ごろごろと自室のベッドで寝転がりながら、ファインダー越しに部屋の天井を覗き見る。そこから徐々に視線を降ろしていき、狙いを定めて、置いてあったコンポをパシャリ。
しかし、親父のやつ。どうしてこんなカメラ持ってたんだ?
普段からそんなに写真を撮ったりしないはずなのに。それに、コスプレ大会も終わったってのに、返さなくて良いって言うんだから、随分と気前が良い。
「ま、おかげで思わぬ棚ぼただけどな。」
勢いよく立ち上がって、パシャリパシャリと適当に部屋の中でシャッターを切るだけで、次第に自分の中でプロのカメラマンになったかのような謎の高揚感が生まれる。写真なんて全く興味は無かったが、携帯のカメラとは比べ物にならないほどに綺麗な画質で、ピピッ、カシャ!と良い音が響くと中々に気持ちが良い。手にしっくりくる重さも良い。
しっかしなぁ…難点があるとすれば。
「写真が味気ねぇよなぁ」
撮った写真を確認するものの、まぁ当然ながら取れているものはいつもと何一つ変わらない自分の部屋。見ていて面白いわけがない。
「もっと、こう、見た瞬間におぉ!って思うような写真がとりてーよな……モデルが欲しい?」
椅子の上にドスンと座り、くるくると回っていると、こんこんと、控えめなノックな音が聞こえてきた。残念ながら、うちのお袋にはノックという人類の最低限必要なマナー、いや、健全な男子の部屋に入る前に必要な儀式が出来ていない。ほぼ、間違いなくこのノックはブリジットのものだ。
「おー、ブリジットー。どしたー?」
と、大きめに声を出すとガチャリと扉が開き、扉の隙間から覗くようにして、ブリジットの顔だけが現れる。
「おにいちゃん、あの、明日はおともだちがくるけど、
あ、あんまりおへやからでないでね」
きぃ…バタン。
僅かに、それだけの言葉を残すと扉はあっけなく閉まった。
オーケーオーケー。友達が来るから、部屋から出るなってか。
「…」
……ん?って?え?ま、待て、今なんて!?
あのブリジットだ。
ブリジットはどんな友達を連れてこようと、俺を邪険に扱うようなことは今までなかった。それどころか、じまんのおにいちゃんです!と鼻を鳴らして紹介してくれるくらいだったはずだ。それなのに…
まさか
まさか、これが、反抗期ってやつなのか!
「なぁ、麻奈実、お前んちの弟って、いつから反抗期が来た?」
「ふぇ?どうしたの?きょうちゃん―」
「いや、なんとなく」
帰り道、麻奈実と二人並んで歩く。
いかにものんびり一人で育ったように見える麻奈実にも、一応年頃の弟がいる。なんで、参考程度に話を聞いてみようと思ったのだが。
「ん~、反抗期かーこの前、私のだいふく、勝手に食べたの!」
「お前に聞いた俺が馬鹿だった」
そう言えばそうだった。この姉にして、あの弟。麻奈実の弟は親がしっかりしてることもあって変なことをやり出すようなことはあっても、本格的な反抗期みたいなものは無かった気がする。聞いた相手が悪かったなこりゃ。
「む~なぁに、その言い方。それより、きょうちゃん、何かあったの?」
「いんや、別に。じゃあな、大福には名前でも書いとけよ」
「書いてたもん!…またね~」
まぁ、何にせよ、部屋を出るなとは言われたが、帰ってくるなとは言われていない。足取りは少し重かったが、それでも足は自分の家へと向かっていた。
ミーンミンミンと、蝉の声を聴きながら、俺はリビングのソファで項垂れていた。たく、じめじめした梅雨が終わったと思ったら、この茹だる様な暑さである。ダレてソファにへばり付きたくもなるってものだ。
本当は、ブリジットに言われた通り、部屋の中から出ないつもりであったが、黒猫にメールで反抗期が妹に来たか?とか、私はいつも部屋から出てこないでと言われているわ、とかそんなくだらないやり取りをしながら、カメラをいじったり、麦茶を飲んでリビングデごろごろし始めてしまい、いつの間にか眠ってしまっていた。
だからこそ、今起きたのは。
