昔々、あるところに、竹を取って暮らすおじいさんがおりました。
ある日、おじいさんが山へ竹を取りに行くと、一本だけ不思議に光る竹がありました。
「おや、これは妙な竹じゃ」
おじいさんが竹を切ってみると、中から小さな女の子が現れました。
女の子は、月の光のように美しく、まるでこの世のものとは思えないほどでした。
「おお、なんと可愛らしい子じゃ」
おじいさんは女の子を家へ連れて帰りました。
「ばあさんや、竹の中から子が出てきたぞ」
おばあさんは驚きました。
「竹からですか」
「うむ」
「最近の竹はすごいですねえ」
二人はその子を大切に育てることにしました。
女の子はすくすく育ちました。
たけのこのように、というには早すぎるほど、どんどん大きくなり、あっという間に美しい娘になりました。
おじいさんとおばあさんは、その子を「かぐや姫」と呼びました。
かぐや姫の美しさは、やがて都じゅうの評判になりました。
「竹取の翁の家に、それはそれは美しい姫がいるらしい」
「月のように美しいそうだ」
「いや、月より美しいらしい」
噂を聞いた男たちは、次々とかぐや姫に求婚しました。
しかし、かぐや姫は簡単には首を縦に振りません。
「では、蓬莱の玉の枝を持ってきてください」
「仏の御石の鉢をお願いします」
「火鼠の皮衣を」
「龍の首の珠を」
「燕の子安貝を」
求婚者たちは、それぞれ無理難題を言い渡されました。
ある者は偽物を持ってきました。
ある者は途中で諦めました。
ある者は怪我をしました。
ある者は費用だけかかって何も得られませんでした。
おじいさんは心配しました。
「かぐやや、あれは少し難しすぎるのではないか」
かぐや姫は静かに言いました。
「本当に私を想うなら、それくらい……」
おばあさんは首をかしげました。
「でも、龍の首の珠はさすがに危なくありませんか」
「少し、言いすぎました」
かぐや姫は少しだけ目をそらしました。
そんなある夜のことです。
かぐや姫は、月を見上げながら涙を流していました。
おじいさんとおばあさんは驚きました。
「どうしたのじゃ、かぐや」
「何か悲しいことがあるのですか」
かぐや姫は静かに言いました。
「実は私は、この地上の者ではありません」
「なんと」
「私は月の都の者。もうすぐ、月へ帰らねばならないのです」
おじいさんとおばあさんは泣きました。
「そんな、帰ってしまうのか」
「せっかく家族になったのに」
かぐや姫も涙をこぼしました。
「私も、おじいさま、おばあさまと離れたくありません。でも、月から迎えが来るのです」
それからというもの、家の中は悲しみに包まれました。
おじいさんは都へ知らせ、帝もかぐや姫を守ろうと兵を出しました。
やがて、満月の夜が来ました。
空が白く輝き、雲の上から月の使者たちが降りてきました。
銀の衣をまとい、光る車を引き、たいそう厳かな姿でした。
おじいさんは叫びました。
「かぐやを連れて行かないでくれ!」
おばあさんも泣きました。
「この子は、わしらの娘です!」
月の使者は静かに言いました。
「かぐや姫様を月へお連れします」
かぐや姫は涙ながらに歩み出ました。
「おじいさま、おばあさま……」
その時です。
月の使者の一人が、袖の中から巻物を取り出しました。
「では、帰還手続きを始めます」
かぐや姫は足を止めました。
「手続き?」
「はい。月の都への帰還には、所定の書類が必要です」
おじいさんは涙を止めました。
「書類?」
月の使者は、まじめな顔で巻物を広げました。
「まず、竹出生証明書」
「竹出生証明書?」
「竹から出生したことを証明する書類です」
おじいさんは困りました。
「そんなものはない。竹から出てきた時、わしはただ驚いておった」
「では、出生時立会人の署名を」
「わしでよいのか」
「本人確認書類はありますか」
「本人確認……わしは竹取の翁じゃ」
