新生ロシア、異世界へ   作:狩守句州

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第四話:内憂

「アメリカの野郎ども、ついにやりやがったんだ」

 

モスクワ市内の一角。氷点下の寒空の下でパンの配給を待っていた老人が、狂ったように大声で叫んだ。

一部の市民は、あの強烈な閃光と地鳴りを「ペンタゴンによる核先制攻撃」だと思い込んでいた。

冷戦は終わったはずではなかったのか。クレムリンに掲げられた赤旗がロシアの三色旗に変わっても、人々の脳裏に焼き付いた「第三次世界大戦」の恐怖は、一瞬にして呼び覚まされていた。

 

転移の直前、1月2日に新政府が行った価格自由化によって、物価は大きく上昇していた。

本来であれば、価格の上昇とともに隠されていた物資なども店頭に並ぶはずだった。

――だが、世界からの「孤立」が判明した瞬間、経済の歯車は完全に破壊された。

 

商店の店主たちは、政府の発行する通貨での支払いを拒絶し、次々とシャッターを下ろしていった。海外からの輸入品や穀物の流通が物理的に途絶えたのだ。

 

謎の転移の情報は市民たちにも広がり、明日にも飢えるかもしれないという恐怖がモスクワを支配していた。

怒れる群衆と内務省の治安部隊「OMON」との衝突までも発生していた。

 

かつては資本主義の象徴として長蛇の列が出来ていた、西側ハンバーガーチェーン店もいまは営業をしていない。

 

「これから豊かになると思ったのに、まさかこんなことになるなんてね……」

凍える手でコートの襟を立てた主婦が、力なくそう呟いた。

「このままモスクワにいても凍死するか飢え死にするだけだ。いっそ郊外のダーチャにでも逃げ出すか?」

「馬鹿を言うな、今は冬だぞ。あんな夏用の小屋に行ってみろ、薪も水道もなくて一晩で凍死するのがオチだ。」

「じゃあどうするんだよ! 店はどこも閉まっちまったんだぞ!」

「……今はアパートに籠もって、テプロセチ(地域熱供給網)が切れないように神に祈るしかないさ」

配給の列を前に、人々は逃げ場のない極寒のモスクワで、ただ身を寄せ合って震えるしかなかった。

 

 

クレムリンの執務室で、サヴェリエフは治安悪化の報告書を握り潰した。

資金もない、食料もない。国家の体を成していない足元を、異世界の不気味な静寂が包み込んでいる。

 

先日もたらされた、国境線の向こうの「未知の大陸」の発見。そして謎の生物を駆る騎士との遭遇――。

 

人知を超えた異常事態の連発に、サヴェリエフの精神はすでに飽和の限界を迎えつつあった。だが、彼は大統領である。ここで膝を屈するわけにはいかない。

サヴェリエフは疲弊しきった顔を両手で強く摩擦し、無理やり脳を覚醒させ、閣僚会議へと向かう。

 

円卓を囲む閣僚たちの表情にも疲れが見える。

サヴェリエフは全員を見渡し、低く、だが毅然とした声で切り出した。

 

「政府や軍が保有している有事用の備蓄糧食をすべて開放し、『配給券』による厳格な現物支給を行う。ルーブルが紙屑扱いされている今、実物で市民を飢えから救うしかない。そうして国内の時間を稼ぐ間に、国境線の外へ出航した偵察機や艦艇を用いて、外交を結べるまともな国家を探す。交渉相手が見つかり次第、エネルギー資源などと引き換えに食料輸入のルートを開拓するのだ。――君たちはどう思う」

大統領の現実的な提案に、一瞬、希望の光が差したかのように見えた。しかし、実務派の官僚が苦渋に満ちた表情で首を振った。

 

「大統領、備蓄の開放にはリスクがあります。価格自由化とこのパニックに乗じて、ソ連末期に勢力を伸ばしたマフィアなどが暗躍しているという情報があります。

また、軍内や政府内にも汚職に手を染める者がいるとの情報まであります……。

政府の倉庫を開いたところで、彼らに物資を横流しされ、資金源にされるかもしれません……。」

報告を聞いたサヴェリエフの顔が、激しい怒りで歪んだ。

 

民が凍え、明日をも知れぬ飢えに怯えているというのに、この極限の危機にすら私腹を肥やそうとうごめく利権のダニどもが、身内を含めて存在している。

 

「腐り果てた奴らめ……! 国が内側から腐敗して崩壊するのを黙って見ていろというのか! 汚職官僚もマフィアも、見つけ次第極刑で裁くべきだ!」

サヴェリエフが拳で激しく円卓を叩いた、その時だった。

 

閣僚会議室の重厚な扉が勢いよく開き、大統領府長官イワノフが顔面を蒼白にして飛び込んできた。

「大統領! 会議中失礼します! 南部軍管区より緊急暗号電――カフカス地方、チェチェン共和国の国境線が謎の武装勢力に突破されました!」

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