神奈川県警の女神様   作:かなっち館長

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第15話 第三交機の宴

萩原千速は、白バイ隊員としての自分に誇りを持っていた。

 

道路の上では、誰よりも冷静に。

誰よりも速く。

誰よりも正確に。

 

第三交通機動隊の小隊長として、部下たちの前では隙を見せない。

 

男勝りな性格もあって、隊員たちからは慕われつつも、どこか恐れられていた。

 

「萩原小隊長に半端な運転は見せられない」

 

「怒られる時の目が本気で怖い」

 

「でも、あの人に褒められると一日頑張れる」

 

そんなふうに言われることはあっても、千速本人は気にしていなかった。

 

仕事で認められれば、それでいい。

 

恋愛の話など、職場に持ち込むつもりはなかった。

 

ましてや、捜査一課の押村奏斗と付き合っていることなど。

 

絶対に。

 

絶対に、知られるつもりはなかった。

 

……はずだった。

 

その日の午後。

 

第三交通機動隊の詰所では、妙な空気が流れていた。

 

千速が書類を確認していると、若い隊員の新井がちらちらとこちらを見ている。

 

隣の隊員も、明らかに何か言いたそうな顔をしている。

 

千速はペンを止めた。

 

「何だ」

 

新井の肩がびくっと跳ねる。

 

「い、いえ」

 

「言いたいことがあるなら言え」

 

「いえ、本当に何も」

 

「じゃあ、なぜ私を見る」

 

新井は目を泳がせた。

 

「その……今日の飲み会、小隊長も来ますよね?」

 

「行くと言っただろ」

 

「ですよね」

 

「それがどうした」

 

「いえ、楽しみだなと」

 

千速は目を細めた。

 

「飲み会が楽しみな顔じゃねぇな」

 

新井は必死に笑顔を作った。

 

「楽しみです!」

 

「声が裏返ってるぞ」

 

詰所の空気がさらに不自然になる。

 

千速は周囲を見回した。

 

隊員たちは一斉に視線を逸らす。

 

怪しい。

 

完全に怪しい。

 

「お前ら」

 

千速が低く言った。

 

「何か隠してるな」

 

全員が同時に首を横に振った。

 

「隠してません!」

 

「揃いすぎだろ」

 

千速は立ち上がった。

 

その瞬間、詰所の入口から別の隊員が駆け込んできた。

 

「小隊長! 捜査一課から電話です!」

 

「捜査一課?」

 

千速の眉が動く。

 

「誰から」

 

「押村警部補です!」

 

詰所の空気が凍った。

 

数秒の沈黙。

 

その後、全員が微妙に視線を千速へ向けた。

 

千速は一瞬だけ固まり、すぐに顔をしかめた。

 

「……何で全員こっち見るんだよ」

 

誰も答えない。

 

千速は電話機へ向かった。

 

受話器を取る。

 

「萩原」

 

『押村です』

 

相変わらず律儀な声だった。

 

千速は周囲の視線を背中に感じながら、声を抑えた。

 

「どうした、奏斗」

 

言った瞬間だった。

 

詰所のどこかで、誰かが小さく息を呑んだ。

 

千速の背筋が固まる。

 

しまった。

 

職場で。

 

隊員たちの前で。

 

自然に「奏斗」と呼んでしまった。

 

電話の向こうの押村は、そんな空気を知る由もない。

 

『今日、帰りは遅くなるか』

 

「……何でだ」

 

『横溝警部が、事件資料の整理を今日中に終わらせると言っている。終わったら、駅まで迎えに行こうかと思った』

 

千速は受話器を握る手に力を込めた。

 

背後の空気が、さっきより明らかにざわついている。

 

「い、いい。今日は第三交機の飲み会がある」

 

『そうか』

 

「ああ」

 

『飲み過ぎるな』

 

千速のこめかみがぴくりと動いた。

 

「子供扱いすんな」

 

『心配しているだけだ』

 

背後で、誰かが机に額をぶつけたような音がした。

 

千速は振り返らない。

 

振り返ったら負けだ。

 

「……分かった。適当に帰る」

 

『遅くなるなら連絡してくれ』

 

「分かったって」

 

『千速』

 

その名前が受話器越しに聞こえた瞬間、背後の気配が一斉に変わった。

 

千速は完全に固まった。

 

押村は静かに続けた。

 

『気をつけて』

 

千速は耳まで熱くなるのを感じながら、何とか声を絞り出した。

 

「……お前もな」

 

通話を切る。

 

受話器を置く。

 

