それから、プレゼントマイク先生の英語の授業に昼休みのマスコミ騒動、日々を過ごした。
その数日後、
「本日は災害救助訓練を行う」
引率の相澤先生に連れられ、俺たちが訪れたのは「ウソの災害や事故ルーム」――通称USJ。津波、火災、山崩れなど、様々な災害を模したエリアが広がるこの施設で、実践的な救助訓練を行うのだという。
「わー!、すごい施設!」
葉隠さんが目を輝かせながら周囲を見回している。俺もまた、施設の規模に感心しながら入口へと足を向けた。
そこで異変に気づいたのは、13号先生の挨拶が始まってすぐのことだった。
入り口付近に、黒い靄のようなものが立ち上り始める。それは徐々に濃さを増し、やがて人の形を模していく。
「……あれは」
肌が粟立つ感覚に、俺は思わず身構えた。
「――生徒たちは全員、その場を動くな! いや……」
相澤先生がそう言いかけた瞬間、13号先生が鋭く叫んだ。
「生徒は先に非常口へ! 急いで!」
その声で我に返った俺は、咄嗟に近くにいた生徒たちへ向き直った。
「こっちだ! 出口はあっちにある、急げ!」
葉隠さんや他のクラスメイトを促し、非常口の方向へと駆け出そうとする。だが、数歩も進まないうちに、足元から黒い靄が噴き上がった。
「な――」
反応する間もなく、視界が真っ黒に塗りつぶされる。息苦しさすら感じるほどの濃密な靄に全身を包まれ、平衡感覚が失われていく。
――しまった、これは。
そう理解した時にはもう遅かった。次の瞬間、俺の体は闇の中から吐き出されるように、全く別の場所へと放り出されていた。
「っ……!」
咳き込みながら顔を上げると、そこは先ほどまでいた入り口ではなく、施設の中心――大きな噴水がそびえる広場だった。
「北風くん……!」
葉隠さんの声がすぐ近くから聞こえた。周囲には俺たち二人以外の生徒の姿はない。だが、噴水の傍らには見知った背中があった。
「相澤先生……!」
包帯のような布を身に纏い、油断なく前方を睨む担任の姿がそこにあった。先生もまた、俺たちに気づいてわずかに目を見開く。
「北風、葉隠……お前らも飛ばされたか」
そう呟く先生の視線の先には、数十人はいるであろうヴィランの集団が、噴水を囲むようにひしめき合っていた。
「なんだ、あれ……」
避難のつもりが、よりにもよって最前線――敵の本拠地とも呼べる場所のど真ん中に、放り出されてしまった。誰かの意図的な采配であることは、考えるまでもなく明らかだった。
俺の視界は歪み、色を失っていった。
――グガァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”。
耳の奥で、狂った咆哮が蘇る。
――親とはぐれたであろう子供の泣き声、抵抗虚しく噛まれ血を吹き出す男、絶叫する女。あの町を包んでいた地獄絵図が、噴水広場の景色に重なって見えた気がした。
繋いだ手の感触。母の声。
『命、ここからはあなた一人で行くの』
『大好きだよ母さん……』
握った拳が震える。心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅く速くなっていく。喉の奥がひきつれ、うまく息が吸えない。
――また、誰かが死ぬのか。また俺は、守れないのか。
黒美ちゃんの最期の声が、耳の奥にこびりついて離れない。あの時と同じ無力感が、腹の底から這い上がってくる。
「北風くん……?」
葉隠さんが心配そうにこちらを見ている。震える手に気づいたのか、その顔には明らかな不安の色が浮かんでいた。
その視線に、俺はようやく我に返った。深く息を吸い込み、震える拳を無理やり握りしめる。
――違う。あの時とは違う。あの時の俺は無力な子供だった。だが今の俺には、力がある。守れる力が、あるはずだ。
