現人神な幼馴染   作:全肯定逆張りおじさん

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第四話「こっくりさん」

第四話「こっくりさん」

 

 旧校舎の一件から、一週間と少し。

 梅雨は相変わらず続いていた。

 

 朝は晴れていても、昼には曇る。

 夕方になる頃には、山の方から重たい雲が降りてくる。

 

 諏訪の空は忙しい。

 そして最近、丈の周囲も妙に騒がしかった。

 

 特に。

 東風谷早苗という少女が。

 

「丈くーん!」

 

 聞き慣れた声。

 振り返ると、坂の下から早苗が走ってきていた。

 

 白い傘。

 制服。

 湿った風で揺れる髪。

 

「おはようございます!」

 

「朝から元気だな……」

 

「健康ですから!」

 

「毎回それ言うな」

 

 早苗はえへへ、と笑った。

 石段の下からここまで、かなり距離がある。

 しかも坂道だ。

 なのに、こいつは毎朝息も切らさず現れる。

 

「丈くんこそ、ちゃんと朝ごはん食べました?」

 

「食った」

 

「本当に?」

 

「なんだその尋問」

 

「だって丈くん、放っておくと食べなさそうですし」

 

「お前の中の俺どうなってんだよ」

 

「不健康寄りです!」

 

「失礼すぎる」

 

 ばん、と軽く傘で肩を叩かれる。

 

「むしろ丈くん、最近ちょっと痩せました?」

 

「知らん」

 

「顔色も悪いです」

 

「そうか?」

 

「そうです」

 

 じーっと見てくる。

 近い。

 

「……お前、たまに距離感おかしいよな」

 

「え?」

 

「近ぇ」

 

「あっ」

 

 早苗が慌てて一歩下がる。

 

「す、すみません!」

 

「別に怒ってねぇよ」

 

「うぅ……」

 

 最近わかったことがある。

 東風谷早苗というやつは、変なところで妙に素直だった。

 あと。

 表情が全部顔に出る。

 

 困ると眉が下がるし。

 嬉しいとすぐ笑うし。

 怒ると頬が膨れる。

 

 見ていて飽きない。

 

 ……とは、言わないけれど。

 

 山道を歩く。

 雨上がりの匂い。

 濡れた土。

 風に揺れる木々。

 

 空気は湿っていたが、朝の山は静かだった。

 遠くでヒグラシが鳴いている。

 まだ夏には早いが、山の季節は少しだけ早い。

 

 石段の脇には、小さな水たまりがいくつもできていた。

 そこへ落ちる雫が、ぽつ、ぽつ、と静かな音を立てている。

 

「諏訪って、ほんと雨多いですよねぇ」

 

 早苗が空を見上げながら言った。

 

「そうなのか?」

 

「多いです! 洗濯物が乾きません!」

 

「生活感あるな……」

 

「死活問題ですよ?」

 

「神社って乾燥機とかないの?」

 

「ありますけど、なんか負けた気がするじゃないですか」

 

「何にだよ」

 

「自然にです!」

 

「意味わからん」

 

 そう言った瞬間。

 早苗が急に傘をくるん、と回した。

 水滴がぱっと飛ぶ。

 

「うおっ」

 

「ふふーん」

 

「子供かお前」

 

「雨の日はテンション上がるんです!」

 

「犬みてぇだな」

 

「失礼ですね!?」

 

 また傘をぶんぶん振る。

 

「やめろ危ねぇ」

 

「えいっ」

 

「当てんな」

 

「避けましたね!」

 

「当たったら痛ぇからな」

 

「丈くん、運動神経いいですよね」

 

「普通だろ」

 

「でも旧校舎の時、すごい勢いで走ってましたよ」

 

「あれは誰でも走る」

 

「私は途中で転びそうになりました」

 

「実際転びかけてたろ」

 

「……」

 

「図星か」

 

「だ、だって床滑ったんです!」

 

「はいはい」

 