詰所は、異様なほど静かだった。

 

千速はゆっくり振り返った。

 

隊員全員が、机に向かっている。

 

だが、誰一人として仕事をしていない。

 

肩が震えている者もいる。

 

千速は低く言った。

 

「お前ら」

 

全員が姿勢を正した。

 

「はい!」

 

「今の電話のこと、誰かに言ったら」

 

千速はにっこり笑った。

 

「明日、全員、特別訓練な」

 

詰所に震えが走った。

 

「了解しました!」

 

その返事は、今日一番そろっていた。

 

夜。

 

第三交機の飲み会は、横浜市内の居酒屋で行われた。

 

本来は、最近の大きな事件対応が一段落したことへの慰労会だった。

 

千速は少し遅れて店に到着した。

 

個室の襖を開ける。

 

「悪い、遅れた」

 

中にいた隊員たちが一斉に立ち上がった。

 

「小隊長、お疲れさまです!」

 

「お疲れさまです!」

 

「こちらへどうぞ!」

 

妙に丁寧だった。

 

千速は目を細める。

 

「何だ、その不自然な歓迎は」

 

新井が慌てて座布団を差し出す。

 

「いえ! 小隊長のお席を確保しておりました!」

 

「気持ち悪いな」

 

「ひどいです!」

 

千速は疑いながらも座った。

 

乾杯が始まり、最初の料理が運ばれてくる。

 

しばらくは普通だった。

 

仕事の話。

白バイの整備の話。

最近の取り締まりの話。

隊員の失敗談。

 

千速もいつもの調子で笑い、突っ込み、時々説教した。

 

「だから交差点手前で迷うなって言っただろ」

 

「すみません、小隊長」

 

「判断が遅いと危ないんだよ。道路は待ってくれねぇぞ」

 

「はい!」

 

「でも、今日の誘導は悪くなかった」

 

「ありがとうございます!」

 

隊員が嬉しそうに頭を下げる。

 

千速は酒を一口飲んだ。

 

少しだけ肩の力が抜ける。

 

今日はこのまま普通に終わるかもしれない。

 

そう思った瞬間だった。

 

新井が遠慮がちに口を開いた。

 

「あの、小隊長」

 

「何だ」

 

「押村警部補って、普段どんな方なんですか?」

 

空気が止まった。

 

千速の箸がぴたりと止まる。

 

他の隊員たちが、新井に「お前行ったな」という目を向ける。

 

千速はゆっくり顔を上げた。

 

「何で急に押村の話になる」

 

新井は冷や汗をかきながら笑った。

 

「い、いえ! 捜査一課の方ですし、今回もお世話になったので!」

 

「そうか」

 

「はい!」

 

「なら本人に聞け」

 

「それが、押村警部補って近寄りがたくて」

 

別の隊員がぼそっと言った。

 

「小隊長には優しそうですけどね」

 

千速の目がそちらへ向いた。

 

「今、何て言った」

 

「いえ! 何も!」

 

さらに別の隊員が酒の勢いで笑った。

 

「いやでも、今日の電話、すごかったですよね」

 

千速の眉が跳ねる。

 

「電話?」

 

「『遅くなるなら連絡してくれ』って」

 

「おい」

 

「『気をつけて』って」

 

「おい」

 

「しかも、小隊長が押村警部補を普通に“奏斗”って――」

 

千速の手が、空の皿を掴んだ。

 

隊員は即座に姿勢を正した。

 

「すみませんでした!」

 

千速は皿を置いた。

 

「お前ら、聞いてたな」

 

全員が目を逸らした。

 

「聞いてません」

 

「嘘つけ」

 

「聞こえてしまいました」

 

「言い方を変えるな」

 

新井がおそるおそる手を挙げる。

 

「小隊長」

 

「何だ」

 

「つまり、その……押村警部補とは」

 

千速はにらむ。

 

「何だ」

 

新井は覚悟を決めたように言った。

 

「お付き合いされているんですか?」

 

その瞬間、個室の空気が爆発した。

 

「聞いた!」

 

「新井が聞いた!」

 

「勇者だ!」

 

「明日の訓練、俺たち全員終わったな!」

 

千速は真っ赤になった。

 

「お前ら、うるせぇ!」

 

しかし酒の入った隊員たちは、もう止まらなかった。

 

「いや、小隊長に彼氏がいるのは別に驚かないんですよ!」

 

「美人ですし!」

 

「でも相手が押村警部補っていうのが!」

 

「分かるような、分からないような!」

 

「いや分かりますよ。小隊長が無茶したら止められるの、あの人くらいですもん」

 

