昔々、ある雪深い村に、貧しいおじいさんとおばあさんが住んでおりました。
二人はたいそう心優しく、貧しくても、困っているものを見れば放っておけない人たちでした。
ある冬の日のことです。
おじいさんが山へ薪を取りに行くと、雪の中で一羽の鶴がばたばたともがいておりました。
「おや、どうしたんじゃ」
近づいてみると、鶴の足には罠がかかっていました。
鶴は痛そうに鳴きながら、羽を震わせています。
「かわいそうに。今、外してやるからな」
おじいさんは冷たい雪の上に膝をつき、罠をそっと外しました。
鶴は自由になると、しばらくおじいさんを見つめました。
まるで礼を言っているようでした。
「もう罠にかかるでないぞ」
おじいさんがそう言うと、鶴は一声鳴き、白い羽を広げて空へ飛んでいきました。
おじいさんはほっと息をつきました。
「よかった、よかった」
ところが、その様子を少し離れたところから見ていた村人がいました。
その村人は、お腹を空かせていました。
そして、飛んでいく鶴を見ながら言いました。
「……惜しい」
おじいさんは振り向きました。
「何がじゃ」
「いや、何でもありません」
村人は目をそらしました。
その日の夕方、おじいさんが家へ帰ると、おばあさんが囲炉裏の火を小さくしながら待っていました。
「じいさんや、今日は遅かったですね」
「山で罠にかかった鶴を助けておった」
「まあ、それはよいことをしましたね」
「寒そうで、かわいそうじゃった」
おばあさんは微笑みました。
「きっと鶴も感謝していますよ」
その夜、雪はさらに強くなりました。
こんこん。
戸をたたく音がしました。
おじいさんとおばあさんは顔を見合わせました。
「こんな雪の夜に、誰じゃろう」
おじいさんが戸を開けると、そこには若い娘が立っていました。
白い着物をまとい、雪に濡れた髪を静かに下ろした、美しい娘でした。
「道に迷ってしまいました。一晩だけ、泊めていただけないでしょうか」
おじいさんとおばあさんは驚きましたが、すぐに娘を家へ入れました。
「こんな寒い夜に、外にいたら凍えてしまう。さあ、火にあたりなさい」
「ありがとうございます」
娘は深く頭を下げました。
おばあさんは残っていた粥を温めました。
「粗末なものですが、どうぞ」
娘は粥を受け取り、静かに食べました。
「とても温かいです」
その言葉に、おじいさんとおばあさんは嬉しくなりました。
翌朝、娘は言いました。
「しばらく、この家に置いていただけないでしょうか。その代わり、私が布を織ります」
「布を?」
「はい。少しはお役に立てると思います」
おじいさんとおばあさんは、ありがたく娘を迎えました。
娘は家の奥の小さな部屋に機織り機を置きました。
そして言いました。
「お願いがあります。私が布を織っている間、決して中をのぞかないでください」
おじいさんはすぐに頷きました。
「分かった。決してのぞかぬ」
おばあさんも頷きました。
「約束しますよ」
娘はにっこり笑い、部屋の戸を閉めました。
それから、からん、からん、と機を織る音が聞こえ始めました。
その音は夜まで続きました。
翌朝、娘は一反の美しい布を持って出てきました。
それは雪のように白く、月の光のようにかすかに輝く、不思議な布でした。
おじいさんとおばあさんは息をのみました。
「なんと美しい布じゃ」
「これなら町で高く売れるでしょう」
おじいさんは布を町へ持っていきました。
すると、たちまち高い値で売れました。
おじいさんは米や味噌、薪を買って帰りました。
「ありがたいことじゃ」
おばあさんも涙ぐみました。
娘は静かに微笑みました。
「お役に立てたなら、嬉しいです」
それから娘は、何度か布を織りました。
そのたびに美しい布ができ、家には少しずつ食べ物が増えていきました。
ところが、村人たちの間で噂が広まりました。
「あの家に、美しい娘が来たそうだ」
「不思議な布を織るらしい」
「どこから来た娘だろう」
そして、最初に鶴を見て「惜しい」と言った村人も、その噂を聞きました。
村人は腕を組みました。
「不思議な娘……白い着物……雪の日に来た……」
しばらく考え、ぽんと手を打ちました。
「あの鶴ではないか」
そこまでは、わりと正しかったのです。
しかし、その後がいけませんでした。
「つまり、あの娘は鶴……」
村人はお腹を鳴らしました。
「鶴……」
さらにお腹が鳴りました。
