神奈川県警の女神様   作:かなっち館長

21 / 34
第21話 花束を二つ

朝から、空はよく晴れていた。

 

雲ひとつない青空。

風は少し冷たいが、日差しは柔らかい。

 

墓参りには、妙に似合いすぎる天気だった。

 

萩原千速は、黒いジャケットの袖を軽く引き下ろしながら、墓地へ続く坂道を歩いていた。

 

隣には、押村奏斗がいる。

 

いつもの刑事らしい硬い雰囲気ではなく、今日は落ち着いた私服姿だった。

手には、花束が二つ。

 

一つは、明るい色の花。

もう一つは、少し落ち着いた色の花。

 

千速が言った。

 

「悪いな。付き合わせて」

 

押村は首を横に振る。

 

「付き合いたかった」

 

「そういう言い方、ずるいな」

 

「事実だ」

 

「出たよ、お前の事実」

 

千速は少しだけ笑った。

 

けれど、その笑みはいつもより弱かった。

 

今日は、研二と松田の墓参りだった。

 

弟の萩原研二。

そして、研二の親友だった松田陣平。

 

二人とも、爆弾で死んだ。

 

研二は七年前。

松田は三年前。

 

千速にとって、その二人の墓へ行くことは、いつまで経っても慣れない行為だった。

 

慣れてたまるか、とも思う。

 

人が死んだことに慣れるなんて、そんなのは違う。

 

ただ、泣かずに立つことだけは、少しずつ上手くなってしまった。

 

それが、自分でも少し嫌だった。

 

墓地の入り口で、押村が足を止める。

 

「千速」

 

「何だ」

 

「花は、俺が持ったままでいいか」

 

千速は押村を見る。

 

「重くねぇだろ」

 

「重くはない」

 

「なら持ってろ」

 

「分かった」

 

少し歩いてから、千速はぽつりと言った。

 

「……本当は、自分で持つべきなんだろうけどな」

 

押村はすぐには答えなかった。

 

千速の横顔を見て、それから静かに言う。

 

「持ちたい時に持てばいい」

 

千速は目を伏せる。

 

「お前、そういうところあるよな」

 

「どういうところだ」

 

「変に優しい」

 

「変ではないと思う」

 

「じゃあ、普通に優しい」

 

押村は少しだけ黙った。

 

「それなら、いい」

 

千速は小さく笑った。

 

「照れてんのか?」

 

「少し」

 

「正直かよ」

 

そのやり取りで、少しだけ胸の重さが軽くなる。

 

千速は前を向いた。

 

まず向かったのは、萩原家の墓だった。

 

墓石の前に立つと、千速は自然と背筋を伸ばした。

 

そこには、何度来ても慣れない名前が刻まれている。

 

萩原研二

 

千速はしばらく黙っていた。

 

押村は何も言わず、花束を差し出す。

 

千速はそれを受け取った。

 

明るい色の花。

 

研二には、こっちの方が似合う。

 

そう思った。

 

「研二」

 

千速は墓前に花を供える。

 

「来たぞ」

 

返事はない。

 

当然だ。

 

けれど、心のどこかで、今にもあの軽い声が聞こえてきそうになる。

 

姉ちゃん、遅いよー。

 

そんな声。

 

千速は水をかけ、手を合わせた。

 

押村も隣で静かに手を合わせる。

 

しばらくして、千速が口を開いた。

 

「今日は、奏斗も連れてきた」

 

押村は少しだけ顔を上げる。

 

千速は墓石を見つめたまま続けた。

 

「前にも来たことはあるけど……今日は、ちゃんと紹介しようと思って」

 

押村は黙っていた。

 

千速は少しだけ照れたように頬をかく。

 

「まあ、もう知ってると思うけどさ」

 

風が吹く。

 

墓前の花が小さく揺れた。

 

千速は一度息を吸った。

 

「研二」

 

声が、少しだけ柔らかくなる。

 

「私、奏斗と付き合ってる」

 

その言葉を口にした瞬間、胸の奥が少し震えた。

 

