現人神な幼馴染   作:全肯定逆張りおじさん

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最近のAIってすごいのよ!


第一話「出会い」

第一話「出会い」

 春の風は、どこか匂いが違う。

 まだ冷たい空気の中に、土と若葉と、水の匂いが混ざっている。

 小学三年生だった丈は、その匂いが嫌いではなかった。

 

「ほら丈、ちゃんと持ちなさい。落としたら大変なんだから」

「わーってるって」

 

 ぶっきらぼうに返しながら、丈は段ボール箱を抱え直した。

 長野の山道。

 舗装はされているが、東京育ちの丈からすれば、ほとんど山の中みたいなものだった。

 父親の転勤。

 それが、この諏訪への引っ越し理由だ。

 

「しかし、すごいところねぇ……」

 

 母親が周囲を見回しながら呟く。

 確かにそうだった。

 空が広い。

 やたら広い。

 電線より山の方が目立つし、風の音が妙にはっきり聞こえる。

 何より。

 

「……静かだな」

 

 ぽつりと漏らした丈の言葉に、父親が笑った。

 

「都会と違って、自然が多いからな」

 

「熊とか出ねぇ?」

 

「出るかもなぁ」

 

「マジかよ……」

 

 げんなりする丈を見て、両親が笑う。

 そんな家族の前方。

 石段が見えた。

 山肌へ沿うように伸びる、古びた石段。

 その上に、神社がある。

 

「まずはご挨拶しとかないとね。自治会長さんにも、『守矢神社には顔を出した方がいい』って言われたし」

 

「神社ぁ?」

 丈は眉をひそめた。

 別に嫌いではない。

 だが、小学生男子にとって神社というのは、正月に小遣いを貰いに行く場所くらいの認識だ。

 

「なんか古そうだな……」

 

 石段を見上げながら呟く。

 その瞬間だった。

 

 ぞわり、と。

 

 妙な感覚が背筋を撫でた。

 

「……?」

 

 思わず山を見る。

 風。

 木々。

 鳥の鳴き声。

 それだけ。

 なのに。

 まるで。

 “何か”に見られているような感覚があった。

 

「丈? どうしたの?」

 

「……いや」

 

 気のせいか。

 そう思いながら、石段を登る。

 だが。

 登るほど、その感覚は強くなっていった。

 まるで山そのものが、自分を見ているようだった。

 

  ◇

 

 守矢神社は、古い神社だった。

 だが、汚いわけではない。

 むしろ妙に整っている。

 掃除が行き届き、木材には丁寧に手が入っていた。

 神楽殿。

 拝殿。

 御柱。

 そして。

 

「でっか……」

 丈は思わず呟いた。

 御柱だ。

 巨大な木柱が、空へ突き刺さるように立っている。

 その存在感に、妙な圧迫感を覚えた。

 

「こんにちはー!」

 

 母親が声をかける。

 すると社務所の方から、ぱたぱたと足音が聞こえてきた。

 

「あ、はい! 今行きます!」

 

 女の子の声だった。

 少し高めで、よく通る声。

 やがて現れたのは――

 

「……え?」

 

 丈は思わず固まった。

 緑色。

 髪が。

 陽光を受けて、若葉みたいな色をしていた。

 肩くらいまで伸びた髪。

 白いブラウス。

 スカート。

 そして。

 妙に真っ直ぐな目。

 

「えっと……こんにちは?」

 

 少女は少し首を傾げた。

 その仕草で、ようやく丈は我に返る。

 

「あ、あー……うっす」

 

「こんにちは。この度、近くに引っ越してきまして」

 

 母親が頭を下げる。

 

「あっ、そうだったんですね! えっと、少し待っててください!」

 

 少女は慌てて社務所の奥へ引っ込んだ。

 ぱたぱたぱた、と忙しない足音。

 

「……なんだあの髪」

 

 丈が小声で呟く。

 母親が軽く肘で小突いた。

 

「失礼でしょ」

 

