フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~   作:ヒツジ(ラム肉

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第四章 最後の会談
第十九話 森守の手紙


『英雄達は杉の森へ近付いた。

 

エンキドゥの心は重かった。』

 

――ウルク出土石板断片・現代語訳

 

「重かったらしい」

 

フンババは石板を読む。

 

長老が酒を飲む。

 

「飯か」

 

「違う」

 

「酒か」

 

「違う」

 

沈黙。

 

「悩みじゃな」

 

「悩みじゃな」

 

二人は頷いた。

 

昔から分かりやすかった。

 

悩む。

 

黙る。

 

飯が減る。

 

酒も減る。

 

そして夜更かしする。

 

エンキドゥはそういう男だった。

 

春。

 

杉の森。

 

雪は消えた。

 

川も落ち着く。

 

木々は芽吹き始める。

 

森が一番美しい季節だった。

 

フンババは作業場にいた。

 

木を削っている。

 

小さな箱。

 

器用ではない。

 

だが慣れている。

 

何十年も作っている。

 

「長」

 

若者が聞く。

 

「何を作っているんです」

 

沈黙。

 

フンババは答える。

 

「箱じゃ」

 

「見れば分かります」

 

正論だった。

 

箱は小さい。

 

掌に乗る程度。

 

蓋も付いている。

 

飾りも無い。

 

実用一辺倒だった。

 

「誰のです」

 

若者が聞く。

 

少し沈黙。

 

そして。

 

フンババは答える。

 

「馬鹿者用じゃ」

 

若者は察した。

 

エンキドゥだった。

 

「帰って来ると思うんですか」

 

何気ない質問。

 

だが。

 

空気が少し止まる。

 

風も静かになる。

 

フンババは削る。

 

木を削る。

 

また削る。

 

そして。

 

答えた。

 

「帰る」

 

即答だった。

 

「何故です」

 

「腹が減るからじゃ」

 

若者は笑う。

 

フンババも笑う。

 

昔と同じ答えだった。

 

その日の夕方。

 

交易隊が来る。

 

荷車。

 

塩。

 

布。

 

青銅。

 

そして石板。

 

商人の顔は少し曇っていた。

 

「長」

 

「なんじゃ」

 

「遠征隊です」

 

沈黙。

 

「どこまで来た」

 

「北の山を越えました」

 

静かになる。

 

近い。

 

思ったより。

 

ずっと近い。

 

石板には。

 

遠征隊の進路。

 

補給状況。

 

同行都市。

 

神殿からの支援。

 

細かく記されていた。

 

本格的だった。

 

本当に。

 

本格的だった。

 

夜。

 

守護者の家。

 

灯火。

 

古い契約書。

 

新しい石板。

 

並んでいる。

 

フンババは一枚の木板を取り出した。

 

文字を書く。

 

ゆっくり。

 

不器用に。

 

何度も書き直しながら。

 

若い頃から苦手だった。

 

『元気か』

 

少し考える。

 

書き足す。

 

『飯を食え』

 

さらに考える。

 

また書き足す。

 

『酒はほどほどにせい』

 

そこで止まる。

 

長い沈黙。

 

そして。

 

ため息をつく。

 

「届かんか」

 

小さな声。

 

商隊は行き違う。

 

遠征隊は移動する。

 

どこにいるか分からない。

 

届ける方法が無い。

 

木板を見る。

 

短い。

 

実に短い。

 

だが。

 

伝えたいことは全部入っていた。

 

元気でおれ。

 

飯を食え。

 

生きて帰れ。

 

それだけ。

 

その頃。

 

遠征隊。

 

夜営地。

 

焚火。

 

兵士達の笑い声。

 

酒。

 

肉。

 

旅の疲れ。

 

いつもの光景。

 

だが。

 

エンキドゥだけは静かだった。

 

焚火を見ている。

 

炎を。

 

ただ見ている。

 

「眠れんのか」

 

ギルガメッシュが聞く。

 

沈黙。

 

そして頷く。

 

珍しかった。

 

本当に珍しかった。

 

「夢を見る」

 

小さな声。

 

「どんな夢だ」

 

長い沈黙。

 

やがて。

 

エンキドゥは答える。

 

「帰る夢だ」

 

焚火が揺れる。

 

「森へか」

 

「そうだ」

 

「良い夢ではないか」

 

王は笑う。

 

だが。

 

エンキドゥは笑わなかった。

 

「途中で終わる」

 

その言葉だけ。

 

風に消えそうな声だった。

 

そして。

 

誰も続けられなかった。

 

杉の森は近い。

 

故郷も近い。

 

だからこそ。

 

エンキドゥの胸は重かった。

 

何故なのか。

 

まだ自分でも分からないまま。

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