報告。

 

それは、嬉しいことのはずだった。

 

けれど、相手が墓の中にいると、どうしても痛みが混じる。

 

「お前、絶対からかうよな」

 

千速は苦笑した。

 

「『姉ちゃん、ついに?』とか、『押村さん真面目そうだけど大丈夫?』とか、絶対言う」

 

押村が静かに言う。

 

「言われそうだな」

 

千速は押村を見る。

 

「だろ?」

 

「はい」

 

「あと、『姉ちゃん怖いから押村さん逃げないでね』とか言う」

 

「逃げない」

 

押村はすぐに答えた。

 

千速は少し固まった。

 

「……今の、研二に言ったのか?」

 

「研二さんにも、君にも」

 

千速は顔を赤くして視線を逸らした。

 

「墓前でそういうこと言うな」

 

「言うべきだと思った」

 

「ほんと、お前は……」

 

千速は片手で顔を覆った。

 

その様子を見て、押村は墓石に向き直る。

 

「萩原研二さん」

 

千速が少し驚いて押村を見る。

 

押村は真っ直ぐに頭を下げた。

 

「押村奏斗です。千速とお付き合いしています」

 

千速の心臓が、どくんと音を立てた。

 

押村の声は、いつも通り静かだった。

 

だが、ふざけていない。

 

誤魔化していない。

 

「俺は、研二さんに会ったことがありません。だから、あなたがどんな人だったのかは、千速から聞いた話でしか知りません」

 

千速は黙って聞いていた。

 

「でも、千速があなたのことを大切に思っていることは分かります」

 

押村は少しだけ目を伏せる。

 

「彼女は強い人です。けれど、傷つかない人ではありません」

 

千速の胸が詰まる。

 

「俺は、彼女を守ると言うより、隣に立ちたいと思っています。彼女が泣けない時も、怒っている時も、前へ進もうとしている時も」

 

押村は深く頭を下げた。

 

「千速を大切にします」

 

千速は何も言えなかった。

 

言ったら、声が震えそうだった。

 

墓前で泣くつもりはなかった。

 

いつものように、ちゃんと立って、報告して、少し愚痴を言って帰るつもりだった。

 

なのに、押村が真面目すぎるから。

 

まっすぐすぎるから。

 

胸の奥に押し込めていたものが、少しだけほどけそうになる。

 

千速は小さく言った。

 

「……研二、聞いたか」

 

当然、返事はない。

 

でも、千速には少しだけ聞こえた気がした。

 

姉ちゃん、いい人じゃん。

 

そんな、からかうような声が。

 

千速は目を伏せる。

 

「うるせぇよ」

 

押村が千速を見る。

 

「何か聞こえたのか」

 

「聞こえた気がしただけだ」

 

「そうか」

 

「研二が、お前のこといい人だって」

 

押村は少し考えた。

 

「光栄だ」

 

「真面目に受け取るな」

 

「でも、嬉しい」

 

千速は困ったように笑った。

 

「ほんと、お前には勝てねぇな」

 

しばらく二人は、研二の墓前に立っていた。

 

千速は墓石を見つめる。

 

「研二」

 

もう一度、名前を呼ぶ。

 

「私、ちゃんとやってるよ」

 

声は静かだった。

 

「小隊長になって、部下もできて、相変わらず白バイ乗ってる。無茶は……まあ、少し減った」

 

押村が横で小さく言う。

 

「少し?」

 

千速が睨む。

 

「そこ突っ込むな」

 

押村は黙った。

 

千速は続ける。

 

「奏斗もいる。重悟もいる。だから……心配すんな」

 

最後の言葉だけ、少し掠れた。

 

それでも、涙は落ちなかった。

 

千速は手を合わせ、ゆっくり頭を下げた。

 

「また来る」

 

押村も頭を下げた。

 

二人は萩原家の墓を後にした。

 

次に向かったのは、少し離れた場所にある松田陣平の墓だった。

 

歩きながら、千速は少し口数が減った。

 

押村はその横を、一定の歩幅で歩く。

 

