フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~ 作:ヒツジ(ラム肉
『エンキドゥは荒野に生まれ、
獣と共に生きた。』
――ウルク出土石板断片・現代語訳
※ただし杉の森の者達はこの記述について首を傾げている。
「獣と共に生きた?」
フンババは石板を見た。
もう一度見た。
「何じゃこれは」
長老が覗き込む。
「どうした」
「獣と共に生きたらしい」
「間違ってはおらん」
「そうか?」
「熊と喧嘩しとった」
「しておったな」
「猪も追い掛けとった」
「追い掛けとった」
「鹿とも競争しとった」
「勝っておった」
沈黙。
「獣と共に生きとるな」
「生きとるな」
二人は頷いた。
間違ってはいない。
ただし。
本人も獣側だった可能性がある。
十数年前。
まだエンキドゥが十二歳だった頃。
森の入口。
少年達が集まっている。
何かを見ている。
「何しとる」
フンババが聞く。
誰も答えない。
全員。
真顔だった。
嫌な予感がした。
フンババは輪の中心を見る。
そこには。
エンキドゥがいた。
猪に乗っていた。
沈黙。
長い沈黙。
猪も困っていた。
「何しとる」
「騎兵だ!」
即答だった。
「降りろ」
「嫌だ!」
猪が暴れた。
エンキドゥが落ちた。
どさり。
「痛い!」
「当然じゃ」
その夜。
広場。
長老達が笑っていた。
「騎兵」
「騎兵」
「猪兵ではないか」
酒が進む。
エンキドゥは不満そうだった。
「速かったぞ」
「そうじゃろうな」
「乗れたぞ」
「一瞬な」
「戦える」
「誰とじゃ」
沈黙。
本人も考えていなかった。
別の日。
川。
魚獲りの日。
皆が網を張る。
仕掛けを置く。
槍を使う。
普通の漁だ。
エンキドゥは違った。
川へ飛び込んだ。
どぼん。
沈黙。
皆が見る。
しばらくして。
どばぁっ!
大魚を抱えて浮上した。
「捕った!」
本人は満面の笑み。
魚は瀕死。
周囲は頭を抱えた。
「網を使え」
「捕れたぞ」
「そういう問題ではない」
フンババは額を押さえる。
だが。
少しだけ誇らしかった。
力がある。
度胸もある。
恐れを知らない。
馬鹿だが。
間違いなく強い。
その年の冬。
大雪。
子供達は家に閉じ込められる。
退屈する。
騒ぐ。
当然。
エンキドゥも騒ぐ。
「暇だ!」
「寝ろ」
「嫌だ!」
「本を読め」
「読んだ!」
「全部か」
「絵だけ!」
「馬鹿者」
即答だった。
その夜。
フンババは焚火の前で座っていた。
外では雪。
静かな夜。
隣には長老。
酒もある。
「どう思う」
フンババが聞く。
「何がじゃ」
「エンキドゥじゃ」
長老は少し考えた。
長く。
そして答える。
「出て行くな」
沈黙。
「やはりか」
「やはりじゃ」
二人は頷く。
森は狭い。
悪い意味ではない。
だが。
あの少年には狭い。
海を見たい。
王を見たい。
都市を見たい。
世界を見たい。
そんな目をしている。
昔から。
フンババは火を見る。
炎が揺れる。
外では雪。
家の奥からは。
エンキドゥの笑い声。
何か壊したらしい。
誰かが怒鳴っている。
またか。
フンババは笑った。
「まだ早い」
小さく呟く。
まだ森におれ。
もう少しだけ。
もう少しだけ。
そう願った。
だが。
願いは願いに過ぎない。
少年は育つ。
世界は広い。
そして。
馬鹿者ほど遠くへ行く。
それは昔から変わらない。