「いやでも緑だぞ?」

 

「染めてるのかしら?」

 

「小学生で?」

 

 そんな会話をしていると。

 今度は神主らしき男性が現れた。

 温和そうな中年男性だ。

 

「これはこれは、ご丁寧にどうも」

 

 穏やかな笑み。

 だがその後ろ。

 さっきの少女が、半分だけ顔を出してこちらを見ていた。

 じーっ、と。

 やたら興味深そうに。

 目が合う。

 すると。

 ぱっと隠れた。

 

「……なんなんだよ」

 

 丈は苦笑した。

 その様子を見て、神主が困ったように笑う。

 

「うちの娘です。東風谷早苗と言います」

 

「東風谷……」

 

 珍しい名字だな。

 そう思った。

 

「ほら早苗、ご挨拶」

 

「は、はいっ」

 

 再び顔を出した少女――早苗は、ぺこりと頭を下げた。

 

「東風谷早苗です。よろしくお願いします」

 

 妙にしっかりした口調だった。

 同い年くらいのはずなのに、どこか大人びて見える。

 

「……丈」

 

「え?」

 

「俺の名前」

 

「あっ、はい! よろしくお願いします、丈さん!」

 

「さん?」

 

「えっ」

 

「いや、別にいいけど」

 

 なんか変なやつだ。

 それが第一印象だった。

 だが。

 その時。

 また。

 

 ぞわり、と。

 

 背筋を撫でる感覚。

 丈は反射的に振り返った。

 

 拝殿の奥。

 暗がり。

 一瞬だけ。

 誰かがいた気がした。

 

「……?」

 

 小さい。

 帽子みたいなもの。

 

 いや。

 気のせいか?

 

「どうしました?」

 

 早苗が不思議そうに聞いてくる。

 

「いや……なんか、誰かいなかったか?」

 

 その瞬間だった。

 

 早苗の表情が止まった。

 

「……見えたんですか?」

 

「は?」

 

「え?」

 

 今度は早苗が固まる番だった。

 数秒。

 沈黙。

 

 そして。

 

「お父さん!!!」

 

「おわっ!?」

 

 突然、早苗が父親へ飛びついた。

 

「見えてます!!」

 

「何が!?」

 

「神様です!!」

 

「はぁ!?」

 

 丈は素っ頓狂な声を上げた。

 だが早苗は真剣だった。

 ものすごく真剣な顔で、丈を見ている。

 

「丈さん、神様見えたんですか!?」

 

「いや知らねぇよ! なんかいた気がしただけだって!」

 

「それです!!」

 

「どれだよ!?」

 

 会話が噛み合わない。

 だが。

 早苗はどこか嬉しそうだった。

 今まで見たことないくらい、目を輝かせている。

 

「すごいです! 初めてです!」

 

「いやだから何が!?」

 

「神様を感じられる人です!」

 

「お前大丈夫か!?」

 

 思わずそう言った。

 だが早苗はむしろ得意げに胸を張った。

 

「大丈夫です! 神様はちゃんといますから!」

 

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 

 頭が痛くなってきた。

 すると。

 ふふっ、と。

 どこからか笑い声が聞こえた気がした。

 子供っぽい。

 

 でも。

 妙に古い声。

 丈は再び振り返る。

 だが、そこには誰もいない。

 風だけが吹いていた。

 

  ◇

 

「ねぇ丈さん!」

 

「だからその“さん”やめろって」

 

「じゃあ丈くん!」

 

「変わってねぇよ……」

 

 帰り道。

 なぜか早苗がついてきていた。

 神主夫妻は苦笑していたが、止めなかった。

 

「丈くんって、どこから来たんですか?」

 

「東京」

 

「東京! すごいですね!」

 

「いや別に……」

 

「テレビとかいっぱいあります?」

 

「あるけど」

 

「都会ですねぇ……」

 

「お前、テレビないの?」

 

「ありますよ! 薄くないですけど!」

 