無理に話しかけない。

 

沈黙を急かさない。

 

千速は、それがありがたかった。

 

しばらくして、千速が口を開いた。

 

「陣平の墓は、研二のところより少し来るのに覚悟がいる」

 

押村は静かに尋ねる。

 

「なぜ?」

 

千速は前を見たまま答える。

 

「最後のメールがあるから」

 

押村は黙った。

 

松田陣平が殉職直前に千速へ送ったメール。

 

そこには、研二への謝罪と、自分が人を守るために残ること、そして千速への想いが書かれていた。

 

好きだった。昔から。

言わねぇままで悪い。

 

千速はそれを消せずにいる。

 

押村も、それを知っている。

 

千速は少しだけ苦笑した。

 

「お前、嫌じゃねぇの」

 

「何が」

 

「陣平のこと」

 

押村はすぐには答えなかった。

 

少し考えてから言う。

 

「嫌ではない」

 

「本当か?」

 

「うん」

 

その返事は柔らかかった。

 

「松田が君を大切に思っていたことは、否定するものではないと思っている」

 

千速は押村を見た。

 

押村はまっすぐ前を見ていた。

 

「君にとって松田が大事な人だったことも、変えたいとは思わない」

 

「奏斗」

 

「ただ」

 

押村は少しだけ言葉を止めた。

 

それから、千速を見た。

 

「今、君の隣にいるのは俺だと思っている」

 

千速の足が止まった。

 

押村も止まる。

 

千速は数秒、押村を見つめた。

 

それから、顔を赤くして目を逸らす。

 

「……お前、そういうところ本当にずるい」

 

「ずるいのか」

 

「ずるい」

 

「すまない」

 

「謝るな。嬉しいから困ってんだよ」

 

押村は少しだけ目を見開いた。

 

千速は歩き出した。

 

「行くぞ」

 

「分かった」

 

押村は少し遅れて隣に並ぶ。

 

松田の墓が見えてきた。

 

墓石の前に立つと、千速の表情が変わった。

 

少し険しく、少し寂しそうに。

 

押村は、もう一つの花束を差し出した。

 

落ち着いた色の花。

 

千速は受け取り、墓前に供えた。

 

「陣平」

 

千速の声は、研二に話しかけた時とは少し違っていた。

 

少し乱暴で、少し近い。

 

「来たぞ」

 

風が吹いた。

 

墓地の木々が揺れる。

 

千速は水をかけ、線香を供える。

 

「研二のところにも行ってきた」

 

少し間を置いて、続ける。

 

「あっちで会ってるなら、ちゃんと謝ったか?」

 

返事はない。

 

千速は苦笑する。

 

「お前のことだから、仏頂面で『うるせぇ』とか言ってそうだな」

 

押村は墓前で静かに手を合わせた。

 

松田陣平。

 

押村にとって、深く知る相手ではなかった。

 

だが、忘れられない男だった。

 

七年前、研二の殉職後に千速の前へ現れた時の顔。

三年前、観覧車の中で最後まで人を守ったこと。

そして、千速に残した最後の言葉。

 

押村は頭を下げた。

 

「松田」

 

千速が横を見る。

 

押村は静かに続けた。

 

「千速とお付き合いしています」

 

千速が少しだけ息を呑む。

 

押村は墓石を見つめたまま、真面目に言った。

 

「松田が千速を大切に思っていたことは、知っています」

 

千速は何も言えなかった。

 

押村の声は穏やかだった。

 

「だから、軽い気持ちでここへ来たわけではありません」

 

風が少し強く吹く。

 

押村は続ける。

 

「千速は、あなたのことを忘れていません。これからも忘れないと思います」

 

千速の指がわずかに震えた。

 

「俺も、それでいいと思っています」

 

押村は深く頭を下げた。

 

「今は、俺が千速の隣にいます」

 

千速の胸が締めつけられる。

 

それは、宣言のようだった。

 

松田に対しての。

 

そして、自分自身に対しての。

 

押村はさらに言った。

 

