あの凄まじい光と振動が収まった後、クレムリンを支配したのは、耳が痛くなるような「沈黙」だった。
「状況を報告しろ! 何が起きた!」
サヴェリエフ大統領の怒号に近い問いに、通信官たちが狂ったように機器を操作する。
しかし、返ってくるのはノイズすら混じらない、完全な無音だった。
「……ワシントンとのホットライン、不通です。ロンドン、パリ、ボン、東京……すべての国外回線が応答しません」
「衛星通信はどうだ? 」
「は、はい! 衛星とのリンクは確立しています!
しかし……海外の地上局からの応答が、どこからもありません。
まるで、電波を発する文明そのものが消滅したかのような……」
やがて外務省にも、モスクワに駐在する各国の公館から「自国と連絡が取れない」という悲鳴のような問い合わせが殺到し始めた。
1992年、ロシアにはまだ産声を上げたばかりの初期のコンピューターネットワーク「レルコム」が存在していた。
西側諸国との学術的な繋がりを維持し、ロシア民主化の象徴とも言えたその細いデジタル回線も、今は国内だけで虚しくループするだけの、ただの電線と化していた。
窓の外では、モスクワの市民たちが街頭に溢れ出し、
空を見上げて呆然と立ち尽くしている。
時刻は昼過ぎのはずだった。しかし、空は不気味なほどに澄み渡り、そして――夜を待たずして、天文学者たちが絶望的な報告を上げた。
「天体の配置が……全く異なります。
北極星がありません。
我々が知る太陽系の惑星も、星座も、すべてが消え失せました」
サヴェリエフは椅子の背もたれに深く体を預けた。
国家が丸ごと、どこかへ放り出されたという直感が、冷たい汗となって背中を伝う。
だが、唯一の救いがあった。
「大統領! キエフのレフチェンコ大統領、
ならびにミンスクのベロフ議長とのホットラインが復旧しました! 彼らも、我々と同様の事態に陥っているようです!」
「……繋げ。スピーカーだ」
スピーカーから聞こえてきたのは、ウクライナの大統領レフチェンコの、震えながらも切迫した声だった。
『サヴェリエフか!? 一体何が起きている!
ロシアの新型兵器か、それともアメリカの奇襲か!?
我が国の国境警備隊によれば……西側のポーランドやスロバキアがあるはずの場所が、見渡す限りの原生林と、見たこともない巨大な山脈に変わっているというのだ!』
『ベラルーシも同様だ』
ベラルーシのベロフ議長が、沈痛な声で割り込んできた。
『リトアニアもラトビアも消えた。
我々の北側には今、地図にない広大な海が広がっている……。
サヴェリエフよ、説明してくれ』
数ヶ月前まで、ソビエト連邦の解体を巡って激しく対立し、互いに背を向け合った3人の首脳。
しかし今、この怪異を前に、彼らはかつての「同胞」としての絆を強制的に思い出させられていた。
背後にある領土問題など、未知の深淵の前にはあまりにも些細だった。
サヴェリエフは椅子の手すりを強く握りしめ、即座に決断を下した。
「レフチェンコ、ベロフ。互いを疑っている時間はない。
我々は同じ船に乗せられたのだ。
――すぐに空軍を飛ばせ。国境を越えて偵察機を出そう。
我々の周囲に一体何があるのか、それを突き止めるのが先決だ」