「……焼いたらうまいのでは」
だいぶ間違った方向へ考えが進みました。
ある日のことです。
娘が奥の部屋で機を織っていると、例の村人がこっそり家へ近づいてきました。
手には、なぜか串と炭を持っています。
おじいさんは驚きました。
「お前さん、何を持ってきた」
村人は笑いました。
「いえ、ちょっと確認を」
「確認?」
「その娘、本当に人ですか」
おばあさんは眉をひそめました。
「失礼なことを言うものではありません」
村人は声を潜めました。
「もし鶴だったら、恩返しの前に焼き鳥になる可能性もあります」
おじいさんは目を丸くしました。
「ならんわ!」
おばあさんも叫びました。
「恩返しに来たかもしれない娘を焼こうとするでない!」
村人は少し残念そうに炭を見ました。
「でも、冬ですし」
「冬でもだめじゃ」
「塩だけでも」
「味付けの問題ではない!」
その声が大きかったので、奥の部屋の機織りの音が止まりました。
しばらくして、娘が戸を開けました。
顔色が少し青くなっています。
「……今、焼き鳥と聞こえました」
おじいさんは慌てました。
「違うんじゃ。いや、違わぬが、わしらは止めておる」
おばあさんも言いました。
「安心してください。あなたを焼いたりしません」
娘は静かに村人を見ました。
村人は串を後ろに隠しました。
「これは、ただの棒です」
「炭もありますね」
「暖房です」
「塩も持っていますね」
「雪道で転ばないように」
娘はしばらく黙っていました。
そして深くため息をつきました。
「私、恩返しに来たのですが」
「はい」
「焼かれそうになるとは思いませんでした」
おじいさんは村人の背中を押しました。
「帰れ。今すぐ帰れ」
「でも」
「帰れ」
村人はしぶしぶ帰っていきました。
娘は少し震えていました。
おばあさんは温かい茶を出しました。
「怖い思いをさせましたね」
「いえ……助けていただいて、ありがとうございます」
娘は茶碗を両手で包みました。
「実は、私はあの日、山で助けていただいた鶴です」
おじいさんとおばあさんは、驚きながらも、どこか納得しました。
「やはり、そうでしたか」
「ご恩を返すため、人の姿になって来ました。しかし、正体を知られてしまった以上、もうここにはいられません」
おじいさんは悲しそうに言いました。
「そんな。わしらは別に、正体を知ってもかまわん」
おばあさんも言いました。
「焼こうとしたのは、あの村人です」
「それは分かっています」
娘は少し困ったように笑いました。
「ですが、鶴の決まりなのです。正体を知られたら、去らねばなりません」
おじいさんはうなだれました。
「せめて、もう少しだけ」
「最後に一反だけ、布を織らせてください」
娘はそう言って、奥の部屋へ戻りました。
からん、からん。
機織りの音が響きました。
おじいさんとおばあさんは、もう決してのぞきませんでした。
ただ、部屋の外で静かに待ちました。
夜明け頃、娘は一反の布を持って出てきました。
それは今までで一番美しい布でした。白い羽のように軽く、雪の朝のように澄んでいました。
「これが最後です」
娘は布を差し出しました。
「どうか、お二人で穏やかに暮らしてください」
おばあさんは涙をこぼしました。
「ありがとう。本当にありがとう」
おじいさんも頭を下げました。
「こちらこそ、来てくれてありがとう」
娘は微笑みました。
「助けていただいたご恩は、少しでも返せたでしょうか」
「十分じゃ」
「それなら、よかった」
娘は外へ出ました。
雪はやんでいました。
白い朝の空に、娘の姿がふわりと変わっていきました。
一羽の鶴が、そこにいました。
鶴はおじいさんとおばあさんの上を一度だけ回り、遠い空へ飛んでいきました。
おじいさんとおばあさんは、いつまでも手を振っていました。
その後、例の村人は村じゅうから叱られました。
「恩返しの鶴を焼こうとするとは何事だ」
「焼き鳥は鶏でやれ」
「いや、そういう問題でもない」
村人は深く反省しました。
そして、家の前に札を立てました。
恩返しに来た鳥は焼いてはいけません。
村の子どもたちは、この話を聞いて学びました。
困っているものは助けること。
約束したなら、のぞかないこと。
恩返しに来た相手を、食材として見てはいけないこと。
めでたし、めでたし。
いいえ、鶴だけは、しばらく焼き鳥という言葉を聞くたびに震えたそうです。