「薄い?」

 

「未来では薄くなるらしいです!」

 

「誰情報だよ」

 

「神奈子様です!」

 

「誰?」

 

「神様です!」

 

「また神かよ……」

 

 丈はため息をついた。

 だが。

 不思議と嫌ではなかった。

 むしろ。

 こいつと話していると退屈しない。

 

「丈くんは、神様信じますか?」

 

「んー……」

 

 少し考える。

 

「別に」

 

「えぇっ!?」

 

「でもまぁ、いてもおかしくはないんじゃね?」

 

 その瞬間。

 早苗が止まった。

 ぽかん、とした顔。

 

「……笑わないんですね」

 

「何が?」

 

「私の話」

 

 風が吹く。

 山の匂い。

 春の匂い。

 早苗は少しだけ俯いて、小さく笑った。

 

「みんな、変だって言うんです」

 

「まぁ変ではあるだろ」

 

「うぅ……」

 

「でも、別にいいんじゃね?」

 

「……え?」

 

「好きなんだろ? 神様」

 

「はい!」

 

 即答だった。

 迷いゼロ。

 丈は思わず笑う。

 

「じゃあ別によくね?」

 

 早苗は、しばらく黙っていた。

 それから。

 本当に嬉しそうに笑った。

 

「……はい!」

 

 その笑顔を見た瞬間。

 丈はなぜか。

 少しだけ胸が苦しくなった。

 

  ◇

 

「で、ここが学校」

 

「ちっさ……」

 

「失礼ですね!?」

 

 翌日。

 なぜか丈は、早苗に学校を案内されていた。

 引っ越してきたばかりの丈は、まだ土地勘がない。

 そんな話を昨日したところ、早苗が『では案内します!』と張り切り始めたのである。

 

「いやでもお前、なんでそんな元気なんだよ」

 

「歓迎してるからです!」

 

「テンション高ぇなぁ……」

 

 校門前。

 山に囲まれた小学校は、東京の学校よりずっと小さかった。

 校庭も狭い。

 校舎も古い。

 だが。

 風景だけはやたら綺麗だった。

 

「ここ、冬になるとすごい雪降りますよ!」

 

「マジかぁ……」

 

「諏訪湖も凍ります!」

 

「湖って凍るのか……」

 

 カルチャーショックだった。

 そんな丈の横で、早苗はどこか嬉しそうに歩いている。

 

「なんか、お前さ」

 

「はい?」

 

「ずっと喋ってんな」

 

「えっ」

 

 早苗が固まる。

 

「す、すみません……うるさかったですか……?」

 

「いや別に」

 

「……?」

 

「静かなよりマシ」

 

 その瞬間。

 ぱぁっ、と。

 本当に効果音が聞こえそうな勢いで、早苗の顔が明るくなった。

 

「じゃあもっと喋ります!」

 

「いや限度はあるだろ」

 

「昨日ですね、神奈子様が――」

 

「また神かよ!」

 

 勢いよくツッコむ。

 すると早苗は、むぅ、と頬を膨らませた。

 

「本当にいるんですってば」

 

「はいはい」

 

「信じてませんね?」

 

「いや、いるかもしれねぇとは思ってるって」

 

「だったらもっと敬ってください!」

 

「なんでだよ」

 

「罰当たりますよ!」

 

「怖っ」

 

 だが。

 その時だった。

 風が吹く。

 ざぁっ、と。

 校庭の木々が大きく揺れた。

 同時に。

 また、あの感覚。

 ぞわり、と。

 

「……っ」

 

 丈は反射的に振り返った。

 校庭の端。

 古い桜の木の下。

 一瞬だけ。

 誰かが立っていた。

 

 小さい影。

 帽子。

 いや。

 今度は。

 “目”が合った。

 にやり、と。

 笑った気がした。

 

「丈くん?」

 

「……あそこ」

 

「え?」

 

 早苗が振り返る。

 だが。

 もう誰もいない。

 

