フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~ 作:ヒツジ(ラム肉
『ギルガメッシュは森へ入った。
エンキドゥは彼と共に進んだ。
フンババは英雄達の前に現れた。』
――ウルク出土石板断片・現代語訳
現れた。
フンババは石板を読む。
「現れたな」
長老が酒を飲む。
「呼ばれたからな」
「呼ばれたな」
二人は頷いた。
怪物登場。
というより。
会談出席だった。
朝。
杉の森。
霧。
冷たい風。
鳥の声。
静かな朝だった。
だが。
皆起きている。
森の民も。
遠征軍も。
誰も眠れなかった。
会談場所は川辺だった。
昔からの中立地。
交易交渉も。
部族会議も。
全部ここでやる。
守護者の定位置だった。
フンババは先に来ていた。
木の椅子。
酒。
古い契約石板。
いつもの装備だった。
やがて。
軍勢が現れる。
槍。
盾。
軍旗。
青銅鎧。
多い。
本当に多い。
その先頭。
ギルガメッシュ。
そして。
エンキドゥ。
沈黙。
風が吹く。
杉が鳴る。
長い沈黙。
最初に笑ったのは。
フンババだった。
「痩せたな」
エンキドゥが固まる。
「長」
その一言。
何年ぶりだったか。
思い出せない。
「飯食っとるか」
「食っとる」
「嘘じゃな」
「食っとる!」
「足りん」
昔と同じだった。
本当に。
昔と同じだった。
周囲が静かになる。
兵士達も。
森の民も。
誰も喋らない。
ギルガメッシュは初めて理解する。
英雄エンキドゥ。
ではない。
森の馬鹿者。
その姿を。
初めて見た。
フンババは立ち上がる。
契約石板を持つ。
重い。
古い。
何代も受け継がれた物。
「ウルク王」
静かな声。
「聞く」
ギルガメッシュが頷く。
「何故来た」
真っ直ぐな問い。
遠回しではない。
守護者らしい問い。
ギルガメッシュも真っ直ぐ答える。
「杉を求めて」
「名誉を求めて」
「偉業を求めて」
風が吹く。
森が鳴る。
フンババは黙る。
そして。
古い契約石板を差し出した。
「杉なら売る」
静かな声。
「昔から売ってきた」
「これからも売る」
「契約もある」
「道もある」
「橋もある」
「商人もおる」
「何故戦う」
静かになる。
誰も言葉を出せない。
兵士達も。
神官達も。
援軍の隊長達も。
皆黙る。
何故だろう。
本当に。
何故だろう。
ギルガメッシュも黙る。
答えはある。
名誉。
伝説。
永遠の名。
だが。
今ここで言うには。
少し軽かった。
沈黙。
長い沈黙。
そして。
ギルガメッシュは言った。
「私は王だ」
「うむ」
「後世に残る偉業が必要だ」
静かになる。
フンババは目を閉じる。
少しだけ。
本当に少しだけ。
悲しそうだった。
「そうか」
短い返事。
それだけ。
そして。
エンキドゥを見る。
長く。
本当に長く。
見つめる。
「お前もか」
小さな声。
誰にも聞こえないほど小さい。
だが。
エンキドゥには聞こえた。
答えられない。
言葉が出ない。
故郷。
友。
王。
名誉。
全部ある。
全部重い。
やがて。
フンババは笑った。
昔と同じ。
少し困った時の笑顔。
「難しいの」
誰に言うでもなく呟く。
そして。
契約石板を抱える。
重い。
何百年分も。
本当に重い。
「今日は帰れ」
静かな声。
「明日また話そう」
最後の提案だった。
最後の。
本当に最後の。
和平案だった。
風が吹く。
杉が鳴る。
だが。
英雄譚は。
ここで終わらない。
だからこそ。
石板に残ったのだから。
そして。
森守はまだ知らない。
明日が。
人生最後の朝になることを。