 すると。

 早苗がまた傘を回し始める。

 

 くるくる。

 くるくる。

 

「お前それ好きだな」

 

「なんか巫女っぽくないですか?」

 

「どこが」

 

「こう、神楽的な!」

 

「雑すぎるだろ」

 

「えー」

 

 ぶー、と頬を膨らませる。

 その顔のまま、今度は丈の前へ傘を差し出した。

 

「相合傘します?」

 

「なんでだよ。どっちも傘あるだろ」

 

「確かに」

 

「自分で言っといて何だよ」

 

「でも漫画とかだともっとこう……距離近くないです?」

 

「何の分析だ」

 

「少女漫画研究です!」

 

「知らんがな」

 

 でも。

 そんな他愛もない会話が、最近は妙に心地よかった。

 東京にいた頃は、朝に誰かと歩くことなんてなかった。

 学校は近かったし。

 人付き合いも、それなりだった。

 

 でも。

 こうして毎日迎えに来るようなやつはいなかった。

 

「丈くん?」

 

「ん?」

 

「聞いてます?」

 

「聞いてる」

 

「今、神奈子さまがですね――」

 

「聞いてなかった」

 

「ひどい!?」

 

 早苗が抗議する。

 

「しかも結構いい話だったんですよ!?」

 

「神様が畑で転んだ話だろ」

 

「なんで知ってるんですか!?」

 

「お前の話、だいたいそんな感じじゃん」

 

「違います!」

 

「じゃあ何の話だよ」

 

「……昨日、きゅうりを盗み食いして怒られてました」

 

「やっぱそんな感じじゃねぇか」

 

 丈が笑うと、早苗は不満そうに口を尖らせた。

 

「でも本当に大変なんですよ?」

 

「神様の世話って?」

 

「はい。諏訪子さまは気付くとどこか行ってますし」

 

「子供か」

 

「神奈子さまは突然“やる気”を出しますし」

 

「それは良いことじゃねぇの?」

 

「巻き込まれる側は大変なんです!」

 

「苦労人だなぁ」

 

「わかってくれます?」

 

「ちょっとだけ」

 

「ちょっとなんだ……」

 

 その反応がおかしくて、丈は少し笑った。

 

 すると。

 ふと。

 

 山を見る。

 

 霧の奥。

 木々の隙間。

 ――いる。

 そんな感覚がした。

 

「……」

 

 視線。

 誰かが見ているような気配。

 だが、姿はない。

 

 それでも。

 確かに、いる。

 見られている。

 

 木々の奥。

 霧の向こう。

 暗い山の中。

 そこから、じっと。

 

「丈くん?」

 

「……なんでもない」

 

 丈は目を逸らした。

 あの日からだ。

 

 旧校舎の帰り。

 山の向こうに見えた、赤い目。

 

 あれ以来。

 時々、山から視線を感じる。

 誰かが探しているみたいに。

 

 けれど。

 それを早苗には言わなかった。

 なんとなく。

 言わない方がいい気がした。

 

 すると。

 

『あー』

 

 頭の奥で、軽い声。

 

『また見られてるねぇ』

 

「っ」

 

 丈がぴくりと反応する。

 

「丈くん?」

 

「……いや」

 

 まただ。

 最近、ときどき聞こえる声。

 

 子供みたいに軽い。

 ふざけた感じの声。

 

 けれど。

 どこか人間じゃない。

 

『かわいそー』

 

「……」

 

 丈は眉をひそめる。

 返事をしても、返ってくる時と来ない時がある。

 気まぐれだ。

 だから最近は、あまり気にしないようにしていた。

 

「丈くん、本当に大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だって」

 

「熱とかありません?」

 

「ない」

 

「でも顔色――」

 

「お前、母親か」

 

「違います!」

 

 ばん、とまた傘で叩かれる。

 

「心配してるんです!」

 

「はいはい」

 

「軽い!」

 

