フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~   作:ヒツジ(ラム肉

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第二十一話 森守の夜

『フンババは森の奥に住み、

 

七つの威光をまとい、

 

英雄達を待ち受けた。』

 

――ウルク出土石板断片・現代語訳

 

待ち受けた。

 

フンババは石板を読む。

 

もう一度読む。

 

さらに読む。

 

「待っとらんな」

 

長老が酒を飲む。

 

「待っとらんな」

 

二人は頷いた。

 

実際のところ。

 

待っていたのは。

 

明日の会談だった。

 

夜。

 

杉の森。

 

風が吹く。

 

杉が鳴る。

 

いつもの音。

 

いつもの森。

 

だが。

 

今夜だけは違った。

 

遠く。

 

南の空。

 

無数の灯火。

 

遠征軍の野営地だった。

 

焚火。

 

見張り火。

 

兵士達の灯。

 

星空の下。

 

まるで一つの街だった。

 

若者達は眠れない。

 

集落も静かだ。

 

子供達まで静かだった。

 

何かが来る。

 

皆分かっている。

 

フンババは一人で歩いていた。

 

森の中。

 

月明かり。

 

静かな夜。

 

見回りだった。

 

いつもの仕事。

 

何十年も続いた仕事。

 

橋を見る。

 

異常無し。

 

川を見る。

 

異常無し。

 

運搬路を見る。

 

異常無し。

 

森を見る。

 

異常無し。

 

「変わらんな」

 

小さく呟く。

 

森は変わらない。

 

人は変わる。

 

王も変わる。

 

都市も変わる。

 

契約も変わる。

 

だが。

 

森は変わらない。

 

それが少し嬉しかった。

 

やがて。

 

丘へ出る。

 

見晴らしの良い場所。

 

昔。

 

エンキドゥがよく登った場所だった。

 

海が見えると信じて。

 

実際には見えなかった。

 

本人は納得していなかった。

 

フンババは座る。

 

酒袋を開く。

 

蜂蜜酒。

 

少し飲む。

 

旨い。

 

だが。

 

少しだけ苦い。

 

遠征軍の灯を見る。

 

近い。

 

本当に近い。

 

その中に。

 

エンキドゥもいる。

 

間違いなく。

 

「大きくなりおって」

 

思わず笑う。

 

昔。

 

木から落ちた。

 

川へ飛び込んだ。

 

猪に乗った。

 

蜂に追い回された。

 

そんな馬鹿者だった。

 

今は英雄らしい。

 

石板にも名前がある。

 

王の友らしい。

 

皆に知られている。

 

「立派になったな」

 

本心だった。

 

誇らしかった。

 

本当に。

 

そして。

 

少しだけ寂しかった。

 

風が吹く。

 

杉が鳴る。

 

月も高い。

 

静かな夜。

 

ふと。

 

懐から木板を取り出す。

 

少し前に書いたもの。

 

届かなかった手紙。

 

『元気か』

 

『飯を食え』

 

『酒はほどほどにせい』

 

短い。

 

実に短い。

 

フンババらしい。

 

「馬鹿者」

 

笑う。

 

届いていたら。

 

きっと笑われる。

 

絶対笑われる。

 

「儂は子供か」

 

そう言う。

 

間違いない。

 

だが。

 

もし明日会えたら。

 

同じ事を言う。

 

飯を食え。

 

酒はほどほどにせい。

 

ちゃんと寝ろ。

 

それだけ。

 

その頃。

 

遠征軍。

 

野営地。

 

焚火。

 

兵士達は眠っている。

 

静かな夜。

 

エンキドゥだけが起きていた。

 

眠れない。

 

最近ずっとそうだった。

 

立ち上がる。

 

森を見る。

 

懐かしい。

 

本当に懐かしい。

 

風の匂い。

 

杉の匂い。

 

川の音。

 

全部覚えている。

 

忘れた事など無い。

 

「帰って来たな」

 

小さく呟く。

 

返事は無い。

 

だが。

 

胸が少しだけ軽くなる。

 

明日。

 

会える。

 

長にも。

 

長老達にも。

 

皆にも。

 

きっと。

 

そして。

 

酒を飲む。

 

鹿肉を食う。

 

怒られる。

 

皆で笑う。

 

そんな未来を。

 

まだ信じていた。

 

その夜。

 

森守と英雄は。

 

同じ月を見ていた。

 

同じ風を感じていた。

 

だが。

 

二人の間には。

 

軍旗があった。

 

契約があった。

 

そして。

 

取り返しのつかない運命もまた、

 

静かに近付いていた。

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