「誰かいました?」

 

「いや……」

 

 気のせいか。

 そう思おうとした。

 だが。

 耳元で。

 

『へぇ』

 

 声がした。

 

「っ!?」

 

 丈が飛び退く。

 

「ど、どうしました!?」

 

「今、声――」

 

 そこで。

 早苗の表情が変わった。

 真剣な顔。

 

「……誰ですか?」

 

 空へ向かって聞く。

 返事はない。

 だが。

 

 風だけが、くすくす笑っているようだった。

 

「……遊ばれてますね」

 

「誰に?」

 

「神様です」

 

「だから誰なんだよその神様」

 

「諏訪子様かもしれません」

 

「名前増えた!?」

 

 頭が痛くなってきた。

 だが。

 早苗は少し楽しそうだった。

 

「すごいです。諏訪子様、人見知りなんですよ?」

 

「神が人見知りすんなよ」

 

「しますよ」

 

「するのか……」

 

 なんかもう、ツッコむ気力もなくなってきた。

 

  ◇

 

 学校案内を終えたあと。

 二人は神社へ戻ってきていた。

 境内には、春の風が吹いている。

 どこか静かで。

 

 けれど。

 

 ただ静かなだけではない。

 見えない何かが、常に周囲を歩いているような空気。

 丈はそれを感じ始めていた。

 

「ねぇ丈くん」

 

「んー?」

 

「怖くないんですか?」

 

「何が?」

 

「神様」

 

 少し考える。

 昨日までなら。

 きっと笑っていた。

 だが。

 今は。

 

「……まぁ、ちょっとは」

 

「ですよね!」

 

 早苗はなぜか安心したように笑った。

 

「でも、悪いもんじゃない気はする」

 

「……え?」

 

「なんつーか。変だけど」

 

「変……」

 

「でも、お前がそんな嬉しそうに話すくらいだし」

 

 その瞬間。

 早苗は固まった。

 

「……私、嬉しそうですか?」

 

「めちゃくちゃ」

 

「そ、そうですか……」

 

 照れたように視線を逸らす。

 その横顔を見て。

 丈は少しだけ、不思議に思った。

 

 こいつ。

 本当に神様が好きなんだな。

 流行りとか。

 オカルトごっことか。

 そういう感じじゃない。

 もっと。

 

 ずっと真剣だ。

 

「お前さ」

 

「はい?」

 

「なんでそんな神様好きなんだ?」

 

 早苗は少し考えた。

 そして。

 

「……ずっと、いたからです」

 

「いた?」

 

「はい」

 

 風が吹く。

 御柱が軋む。

 山が鳴る。

 

「みんなには見えなくても、神様って、ずっといるんです」

 

 静かな声だった。

 

「悲しい時も、嬉しい時も、怒られた時も。ずっと見ててくれるんです」

 

「……」

 

「だから、私は好きです」

 

 その言葉は。

 妙に。

 胸へ残った。

 

  ◇

 

「早苗ー! お使い行ってきてー!」

 

「はーい!」

 

 社務所から母親らしき声が飛ぶ。

 

 すると早苗は、ぱっと立ち上がった。

 

「行ってきます!」

 

「おう」

 

「あ、丈くんも来ます?」

 

「なんで」

 

「案内です!」

 

「まだやるのかよ……」

 

 そう言いながらも、丈はついていった。

 山道。

 田んぼ。

 川。

 東京とは全部違う。

 

 でも。

 悪くない。

 

「ここ、夏になると蛍出るんですよ!」

 

「蛍って本当にいるんだ……」

 

「失礼ですね!?」

 

「いやテレビでしか見たことねぇし」

 

 早苗はくすくす笑った。

 その笑い声が、妙に耳へ残る。

 途中。

 小さな祠の前を通った。

 古い石。

 苔。

 誰も手入れしていないような場所。

 

 だが。

 

 丈は足を止めた。

 

「……なんかいる」

 

「え?」

 

