フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~   作:ヒツジ(ラム肉

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最終章 石板の向こう側
第二十三話 最後の森守


『ギルガメッシュは斧を構えた。

 

エンキドゥは傍らに立った。

 

そして英雄達はフンババへ向かった。』

 

――ウルク出土石板断片・現代語訳

 

向かった。

 

石板にはそう刻まれている。

 

短い。

 

実に短い。

 

石板とはそういうものだ。

 

誰が眠れなかったのか。

 

誰が迷ったのか。

 

誰が泣いたのか。

 

そんな事は残らない。

 

残るのは結果だけだ。

 

朝。

 

杉の森。

 

霧。

 

冷たい風。

 

静かな森。

 

鳥の声すら少ない。

 

森が息を潜めているようだった。

 

フンババは早く起きていた。

 

眠れなかった。

 

久しぶりだった。

 

本当に久しぶりだった。

 

若い頃以来かもしれない。

 

火を起こす。

 

湯を沸かす。

 

酒ではない。

 

珍しかった。

 

家の外へ出る。

 

朝日。

 

杉。

 

川。

 

全部変わらない。

 

何十年も見た景色。

 

今日も同じ。

 

そのはずだった。

 

やがて。

 

足音がする。

 

長老だった。

 

何も言わない。

 

隣へ座る。

 

しばらく沈黙。

 

長い沈黙。

 

そして。

 

長老が言う。

 

「行くのか」

 

「行く」

 

短い返事。

 

「若い衆を出すか」

 

「出さん」

 

即答だった。

 

「そうか」

 

「そうじゃ」

 

森の民は戦士ではない。

 

木を植える。

 

橋を直す。

 

川を管理する。

 

それが仕事だ。

 

軍勢と戦う仕事ではない。

 

長老は頷く。

 

それ以上何も言わない。

 

分かっていた。

 

昔から。

 

ずっと。

 

分かっていた。

 

少しして。

 

若者達が集まる。

 

皆起きていた。

 

誰も眠れなかった。

 

「長」

 

一人が言う。

 

「俺達も」

 

最後まで言わせない。

 

フンババは首を振る。

 

「駄目じゃ」

 

静かな声。

 

「だが」

 

「駄目じゃ」

 

もう一度。

 

若者は黙る。

 

フンババは笑った。

 

少しだけ。

 

優しく。

 

「森を残せ」

 

それだけ。

 

沈黙。

 

誰も反論できない。

 

「木を植えろ」

 

「川を守れ」

 

「橋を直せ」

 

「飯を食え」

 

「酒も飲め」

 

少し笑う。

 

皆も少し笑う。

 

泣きそうな顔で。

 

「それが仕事じゃ」

 

守護者らしい言葉だった。

 

昼。

 

会談場所。

 

昨日と同じ川辺。

 

昨日と同じ風。

 

昨日と同じ杉。

 

だが。

 

違う。

 

軍勢は整列している。

 

槍。

 

盾。

 

弓。

 

戦う準備。

 

フンババは一人で歩く。

 

契約石板を抱えて。

 

重い。

 

本当に重い。

 

何百年分もの重さだった。

 

遠く。

 

エンキドゥが見える。

 

ギルガメッシュもいる。

 

皆いる。

 

昨日会った顔。

 

だが。

 

今日は遠い。

 

やがて。

 

フンババは立ち止まる。

 

軍勢の前。

 

そして。

 

契約石板を地面へ置いた。

 

音が響く。

 

静かになる。

 

誰も喋らない。

 

「最後に聞く」

 

静かな声。

 

風だけが動く。

 

「契約を守るか」

 

沈黙。

 

長い沈黙。

 

誰も答えない。

 

神官も。

 

隊長達も。

 

王も。

 

やがて。

 

ギルガメッシュが前へ出る。

 

若い王。

 

強い王。

 

英雄の王。

 

そして答える。

 

「断る」

 

風が吹く。

 

杉が鳴る。

 

それだけだった。

 

怒りは無い。

 

叫びも無い。

 

ただ。

 

終わった。

 

フンババは目を閉じる。

 

長い。

 

本当に長い時間。

 

守ってきたもの。

 

契約。

 

交易。

 

森。

 

全部が。

 

今。

 

終わった。

 

やがて。

 

目を開く。

 

そして。

 

笑った。

 

どこか。

 

安心したように。

 

「そうか」

 

短い言葉。

 

それだけ。

 

そして。

 

エンキドゥを見る。

 

最後に。

 

本当に最後に。

 

「大きくなりおって」

 

昔と同じ言葉。

 

丘を駆けた少年。

 

木から落ちた馬鹿者。

 

飯を盗んだ子供。

 

今は英雄。

 

立派になった。

 

本当に。

 

立派になった。

 

エンキドゥは何も言えない。

 

言葉が出ない。

 

胸だけが痛い。

 

理由は分かっている。

 

分かり過ぎるほど。

 

フンババは斧を構える。

 

守護者の斧。

 

木を切るための物。

 

森を守るための物。

 

人を殺すためではない。

 

だが。

 

今日は違う。

 

風が吹く。

 

杉が鳴る。

 

最後の森守は。

 

静かに立っていた。

 

そして英雄達もまた。

 

前へ進む。

 

誰も止まらない。

 

もう。

 

止まれない。

 

だから。

 

悲劇は完成する。

 

石板へ刻まれるために。

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