 そのやり取りに、丈は少し笑った。

 すると。

 早苗もつられて笑う。

 

 朝の山道。

 湿った風。

 鳥の声。

 

 少し前までは、ここまで普通に話す相手じゃなかった。

 なのに今では。

 気付けば毎朝一緒に学校へ行っている。

 不思議なもんだ、と丈は思った。

 

   ◇

 

「でさー!」

 

 昼休み。

 教室の後ろで、男子たちが騒いでいた。

 

「今度は“こっくりさん”やろうぜ!」

 

「いいなそれ!」

 

「えーやだぁ……」

 

 女子の一人が露骨に顔をしかめる。

 

「絶対なんか出るって」

 

「そういうの言うやつが一番ノリノリなんだよなー」

 

「違うし!」

 

「東風谷いるし大丈夫だろ!」

 

「なんでそこで私なんですか!?」

 

 早苗が嫌そうな顔をする。

 だが男子たちは気にしない。

 

「前の旧校舎もなんだかんだ面白かったしな!」

 

「超怖かったけど!」

 

「でも無事だったじゃん!」

 

「丈がいたし!」

 

「なんで俺」

 

 丈は呆れる。

 

 旧校舎であれだけ怖がっていたくせに。

 もう半分くらいイベント扱いだった。

 人間、慣れるのが早すぎる。

 

「でも旧校舎のあれ、マジでなんだったんだろうね」

 

 女子の一人が言う。

 

「白いの見たって言ってたじゃん」

 

「見た見た!」

 

「俺マジで泣きそうだったもん」

 

「泣いてたじゃん」

 

「うるせぇ!」

 

 教室に笑い声が広がる。

 

「でもさー」

 

「今考えると、あれちょっと青春っぽくない?」

 

「どこがだよ」

 

 軽い口調の女子に丈が返す。

 

「え。放課後、雨の旧校舎、怪談、男女で探検!」

 

「あー……言われるとちょっとそれっぽいか?」

 

「でしょ!?」

 

「いや全然楽しくなかったけど」

 

 丈が言うと、また笑いが起きた。

 

「丈ってリアクション薄いよなー」

 

「でも旧校舎で“いる”とか言った時、めちゃくちゃ怖かった」

 

「あれマジでビビった……」

 

「東風谷も泣きそうだったし」

 

「泣いてません!」

 

「えー?」

 

「泣いてたよねぇ?」

 

「ちょっとだけです!」

 

「泣いてんじゃん」

 

「うぅ……」

 

 顔を赤くして抗議する。

 その様子が面白くて、女子たちがくすくす笑っていた。

 丈はその騒ぎを眺めながら、机に頬杖をつく。

 

 すると。

 早苗がいつの間にか、隣の席まで来ていた。

 

「丈くん」

 

「なんだよ」

 

「助けてください」

 

「無茶振りだな」

 

「だってみんな全然聞いてくれません!」

 

「そりゃ怪談イベント扱いしてるしな」

 

「イベントじゃないんですってぇ……」

 

 机へ突っ伏す。

 

「お前そんな嫌なのか」

 

「嫌です」

 

「即答だな」

 

「だって絶対来ますもん」

 

「来るって何が」

 

「変なのです!」

 

「雑だな」

 

「だって説明しづらいんですよ!」

 

 すると後ろの男子が笑う。

 

「東風谷、今度は何見えるんだよー」

 

「見えたくないです!」

 

「じゃあ見えないように頑張れ!」

 

「どうやってですか!」

 

「気合い?」

 

「無茶言わないでください!」

 

 また笑い声。

 その空気に紛れて、丈も少し笑った。

 すると早苗がむっとする。

 

「丈くんまで笑いましたね?」

 

「ちょっと」

 

「ひどいです!」

 

「でもお前、反応が面白いんだよ」

 

「えぇ……」

 

 しょんぼりする。

 だが次の瞬間には。

 

「……あ」

 

「ん?」

 

