フンババ異端叙事詩 ~石板に刻まれなかった者達~   作:ヒツジ(ラム肉

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第五話 遠い噂

『エンキドゥは人の食事を食べた。

 

人の酒を飲んだ。

 

そして人の知恵を学んだ。』

 

――ウルク出土石板断片・現代語訳

 

「本当かのう」

 

フンババは石板を見た。

 

長老が聞く。

 

「何がじゃ」

 

「知恵じゃ」

 

沈黙。

 

「学んだと思うか」

 

長老も考える。

 

長く。

 

真面目に。

 

そして答えた。

 

「酒は飲んだ」

 

「飲んだな」

 

「飯も食った」

 

「食ったな」

 

「知恵は分からん」

 

「分からんな」

 

二人は頷いた。

 

実に公平な評価だった。

 

旅立ちから三ヶ月。

 

杉の森は変わらない。

 

木は育つ。

 

川は流れる。

 

鹿は走る。

 

子供は騒ぐ。

 

フンババは昼寝する。

 

平和だった。

 

「長」

 

若者が来る。

 

「なんじゃ」

 

「交易隊です」

 

「事故は」

 

「なし」

 

「死人は」

 

「なし」

 

「良いことじゃ」

 

いつものやり取り。

 

そして。

 

若者が続けた。

 

「あと」

 

「なんじゃ」

 

「エンキドゥの話が」

 

沈黙。

 

フンババの耳が動いた。

 

「どこじゃ」

 

「南の都市です」

 

「生きとったか」

 

「生きてます」

 

即答だった。

 

フンババは頷く。

 

それだけで十分だった。

 

交易隊の商人が笑う。

 

「面白い若者ですよ」

 

「知っとる」

 

「市場で喧嘩したそうです」

 

「知っとる」

 

「神殿でも怒られたそうです」

 

「知っとる」

 

「酒場で椅子を壊したそうです」

 

沈黙。

 

「それは初耳じゃ」

 

会場が笑う。

 

「だが人気者です」

 

商人は続ける。

 

「人気者?」

 

「力持ちで」

 

「働き者で」

 

「飯を旨そうに食う」

 

沈黙。

 

「本人じゃな」

 

「本人です」

 

その夜。

 

フンババは焚火の前にいた。

 

酒。

 

焼き魚。

 

静かな夜。

 

そして。

 

少しだけ嬉しかった。

 

旅先で生きている。

 

笑っている。

 

飯を食っている。

 

それだけで良かった。

 

翌月。

 

また商人が来る。

 

「長」

 

「なんじゃ」

 

「またエンキドゥです」

 

「今度は何を壊した」

 

「門です」

 

沈黙。

 

「門」

 

「門」

 

「何故じゃ」

 

「開かなかったので」

 

沈黙。

 

長老が吹き出した。

 

「押したのか」

 

「押しました」

 

「開いたか」

 

「壊れました」

 

全員が頭を抱えた。

 

だが。

 

続く言葉は予想外だった。

 

「その後」

 

「うむ」

 

「王に呼ばれました」

 

静かになる。

 

「王?」

 

「ウルク王です」

 

沈黙。

 

フンババは考える。

 

都市。

 

王。

 

英雄。

 

全部。

 

エンキドゥが憧れていたものだった。

 

「会えたのか」

 

「会えたそうです」

 

商人は笑う。

 

「本人は喜んでいました」

 

フンババも少し笑った。

 

昔。

 

丘の上で。

 

王を見てみたい。

 

そう言っていた。

 

海を見たい。

 

都市を見たい。

 

世界を見たい。

 

馬鹿みたいに目を輝かせて。

 

「見れたか」

 

誰にも聞こえない声。

 

焚火へ向けた呟き。

 

だが。

 

どこか嬉しそうだった。

 

その頃。

 

遠い南。

 

ウルク。

 

巨大な城壁。

 

巨大な神殿。

 

巨大な都市。

 

その中で。

 

エンキドゥは座っていた。

 

大皿の前。

 

肉。

 

酒。

 

果物。

 

豪華な食事。

 

だが。

 

ふと。

 

思い出す。

 

杉の森。

 

川。

 

焚火。

 

焼いた魚。

 

そして。

 

昼寝している老人。

 

「馬鹿者」

 

その声が聞こえた気がした。

 

エンキドゥは笑う。

 

「そのうち帰るか」

 

小さく呟く。

 

だが。

 

その"そのうち"は。

 

思ったよりずっと遠かった。

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