ピンポーン
家の、チャイムが聞こえてきたからである。
ピンポーンピンポーン。
「へいへい…」
「はーい!入って―!」
ん?ソファから、今まさに起き上がろうとしたその時だ。上から凄い勢いで走ってきたブリジットがガチャリと玄関のドアを開ける音が聞こえてくる。ついで、
「失礼します」
「おっじゃましまーす!」
と、大人しそうな声と、元気な声がそれぞれ聞こえてくる。ぼーっとした頭でリビングのドアの方を見ていると、入ってきたのは先行して駆けていくブリジットと…
「…あ、おじゃまします」
「おじゃましまーす!…て、あ!!」
「ん?げぇ!?」
一人、は、うさぎのマークがついたキャスケットに、触覚のように垂れた2本の前髪が印象的な童顔の少女。この少女については既に何回か会っているから知っている。筧沙也佳(かけいさやか)。見た目はクールで少しボーイッシュな感じではあるものの、中身は年相応の立派な少女である。初めはなんつー生意気な少女だと舌を巻いていたが、まぁ、ブリジットの面倒を良く見てくれているし、家に通っている内に、俺にもそれなりには馴染んでくれた。相変わらず、言葉は、素気ないけどな。
そして、もう一人は…つい先日あったばかりの人物。そう、あれは黒猫の家にアルファ・オメガのコスプレ衣装を作りに行った日に出会った…
「ルリ姉の彼氏―!」
「「え?」」
「ち、ちがーう!断じて違う!」
黒猫にそっくりな容姿にシンプルに二つに結んだおさげ。活発そうな印象を受ける大きな瞳…彼女こそ、先ほども少しメールでやり取りしていた黒猫、の妹。名前こそ知らないが、何て言うか、ませてる少女だ。
「ひ、ひなたちゃん?おにいちゃんが、か、かれし?」
「んふふー。まぁまぁ、その話は後でゆっくりたっぷりしよーよ!」
「…別に興味ないけど。まぁ、ちょっとくらい」
「あ、おい」
わーっと、どたどたと、ブリジットの背中を押して階段を上って行く日向ちゃん一行。や、やべー。完全に油断していた。それに…
とんとんとんと、軽快な足音が戻ってきた。かと思えば、ドアを開けたブリジットは俺の方を見て、軽く口を尖らせている。無言で3つのコップをお盆に乗せて、カチャカチャと麦茶の用意をし始める…そして、それが終わると帰り際にブリジットはぽつりとつぶやく。
「おへやでないでって、いったのに…」
バタンとドアが閉まって。
とんとんとんと、再び、階段を駆け上がって行く足音が聞こえてきた。
………ぐ、ぐわああああ。きつううう。何だこれ、何だこれええ。
ソファの上でもだえ苦しむ。ぶ、ブリジットがあんな言葉を口にする日が来るなんて…。それに、まさか、黒猫の妹と俺の妹に繋がりがあるなんて予想外にもほどがある。
ガクッと、ソファの上に倒れ込む。…大人しく、部屋に退散しよう。これ以上、このリビングに居ることによってライフを削られる前に……
携帯と、置いてあったカメラを手に持つと、のっそりと気怠い身体を起こしたのだった。
『え?私の妹が』
「ああ、今日、家に来てる。前から知ってたのか?」
『そう言えば…最近外国の綺麗な子と仲良くなったって言っていたわね。あれは、あなたの妹の事だったの』
って知ってたのかよ!かく言うこっちも、そう言えば、最近元気で明るい子と友達になったって言って気がするが…まさか、黒猫の妹とは。
しかし、外人の子って言ったら、相当限られてくるぞ。流石に気が付くんじゃ…
『ごめんなさい。だって、あなたとあの可愛い妹さんが一緒に暮らしてるだなんて想像も出来ないもの』
「うっせ、そんなこと俺もわかってるよ」
『…ま、まぁ顔は兎も角、私はあなたのなか…』
『えー!ひなたちゃんのおねえちゃんと!?』
「!悪い、黒猫!ちょっと切る」
『あ、ちょ…』
ぴっと、携帯の電源を切ると、思いっきりベッドに近づき、壁に耳を当てて忍者の如く息を殺す。
あのませガキ~。い、一体何をブリジットたちにふき込むつもりなんだ?