「逆に押村警部補が無茶したら止められるの、小隊長くらいですよね」

 

「相性いいじゃないですか!」

 

千速は顔を赤くしたまま叫んだ。

 

「勝手に分析すんな!」

 

新井がなぜか感動したように頷いた。

 

「小隊長、押村警部補の前だと少し柔らかいですよね」

 

「柔らかくねぇ!」

 

「電話の声、普段と違いました」

 

「違わねぇ!」

 

「押村警部補に“千速”って呼ばれてましたよね」

 

「それ以上言うな!」

 

隊員たちは一斉に盛り上がった。

 

「小隊長が名前呼び!」

 

「押村警部補も名前呼び!」

 

「大事件だ!」

 

「県警の歴史が動いた!」

 

千速は完全に耳まで赤くなっていた。

 

「お前らなあ……」

 

その時、個室の襖が開いた。

 

「盛り上がってるな」

 

入ってきたのは、横溝重悟だった。

 

坊主頭に鋭い目つき。

捜査一課の警部。

 

隊員たちは一瞬で静かになった。

 

千速は驚いて振り向く。

 

「重悟!? 何でここにいる!」

 

横溝はにやりと笑った。

 

「近くで飲んでたら、新井から連絡が来た」

 

千速の目が新井へ向く。

 

新井は全力で視線を逸らした。

 

「新井」

 

「すみません、小隊長! 横溝警部なら事情をご存じかと!」

 

「余計なことを……!」

 

横溝は空いている席にどかっと座った。

 

「で、何の話だ」

 

隊員の一人が恐る恐る言う。

 

「小隊長と押村警部補の……」

 

横溝が笑う。

 

「ああ、付き合ってる件か」

 

千速は机を叩いた。

 

「重悟!」

 

隊員たちが一斉に沸いた。

 

「やっぱり!」

 

「確定だ!」

 

「横溝警部公認!」

 

「おめでとうございます、小隊長!」

 

「おめでとうございます!」

 

「おめでとうございます!」

 

千速は頭を抱えた。

 

「結婚発表みたいにすんな!」

 

横溝は楽しそうに酒を注いだ。

 

「まあ、俺はだいぶ前から分かってたけどな」

 

新井が食いつく。

 

「いつからですか?」

 

「押村が千速のことになると急に冷静じゃなくなるようになった頃からだ」

 

千速が睨む。

 

「余計なこと言うな」

 

横溝は止まらない。

 

「千速が拉致された時なんか、押村の顔すごかったぞ。あれはもう刑事の顔じゃなかった」

 

千速の表情が少しだけ変わる。

 

周囲の隊員たちも静かになる。

 

横溝は少しだけ声を落とした。

 

「あいつは普段、何でも一人で抱える。だが、千速のことだけは隠しきれねぇ」

 

千速は何も言えなくなった。

 

押村が自分をどれだけ大事にしているか。

それは分かっている。

 

でも、他人の口から聞くと、やけに胸に響いた。

 

横溝はすぐに空気を戻すように笑った。

 

「まあ、それに千速も同じだろ」

 

千速が顔を上げる。

 

「何がだ」

 

「押村が怪我した時、お前の怒鳴り声、本部中に響いてたぞ」

 

隊員たちがまたざわつく。

 

「小隊長が?」

 

「押村警部補に?」

 

「見たかった……」

 

千速は赤くなりながら怒鳴った。

 

「うるせぇ! あいつが無茶するからだ!」

 

横溝がにやにやする。

 

「ほらな」

 

「何がほらなだ!」

 

その時、千速のスマホが震えた。

 

画面には、押村奏斗の名前。

 

全員の視線がスマホへ集中した。

 

千速は固まった。

 

横溝が楽しそうに言う。

 

「出ろよ」

 

「出られるか!」

 

隊員たちが小声で言い始める。

 

「出てください」

 

「ぜひ」

 

「スピーカーで」

 

「それはやめろ」

 

千速は全員を睨みつけたあと、スマホを持って個室の隅へ移動した。

 

通話に出る。

 

「……もしもし」

 

『押村です』

 

「分かってる」

 

『今、大丈夫か』

 

千速は背後をちらっと見る。

 

全員が聞く気満々で静まり返っている。

 

「大丈夫じゃねぇ」

 

『何かあったのか』

 

「お前のせいで飲み会が大変なことになってる」

 

電話の向こうで、押村が少し沈黙した。

 

『俺が何かしたか』

 

「今日、電話しただろ」

 

『した』

 