 早苗が振り返る。

 丈は祠を見つめた。

 何か。

 いる。

 姿は見えない。

 

 でも。

 気配だけはわかった。

 

「……誰かいます?」

 

 早苗が小さく聞く。

 すると。

 

 からん。

 

 風もないのに、鈴が鳴った。

 

「っ!?」

 

 早苗が目を見開く。

 

「うそ……」

 

「な、なんだよ今の」

 

「返事です……」

 

「返事!?」

 

「この祠、もうずっと使われてないのに……」

 

 早苗は、信じられないものを見る顔をしていた。

 

「丈くん」

 

「な、なんだよ」

 

「たぶんですけど」

 

「おう」

 

「神様に好かれてます」

 

「嫌だよそんなの」

 

 即答だった。

 だが。

 その瞬間。

 また。

 どこかで笑い声がした。

 今度は、少しだけ嬉しそうな声だった。

 

  ◇

 

 夕暮れ。

 

 帰り道。

 空が赤い。

 山の影が長く伸びている。

 

「丈くん」

 

「ん?」

 

「また来ますか?」

 

「神社?」

 

「はい」

 

 早苗は少し不安そうだった。

 たぶん。

 断られると思っている。

 だから丈は、なんとなく笑った。

 

「まぁ、暇なら」

 

「本当ですか!?」

 

「近いしな」

 

「じゃあ今度、御柱祭の話してあげます!」

 

「なんだそれ」

 

「すごいんですよ! 木に乗って坂を滑り降りるんです!」

 

「危なっ」

 

「毎年怪我人出ます!」

 

「やめろよそんな祭り!」

 

 早苗は声を上げて笑った。

 その笑顔を見て。

 丈も、つられて少し笑った。

 その時だった。

 

 山の方から。

 風が吹く。

 

 ざわり。

 

 木々が鳴る。

 

 そして。

 一瞬だけ。

 

 丈には見えた。

 山の上。

 夕暮れの空を背に。

 二つの影が立っている。

 一人は。

 小さい。

 帽子を被った少女。

 

 もう一人は。

 長い髪を風に揺らす、大きな女。

 

 二人とも。

 こちらを見ていた。

 

「……またいた」

 

「え?」

 

 早苗が振り返る。

 だが。

 もう誰もいない。

 

「丈くん?」

 

「……いや」

 気のせい。

 そう思おうとした。

 

 けれど。

 なぜか。

 胸の奥だけが、妙に熱かった。

 

  ◇

 

 守矢神社の夕方は、妙に静かだった。

 いや。

 正確には違う。

 静かなのに、音が多い。

 風。

 木々。

 遠くの鳥。

 山の水。

 町の気配。

 都会では聞こえなかった音が、やけにはっきり耳へ届く。

 丈は縁側へ座りながら、ぼんやり境内を眺めていた。

 

「……なんか変な感じだな」

 

「何がです?」

 

 隣へ腰掛けながら、早苗が聞く。

 いつの間にか。

 この神社へ来てから、数時間が経っていた。

 なのに。

 不思議と帰りたいとは思わなかった。

 

「静かなのに、ずっとうるせぇ」

 

「?」

 

「音が多いっていうか」

 

「あぁ……」

 

 早苗は、少し納得したように頷いた。

 

「山の音ですね」

 

「山の音?」

 

「はい。慣れると普通になりますよ」

 

 そう言って笑う。

 その横顔を見ながら、丈はなんとなく思った。

 こいつ。

 本当にここが好きなんだな。

 神社も。

 山も。

 風も。

 

 全部。

 

「丈くんは、前いたところ好きだったんですか?」

 

「東京?」

 

「はい」

 

 少し考える。

 

「まぁ普通」

 

「普通?」

 

「別に嫌いじゃねぇけど、好きかって言われるとわかんねぇ」

 

「へぇ……」

 

 早苗はどこか不思議そうだった。

 

「私はここ好きですよ」

 