「丈くん、お弁当それだけですか?」

 

「それだけって?」

 

「おにぎり二個しかないじゃないですか!」

 

「足りるし」

 

「足りません!」

 

「なんでお前が決めるんだよ」

 

「育ち盛りですよ!?」

 

「お前も同い年だろ」

 

「私はちゃんと食べてます!」

 

 どん、と弁当箱を見せてくる。

 確かに多い。

 

「……朝から健康健康言うだけあるな」

 

「でしょう!」

 

「ちょっと誇らしげなの腹立つな」

 

「なんでですか!?」

 

 ぷんすか怒る。

 そのやり取りを見ていた女子たちが、にやにやし始めた。

 

「なんか二人、夫婦みたいじゃない?」

 

「わかるー」

 

「朝からずっとこんな感じだよね」

 

「ちげーよ」

「違います!!」

 

 丈と早苗の声が重なった。

 一瞬、教室が静まる。

 

 そして。

 

「息ぴったりじゃん!」

 

「うるせぇ!」

 

「違いますぅ!!」

 

 教室に爆笑が起きた。

 早苗は真っ赤になって机へ突っ伏す。

 

「もうやですこのクラスぅ……」

 

「お前の反応がよすぎるからだろ」

 

「丈くんは平気なんですか!?」

 

「慣れた」

 

「大人……!」

 

「そうでもねぇよ」

 

 その時。

 窓の外。

 山の方で、雷が鳴った。

 ごろごろ、と低い音。

 

 教室が少し静かになる。

 

 そして。

 丈だけが感じた。

 

 ――見ている。

 

 山の向こう。

 霧の奥。

 何かが、こちらを見ている。

 

『しつこーい』

 

 また、あの声。

 

『ほんと暇なんだねぇ、あれ』

 

「……」

 

「丈くん?」

 

「いや」

 

 早苗が不思議そうに首を傾げる。

 丈は誤魔化すように窓を見る。

 山しかない。

 

 だが。

 なんとなく。

 目を離したくなかった。

 

   ◇

 

 五時間目。

 

 雨はさらに強くなっていた。

 窓ガラスを叩く音が、教室いっぱいに響いている。

 先生の声も少し聞き取りづらいくらいだった。

 

「はい、じゃあここテスト出るぞー」

 

「えぇー……」

 

 だるそうな声。

 

 だが丈は、授業どころじゃなかった。

 時々。

 窓の外。

 山の奥。

 

 そこから、妙な気配が流れてくる。

 獣みたいな。

 湿った。

 古い気配。

 

 そして。

 視線。

 

 ずっと。

 こちらを探している。

 

「……」

 

 丈は窓を見る。

 雨。

 霧。

 木々。

 

 それだけ。

 なのに。

 

 時々、本当に赤い目が見える気がした。

 

『まだ探してる』

 

 頭の奥の軽い声。

 

『執念深いなぁ』

 

「……」

 

 丈は小さく眉を寄せる。

 最近、この声に慣れてきている自分が嫌だった。

 普通ならもっと驚くべきなのに。

 

 人間、慣れって怖い。

 

 すると隣の席の男子が、こっそり耳打ちしてくる。

 

「なぁ丈」

 

「ん?」

 

「今日マジでやる?」

 

「知らん」

 

「え、なんだよその反応」

 

「好きにしろって」

 

「でもお前がいると安心感あるんだよなー」

 

「俺お守りじゃねぇぞ」

 

「東風谷より頼りになるし」

 

「どういう意味ですか!?」

 

 前の方から早苗が振り返る。

 

「東風谷はなんか……叫ぶじゃん」

 

「人は怖いと叫ぶんです!」

 

「丈は静かだから強そう」

 

「褒めてんのか?」

 

「微妙」

 

 また教室に笑いが広がった。

 その空気だけは、いつもの学校だった。

 だから余計に。

 

 山から向けられる視線が、不気味だった。

 

   ◇

 