「詰所で」

 

『ああ』

 

「私を名前で呼んだだろ」

 

また沈黙。

 

『……まずかったか』

 

千速は小さく息を吐いた。

 

「もうばれた」

 

『何が』

 

「付き合ってることだよ!」

 

背後で隊員たちが小さく拍手した。

 

千速は振り返って睨む。

 

電話の向こうで、押村が真面目な声で言った。

 

『そうか』

 

「反応が薄い!」

 

『隠す必要があるのか』

 

千速は言葉に詰まった。

 

「いや、別に……隠すっていうか、職場で騒がれるのが面倒で」

 

『迷惑だったか』

 

その言葉に、千速の怒りが少しだけしぼむ。

 

「迷惑じゃねぇよ」

 

『ならよかった』

 

「……そういうとこだぞ」

 

『どういうところだ』

 

「分かってねぇならいい」

 

押村は少し間を置いてから言った。

 

『飲み会は楽しめているか』

 

千速は後ろの隊員たちを見る。

 

全員が楽しそうににやにやしている。

横溝まで混ざっている。

 

「私は今、すごく不本意な状況にいる」

 

『そうか』

 

「でもまあ」

 

千速は少しだけ笑った。

 

「悪くはねぇよ」

 

『ならよかった』

 

押村の声が少し柔らかくなる。

 

『帰りは迎えに行く』

 

「いいって言っただろ」

 

『遅い時間になるなら心配だ』

 

「第三交機の隊員が周りにいるんだぞ」

 

『それでも心配だ』

 

千速は何も言えなくなった。

 

背後では、隊員たちが口元を押さえて悶えている。

 

千速は赤い顔で小さく言った。

 

「……じゃあ、店の近くまで来い」

 

『分かった』

 

「中には入るなよ」

 

『なぜだ』

 

「絶対にからかわれる」

 

『俺は構わない』

 

「私が構うんだよ!」

 

押村は少しだけ沈黙し、それから言った。

 

『分かった。外で待つ』

 

千速は小さく息を吐く。

 

「じゃあ、あとでな」

 

『ああ。千速』

 

「何だ」

 

『飲み過ぎるな』

 

千速は眉を吊り上げた。

 

「やっぱり子供扱いしてるだろ!」

 

『心配しているだけだ』

 

通話が切れた。

 

千速はしばらくスマホを見つめていた。

 

そして、ゆっくり振り返る。

 

個室中が、にやにやしていた。

 

横溝が代表して言った。

 

「愛されてんな、千速」

 

千速は顔を真っ赤にした。

 

「全員、明日五時集合」

 

隊員たちの顔から笑みが消えた。

 

「えっ」

 

「小隊長?」

 

「特別訓練だ」

 

新井が震える声で言う。

 

「小隊長、それは照れ隠しですか?」

 

千速は満面の笑みを浮かべた。

 

「違う。制裁だ」

 

隊員たちは一斉に悲鳴を上げた。

 

横溝は腹を抱えて笑っている。

 

飲み会が終わる頃には、隊員たちはすっかり千速と押村の話で盛り上がっていた。

 

「小隊長、押村警部補のどこが好きなんですか?」

 

「聞くな」

 

「真面目なところですか?」

 

「答えねぇ」

 

「無茶するところですか?」

 

「それは好きじゃねぇ。腹立つ」

 

「でも心配なんですよね」

 

「……うるさい」

 

「小隊長、顔赤いです」

 

「酒だ」

 

「一杯しか飲んでませんよ」

 

「黙れ」

 

結局、千速は最後までいじられ続けた。

 

いつもなら一喝すれば隊員たちは黙る。

 

だが、今夜だけは違った。

 

隊員たちは、千速をからかいながらも、本気で嬉しそうだった。

 

小隊長が誰かを大切にしていること。

そして、その相手も小隊長を大切にしていること。

 

それが、隊員たちには嬉しかったのだ。

 

店を出ると、夜風が頬に当たった。

 

千速は少し火照った顔を冷ますように息を吐く。

 

「小隊長、お疲れさまでした!」

 

新井が背筋を伸ばす。

 

「押村警部補、どこですか?」

 

「探すな」

 

「ご挨拶を」

 

「いらねぇ」

 

「でも、隊員としては小隊長をよろしくお願いしますと――」

 

千速は新井の額を軽く小突いた。

 

「調子に乗るな」

 

その時、少し離れた街灯の下に、押村奏斗が立っているのが見えた。

 

黒いコート姿。

姿勢よく、静かに。

 