「だろうな」

 

「空気が綺麗ですし、神様いますし」

 

「また神かよ」

 

「いますってば」

 

 むぅ、と頬を膨らませる。

 その様子が妙に子供っぽくて、丈は少し笑った。

 

「なんですか?」

 

「いや、お前さ」

 

「はい?」

 

「神様の話してる時だけ、すげぇ楽しそう」

 

「……そうですか?」

 

「うん」

 

 早苗は少しだけ黙った。

 それから、小さく笑う。

 

「好きなんです」

 

「そんなに?」

 

「はい」

 

 迷いのない返事だった。

 

「だって、ずっと一緒でしたから」

 

 その言い方が、妙に引っかかった。

 

「友達みたいな?」

 

「もっと近いです」

 

「家族?」

 

「うーん……」

 

 少し考える。

 そして。

 

「見守ってくれる人、ですかね」

 

 その答えは。

 妙に綺麗だった。

 小学生らしくないくらいに。

 丈は少しだけ、言葉に詰まった。

 

「……なんか、お前変わってんな」

 

「よく言われます」

 

「傷つかねぇの?」

 

「傷つきますよ?」

 

 即答だった。

 

「でも、嘘は言いたくないですし」

 

 夕陽が、早苗の横顔を赤く染める。

 その時。

 丈は初めて思った。

 こいつ。

 たぶん。

 

 すごく不器用だ。

 

  ◇

 

「早苗ー、お茶出してー」

 

「はーい!」

 

 社務所から母親の声が飛ぶ。

 早苗は慌てて立ち上がった。

 

「ちょっと待っててください!」

 

「おう」

 

 ぱたぱたと走っていく。

 静かになる境内。

 風だけが吹いていた。

 丈は、なんとなく御柱を見上げた。

 巨大な柱。

 古い木。

 見ているだけなのに、妙な威圧感がある。

 

「……なんなんだろな、これ」

 

 その瞬間。

 ぎしっ。

 木が鳴った。

 

「っ?」

 

 丈は反射的に立ち上がる。

 風は吹いていない。

 なのに。

 御柱だけが軋んだ。

 そして。

 

『気付いてる』

 

 声。

 女の声だった。

 低く。

 どこか笑っているような。

 

「誰だ!?」

 

 思わず叫ぶ。

 だが。

 返事はない。

 その代わり。

 背後から。

 

「丈くん?」

 

「うおっ!?」

 

 振り返ると、早苗が湯呑みを持ったまま立っていた。

 

「びっくりしました……」

 

「いや、今なんか――」

 

 そこまで言って。

 丈は口を閉じた。

 なんて説明すればいいかわからなかった。

 声が聞こえた。

 なんて言ったら、普通は変なやつだと思われる。

 

 だが。

 早苗は真顔だった。

 

「……誰の声でした?」

 

「え?」

 

「男の人ですか? 女の人ですか?」

 

「女……っぽかった」

 

 その瞬間。

 早苗の顔色が変わった。

 

「えっ」

 

「な、なんだよ」

 

「神奈子様かもしれません」

 

「また神!」

 

「だって女の人ですし!」

 

「基準それなの!?」

 

 早苗は慌てた様子で御柱を見上げる。

 その姿を見て、丈は少しだけ息を呑んだ。

 本気だ。

 こいつ。

 本気で、“いる”と思ってる。

 

 ごっこ遊びじゃない。

 冗談でもない。

 たぶん。

 早苗にとって神様は、空気みたいなものなのだ。

 

 見えて。

 触れて。

 当たり前に存在するもの。

 

「……すげぇな、お前」

 

「え?」

 

「そこまで信じられるの」

 

 すると。

 早苗は少し困ったように笑った。

 

「信じるっていうか……いるので」

 

「だからそれがすげぇんだよ」

 

 丈には、わからない。

 見えるわけじゃない。

 でも。

 感じる。

 何かいる。

 それだけは、確かだった。

 

  ◇

 

