

 

何故なら。

 

その森の向こうに。

 

自分の名誉があるから。

 

英雄譚があるから。

 

そして。

 

運命は既に動き始めていた。

 

誰も止められないほどに。

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