フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~ 作:ヒツジ(ラム肉
『ギルガメッシュは決意した。
杉の森へ向かうと。
エンキドゥはなお反対したが、
最後には友と共に歩むことを選んだ。』
――ウルク出土石板断片・現代語訳
「馬鹿者じゃな」
フンババは石板を閉じた。
長老が酒を飲む。
「どっちじゃ」
「両方じゃ」
即答だった。
「確かに」
長老も頷く。
実に分かりやすい話だった。
夏。
杉の森。
太陽が高い。
蝉が鳴く。
川は穏やか。
森は青い。
平和だった。
「長」
若者が走って来る。
「なんじゃ」
「また石板です」
「またか」
最近多い。
本当に多い。
英雄とはそんなに暇なのだろうか。
商人が苦笑している。
嫌な予感しかしない。
「今度は何じゃ」
「決まったそうです」
沈黙。
フンババの顔から笑みが消える。
「何がじゃ」
商人は答えた。
「杉の森遠征です」
風が止まった気がした。
蝉も。
鳥も。
何も聞こえない。
商人は続ける。
「王は行きます」
「エンキドゥもです」
沈黙。
長い沈黙。
誰も喋らない。
フンババは石板を見る。
そこには。
エンキドゥの言葉。
反対した。
止めた。
説得した。
怒鳴った。
それでも。
王は止まらなかった。
そして最後。
『ならば私も行く』
その一文。
フンババはそこを見つめる。
長く。
静かに。
夜。
焚火。
酒。
長老。
静かな時間。
「怒っとるか」
長老が聞く。
沈黙。
フンババは考える。
怒り。
少しある。
悲しみ。
少しある。
不安。
かなりある。
だが。
それだけではない。
「友じゃからな」
小さく呟く。
長老は何も言わない。
ただ聞く。
「止めた」
「うむ」
「それでも行く」
「うむ」
「なら一人では行かせん」
沈黙。
フンババは酒を飲む。
少し苦い。
「そういう馬鹿者じゃ」
風が吹く。
杉が鳴る。
昔。
まだ小さかった頃。
エンキドゥが崖へ登ろうとした。
危ない。
落ちる。
死ぬ。
だから止めた。
だが。
登った。
仕方ないので。
フンババも登った。
川へ飛び込んだ時も。
熊を追い掛けた時も。
蜂の巣を取ろうとした時も。
全部同じだった。
止まらない。
なら。
助ける。
守る。
それだけ。
「変わらんな」
長老が笑う。
「変わらん」
フンババも笑った。
その頃。
ウルク。
遠征準備。
武器。
食料。
護衛。
荷車。
都市全体が動いていた。
王は忙しい。
兵士も忙しい。
皆忙しい。
だが。
エンキドゥだけは違った。
夜。
城壁の上。
一人。
風を受けていた。
遠くを見る。
南東。
見えない場所。
杉の森。
故郷。
眠れない。
珍しく。
本当に珍しく。
眠れない。
「後悔しているか」
声。
ギルガメッシュだった。
いつの間にか来ていた。
「何をだ」
エンキドゥが聞く。
「私と友になったことを」
沈黙。
長い沈黙。
本当に長い沈黙。
そして。
エンキドゥは笑った。
少しだけ。
「それは無い」
即答だった。
ギルガメッシュも笑う。
安心したように。
「だが」
エンキドゥは空を見る。
月。
遠い空。
そして。
見えない故郷。
「森は怒るだろうな」
小さく呟く。
誰に向けた言葉か。
王か。
フンババか。
自分自身か。
分からない。
ただ。
遠征は決まった。
もう止まらない。
運命も。
友情も。
後悔も。
全てを連れて。
杉の森へ向かう。
第二章 王と英雄 完
次の石板は。
帰郷の話になる。
誰も望まなかった形で。