「顔写真付きでお願いします」
おじいさんは固まりました。
おばあさんが言いました。
「昔話の時代に、顔写真はないのでは」
月の使者は巻物を見直しました。
「たしかに。では似顔絵で代用可です」
別の使者が筆を取り出し、おじいさんの似顔絵を描き始めました。
やや美化されました。
「次に、地球滞在理由書」
かぐや姫は目を瞬かせました。
「地球滞在理由書?」
「月の姫であるあなたが、地上に滞在していた理由を書いていただきます」
「竹の中に入れられていたのですが」
「では、その経緯を三百字以上で」
「三百字……」
「また、滞在中の活動報告も必要です」
かぐや姫は少し嫌な予感がしました。
「活動報告とは」
「竹取の翁夫婦との生活。求婚者対応。帝からの文への対応。無理難題の出題状況。地上文化への影響。以上を記入してください」
かぐや姫は青ざめました。
「求婚者対応もですか」
「はい。特に、龍の首の珠を要求した件については、安全配慮義務の観点から確認が必要です」
おじいさんが小声で言いました。
「やはり危なかったのう」
かぐや姫は黙りました。
月の使者はさらに言いました。
「次に、地球側保護者同意書」
おじいさんとおばあさんは顔を上げました。
「わしらの同意が必要なのか」
「はい。未提出の場合、帰還手続きが保留されます」
おばあさんは即座に言いました。
「では、同意しません」
「ばあさんや」
「だって、帰ってほしくありませんもの」
月の使者は困った顔をしました。
「お気持ちは分かりますが、月の規則でして」
「なら、月の規則を持ってきなさい」
「こちらです」
使者は別の巻物を取り出しました。
とても長い巻物でした。
広げても広げても終わりません。
庭を越え、門を越え、兵士たちの足元まで伸びていきました。
帝の兵士の一人がつまずきました。
「長い!」
おじいさんは巻物を見て言いました。
「月の役所は、たいそう面倒なのじゃな」
月の使者は少し誇らしげに言いました。
「厳格な運用をしております」
かぐや姫は、涙を拭きながら言いました。
「あの、私は今夜帰るはずでは」
「その予定でした」
「予定でした?」
「はい。しかし、書類不備が多数確認されました」
庭が静まり返りました。
月の使者は淡々と告げました。
「竹出生証明なし。地球滞在理由書未提出。保護者同意未取得。求婚者対応報告未記入。帰還衣装受領印なし。月の都身分証期限切れ」
「身分証、期限切れ?」
かぐや姫は震えました。
「私、地上にいましたので更新できませんでした」
「事情は考慮されますが、再発行には三日から三百年ほどかかります」
「幅が広すぎます」
「月の役所ですので」
おじいさんとおばあさんは、顔を見合わせました。
「つまり、かぐやは今夜帰らなくてよいのか」
月の使者は言いました。
「本日は手続き未完了のため、帰還不可です」
おばあさんは、思わずかぐや姫を抱きしめました。
「よかった」
かぐや姫も泣きながら笑いました。
「おばあさま……」
しかし月の使者は続けました。
「ただし、後日再申請となります」
おじいさんは身構えました。
「再申請には何が必要じゃ」
使者は新しい巻物を出しました。
「まず、帰還再申請書。次に、地球滞在延長届。さらに、竹出生調査票。求婚者対応反省文。帝との関係性説明書。月側迎え隊派遣費用精算書」
「派遣費用?」
おじいさんは目を丸くしました。
「迎えに来た費用を、わしらが払うのか」
「原則として、帰還者負担です」
かぐや姫は叫びました。
「聞いていません!」
月の使者は静かに言いました。
「小さく書いてあります」
巻物の端に、米粒より小さな字で書いてありました。
おばあさんは怒りました。
「こんな小さい字、読めるわけがありません」
月の使者は少し考えました。
「では、次回から大きくします」