 放課後。

 

 雨。

 窓を叩く音が、教室に響いていた。

 

「よーし準備!」

 

「十円玉持ってきた!」

 

「紙はこれでいい?」

 

「ろうそく使う?」

 

「やめろ雰囲気出すな」

 

 完全にイベント前のテンションだった。

 机を囲む数人。

 白い紙。

 鳥居。

 五十音。

 

 典型的なこっくりさん。

 女子も混ざっているせいで、余計に騒がしい。

 

「なんかこういうの、めっちゃひさしぶりかも」

 

「わかるー」

 

「え、私初めて」

 

「マジ?」

 

「でも怖いぃ……」

 

「絶対叫ぶタイプじゃん」

 

「叫ぶ自信ある!」

 

「威張るな」

 

 丈が呆れて言うと、女子たちが笑った。

 

 一方。

 

 早苗だけが、ずっと落ち着かなかった。

 

「やめません?」

 

「まだ言ってるー」

 

「だって嫌な感じするんです!」

 

「東風谷そればっかだな」

 

「本当なんですってぇ……」

 

 半泣きみたいな声。

 丈はちらりと早苗を見る。

 旧校舎の時と同じ顔だった。

 本気で怖がっている。

 指先も、少し震えていた。

 

「……帰るか?」

 

 ぽつりと丈が言う。

 すると早苗が、ぱっと顔を上げた。

 

「帰ります!」

 

「えっ」

 

「裏切るな丈!」

 

「いや別にやりたきゃ勝手にやれよ」

 

「なんだよ怖いのかー?」

 

「面倒臭ぇだけ」

 

「絶対ちょっと怖がってるじゃん」

 

「怖がってねぇよ」

 

「じゃあ参加!」

 

「うわ面倒臭ぇ……」

 

「丈くん、まだ間に合います!」

 

「お前は俺をなんだと思ってんだ」

 

「巻き込まれ体質の人です!」

 

「否定できねぇ……」

 

 その時。

 ぴしっ。

 教室の蛍光灯が、一瞬だけ明滅した。

 

 全員が黙る。

 

「……」

 

「……今の、停電?」

 

「いやまだついてるし」

 

 だが。

 空気が変わった。

 急に寒い。

 六月なのに。

 妙に冷たい風が、教室の中を撫でていく。

 

「……来ました」

 

 早苗が小さく呟く。

 

「だから嫌だったんです……」

 

「東風谷そういうのやめろよー……」

 

 さっきまで笑っていた男子も、少し声が弱くなる。

 女子たちも、顔を見合わせていた。

 

「な、なんか普通に怖いんだけど」

 

「帰らない?」

 

「いやでもここで帰ったら負けじゃん」

 

「何にだよ」

 

 誰かが乾いた笑いを漏らす。

 

 けれど。

 誰も本気では笑えていなかった。

 

 その時。

 こん。

 教室の窓が鳴った。

 全員が振り向く。

 

 雨粒。

 灰色の空。

 誰もいない校庭。

 

 だが。

 一瞬だけ。

 窓に、白い顔が映った気がした。

 

「っ……」

 

 丈が目を細める。

 次の瞬間には消えていた。

 

「……丈くん?」

 

「……なんでもない」

 

 言いながら。

 嫌な汗が流れる。

 旧校舎の時と似ていた。

 

 ああいうのは。

 気付いた時点で、もう近くにいる。

 

   ◇

 

「じゃあ始めるぞ」

 

 教室の電気を消す。

 薄暗い空間。

 雨音。

 遠くの雷。

 十円玉へ指を置く。

 

 丈は露骨に嫌そうな顔をしていた。

 

「なんで俺まで」

 

「人数合わせ!」

 

「雑」

 

「丈くん、逃げません?」

 

「今さら無理だろ」

 

「まだ間に合います!」

 

「お前もう帰る気満々だな」

 

「当然です!」

 

「潔いな」

 