「彼女が一人で抱え込まないように、俺ができることをします」

 

千速は顔を伏せた。

 

「奏斗……」

 

押村は頭を上げ、千速を見る。

 

「言い過ぎたか」

 

千速は首を横に振った。

 

「いや」

 

少しだけ笑う。

 

「陣平、今ごろめちゃくちゃ文句言ってるぞ」

 

「そうだろうか」

 

「『真面目くせぇ挨拶しやがって』って」

 

押村は少し考えた。

 

「それは、言われそうだ」

 

「あと、『千速を泣かせたら殴る』って」

 

押村は静かに答えた。

 

「泣かせない」

 

千速はまた顔を赤くした。

 

「だから墓前で即答するな」

 

「大事なことだから」

 

「ほんと……」

 

千速は墓石に向き直る。

 

「陣平」

 

声が少しだけ柔らかくなる。

 

「聞いたか。こいつ、こういう奴なんだ」

 

返事はない。

 

でも、千速の中には松田の声が浮かんだ。

 

知ってるよ。だから腹立つんだろ。

 

千速は少し笑った。

 

「そうだな」

 

押村が不思議そうに見る。

 

「今度は何て?」

 

「陣平が、お前に腹立つって」

 

「なぜだ」

 

「真面目で、ちゃんと隣に立つから」

 

押村は少し黙った。

 

「それなら、仕方ない」

 

「仕方ないのかよ」

 

千速は墓前にしゃがんだ。

 

指先で墓石の前の小さな葉を払う。

 

「陣平」

 

その声は、さっきより低かった。

 

「最後のメール、まだ消してねぇ」

 

押村は黙っていた。

 

「たぶん、これからも消せねぇ」

 

千速は墓石を見つめる。

 

「でもな、もうそれを見ても、前みたいに立てなくなることは少なくなった」

 

少しだけ息を吸う。

 

「奏斗がいるから」

 

押村の目がわずかに揺れた。

 

千速は続ける。

 

「だから、怒るなよ」

 

風が吹く。

 

遠くで鳥の声がした。

 

千速は小さく笑った。

 

「いや、怒ってもいいけどさ。お前はたぶん怒るし」

 

押村は静かに言う。

 

「松田は、君が幸せならいいと思うんじゃないか」

 

千速は横目で押村を見る。

 

「お前がそれ言うのか」

 

「言う」

 

「強いな」

 

「そうではない」

 

押村は少しだけ視線を落とす。

 

「俺も、少し怖い」

 

千速は驚いた。

 

「怖い?」

 

「松田や弟さんの存在は、俺には届かない場所にある。君の中で、とても大きい」

 

千速は黙って聞く。

 

「でも、それをなくしてほしいとは思わない。なくなったら、君が君ではなくなる気がする」

 

押村は千速を見る。

 

「だから、怖くても一緒に受け止めたい」

 

千速の目が揺れた。

 

今度こそ、胸の奥が熱くなった。

 

「……お前さ」

 

「何だ」

 

「本当に、不器用なくせに大事なところで外さねぇよな」

 

「外していないならよかった」

 

千速は目元を指で軽く押さえた。

 

涙は出ていない。

 

でも、少し危なかった。

 

「陣平」

 

千速は墓石に向き直る。

 

「私、今ちゃんと幸せだ」

 

その言葉を口にするのには、勇気がいった。

 

死んだ人間の前で幸せだと言うことに、どこか罪悪感があった。

 

研二も松田も、もう歳を取らない。

 

笑うことも、怒ることも、誰かと飯を食うこともできない。

 

それなのに、自分だけが前へ進んでいいのか。

 

ずっと、どこかでそう思っていた。

 

でも、押村の隣にいる今なら、言えた。

 

「だから、心配すんな」

 

声が少しだけ震えた。

 

「研二にも、そう言っとけ」

 

押村は千速の横で、静かに手を合わせた。

 

しばらく二人は、何も言わなかった。

 

墓地を出る頃には、昼を少し過ぎていた。

 

坂道を下りながら、千速は大きく息を吐いた。

 