 帰宅した頃には、空はもう暗くなっていた。

 

「遅かったわね」

 

「神社いた」

 

「もう仲良くなったの?」

 

「別に」

 

 ぶっきらぼうに答える。

 だが。

 母親は少し笑っていた。

 

「楽しそうじゃない」

 

「は?」

 

「顔」

 

「……別に」

 

 自分ではわからなかった。

 ただ。

 不思議だった。

 引っ越しなんて面倒だと思っていた。

 知らない土地。

 知らない学校。

 知らない人間。

 本来なら、嫌なことばかりのはずなのに。

 

 なぜか。

 今日は少しだけ、明日が気になっていた。

 神社。

 風。

 山。

 そして。

 東風谷早苗。

 変なやつ。

 

 でも。

 たぶん。

 悪いやつじゃない。

 風呂を終え、布団へ潜り込む。

 静かな夜だった。

 東京よりずっと暗い。

 街灯も少ない。

 

 だからこそ。

 窓の外の月が、やけにはっきり見えた。

 

「……月でけぇな」

 

 ぽつりと呟く。

 その時だった。

 かたん。

 窓が鳴った。

 

「?」

 

 風か。

 そう思った。

 だが。

 

 窓の外。

 一瞬だけ。

 誰かがいた。

 小さい影。

 帽子。

 にやにや笑う顔。

 

「っ!?」

 

 丈が飛び起きる。

 

 だが。

 もう誰もいない。

 窓の外には、夜の山だけが広がっていた。

 

「……なんなんだよ」

 

 心臓がうるさい。

 

 でも。

 怖い、とは少し違った。

 むしろ。

 “見られている”。

 そんな感覚。

 

 そして。

 どこか。

 試されているような。

 奇妙な感覚だった。

 

  ◇

 

 翌朝。

 

「おはようございます!」

 

「朝から元気だな……」

 

 家の前。

 なぜか早苗がいた。

 ランドセル姿。

 満面の笑み。

 

「迎えに来ました!」

 

「なんで」

 

「同じ学校だからです!」

 

「距離感近ぇな……」

 

 だが。

 少しだけ嬉しそうな自分がいることに、丈は気付いてしまった。

 春の朝。

 山の風。

 並んで歩く足音。

 そして。

 隣でずっと喋っている少女。

 その光景を。

 山のどこかから。

 二柱の神が、静かに見下ろしていた。

 

『へぇ』

 

 帽子の神が笑う。

 

『面白いの連れてきたねぇ』

 

 長い髪の神は、黙ったまま丈を見つめていた。

 その視線だけが。

 妙に鋭かった。

 まるで。

 遥か昔の“誰か”を思い出すように。

 

  ◇

 

 その日の夜。

 丈は妙な夢を見た。

 

 山。

 

 巨大な湖。

 

 風。

 

 そして。

 無数の“何か”が蠢いている。

 

 蛇。

 

 龍。

 

 影。

 

 目。

 

 その全てが。

 丈を見ていた。

 

『帰ってきた』

 

 誰かが言う。

 

『今度こそ』

 

 別の誰かが囁く。

 

『見つけた』

 

 ざわざわ。

 ざわざわ。

 無数の声。

 その中心。

 湖の向こう側に。

 一人の少女が立っていた。

 白い巫女服。

 風に揺れる緑の髪。

 東風谷早苗。

 

 だが。

 その背後には。

 巨大な“何か”がいた。

 

 蛇。

 

 いや。

 

 神。

 

 それはあまりにも巨大で。

 

 古く。

 

 そして。

 どこか悲しそうだった。

 丈が一歩踏み出した瞬間。

 

 目が覚めた。

 

「……夢、か」

 

 朝日。

 鳥の声。

 静かな部屋。

 

 だが。

 胸の奥だけが、妙にざわついていた。

 そして。

 窓の外。

 山の方から。

 風が吹いた。

 まるで。

 

 誰かが笑ったみたいに。

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