「命は大事です!」

 

 女子の一人が吹き出す。

 

「早苗ちゃんブレないなぁ」

 

「ブレません!」

 

「でも指置いてるじゃん」

 

「人数足りないって言われたのでぇ……!」

 

 半泣きだった。

 その時。

 

「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」

 

 静寂。

 雨音だけ。

 そして。

 

 かた。

 十円玉が揺れた。

 

「おっ!?」

 

「動いた!」

 

「誰押した!?」

 

「押してねぇって!」

 

 十円玉が、ゆっくり動く。

 

 ――はい。

 

「うわぁ……」

 

「マジじゃん……」

 

「無理無理無理」

 

「ちょ、指離すなって!」

 

 空気が変わる。

 ひやり、と冷たい。

 

 そして。

 くす。

 誰かが笑った。

 

「……!」

 

 丈が振り向く。

 教室の後ろ。

 誰もいない。

 

 だが。

 確かに今、女の子の声がした。

 早苗も気付いていた。

 

「……います」

 

「だろうな」

 

「帰りましょう」

 

「今すぐ?」

 

「今すぐです!」

 

 だが。

 その瞬間。

 ばんっ!!

 

 窓が開いた。

 

「うわあっ!?」

 

 風が吹き込む。

 カーテンが暴れる。

 プリントが舞う。

 女子の悲鳴。

 雨の匂い。

 

 そして。

 その奥。

 山の匂い。

 湿った土。

 獣。

 森。

 

 丈の顔色が変わる。

 

「……っ」

 

 来た。

 あれだ。

 

 その時。

 廊下。

 どん。

 重い音。

 

 全員が凍る。

 

 どん。

 どん。

 

 何かが歩いてくる。

 人間じゃない。

 

 重い。

 鈍い。

 獣みたいな足音。

 

「な、なんだよ……」

 

 誰かが震える。

 早苗がぎゅっと丈の袖を掴む。

 

「丈くん……」

 

「……ああ」

 

 丈は廊下側の扉を見る。

 

 閉まってる。

 何も見えない。

 

 だが。

 いる。

 確実に。

 

 その時。

 

『うわ、来てる』

 

 頭の奥で、軽い声。

 

『ほんとしつこいなぁ』

 

 丈がぴくりと反応する。

 

 だが。

 返事をする暇はなかった。

 

 ぴたり。

 足音が止まる。

 

 教室の前。

 扉の向こう。

 静寂。

 

 そして。

 こんこん。

 扉が鳴った。

 

「っ……!」

 

 誰かが悲鳴を飲み込む。

 

 こんこん。

 また。

 まるで。

 

 “入れて”と言っているみたいに。

 

 その瞬間。

 丈の背筋に、ぞわりと寒気が走った。

 

 駄目だ。

 開けちゃいけない。

 理由はわからない。

 

 でも。

 絶対に。

 

「開けるな」

 

 低く言う。

 教室が静まる。

 

「丈……?」

 

「絶対開けんな」

 

 その声は、自分でも驚くほど強かった。

 

 その時。

 教室の隅。

 白い影。

 女の子。

 旧校舎で見たのと同じ。

 

 だが。

 その子は、廊下の方を見て怯えていた。

 

 震えている。

 まるで。

 扉の向こうの何かを怖がるみたいに。

 

「……」

 

 丈が息を呑む。

 すると少女が、ゆっくり口を動かした。

 

『だめ』

 

 次の瞬間。

 ばんっ!!!!