「疲れた」

 

「大丈夫か」

 

「大丈夫」

 

押村が少しだけ眉を寄せる。

 

千速はその顔を見て、苦笑した。

 

「今の大丈夫は、本当に大丈夫だ」

 

「そうか」

 

「信用しろ」

 

「分かった」

 

坂道の途中で、千速は足を止めた。

 

振り返ると、墓地が静かに見える。

 

研二の墓。

松田の墓。

 

二人とも、あの場所にいる。

 

でも、そこだけにいるわけではない。

 

千速の中にいる。

押村の記憶にも、横溝の記憶にも、少しずつ刻まれている。

 

千速はぽつりと言った。

 

「今日、連れてきてよかった」

 

押村は隣に立つ。

 

「俺も、来られてよかった」

 

「研二も陣平も、うるさかっただろうな」

 

「そうだな」

 

「研二はお前をからかう。陣平はお前を睨む」

 

「想像できる」

 

「でも」

 

千速は少しだけ笑った。

 

「二人とも、最後は認めると思う」

 

押村は千速を見る。

 

「そうなら嬉しい」

 

千速は押村の手を取った。

 

人目は少ない。

 

それでも、外で自分から手をつなぐのは少し照れくさい。

 

だが今日は、そうしたかった。

 

押村は一瞬だけ驚いたあと、その手を握り返した。

 

千速の手は少し冷たかった。

 

押村の手は温かかった。

 

「奏斗」

 

「何だ」

 

「ありがとな」

 

「こちらこそ」

 

「何でお前が礼を言うんだよ」

 

「大事な場所に連れてきてくれたから」

 

千速は少し黙った。

 

それから、目を逸らして言った。

 

「……これからも来るぞ」

 

「一緒に?」

 

「嫌か?」

 

押村はすぐに首を横に振った。

 

「嫌じゃない」

 

千速は笑った。

 

「あの頃から変わらねぇな、その答え」

 

「そうか」

 

「嫌じゃない、か」

 

「今は少し違う」

 

「どう違うんだよ」

 

押村は千速の手を握ったまま、静かに言った。

 

「一緒に来たい」

 

千速は顔を赤くした。

 

「……そういうの、ずるいって言ってんだろ」

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

千速は照れ隠しのように歩き出す。

 

押村も隣を歩く。

 

坂道の下には、二人の日常が待っている。

 

仕事。

事件。

白バイ。

捜査一課。

横溝の小言。

隊員たちの冷やかし。

 

きっとまた、忙しい日々が始まる。

 

けれど今日、千速は二つの墓の前で報告できた。

 

研二に。

松田に。

 

自分は今、押村奏斗と歩いていると。

 

そして、それを後ろめたく思わずにいたいと。

 

風が吹いた。

 

千速はふと空を見上げる。

 

青い空。

 

そこに、聞こえた気がした。

 

姉ちゃん、幸せそうじゃん。

 

泣かせたらぶっ飛ばすぞ、押村。

 

千速は小さく笑った。

 

「うるせぇ、馬鹿ども」

 

押村が隣で尋ねる。

 

「また聞こえたのか」

 

「ああ」

 

「何て?」

 

千速は押村を見る。

 

少しだけ意地悪く笑う。

 

「お前に、泣かせたらぶっ飛ばすって」

 

押村は真面目に頷いた。

 

「覚えておく」

 

千速は吹き出した。

 

「真面目に受け取るなよ」

 

「大事なことだから」

 

「ほんと、お前は……」

 

呆れた声。

 

けれど、その手は離さない。

 

押村も離さない。

 

墓地から続く坂道を、二人は並んで歩いていく。

 

失ったものは戻らない。

 

萩原研二も、松田陣平も、もう帰ってこない。

 

それでも、残された者は歩いていく。

 

忘れずに。

背負いすぎずに。

時々振り返りながら。

 

千速の隣には、奏斗がいる。

 

奏斗の隣には、千速がいる。

 

それだけで、今日の空は少しだけ優しく見えた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。