命令から数時間後。
モスクワ郊外のクビンカ空軍基地から、2機のSu-24MR偵察機が轟音を上げて離陸した。
パイロットのイワン少佐は、並列複座式のコックピットの隣席に座るナビゲーターと共に、かつての「国境」を越えた。
ベラルーシ上空までは、見慣れた冬の白い大地が広がっていた。
しかし、旧ポーランド国境を越えた瞬間、二人は目を疑った。
眼下に広がるのは、整然とした東欧の農村地帯ではない。
見たこともない大河と、恐ろしく巨大な樹木が群生する、ジャングルに近い原始の森だった。
「……こちら『ルビー1』。信じられないものを見ている。
高度5000、地表に巨大な動体反応!」
隣のナビゲーターが、赤外線センサーのモニターを凝視しながら叫ぶ。
「生物だ……信じられん、サイズがおかしい!
翼竜のような形態だが、旅客機並みの質量がある。
――待て、急速に上昇してくる! こちらに気付いた!」
無線に激しいノイズが走る。
ほぼ同時にクレムリンの司令部には、数秒のタイムラグを経て、偵察機から転送されてきたノイズ混じりのモノクロ静止画が映し出された。
FAXのように上からじわじわと構築されていく画面のなかに、あり得ない質量を持った「翼を持った怪異」の輪郭が浮かび上がる。
『何かが飛んでくる! ミサイル警報は鳴らない、だが熱源が直撃コースを――回避、回避ッ!!』
スピーカーから悲鳴のような音声が響く。
イワン少佐は操縦桿を叩き込み、機体を強烈なGと共にバンクさせた。
偵察機の自動カメラが捉えたのは、空を舞う巨大な怪鳥と、
その背に乗る「騎士」のような人影だった。
彼らが掲げた杖の先端から放たれたまばゆい光の弾が、超音速で駆け抜けるSu-24の尾翼を掠め、異世界の昼の空を切り裂く。
モスクワの司令部でその緊迫した音声を聴き、そして送られてきた異様な画像を目にしたサヴェリエフたちは、言葉を失った。
幸いにも、攻撃を受けた偵察機は超音速の速度優位を活かして離脱し、貴重な観測データを携えてクビンカ基地へと帰還した。
だが、もたらされた現実は、あまりにも非科学的だった。
「……中世の騎士が空を飛び、魔法で我々のジェット機を攻撃したというのか?」
参謀総長が、まだ定着液の匂いが残る現像されたばかりの航空写真を凝視し、呆然と呟く。
科学の粋を集めた1992年のロシア、ウクライナ、ベラルーシの三カ国。
ソ連という巨大なバックボーンを失い、経済崩壊の淵にいたこの近代国家群は、あろうことか――剣と魔法、そして魔獣が跋扈する異世界の只中に、丸ごと放り出されたのである。