 扉が激しく揺れた。

 

「ひっ!!」

 

 悲鳴。

 机が揺れる。

 窓が震える。

 女子が泣きそうな声を漏らす。

 

「や、やだやだやだ……!」

 

「せ、先生呼べって!」

 

「誰が行くんだよ!」

 

 そして。

 扉のふち。

 隙間。

 

 そこに。

 長い黒い指が見えた。

 

「っ……!」

 

 丈の全身が凍る。

 人間じゃない。

 

 長すぎる。

 黒い。

 濡れている。

 

 その奥。

 赤い目。

 

 それが。

 扉の向こうから覗いていた。

 

「う、うわあああっ!!」

 

 誰かが泣き叫ぶ。

 教室が混乱する。

 

「に、逃げ――」

 

 その瞬間。

 丈の中で、何かが熱を持った。

 

 喉。

 言葉。

 自然に出る。

 

「見るな」

 

 空気が震えた。

 一瞬。

 教室が静まり返る。

 

 そして。

 扉の向こうの気配が、止まった。

 赤い目が揺れる。

 何かを探すように、ゆっくり視線が動く。

 

 だが。

 早苗を見ることはなかった。

 

 そして。

 ずるり、と。

 気配が離れていく。

 重い足音。

 

 どん。

 どん。

 

 遠ざかる。

 

 やがて。

 完全に消えた。

 静寂。

 

 雨音だけ。

 

「……い、いなくなった?」

 

「な、なんだったんだ今の……」

 

 誰も動けない。

 女子の一人は本気で泣いていた。

 

「もうやだぁ……帰りたいぃ……」

 

「だから言ったじゃないですかぁ……!」

 

 早苗も半泣きだった。

 

 その時。

 ぱっ、と電気が戻った。

 明るい教室。

 

 机。

 紙。

 十円玉。

 

 そこにはもう、何もいなかった。

 

 ただ。

 こっくりさんの紙だけが、雨みたいに濡れていた。

 

   ◇

 

 帰り道。

 

 雨は少し弱くなっていた。

 山道。

 霧。

 夕暮れ。

 早苗はずっと丈の少し後ろを歩いていた。

 

「……怖かったです」

 

「だろうな」

 

「寿命縮みました……」

 

「お前いつも縮んでんな」

 

「今回のは本当にです!」

 

 振り返ると、早苗はまだ顔が青かった。

 それでも。

 丈の後ろをちゃんとついてくる。

 

「丈くんは?」

 

「怖かった」

 

 正直に言う。

 旧校舎とは違った。

 あれはもっと。

 直接的に危なかった。

 

「……でも」

 

 早苗が小さく言う。

 

「また、助けてくれましたね」

 

「別に助けたわけじゃねぇよ」

 

「“見るな”って言った瞬間、いなくなりました」

 

「偶然だろ」

 

「違います」

 

 早苗は妙にはっきり言った。

 

「丈くんの言葉、時々変です」

 

「悪口?」

 

「そうじゃなくて!」

 

 ぷんすか怒る。

 

「なんていうか……響く感じがします」

 

「響く?」

 

「うまく言えないですけど……」

 

 早苗は少し考えて。

 

「神事の祝詞に近い感じ、というか……」

 

「余計わかんねぇよ」

 

「ですよねぇ……」

 

 しょんぼりする。

 その反応が少し面白くて、丈は笑った。

 すると早苗が、むっとする。

 

「笑いましたね?」

 

「ちょっと」

 

「ひどいです!」

 

「お前の顔が面白かった」

 

「えぇっ!?」

 

 騒ぎながら歩く。

 少し前まで、あれだけ怖かった空気が、少しだけ軽くなる。

 

 だが。

 笑いながらも。

 丈は山を見る。

 霧の奥。

 木々の隙間。

 

 そこに。

 まだ“いる”。

 探している。

 

 そんな気配。

 

『しつこいなぁ』

 

 また、あの軽い声。

 

『でもまぁ』

 

 少しだけ笑って。

 

『今はまだ、見つかってないからいっか』

 

 丈は眉をひそめる。

 意味はわからない。

 

 だが。

 なんとなく。

 聞かない方がいい気がした。

 

 風が吹く。

 

 山が鳴る。

 

 そして。

 

 霧の向こうで。

 

 あの赤い目がこちらを探しているような気がした。

 

 もうじき、夏が、来る。

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