「次回があってたまるものですか」
帝の兵士たちも、だんだんどうしてよいか分からなくなってきました。
本来なら月の使者からかぐや姫を守るために来たのです。
しかし今、敵は月の使者というより、書類でした。
帝は遠くから様子を見て、静かに言いました。
「月とは、恐ろしいところだな」
こうして、その夜、かぐや姫は月へ帰れませんでした。
月の使者たちは、書類一式を置いて空へ戻っていきました。
「必要事項を記入のうえ、次の満月までにご提出ください」
そう言い残して。
家の中には、山のような書類が残りました。
おじいさんは筆を持ちました。
「かぐやや、まず竹出生証明から書こう」
おばあさんは墨をすりました。
「地球滞在理由書は、私も手伝いますよ」
かぐや姫は、書類の山を見ました。
「月へ帰るより、こちらの方が大変かもしれません」
それからしばらく、竹取の翁の家では、毎晩遅くまで書類作りが続きました。
求婚者対応報告書には、こう書かれました。
無理難題を出したことについては、やや反省しています。
ただし、偽物を持ってきた者もいたため、全面的に私だけが悪いわけではありません。
竹出生証明書には、おじいさんが大きく署名しました。
たしかに光る竹から出てきました。
大変驚きました。
竹の種類は分かりません。
おばあさんは、地球滞在理由書にこう書きました。
かぐやは、私たちの娘です。
月の都の事情は知りませんが、ここで笑い、泣き、食べ、暮らしました。
それも立派な滞在理由だと思います。
かぐや姫は、それを読んでまた泣きました。
次の満月の夜、再び月の使者がやってきました。
「書類はそろいましたか」
かぐや姫は、山のような書類を差し出しました。
「こちらです」
月の使者たちは、一枚一枚確認しました。
たいへん時間がかかりました。
夜が明けかけました。
使者の一人が言いました。
「おおむね問題ありません」
かぐや姫は息をのみました。
「では、今度こそ月へ」
「ただし、一点不備があります」
「まだあるのですか」
「はい。竹出生証明書の竹の種類欄が空欄です」
おじいさんは叫びました。
「知らん! 光る竹じゃ!」
使者は巻物に書き込みました。
「では、“光る竹”として仮登録します」
「それでよいのか」
「仮なら」
月の役所は、厳しいのか緩いのか、よく分かりませんでした。
こうして、かぐや姫はようやく月へ帰ることになりました。
おじいさんとおばあさんは泣きました。
かぐや姫も泣きました。
「おじいさま、おばあさま。私は月へ帰ります。でも、ここで過ごした日々は忘れません」
おばあさんは、かぐや姫の手を握りました。
「月でも、ちゃんと食べるのですよ」
おじいさんは言いました。
「困ったら、書類を書きなさい」
「おじいさま、それは少し違います」
かぐや姫は笑いました。
月の衣をまとい、かぐや姫は光の車に乗りました。
空へ昇っていく途中、月の使者が小さく言いました。
「到着後、月側復帰届を提出していただきます」
かぐや姫は空の上で固まりました。
「まだ書くのですか」
「はい。月に帰った後の手続きです」
かぐや姫は深くため息をつきました。
「月とは、そういうところだったのですね」
地上では、おじいさんとおばあさんが空を見上げていました。
月は美しく輝いていました。
しかし二人には、その光の向こうで、かぐや姫が筆を持たされているように見えました。
それからというもの、村ではこう語り継がれました。
竹から美しい姫が生まれたこと。
月へ帰るはずの夜、書類不備で一度帰れなかったこと。
月の都は美しいが、役所仕事はたいそう厳しいこと。
そして、竹を切る時は、中に子どもがいないかだけでなく、出生証明の用意もしておいた方がよい、と。
めでたし、めでたし。
いいえ、かぐや姫の手首だけは、書類の書きすぎであまりめでたくありませんでした。