自分にそう言い聞かせるように、俺は奥歯を噛みしめ葉隠さんを見て微笑んだ。
「葉隠、お前は下がっていろ」
相澤先生が静かにそう告げると、葉隠さんは唇を噛みながらも頷いた。
「北風、お前は……」
「戦えます。足止めくらいなら」
先生はわずかに目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。頷き一つで了承の意を示すと、先生自身もゴーグルの奥の目を鋭くし、正面のヴィランたちへと視線を戻す。
「葉隠さん、下がってくれ。ここは俺と先生で凌ぐ」
「北風くん……分かった。無理はしないでね」
そう言葉を交わすと、俺は全身に力を込めた。骨格が軋み、鱗が皮膚を覆い、翼が背から生える。ミラボレアス(人型)への変身が完了すると同時に、俺は広場の中央へと躍り出た。
「なんだ、あのガキ……!」
集まったヴィランたちが動揺の声を上げる中、相澤先生は既に地を蹴り、群れの中へと踏み込んでいた。マフラーのような布が翻り、次々とヴィランたちの個性が掻き消されていく。
「――おいおい、いきなりラスボスじゃねぇかよ」
背後から、聞き覚えのない声がした。振り返ると、そこには足以外の全身を手に掴まれた男が立っていた。その手は、無数の乾いた手のようなものだった。
「おまえ、は……」
この場を統率しているらしき男は、ゆっくりと俺へと視線を向ける。
「先生の相手は、俺がしてやるよ。だからお前には――アイツの相手をしてもらおうか」
そう言うと、死柄木は噴水の陰に控えていた巨大な影に目配せをした。二メートルを優に超える筋骨隆々の体躯、皮膚を突き破って盛り上がった筋繊維の束、そして脳が剥き出しになったその頭部――全身から立ち上る威圧感だけで、周囲の空気が重く沈んでいくのが分かった。
「これが……」
思わず息を呑んだ。ミラボレアスの姿になってなお、目の前の怪物を見上げるような感覚を覚える。だが同時に、腹の底から静かな闘志が湧き上がってくるのも感じていた。
――守れる力が、俺にはある。
「グルァァァ!」
咆哮と共に地を蹴り、俺は怪物へと突進した。怪物もまた、同じ速度でこちらへと迫ってくる。
「――ッ!」
激突と同時に、双方の拳と拳がぶつかり合い、衝撃波が噴水の水面を大きく波立たせた。互いに一歩も引かず、力比べのまま拮抗する。
「化け物同士、か……!」
歯を食いしばりながら力を込めると、怪物の体が僅かに押し返された。その隙を逃さず、俺は尻尾を鞭のようにしならせて横薙ぎに振るう。
「……!」
怪物は初めて反応を見せ、大きくよろめいた。だがすぐに体勢を立て直すと、間合いを詰めて拳を連続で繰り出してくる。俺は腕で受け止め、手の甲で弾き、時に翼で軌道を逸らしながら、その猛攻を凌いでいった。
「――やるな」
拮抗する打ち合いの中、思わずそんな言葉が漏れた。互角。今まで戦ってきたどの相手とも違う、真っ向からぶつかり合える強さを持った相手だった。
怪物の拳が頬をかすめ、鱗が僅かに削れる。同時に俺の爪が怪物の肩を裂き、黒い血が飛び散った。
「――ッ!」
一歩も譲らぬ攻防の中、俺は大きく息を吸い込み、至近距離からブレスを叩き込んだ。
「!」
初めて怪物が大きく後方へとよろめく。だが完全に沈黙させるには至らず、怪物は再びこちらへと向き直ってきた。
――この力の差なら、まだやれる。
そう確信した瞬間だった。轟音と共に、施設の天井を突き破って何かが降ってきた。
「――そこまでだ!」
まばゆい光を纏った男――オールマイトが、怪物と俺の間に割って入るように着地する。
「待たせたな、少年! ここから先は――私に任せてもらおう!」
その登場に、俺はようやく詰めていた息を吐き出した。