『本当だって~、うちのお姉ちゃんあれから携帯……でずっとそわそわしてて~。よく『……くん』のお話ししてるもん。あと、ビッチさん』
『お兄さんに、そんな度胸ないと思うけど』
『お、おにいちゃんは、かのじょなんていません』
『どうかな~。案外ああ見えて、裏で付き合ってたりするんだって~!こっそり付き合った方が、ドキドキするし~』
っぶ!?本当にませてんな!?
壁に耳を上げた姿勢のまま、握った拳がぷるぷると震えはじめる。って言うか、さやかちゃんの俺の評価が辛口すぎないか!?
『そんなこと、ないもん』
『まぁ、そうだね。ルリ姉も、全然まだそんな感じじゃないし。これからかなぁ~』
『うん。おにいちゃんは、かのじょなんていらねーっていってたもん』
『そっかそっか、なら、私の勘違いかな~』
『うん!』
いや、本当はスゲー欲しい…
見栄で言ったこと真に受けられるとちょっとつらい…
『ごめん、私トイレ』
『はいはーい』
『うん、ばしょわかる?さやかちゃん』
『うん。何回も来てるし』
『そういや、ブリジットちゃんって英語しゃべれるんだ~!難しそうな本まである!』
『ううん、そんなにむずかしくないよ』
『ほんとうかなーこんなの読めたらルリ姉の闇の書よりかっこいいけどなー』
ふぅ、俺の話は終わりか。
にしたって、はぁ、黒猫と付き合ってるなんて。想像もできねーっての…。
ベッドから離れて、ぼすんと椅子に着席すると、くるくると回る。と、そこへ
こんこん、とノックが響く。え?まさかトイレの場所間違えたか?
と思ったが、違うらしい、がちゃっと、俺が答える前に、扉は開いて、そこには、キャスケットを脱いだつやつやのロングヘアーと、2房の触覚を生やした小さな少女、さやかちゃんが立っていた。ドアを開けた割に、間違えましたとか、そういう事もなく、俺の方をみて、なぜか、目線をきょろきょろと動かして、また俺の方へと目を向けた。
「えっと、さやかちゃん。どうかした?」
「カメラ」
「ん?ああ」
机に置いてあった、黒い重厚なボディを持つ1眼レフのカメラを手に取って相手に見せる。すると、珍しく、目を輝かせて、それを見つめるさやかちゃん。さっき居間に置いてあったのを見つけたのか。それにしても、彼女の方から俺にアプローチをかけて来るなんてこと、今回が初めてじゃないか?