千速に気づくと、まっすぐこちらへ歩いてくる。

 

隊員たちが一斉に姿勢を正した。

 

「押村警部補! お疲れさまです!」

 

押村は少し驚いたように瞬きし、丁寧に頭を下げた。

 

「お疲れさまです。萩原が世話になりました」

 

千速が即座に突っ込む。

 

「何でお前が保護者みたいに言うんだよ」

 

押村は真面目に答える。

 

「言い方が不適切だったか」

 

「そういう問題じゃねぇ」

 

新井が感動した顔で言う。

 

「押村警部補」

 

「はい」

 

「小隊長を、よろしくお願いします!」

 

千速が叫ぶ。

 

「新井!」

 

他の隊員たちも続いた。

 

「よろしくお願いします!」

 

「小隊長、素直じゃないですけど優しいんです!」

 

「怒ると怖いですけど、本当にいい人なんです!」

 

「飯はちゃんと食べさせてください!」

 

千速は頭を抱えた。

 

「お前ら全員、明日覚えてろよ……」

 

押村は隊員たちを真剣に見て、深く頷いた。

 

「分かりました。大切にします」

 

その場が静まり返った。

 

千速も固まった。

 

押村はなぜ静かになったのか分からず、少し首を傾げる。

 

新井たちは感極まったように小さく拳を握った。

 

「かっこいい……」

 

「小隊長、よかったですね……」

 

「これは勝てない……」

 

千速は顔を真っ赤にして、押村の腕を掴んだ。

 

「行くぞ!」

 

「まだ挨拶が」

 

「もう十分だ!」

 

押村は隊員たちに軽く頭を下げ、千速に引っ張られて歩き出した。

 

背後から隊員たちの声が飛ぶ。

 

「小隊長、お幸せに!」

 

「明日の訓練、手加減してください!」

 

「押村警部補、また飲み会来てください!」

 

千速は振り返らずに怒鳴った。

 

「全員、五時集合だ!」

 

悲鳴が上がる。

 

押村は隣で静かに言った。

 

「本当に五時に集合させるのか」

 

千速は少し考えた。

 

「……六時にしてやる」

 

「優しいな」

 

「うるさい」

 

夜の道を、二人で歩く。

 

しばらく無言だった。

 

千速はまだ少し顔が赤い。

 

押村はそんな彼女を横目で見た。

 

「千速」

 

「何だ」

 

「迷惑をかけたなら、すまない」

 

千速は足を止めた。

 

「迷惑じゃねぇって言っただろ」

 

「そうか」

 

「騒がれるのは面倒だけどな」

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

千速は少しだけ視線を逸らした。

 

「でも……嫌じゃなかった」

 

押村は黙って続きを待つ。

 

千速はぽつりと言った。

 

「みんなが、祝ってくれたみたいで」

 

押村の表情が柔らかくなる。

 

「そうだな」

 

「お前が“大切にします”とか真顔で言うから、余計恥ずかしかったけど」

 

「本心だ」

 

「そういうとこだぞ」

 

「悪かった」

 

「だから謝るな」

 

千速は小さく笑った。

 

そして、そっと押村の手を取る。

 

夜道で、誰も見ていない場所で。

 

強くて温かい手が、押村の手を握った。

 

「奏斗」

 

「何だ」

 

「次の飲み会、たぶんお前も呼ばれるぞ」

 

「俺が?」

 

「あいつら、絶対に呼ぶ」

 

「行くべきか」

 

千速は少し考えた。

 

「来てもいい」

 

「そうか」

 

「ただし、変なこと言うなよ」

 

「変なこととは?」

 

「私を大切にするとか、そういうのを隊員の前で真顔で言うな」

 

押村は真面目に考えた。

 

「約束はできない」

 

「そこは約束しろ!」

 

押村は少しだけ笑った。

 

千速はその笑みを見て、少し照れたように目を逸らす。

 

「ほんと、調子狂うな」

 

「嫌か」

 

「嫌じゃねぇよ」

 

いつもの答え。

 

けれど、今夜は少しだけ甘かった。

 

背後の居酒屋から、まだ隊員たちの笑い声が聞こえている。

 

第三交通機動隊の中で、二人の関係は完全にばれた。

 

明日からしばらく、千速はきっとからかわれる。

 

押村も、いずれ捜査一課で同じ目に遭うだろう。

 

それでも、千速はつないだ手を離さなかった。

 

押村も、離さなかった。

 

夜の横浜の街灯の下。

 

白バイ隊員と刑事は、少し照れながら、ゆっくりと歩いていった。

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