「興味あるの?」
「…別に」
「撮ってみる?」
「良いの!?」
「おうよ。」
年相応、って言うべきか。何か拗ねてんじゃないかと思うような態度を取っていた彼女が初めて素直な笑みを浮かべて俺の方へと近づいてきた。ちょっと重いぞ、と言って、その小さな手にカメラを持たせてやると、可愛い童顔が一層輝き出す。
「どうやって撮るの?」
「ああ、ここに手当てて、このボタンがシャッター」
「それぐらい、しってる。レンズカバーのはずしかたがわかんないの」
うぐ、こいつ…あいかわらず小生意気な…。ブリジットなら絶対こんな言い方しねーぞ。カメラのレンズを覆っていたレンズカバーを、普通に捻って取り外してやると、向こうは、ファインダー越しにきょろきょろとあたりを見回し、俺の許可を取ることもなく、パシャ!と一枚、適当な風景をとった。かと思えばパシャっと、俺の方へとカメラを向けて一枚取る。何がすごいって、俺が何か言うまでもなく、さやかちゃんは再生モードを使いこなし、取った写真の確認を行っているってことだ。
「どうだ、綺麗に撮れたか?」
「うん被写体は兎も角、カメラが良いから」
見ると、なるほど。確かに、中々上手く取れている。って言うか、俺よりも上手いかもしれん。さやかちゃんは、再びカメラを写真モードに切り替えて、当たりの写真をぱしゃぱしゃと取り始める。
「上手いじゃんか。練習してんの?」
「…うん。」
「へぇ。プロのカメラマンみたいだ」
「…ほ、ほんとに?」
「ああ、俺よりそれっぽい」
「ふふ」
この子、こんなに笑う子だったかなぁ。嬉しそうに、ぱしゃぱしゃと照れ隠しのようにカメラで顔を隠して、俺の写真をまた何枚か撮り始めるさやかちゃん。まぁ、上手いって言っても、プロなんてレベルではもちろんないが、それでも彼女はすっかり機嫌を良くして、このレイアウトが良くないかも。とか言い出してノリノリだ。
「お兄さんはどんな写真撮ったの?」
「いやぁ、俺も最近カメラをもらっただけだか……!!」
ばっと、さやかちゃんの手からカメラを奪い去ると慌てて、カメラを後ろ手に隠す。そうだった、すっかり忘れていた。俺のカメラの中には今、あのコスプレ大会に出た時のブリジットの写真が、ばっちり50枚ほどおさめられている…
流石に、それを見られるわけには色々な意味でいけない。
しかし、突然、俺にカメラを取り上げられたことで、さっきまで上機嫌だったさやかちゃんの機嫌が一気に悪くなったようで。
「お兄さん。なんで?見られるとまずい写真でも入ってるの?」
「ち、ちが。そんなんじゃ」
「ふーん。エッチな写真なんだ」
っぶ!こ、こいつ本当に小学生か。逆にこんなにストレートに聞いてくるのは小学らしいっちゃらしいが。何か、話の方向を…!
「隙あり。」
「え!?あ。」
「くくく、さやかちゃんの可愛い上目使い、頂きだぜ」
「~~!!!」
可愛いと言う言葉にか、それとも俺の臭すぎるセリフにか、どちらかにはわからないが、顔を真っ赤にするとさやかちゃんはその童顔を真っ赤に染めて、し、知らないと髪を揺らして部屋を出て行った。しかし、やっぱり、取るなら人だな。
今さっきとれた、ジト目でこちらを見上げるさやかちゃんの写真は中々に良く撮れていた。
「おじゃましましたー!」
「…おじゃましました。」
「またね!ひなたちゃん!さやかちゃん!」
あれから、俺は特に妹たちと接触することもなく、オレンジ色の陽が差し込む、夕方の別れの時刻まで勉強して過ごすこととなった。2階の自室から、2人が帰って行くのを見届けていると、キャスケットを被ったさやかちゃんが俺の方へと気が付いた。そして
あっかんべ。
眼の下をひっぱり、舌を向けてそのまま怒ったように歩いて行ってしまう。次いで、黒猫妹が俺の方へと両手を振って、さやかちゃんの後を追いかけていく。
「…あの年頃の女の子って難しいな」
と、呟いていると、はたと思い出す。そう言えば、何でブリジットのやつは、俺を部屋から出したくなかったのだろう。理由はわからなかったが。次の日には、ブリジットの機嫌はいつも通りで、素直な優しい妹に戻っていた。やっぱり、あれくらいの歳の子ってわからん…